48th BASE
お読みいただきありがとうございます。
コロナウイルスの影響で様々なイベントが中止や延期に追い込まれていますね。
プロ野球でもオープン戦が無観客で行われることが決定されました。
寂しいことではありますが、個人的には致し方ないかなとは思います。
選手もファンの皆さんも、万全の状態でシーズンに臨めるような状況に向かうことを期待します。
練習が終わり、私は着替えをするために紗愛蘭ちゃんや京子ちゃんたちと部室へと向かっていた。その途中、既に制服姿となって帰ろうとしていた春歌ちゃんとすれ違いになる。
「あ、春歌ちゃん」
「あ……」
互いの目が合った瞬間、春歌ちゃんは僅かに斜め下に視線を動かす。珍しく私への嫌悪を、他の人の前で露わにした。それだけ今日のことは触れられたくないということだろう。だからといって私としてはこのまま素通りするわけにはいかない。今日の春歌ちゃんの投球には、間違いなく何かしらの心情の変化があったはずだ。
「春歌ちゃん、ちょっとお話したいんだけど良いかな?」
私はこれまで通り春歌ちゃんを呼び止める。春歌ちゃんは乗り気でない表情をしながらも、こうなることを予想していたのか、潔く諦めたかのようにすんなりと承諾する。
「まあ良いですけど……」
「ありがとう。紗愛蘭ちゃん、京子ちゃん、先に行っててもらって良い? そんなに時間かからないから」
「分かった。今日は特にこの後何も無いし、焦らなくて良いよ」
「ウチも大丈夫」
紗愛蘭ちゃんと京子ちゃんが去っていくのを見送り、私たちは道の脇に移動。目に付いた低い塀の上に腰を下ろして話すことにする。
「今日もお疲れ様。シートバッティングの投球は春歌ちゃんらしさが出てたね」
「私らしさ? どういうところがですか?」
「インコースをどんどん攻めてきてたじゃん。今日の私はそれで抑えられちゃったし。優築さんから聞いたけど、自分でそういう風に投げたいって話してたんでしょ?」
「ああ、そのことですか……」
春歌ちゃんは仏頂面で答える。声のトーンが若干上ずっており、心なしか恥ずかしさを堪えているように感じられた。
「でもどうしてそうしようと思ったの? まさか私の要望を取り入れてくれたの?」
「そんなわけないじゃないですか。……そっちの方が良いなって思っただけです」
私が愉快気に尋ねると、春歌ちゃんは咄嗟にそっぽを向く。私はそれを追いかけるように下から覗き込んだ。春歌ちゃんは一瞬だけ眼をこちらに動かしたが、またすぐに明後日の方向を見やる。私も顔を元の位置に戻し、所在無げな足を揺らめかせながら話を続ける。
「そっか。何にせよ私は嬉しかったな。春歌ちゃんらしさを感じられて。春歌ちゃんだって投げていて気持ち良かっただろうし、何より楽しかったんじゃない?」
「楽しかった? だからどうしてそんなに甘いことが言えるんですか⁉ こっちは血反吐が出そうなくらい努力をして、やっとのことで試合に出してもらえてるっていうのに……。真裕先輩のそういう甘ちゃんなところが、ほんとに嫌いなんです!」
春歌ちゃんは声を荒げる。それからにわかに立ち上がると、こちらを向いて厳めしく私を睨みつけた。
「貴方の考えは甘すぎる。それでよく日本一になりたい、ましてや世界一になって言えますね。その甘さは、いつか絶対に仇となって帰ってきますよ」
「は、はあ……」
私は何も言えず、口をぼんやりと開けたまま春歌ちゃんを見つめる。正直なところ、この時の私は彼女の言っていることが理解できなかった。楽しくやろうとすることの何がいけないのだろうか。もちろん苦しいことはある。けれどもそればかりで野球をやっていても、ちっとも面白くない。せっかく好きなことをやっているのだから楽しまなくては。ただそこは今の論点ではない。
「ふう……」
春歌ちゃんは肩も動くくらいの大きな呼吸をする。そうして気を静めると、今度は穏やかな口調へと変わる。
「真裕先輩、何度も言いますけど、私は貴方のことが嫌いです。きっとこれからもそれが変わることはありません。でも……」
春歌ちゃんが言葉に詰まる。ふと目に入った握り拳は、迸る感情を抑えつけるかのように震えていた。その感情とは怒りなのか悔恨なのか、将又違うものなのか。
「でも……、貴方と野球をするのは嫌いじゃありません。貴方となら上を目指せると本気で思ってます。だから私はこのチームで活躍したいと思ったんです」
「は、春歌ちゃん……」
「今回の件、私が意地を張って我を忘れていたのは分かってます。過去や偏見に囚われて、こうじゃなきゃいけないんだって勝手に誤解して、自分の殻に閉じこもっていました。その点は変えなきゃいけません。これからは真裕先輩含め、周りの人の話をしっかり聞いてやっていきたいと思います。勝つために、それと私自身が生き抜くために……」
そう言って歯を食いしばる春歌ちゃん。その瞳はいつの間にか真っ赤に染まっており、彼女の並々ならぬ覚悟と渇欲が宿っていた。
「真裕先輩!」
「な、何?」
不意に名前を呼ばれ、私は背中が収縮する感覚を覚える。春歌ちゃんは間髪入れずに自らの想いを吐露した。
「私は勝ちたいんです。マウンドで投げ続けたいんです。貴方みたいに才能があるわけじゃないけれど、誰にも、どんな相手にも負けたくない。一番になりたいんです。だからそのためにどんなに泥臭いことでもします。真裕先輩も覚悟しておいてください」
「う、うん……」
私は戸惑いながら頷く。というより春歌ちゃんに気圧され、そうするしかできない。
「とりあえずこれが今の私の気持ちです。まだ何か他に、聞きたいことはありますか?」
「い、いや、無いよ。話してくれてありがとう。春歌ちゃんの気持ちが知れて嬉しかったし、私もすっきりしたよ」
本音を言えば気になることはまだまだある。特に先ほど春歌ちゃんの口から出た“過去”とは何のことだろうか。
ただひとまずそれは置いておこう。これから徐々に仲を深めて、彼女が話したくなった時に聞けば良いことだ。
「そうですか。では今日はこれで失礼します。また明日からよろしくお願いします」
春歌ちゃんは軽く頭を下げ、帰り路を歩み始める。その後ろ姿に澱みは無かった。
これにて春歌ちゃんの課題は解決に向かえるだろう。今後の彼女の活躍と成長には大いに期待できそうだ。
「はあ……」
安堵の息を吐きながら無意識に見上げた空は、晴れやかでとても青々としていた。
See you next base……
★登下校に関して
亀ヶ崎高校の校則では、制服を着用して登下校しなければならないと規定されている。部活のユニフォームやジャージ姿は原則として禁止であり、たとえ授業が無い日でも例外ではない。そのためやや面倒ではあるが、真裕たちも部活に行く際は制服姿で登校してからユニフォームに着替え、活動終了後は再び制服を着て下校している。




