ドタキャン
「どうしてクラウスは来ないのよっ!?」
苛立ちを隠すことなく、純白の花嫁衣装に似つかわしくない表情でレミリー・シュフテンガルドは怒鳴った。
「も、申し訳ありません……。ただ今、兵士たちに確認させております」
ペコペコとレミリーに頭を下げるのは、彼女の執事を長年務めている線の細い白髪の男性。
「確認させてるじゃあないでしょう! 今日は私たちの結婚式なのよ! 何で新郎が式場に来てないのっ!」
「……そ、それは」
執事は言葉に詰まる。
正直、そんなことを新郎本人ではない彼に言われても困るだけだった。
彼だって、レミリーの婚約者クラウス・ハートマンが時間通りに式場に現れるものだと思っていたのだから。
「もう最悪の気分よ。こんなので式なんて上げられるかしら」
「お嬢様、既に式に参加する皆様は揃われております。どうか、平静を保ってください……」
「は?」
執事のこの言葉がいけなかった。
レミリーの表情がさらに苛立ちを募らせる。
「だったら、さっさとクラウスを連れてきなさいよっ!」
がじゃあああああっんっ!!!と菓子入れの陶器が破砕した。
レミリーが怒りに任せて執事の足元に投げつけたのだ。
「落ち着いてください、お嬢様。お気持ちはわかりますがーー」
「こんなの落ち着いていられるわけないじゃない! 大切な結婚式に大遅刻されてるのよっ!? あなたが私の立場でも平気でいられるっての!?」
「……確かに気持ちは多少荒ぶるかもしれません」
「でしょう? ていうか、そもそもクラウスが式に乗り気じゃなかったから余計に不安なのよ、わかる?」
「それは私も懸念していましたが、婚約も成立されたわけですし、必要以上に心配されなくてもよろしいかと」
「そう……? それならいいんだけれど……」
と、レミリーは頬を膨らませる。
レミリーとクラウスの結婚はレミリーが一目惚れしたクラウスに半ば強引に婚約を迫った背景があった。
レミリーはシュフテンガルド王国の第一王女という立場を利用して、下級貴族のクラウスを脅しのような形で婚約書にサインさせたのである。
王女の婚約者になる代わりにハートマン家とその親族の権力を保証するーーそれがレミリーの提示した条件だった。
逆にレミリーの求婚を拒めば、ハートマン家とその親族の身分は危機に曝されるわけだが。
まあ、ある意味政略結婚といえるのかもしれない。
「ご、ご報告ですっ!」
と、レミリーの控え室の扉が力任せに開かれ、息を切らした兵士が入ってきた。
「レミリーお嬢様の前で無礼だぞっ!」
その兵士を執事が叱るが、レミリーが彼を制した。
「いいわ。そんなことよりも早く報告を聞かせなさい」
「は、はい」
兵士は息を落ち着かせる暇もなく、懐から1枚の紙を取り出した。
「クラウス殿の家にこのような手紙が残されておりました」
「クラウスの家に手紙? 彼はどこにいるの?」
「そ、それは」
兵士は居心地悪そうにレミリーから顔を背けた。
「何よ、言いなさいっ!」
語気の強いレミリーの言葉に肩を震わせると兵士は申し訳なさそうに答えた。
「……クラウス殿は駆け落ちするとその手紙に記しております」
「ーーっ!?」
レミリーは兵士に駆け寄ると乱暴に手紙を奪い取った。
焦燥感を顔を溢れさせ、手紙を読む。
「レミリー様へ……、私はあなたとの婚約をやはり受け入れられません……、私には心に決めた女性がいるのです……、私は彼女とともにこの国を去ります……、無礼な行為であることは承知しておりますが、どうか…………、お許しください……」
手紙を読み終えるとレミリーの顔は蒼白になった。
両腕から力が抜けて、ぶらんと腰の横に腕が垂れた。
「な、何よ、これ……?」
「……」
「心に決めた女……? 私じゃなくて、他の女ってこと……?」
「……お、お嬢様?」
「私が嫌だったの? 私じゃダメだったの?? だから、私を捨てて他の女と逃げるっていうの???」
ギリ、と。
レミリーは唇を強く噛んだ。
「違う、そんなの許さない。クラウスは私のもの。クラウスは私だけのもの。絶対に取り返す。絶対に取り戻す。絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対にーーーーーー、」
そして、レミリーは手紙を握り潰して走り出した。
「お嬢様、どちらへ!?」
「お父様のところよ。クラウスを見つけ出してもらうの」
虚空を睨みつけるレミリーの瞳は焦点を見失っていた。