3rd BASE
お読みいただきありがとうございます。
お気づきの方もいるかもしれませんが、各登場人物のプロフィールは前シリーズから比べて少しずつ変化しています。
その辺りにも注目しながらお楽しみください。
「あ、お邪魔してしまいましたよね。すみません……」
女の子は恐縮そうに肩を窄める。この反応を見る限り、おそらく新しく入学した一年生だろう。亀高の入学式は始業式に先んじて、昨日既に行われていた。
「新入生の子だよね。部活の見学に来たのかな? だったらこっちまできてもっと近くで見なよ」
「は、はい。ありがとうございます」
私が柔和に笑いかけると、女の子はつと立ち上がって階段を降りてくる。身長は私と遜色なく、体つきも女子にしてはがっちりしている。明らかに何かスポーツをしていたと思われる。
「もう一球スライダー行きます」
私はもう少し投球練習を続ける。女の子はその姿をまじまじと見つめ、時折愉快気に微笑を浮かべていた。
「ありがとうございました」
最後の一球を投じ、私はクールダウンに入る。今日は直球も変化球も感触が良かった。
「調子良いわね。春大から球速も上がってる気がする」
「ほんとですか? 嬉しいです」
キャッチャーを務めてくれた桐生優築さんからも褒められた。優築さんは三年生の先輩で、副主将に就いている。このチームの不動の正捕手であり、去年の夏大や先日の春大でもバッテリーを組んだ。常に沈着冷静でほとんど表情を変えることのない人ではあるものの、私たち投手陣のことを親身になって支えてくれる優しさも持ち合わせている。まさに理想の女房役と言って良い。
「あの優築さん、そこで見学してた子なんですけど、ちょっと話しても良いですか?」
「良いんじゃない。ただしシートノックの時には戻ってきてね」
「分かりました。ありがとうございます」
優築さんは他の人のピッチングに付き合うらしく、グラウンドの方へと戻っていく。一方の私は優築さんにボールを渡し、女の子に声を掛けてみる。
「こんにちは。私は柳瀬真裕。二年生です」
「沓沢春歌と言います。“春の歌”と書いて春歌です」
「春歌ちゃんか。頼りがいのある名前だね」
「へ? どういうことですか?」
「ああ、ごめんごめん。こっちの話。前のキャプテンが晴香さんって言う人だったんだ」
「なるほど。そういうことですか」
小刻みに首を縦に振る春歌ちゃん。耳朶の辺りで切り揃えられたショートヘアと高めの声色が幼気な雰囲気を醸し出しているが、話し方はとても丁寧で落ち着きがある。
「ここの部活に来てるってことは、春歌ちゃんは野球に興味があるの?」
「はい。中学の頃も男子に混ざって野球部に入ってたんです。ポジションはピッチャーをやってました」
「へえ、私と一緒じゃん! 私も中学は男子の中で野球やってたんだ。私たち気が合いそうだね。えへへ」
「ふふっ、そうですね」
春歌ちゃんが白い歯を溢す。鼻筋が皺くちゃになり、中央部にある小さな黒子が潰れる。可愛らしい笑い方をする子だ。
「中学でも野球をやってたってことは、春歌ちゃんはうちに入部するつもりがあるって捉えて良いのかな?」
「当然です! 亀高に入った理由も野球がやりたかったからなので」
「おお、やったー! 新入部員一人ゲット! これからよろしくね」
「はい。こちらこそよろしくお願いします、真裕先輩」
“先輩”という響きに若干の快感を抱きつつ、私は春歌ちゃんと軽い握手を交わす。春歌ちゃんの右手には無数のマメができており、彼女がこれまでたくさんの努力を積んできたのが分かる。
「でもせっかく入部を決めてるなら、今日から部活に参加してもらえば良かったね。部室にジャージとか余ってるかな……」
「あ、あの私、用具一式を持ってきてるんですけど、それで参加させてもらうことはできますか? もちろん練習着もあります!」
「そうなの!? やる気満々じゃん! そしたら一回キャプテンに聞いてみようか」
「はい」
私は春歌ちゃんを連れ、主将の元に向かう。グラウンドではバッティング練習が行われており、主将はちょうど打席に入る順番を待っている状態だった。
「あの杏玖さん、ちょっと良いですか?」
「ん? どうした?」
母の如く温かな眼差しが印象的な野球女子。彼女が私たち亀高野球部の主将、外羽杏玖さんである。
「入部希望の新入生を連れてきました。道具とかは自分で準備してきたらしいので、練習に加わってもらおうかなと」
「一年生の沓沢春歌です。よろしくお願いします」
春歌ちゃんが杏玖さんに挨拶する。こうやって何も言わなくてもすぐに自己紹介ができるところは素晴らしい。
「春歌って名前なのか。何だか呼び捨てにし辛いなあ」
杏玖さんが苦笑する。感ずるものは私と相似しているみたいだ。
「まあ良いや。道具を持ってるっていうのは、動ける服装も用意してあるってことだよね。それならぜひ参加してって。真裕、更衣室の案内頼むね」
「分かりました。行こっか、春歌ちゃん」
「はい。ありがとうございます」
許可が下り、春歌ちゃんも一緒に練習することとなった。彼女にはグラウンドから少し離れた場所にある部室でユニフォームに着替えてもらう。
「終わりました」
春歌ちゃんが部室から出てくる。制服からユニフォーム姿に変わったことで、胸筋や腹筋の張りがより目立つようになった。
「春歌ちゃん、様になってるねえ。やっぱり男子の中に入って野球をやってただけことはあるよ」
「そ、そうですかね?」
「うん。あ、でもこういう言い方しちゃうと、まるで春歌ちゃんが男っぽいみたいだね。心配しないで。春歌ちゃんはすっごく可愛い女の子だから。絶対モテ……」
「は? それ本気で言ってます?」
「え……?」
急に春歌ちゃんの顔つきが険しくなった。私の言葉は瞬時に遮られ、二人の間に白けた空気が流れる。しまった。態々男の子っぽいなんて表現を出すべきではなかった。
「……あ、ごめんなさい。びっくりして変な声出ちゃいました。モテるかどうかは分かんないですけど、先輩から可愛いって言ってもらえるのは嬉しいです。ふふっ」
春歌ちゃんは我に返ったかのように、朗らかな笑顔を見せる。しかしどこか曇っていた。やはり私の軽率な一言が癪に障ったのだろう。
「そ、そっか。なら良かった」
だが更なる弁解は却って墓穴を掘るだけだ。私は気を取り直し、春歌ちゃんと共に歩き出す。気色悪い寒気が背筋をなぞってきたが、微々たるものだと気付かない振りをした。
See you next base……
PLAYERFILE.3:踽々莉紗愛蘭(くくり・さあら)
学年:高校二年生
誕生日:4/26
投/打:右/左
守備位置:右翼手
身長/体重:157/51
好きな食べ物:チャンジャ、ナマコ