57th BASE
お読みいただきありがとうございます。
東京では大雪が降っているようですね。
タイミングが良いのか悪いのか、これで尚のこと外に出る人は少なくなりそうです。
次の日もその次の日も、京子ちゃんは部活に来なかった。聞くところによると学校も休んでいるみたいだ。私は未だに意地を張って連絡も取れずにいるが、いよいよ何もしないわけにはいかなくなってきた。
「ショート、ゲッツー」
「はい!」
今日の放課後は守備練習が中心。現在はシートノックが行われている。ランナー一、三塁という設定の中、ショートを守る昴ちゃんのところに打球が飛ぶ。
「セカン」
昴ちゃんは軽やかに処理して二塁へと投げる。その後併殺が完成したのを見届けると、定位置に戻っていく。
「昴、良い感じだぞ! だがお前ならもう一歩前に出て捌けるはずだ」
「はい!」
監督の檄に力強く返事をする昴ちゃん。京子ちゃんがいない間に少しでも多くアピールしておこうという意気込みからか、目の色を変えて練習に取り組んでいる。監督もそれに応えるかのように、彼女へのアドバイスが多くなっている気がする。
「よし、それじゃあ最後はバックホームで終わるぞ!」
「はい!」
ノックの締めは一人一人が本塁に送球して終わっていく。当たり前だがそこに京子ちゃんの姿は無い。それを見ていて感じるのは、寂しさよりも不快感。いつも一緒にいたはずの京子ちゃんがいないということが私には現実とは思えない。こんなことを言ってはいけないが、そのせいで練習にちょっとだけ身が入らなくなっていた。
「ねえ、京子と連絡取ってないの?」
部活が終わって紗愛蘭ちゃんと帰っている途中、彼女から質問が飛んでくる。京子ちゃんが来る気配の無い現状を憂慮してか、その口調には焦燥感と悲壮感が滲み出ている。
「うん、まだ取ってない……」
私は無意識に沈んだ声で答える。三日も休むとは思ってもいなかったので、完全に話すタイミングを逸してしまっていた。
「紗愛蘭ちゃんは取ってるの?」
「一応。……けど『大丈夫?』とかそのくらいだよ。返信も来るのも遅いし、多分熱か何かで寝込んでるんだと思う」
「そっか……」
「うん……」
二人とも伏し目がちになる。今日はお互い足取りが重く、歩くスピードがかなり遅い。
「やっぱりさ、私じゃ駄目なんだよ。真裕に励まされた方が京子も元気になるはずだよ」
足元の小石を蹴りながら、紗愛蘭ちゃんがぽつりと言う。それは分かっている。私が何かしないといけないのだと思う。だけど……。
「ねえ、どうして京子ちゃんはあんなに切羽詰まってるの? 少し調子を落としたくらいじゃん。それなのに昴ちゃんにレギュラー取られそうとか言い出しちゃって。もっと堂々としてれば良いし、そしたら調子だって上がってくるでしょ。なのに何でずっとおどおどしてるのか、私には分かんないよ……」
私は本音をぶちまける。一昨日の春歌ちゃんに言われた通りだった。私は京子ちゃんの気持ちが分からない。この二日間で色々考えてもみた。それでも分からない。だからこうして連絡を取れずにいる。
「真裕……」
紗愛蘭ちゃんはややびっくりした顔をして立ち止まる。ところがすぐに何だか納得したような表情へと変わった。
「なるほどね。そういうことか」
「え? 何が?」
私も足を止める。紗愛蘭ちゃんは先日と同じく、やんわりと窘めるように話す。
「真裕は多分今までで、自分の居場所が無くなる恐怖に直面したことがないんだよね。だからそんなことが言えるんだよ」
「自分の居場所が無くなる恐怖?」
「そう。ここで失敗したら自分の存在価値が無くなる。今のポジションを失ったら自分は誰からも相手にされなくなる。……そういう恐怖だよ」
紗愛蘭ちゃんの口ぶりから哀愁が漂う。まるで自身の体験を語っているかのようだった。
「その恐怖を、今の京子ちゃんは感じてるってこと?」
「私はそう思う」
断言する紗愛蘭ちゃん。私は益々意味が分からなくなる。
「ええ? どうしてそんな恐怖を感じるの? 万が一京子ちゃんがレギュラー落ちになったとしても、京子ちゃんは京子ちゃんだよ。誰にも相手にされなくなんてならないはずだし、私の大事な幼馴染なのは変わらないよ!」
そもそも存在価値って何だ。私たちは好きで野球をやっているのだから、そんなややこしいことを考える必要なんてないのではないか。そう思ってしまう私に対し、紗愛蘭ちゃんは小さく頷いてくれた。
「そうだよ。真裕の言う通りだよ。でもね、皆真裕みたいには考えられないんだ。ちょっと不安があるとすぐ弱気になっちゃう。そういう人はたくさんいるの。だから誰かの助けが、誰かの言葉が必要なんだよ。私も以前は不安だった。自分は本当にそこにいて良いのかってね。でも真裕がその不安を取り除いてくれたじゃん。ふふっ……」
少しだけ口元を柔らかくする紗愛蘭ちゃん。彼女が言っているのは入部する時の話だろう。でもあれに関しては私は何もしていない。紗愛蘭ちゃんが自分で決断を下したのだ。
「まあ私の話なんてどうでも良いんだ。それよりも今の真裕の回答を聞いて安心したよ」
「え?」
「真裕の中では、京子は何があっても幼馴染なんだよね。だったらそれを言葉にして伝えてあげて。そしたら京子は喜ぶし、風邪を治して前みたいに部活に出てくるはずだよ」
「ほんとに……?」
私は疑いの目を向ける。しかし紗愛蘭ちゃんがすぐにそれを退ける。
「うん、ほんとに。とにもかくにも、このままじっとしててもどうにもならない。だからお願い、京子を助けてあげて」
「わ、分かったよ」
叱られたのか頼られたのか。どっちつかずの不思議な感覚だ。だけどこれだけは分かる。京子ちゃんが復活するためには、私の力が、私の言葉が必要なのだ。
「よし、じゃあ今日はさっさと帰ろ! これ以上ぐだぐだしてたら遅くなっちゃうし。真裕も電車があるでしょ」
紗愛蘭ちゃんは途端に元気になり、私の手を引く。あまりに急なことだったので私の体はされるがまま動いてしまう。
「ひゃっ……」
私は調子外れな声を出す。それが溶けていった空は既に真っ暗に染まっており、雲がうっすらと張っていた。
See you next base……




