49th BASE
お読みいただきありがとうございます。
ひとまず春歌に関するお話は一旦区切りとなります。
引き続いては、真裕に近しいある選手のお話です。
「菜々花先輩、ちょっと良いですか?」
「お、どうした?」
私と和解した翌日から、春歌ちゃんは積極的に私以外の上級生と話すようになった。今日はバッティング練習が終わった後に菜々花ちゃんに声を掛けている。といってもこれだけなら以前からとそこまで変わらない。変わったのはその中身である。
「私はもっとインコースで勝負できるようなピッチャーになりたいと思っています。そのためには何が必要でしょうか? 菜々花さんの意見が聞きたいです」
インコース中心の投球スタイルを確立したいという自らの願望を打ち明け、それを実現できるようにアドバイスを求めるようになったのだ。後輩の思いを聞き、これまで度々衝突することもあった菜々花ちゃんも何とか気持ちを汲んであげようとする。
「インコースで勝負したいか。ほんとに凄い拘りだねえ。……良いよ。どんな攻め方ができそうとか、どんなところを磨いていったら良いかをブルペンで一緒に考えてみようか」
「はい、よろしくお願いします! ありがとうございます」
春歌ちゃんは喜び溢れる笑顔で菜々花ちゃんにお礼を言う。あれは決して偽物ではない。遠目で見ていた私にはその確信があった。
「おやおや、春歌のことがそんなに気になるのかい?」
「え?」
暫く二人のやりとりを眺めていると、唐突に背後から誰かが話しかけてきた。振り返った先にいたのは杏玖さんだ。
「あ、杏玖さん。うーん……、気にはなりますね。まだまだ聞かなきゃいけないこともありますし。でもとりあえず、今はこれで大丈夫かなって思ってます」
「ほう、そうなの? ついこの前まで喧嘩してみたいだけど、仲直りできたっぽいね」
「別に喧嘩ってほどではないですよ。ちょっとしたすれ違いです。それにしても誰からそんな話を聞いたんです?」
「誰にも聞いてないよ。見てたら何となく分かったって感じかな。一応これでもキャプテンですから」
杏玖さんは誇らしげに白い歯を覗かせる。私が何も相談していないのに見抜いていたとは流石だ。
父子家庭である杏玖さんは現在、お父さんと二人暮らしをしている。食事などの家事はほとんど担当しているそうだ。そんな家庭の事情もあって主将に就任した当初は本人も不安がっていたが、大変そうな素振りなど全く見せることなく、頼れるリーダーとして私たちを支えてくれている。
「真裕だけじゃどうにもできなくなったら助太刀しようと思ってたけど、そうならなくて良かった。やっぱり真裕は人の心を開くのが上手なんだね」
「いやいや、そんなことないですよ」
私は顔の前で手を振って否定する。私一人の力ではない。監督やお兄ちゃんが協力してくれたおかげだ。
「ま、これでひとまずそっちの問題は解決ってことだね」
「そっちの問題? 他にもあるんですか?」
「まあ色々と見えてくるところはあるよね。ただ今一番気になってるのは……」
杏玖さんは首を大袈裟に動かし、辺りを見回して止まる。その視線が捉えたのは、グラウンドの隅で孤独に素振りをしている京子ちゃんだった。
「……京子ちゃんですか?」
「うん……。うちの正遊撃手だね」
京子ちゃんがここ最近ずっと悩んでいることは私も分かっている。打撃も守備も低調で、練習でも試合でもミスが目立つ。一年生の昴ちゃんの台頭もあり、京子ちゃん自身も少し前からかなりナーバスになっていた。テスト期間が明けても立ち直る気配は無い。
「いくら昴が良いって言ったって、普通にやれば一年生なんかに負けるわけないよ。それだけ京子だって上手くなってるのに。何を焦っているんだか」
腕組みをして口を尖らせる杏玖さん。確かにその通りである。何度も言うが、どれだけ不調に陥ろうとも秋から京子ちゃんがレギュラーを張っている事実は変わらない。結果もそれなりに残してきたわけだし、その座が簡単に揺らぐことはないはずだ。
「私もそう思います。でもあんなに野球に苦しんでる京子ちゃんは初めて見ました。だからちょっと心配です」
「そうなのか……。京子には内野の要として頑張ってもらわないとだし、本当は自分で這い上がってきてほしいけど、これ以上悪くなるようならサポートが必要かも」
「そうですね。私も気に掛けておきます」
「うん、よろしく。京子のことは真裕が一番近くで見てきただろうし、いざとなったら助けてあげてね」
杏玖さんは私の背中を軽く叩く。杏玖さんから頼りにされているということが、私としてはとても嬉しかった。
「来週の土曜日だが、紅白戦をやることになったぞ」
「おー」
それは突然の知らせだった。練習後のミーティングで、監督が私たちに告げたのだ。
「本当は練習試合を組み込む予定だったんだが、他の高校と都合が付かなくてな。けれどもこの時期はどうしても実戦を積み重ねていきたい。ということで急遽、紅白戦をやることにしたんだ。もちろん一年生も試合に出てもらうつもりだ」
亀高の女子野球部は、二、三年生だけだと全員で一六人。試合を行うには少なくとも二人足りない。なので必然的に一年生も出場することになる。候補としては春歌ちゃんや昴ちゃん、栄輝ちゃんといった辺りだろう。
「先発投手は真裕と春歌に務めてもらうつもりだ。その後どこかしらのタイミングで継投するから、祥たちはそこに備えて待機しておいてくれ」
「はい!」
私は他の投手陣と共に威勢良く返事をし、春歌ちゃんを見やる。春歌ちゃんも一瞬こちらに目をやったが、すぐにつっけんどんに視線を逸らす。
紅白戦は普通の対外試合とはまた違ったワクワク感がある。春歌ちゃんと投げ合えるのも、チームメイトと本気で対戦できるのも純粋に楽しみだ。
「それ以外の振り分けは当日に発表する。この紅白戦は当然夏大のメンバー選考に関わってくるので、皆持てる力を出して存分にアピールしてくれ。俺はとにかく勝てると思ったメンバーを選ぶからな」
「はい!」
私たちの声が揃って空に溶けていく。この紅白戦で嵐が吹き荒れることを、まだ誰も知る由も無かった。
See you next base……




