17.帰り道 ※
***
(まさか、元カノ? でも、でも、なくもない可能性。レオナールは元カノが2、3年前に1人いるって言ってた……オディリアが注目を浴び始めたくらいの時期だ。夢を応援する的な感じで別れたとか? あの2人の空気からして元恋人同士なら円満的に別れてるけど――)
「帰るぞ」
「わっ!」
後ろからいきなり声をかけられ、驚いた。大声を出したローズにレオナールは目を丸くしている。
「ちょっと考え事してて……」
別にしなくてもいい言い訳をして立ち上がった。レオナールは「そうか」とだけ言い、腕を出す。遠慮がちにその腕をとると、歩き出した。
(この腕を昔掴んでいたのはオディリアなのかな……遊んでるから他の人も掴んでるんだろうけど……でも、そうじゃなく……レオナールが本気で心を許した相手っていうか……それは今までオディリアだけなのかな……)
ローズは深い溜息を吐いた。もしそうであれば憂鬱である。以前付き合っていた女性は、しがない花屋を経営している自分より、遥かに大きい存在だ。
(何を話したんだろ……より戻すとか……? もしそうなら、より戻すのかな……なんかそれは嫌だな……嫌? 嫌じゃない! 嫌じゃない全然! むしろそれでいいし!)
「さっきから何を考えている」
「え? あー……ちょっと」
「言えないのか?」
「そんな大したことじゃない」
「……他の男のことでも考えているのか?」
「違うよ!」
「じゃあ俺のことか?」
「そうだよ!」
「ほぉ。どんなことだ。言ってみろ」
レオナールは少し嬉しそうにニヤッと笑った。
「……オディリアとの関係を考えてた。何繋がりなの?」
「それは言わん」
「なんでよ」
「言ったら駄目な決まりだからだ」
(やっぱり怪しい!!)
「なんでそんな決まりがあるの?」
「オディリアは謎な女を売りにしている。俺が言えばそこから何かバレるかもしれん」
「誰にも言わないよ」
「分かっている。だが駄目だ。あいつはローズに言わなかったろう。だから言えない。ファンなら何でも知りたいだろうがな」
不満そうな顔をしていると「悪いな」とレオナールは言う。
確かにオディリアは謎多き女優である。本名も出生も非公表だ。だがレオナールはそんな彼女のことを色々と知っているようなのだから、やはり親密な関係なのだろう。
「別に大丈夫」
胸に何かモヤッとしたものを感じた。心のどこかで、レオナールは自分になら話してくれると思っていた。だがそうでは無かった。それに、ファンだから知りたがっているということにもモヤモヤする。
「ローズ?」
レオナールは立ち止まり、心配そうな顔で問いかける。
「そんな顔しないでくれ。いずれ話せる時が来る」
そう言って頬に手を添えてくる。ローズはその手を払い、「平気」とだけ言って歩き出した。レオナールはその後ろを着いてくる。
「ローズ」
「ほんとに平気。大丈夫!」
「じゃあ何故そんな顔をする」
「そんな顔って何? 普通だけど」
「違う」
どんな顔をしているのかは分からない。いつも通りの顔のはずだ。だが念の為、両手で頬を揉むように動かした。
(大丈夫、大丈夫、何も変わらない)
そのままレオナールの前を歩くと、腕を掴まれた。
「いつか必ず話す。話せるようになるはずだ。だからそう悲しむな。そんな顔をして欲しくて、楽屋へと連れていったわけではない」
「悲しむ? 別に悲しんでない。嬉しかった。ありがとう」
「……なら笑ってくれ」
レオナールはローズの両頬に手をそえた。俯きがちだったローズはレオナールを見上げと、彼は悲しげに笑っていた。
「ローズの笑顔は、見ていて俺も嬉しくなる。でも、今の顔は悲しんでいる顔だ。そんな顔をされたら俺も悲しくなる」
「――ッ、私は」
「笑顔が見たい――が、無理矢理に作った笑顔も嫌だな。せめて悲しい顔をするのをやめてくれないか」
(悲しい顔?)
