92nd BASE
七回表、亀ヶ崎の攻撃。先頭の逢依は実篤のカーブを打てず、空振り三振に倒れる。
(くっ……。やっぱりこのキャッチャー、よく見てるな)
逢依はどんよりとした面持ちで打席を後にする。ネクストバッターズサークルから出てきた愛とすれ違う際、悔しそうに言葉を漏らした。
「……悪い。出られなかった」
「ドンマイ。けどあれだけ見せてくれたら十分だよ。私が代わりに打ってくるね」
「え? どういうこと?」
「へへっ、まあ見てなって」
愛は愉快気に逢依に笑いかける。何故そんなに自信満々なのかは分からないが、逢依は期待を込めて送り出す。
「……そっか。じゃあ頼んだよ」
「うん! 任せておきなさい」
逢依と入れ替わり愛が打席に入る。実篤は初球からカーブを投じてきた。
(お、待ってました!)
愛はいきなり打って出る。自分の体から逃げていく軌道に逆らわないようにスイングし、真芯で捉える。
「レ、レフト!」
快音を残した打球はレフト線際を伸びていき、そのままフェアゾーンに弾む。宮澤が必死に走ってフェンスの前で追い付くも、愛は快足を飛ばして二塁へ向かう。送球は中継までしか返されず、愛は立ったままベースに到達できた。
「へへ、どんなもんだい!」
愛は力強く手を叩いて自らに拍手を送る。見事にカーブを狙い撃った彼女だが、その裏には直前の逢依の打席があった。
(ルーあいが三球も見せてくれたから、縦の球筋はある程度覚えられたんだよね。あとは横の変化に合わせてバットを出すだけだった。ふふっ、これで二人の“あい”で得点大作戦のお膳立ては整ったということで)
元々愛は左投手の逃げていく球を打つのが得意である。三振に終わってしまった逢依だが、知らぬ間に愛を手助けしていたのだ。
(なるほど。そういうことか。ありがとう愛、助けられたよ)
気落ちしていた逢依も、愛のツーベースでかなり楽になる。二人の“あい”が協力してチャンスメーク。愛が生還すれば亀ヶ崎は再度リードを奪い、勝利へ向かうことができる。
《八番キャッチャー、桐生さん》
この場面で打席に立つのは八番の優築。守備で悔しい思いをしている分、打撃で雪辱を果たしたい。
(愛が私に挽回のチャンスをくれた。絶対に活かしてみせる!)
初球、外角にストレートが来る。優築は愛と同じく果敢に打っていった。しかし打球は一塁側のスタンドに消えていく。
(愛さんには上手に打たれただけで、実さんは自分のボールをきっちり投げられとる。今のも前に飛ばさせんかったし、自信持っていきましょう)
二球目、翼は実篤にカーブを投げさせる。ストライクゾーンの真ん中を綺麗に裂き、優築のバットが空を切る。
「ナイスボールです! この調子で一気に打ち取りましょう」
伊予坂バッテリーは二球で追い込んだ。実篤のカーブと直球のコンビネーションに、優築は完全にタイミングを崩されている。
(愛はよくこんなカーブを初見で打てたわね。おそらく遊び球は無い。三球勝負で来る。カーブか、それとも他の変化球があるのか。いずれにせよストライクに来たらバットには当てなきゃならない)
三球目、実篤が投じてきたのはまたもやカーブ。二球目よりも低めの位置から落ちていく。優築は何とか堪えて見送った。
(このカーブは打つのは難しいけど、ストライクボールを見極めるのはそれなりにできる。まだまだこっちにもチャンスはある)
四球目もカーブだったが、高めに大きく抜けた。ツーボールツーストライクの並行カウントとなり、優築の心に少し余裕が生まれる。
(こうやってボールが増えていけば当然投手は苦しくなる。私の役目はヒットが絶対条件じゃない。チャンスを広げて後ろに繋げたって良いんだ)
五球目。実篤は内角への直球を投げてくる。
「ファール」
優築はカットして逃れる。ひとまずカーブとストレートだけなら対応できるようになってきていた。
(まだ打者三人しか対戦してないのに、亀ヶ崎は着実に実さんの特徴を掴んできとる。こっちも出し惜しみはしていられんけん)
翼はこれまでとは違う球を要求したようだ。承諾した実篤が二塁ランナーに一度目をやり、クイックモーションで六球目を投じる。
投球は翼のミットに向かって直進する。ストライクゾーンを通っているので、優築は手を出さなければならない。
(……ん?)
バットを振り出す瞬間、優築は違和感を覚える。予想よりも球速が出ていないのだ。
(なるほど、チェンジアップか!)
優築は溜めを作り、スイングのタイミングを遅らせる。投球はベース手前でブレーキを掛けて沈んできた。修正されたスイング軌道とかち合い、優築のバットから短い金属音が放たれる。
「センター!」
低いライナーが実篤の頭上を通過して外野へと伸びていく。予め前に守っていたセンターの坪内だったが、更に前進してきた。
「坪、捕って!」
「落ちろ!」
ショートの夏目と二塁ランナーの愛が同時に声を上げた先で、坪内は前のめりの体勢になりながら左腕を伸ばす。打球の落下地点は彼女の足首辺り。それでも地面に弾む寸前でグラブに収める。
「おっとっと……」
捕球後、坪内はバランスを崩してつんのめる。しかし咄嗟にグラブを背中に回し、溢さないように既のところで堪えた。
「アウト」
「ああ……」
ランナーの愛は慌てて帰塁。きっちり捉えたかに見えた優築の打球だったが、心なしか勢いが付いていなかった。伊予坂が前進守備を敷いていたこともあり、坪内の前に落ちることもなく捕られてしまった。
(あのチェンジアップ、少し外に逃げていくように変化していた。そのせいで僅かに芯を外されたんだ。ナチュラルなのか意図的に曲げてるのか分からないけど、結果として私には打つことができなかった)
優築は再び湧き上がった悔しさを奥歯で噛み締める。だがレギュラーとしてずっと試合に出続けていれば、こうしたツキの無い日は必ずある。珠音の時もそうだが、それを誰かがカバーしてこそ強いチームだ。
それにまだチャンスは終わっていない。打順は九番の真裕に回る。
See you next base……
実篤’s DATA
ストレート(最高球速100km:常時球速90~95km)
★カーブ(球速70~75km)
チェンジアップ(球速80km~85km)




