55th BASE
お読みいただきありがとうございます。
コロナウイルスの影響がオリンピックに及ぼうとしていますね。
あくまで個人的な意見になりますが、一年ほどの延期という手もあるのではないかと思っています。
夏の時点で日本で収まっていても世界の感染が広がっているという可能性もありますし、その状態で世界中から選手や観客を呼び寄せられるのかが疑問です。
次の日も私と京子ちゃんが一緒に学校に向かうことはなかった。朝練でも全く接することなく、教室に向かうのも別々であった。
休み時間に京子ちゃんのクラスに顔を出すのも気まずく、五限目が終わってからも、私は自分の席で頬杖をついて窓の外を見ている。今日も昨日と一昨日に引き続き快晴で、眺めているとほんの少しは気晴らしになる。するとそこへ、誰かが私の前の席に座って話しかけてきた。
「何だよ、今日はずっとぼーっとしてるな」
「え?」
途端に振り向いてみると、そこにいたのは椎葉君だった。ちょっと前までは襟足まで後ろ髪が伸びていたが、テスト明けぐらいから彼の頭は綺麗に丸く刈られている。男子野球部は坊主を強制しているわけではないそうで、椎葉君本人は気合を入れるために自主的にやったと話していた。
「いつもは女子同士できゃっきゃしてるのに、今日はそうやって外見てばっかじゃん。さては何かお悩み事があるんだろ?」
俺に話してみなよとでも言いたげに、椎葉君は白い歯を見せる。そのお茶目さに私も釣られて笑みが零れる。
二年生で一緒のクラスになって、教室でもこうして頻繁に話すようになった。野球をやっている時とは違って非常に穏やかな雰囲気があり、そういう一面も私は気に入っている。
「そんなきゃっきゃしてないよ。あれくらい誰でもするでしょ」
「いやいや、俺らからしたらあれでもよく喋ってるなあって感じるよ。だけど今日はその騒がしさが無いからさ。踽々莉ともそんなに話してないみたいだし。何かしらあったんだろうなと思って」
「へえ……。よく見てるね」
「そ、そうか? これくらい普通だろ」
椎葉君は視線を若干外の方にやり、頬をほんのり赤く染める。私は可愛らしいなあと思いつつも、口に出すのは気恥ずかしさがあったので言わないでおく。
「ふふっ、まあ良いや。……実はさ、京子ちゃんと喧嘩しちゃってね。それについて悩んでるというか、どうするべきなのか踏ん切りがつかない感じなんだよね」
「陽田と喧嘩? そりゃまた珍しいこともあるもんだな。原因は何なの?」
「原因はねえ……。話せば長くなりそうなんだけど……」
私はこれまでの経緯を椎葉君に話す。部活での京子ちゃんの調子が芳しくなく、一年生の昴ちゃんにレギュラーを取られそうだということ。先日の紅白戦でもミスをし、その度に気を落として謝ってくるところに腹が立ったこと。最終的に私が堪えきれずに怒鳴りつけてしまい、そこから修復する術が分からずにいること。そして紗愛蘭ちゃんに言われたこと。伝えるべきと思ったことは全て伝えた。椎葉君は時折神妙な面持ちを浮かべつつも、最後まで黙って聞いてくれる。
「ほう……。ここ最近の陽田とは会ってないから分からんかったけど、そんなことがあったとはな」
「そうなの。京子ちゃんが一番辛いのは分かってるし、謝ってくるのもとりあえずとかじゃなくてほんとに申し訳ないと思ってるからなんだろうけど、どうしても私が許容できなくて。それでこんな感じになってるの……」
そう言って私は肩を落とす。椎葉君は私に同調するかのように二度三度頷いた。
「けどその気持ちは分かるわ。俺も野手にエラーされたら腹が立つし、いくら謝ったからって何度も積み重なったら怒れてきちゃうもん。だから柳瀬もそれに関しては気に病む必要は無いと思うよ」
「そうなのかな。……ありがとう」
私の口からふと感謝の言葉が零れる。椎葉君が共感してくれたことが嬉しかった。二人の間に不思議な空気が流れる。
「お、おお……」
再び椎葉君が照れ臭そうにはにかむ。しかしすぐに彼は咳払いを挟み、気を取り直して話を続けようとする。
「おほん……。まあでも柳瀬としては、陽田を突き放したまま放っておくわけにはいかないし、何とかサポートしてあげたいとは思ってるんだよな」
「うん。けど今のうじうじしてる京子ちゃんを見てたらまた苛々してきちゃうだろうし、その辺をコントロールできないんだよね」
我ながら情けないことを言っていると思う。本来ならば苛々を抑えて毅然としているべきなのだろうが、それが今の私にはできない。相手が京子ちゃんだから、京子ちゃんに活躍してほしいという思いが強すぎるが故に、そうなってしまうのだろうか。
「そりゃあそんなの簡単にコントロールできるもんじゃないだろ。それだけ柳瀬が陽田のことを大切に思ってるってことだよ」
椎葉君は柔らかな口調で言う。こちらの心情を汲み取り、寄り添った言葉を選んでくれるのでとてもありがたい。
「今は喧嘩したばっかりだし、ひとまず距離を置いちゃっても良いんじゃない? 何日かすれば落ち着いてくるだろ。そこで改めて話せば良いと思うよ」
「うーん……。距離を置くと更に気まずくなって、仲直りし辛くなったりしないかな?」
「早く仲直りするに越したことはないけど、それが難しそうなのに無理に近づいたら、また拗れさせるかもしれないだろ。踽々莉も言ってたみたいだけど、柳瀬の力が欲しい時がすぐ傍まで迫ってる。今はそれに備えて頭を冷やす期間って思ったら、前向きに捉えられるんじゃないか?」
「なるほど。そう考えるとこれも必要なことのかなって思えてくる」
私は胸が一気に軽くなったように感じる。椎葉君が言うと説得力があるから凄い。
「じゃあとりあえず椎葉君の言う通りにしてみるよ。話を聞いてくれてありがとう」
「ああ。困った時はいつでも相談してくれ」
椎葉君は何故だがとっても嬉しそうに笑う。その瞬間、私の心臓が一拍大きな脈を打ち、それと同時に六限目の始まりを告げるチャイムが鳴った。
放課後になり、私は紗愛蘭ちゃんと共に部室へと向かう。いつもなら京子ちゃんも一緒に行くのだが、終礼を済ませた私たちが迎えにいった時には、既に彼女は自分のクラスからいなくなっていた。おそらく先に行ったのだろう。そう私たちは思っていた。しかし、そうではなかった。
「え? お休みですか?」
それは、突然の知らせだった――。
See you next base……