真横にあるショーウィンドウを見るとレオナールの言う通り、悲しい顔をしていた。
(何で私こんな顔を? レオナールとオディリアの関係なんてどうでもいい。むしろ楽屋にいけて満足だったじゃない。こんなんじゃ私……)
――嫉妬してるみたい。
そう思ってしまい、ハッとした。目を見開いてレオナールを見ると、彼は首を傾げている。
「ローズ?」
「…………ちょっと……ひ……で……考え……」
「え?」
「――ッ、ちょっと1人で考えたいの!」
そう言ってレオナールの手を払い、ローズは走り出した。
(違う違う! 嫉妬じゃない! 嫉妬なんかじゃ――)
ローズは人の隙間を縫って、思いっきり走った。時折レオナールが自身の名前を叫んでいるのが聞こえた。だが振り返らず一心不乱に走り、路地へと入る。
ここは家までの近道だった。だがあまり使ったことは無い。街灯がなく暗いからだ。
(嫌だけど、でも、元の道に戻ったらレオナールに見つかっちゃう)
会いたくなかった。レオナールの事を考えると心が落ち着かないのだ。1人でゆっくりと考えたい。今きっと思っていることは勘違いであると、冷静に結論が出るはずである。
(違う。あんな最低自己中野郎なんか好きじゃない。私が好きなタイプは、優しくて相手を思いやってて一途で……)
そんな風に考えていても、頭にチラつくのは緩くウェーブがかった漆黒の髪に翡翠の瞳の顔である。頑張って頭を振ったが、やはり入り込んでくる。
「なぁなぁ1人?」
路地を歩いていると、帽子を被った若い男に声を掛けられた。口からは酒の臭いがする。その男の後ろには同じく若い男がもう1人。ニタニタと笑いながら、ローズを見ていた。
「やっぱ1人っぽいね。ちょうど良かったー。俺ら話し相手探しててさー」
こんな酔っ払いとは関わらない方がいい。ローズは無視をして横を通り過ぎようとしたが、右手首を掴まれた。
「ちょっと! 離して!」
「連れねぇなぁ。いいじゃんか。少しお話ししようよー」
「嫌! 離して! もうそこら辺のカフェでも行って店員さんと話して来たらいいでしょ!」
「あー、そういうんじゃなくてさぁ」
「もうめんどくせーからさっさと連れてこーぜ」
「え? きゃあ!」
いきなり後ろから羽交い締めをされ、どんどん路地の奥へと連れて行かれる。抵抗するが全く外れず、そのままズルズルと為す術なく暗がりへと連れて行かれた。
「嫌! 誰か助け――んぐっ」
大声を出したが途中で口を抑えられてしまった。お金なんか持ってないのにと思ったが、最近起こっている事件を思い出した。
(この人達、もしかして連続婦女暴行犯!?!?)
ナディアから前に注意するよう言われていたことを思い出した。
(嫌だ嫌だ! 助けて!)
路地になど入らなければ良かった、レオナールと一緒に大人しく帰っていればよかった、とぐるぐると考えた。
力任せに道路へと倒され、両腕も押さえ付けられてしまった。押さえつけられた背中が痛い。
帽子を被った男がローズに馬乗りになり、口にポケットから取り出した布を詰め込んだ。恐怖で涙が溢れ出てきた。涙は頬を伝い、石畳の道路へと落ちた。
「そんな泣かないでくれよー。気持ちよくなってすぐ済むって」
「そりゃお前は早漏だからな。俺は違う。一緒にするな」
「はぁー、馬鹿だねー。俺はお前のために気を使って早く終わらせてんの。お前がそう言うなら俺も今回はめいいっぱい楽しもうかなー」
男は下品に笑うとポケットからナイフを取り出し、ローズの胸元に当てた。