36th BASE
お読みいただきありがとうございます。
今回の春歌は五イニングを投げて七失点という成績でしたが、私は一イニングで七失点したことがあります……。
「春歌、ご苦労だったな。今日はここまでにしておこう」
「はい、分かってます」
監督の隆浯が春歌に交代を告げにくる。春歌は拗ねた子どもみたいに素っ気無く返事をし、ぐったりとベンチに腰掛ける。自分は代えられて当然。加えて当分投げることもないだろう。彼女はそう思っていた。すると隆浯は微妙に白い歯を見せて含み笑いをしつつ、春歌に問いかける。
「何だ、たった五回投げたくらいで疲れちまったのか? 今度はもっと長いイニング投げてもらう予定なんだから、こんなんでへばってもらっちゃ困るぞ」
「へ?」
春歌は思わず眉を顰めて隆浯を見た。茶化すような言い回しではあるが、考えていること自体は冗談であるとは思えない。
「ということで次も頼むぞ。お前には夏大で投げてもらわなくちゃならんからな」
「え? ちょっと待っ……」
隆浯は春歌の左肩を数回叩き、攻撃の指示を出しやすい位置へと戻っていく。春歌は一度は引き留めようとするも、隆浯は振り返ることなく行ってしまった。
(ちょっと待ってよ。どうして監督が何事も無かったかのように次の話ができるの? あんなことをした私をまたすぐ投げさせるっていうことでしょ? ほんとにどうなってるんだこのチームは……)
春歌は隆浯の背中を見つめたまま唖然とする。一方の隆浯は彼女の視線を感じてはいたものの、気付かぬ振りをして試合の戦況を見守っていた。
(春歌は初先発なわけだし、それなりに点を取られることは想像していたが、こうも脆く崩れるとはな。入部して間もないこの時期に分かって良かった。まあただそれ以上に、あの性格をどうコントロールしていくかがポイントになるのは間違いないな)
隆浯は春歌の行動に関して、問題視こそしていたが全否定するつもりはなかった。寧ろ上手に調節できるようになれば武器になると考えたのだ。
(あれだけ強気に投げられる人間も珍しい。それが天性のものなのか何かに起因するものなのかは分からんが、紛れもなく一つのストロングポイントにはなり得る。そのために使いこなせるようになるかどうか。俺が直接言っても良いが、それではあまり春歌のためにはならない。本人が自分で気付くか周りの人間が気付かせていくのが理想だな。となればあいつらにとっても良い課題になるわけだ。果たしてどうなることやら……)
我の強すぎる実力派ルーキーの更生を、隆浯は彼女に近しい上級生に託すことにする。上手くいかなければチームに悪影響を及ぼすこともあり、監督としては難しい判断だが、そちらの方が個々の人間的な成長も望めるのは確かだ。今回の一件をきっかけに、春歌自身、そして真裕を含めた“先輩”たちがどう変っていくのか。隆浯は期待と不安を交錯させた。
グラウンドでは既に五回裏が始まっていた。打席に入っているのは五番の杏玖。九点を追うことになってしまったが、ここで戦意喪失してはいけない。
(ここまでの大差を付けられる前に、キャプテンとして春歌を助けることができたはず。だから責任は私にもある。こういう時こそ皆に奮起を促せるような一打を打つんだ)
ツーボールワンストライクからの四球目、桜は内角低めに直球を投げてきた。杏玖は腕を畳んでバットの芯で捉え、快音を響かせる。打球は三遊間を抜けるヒットとなった。
「杏玖さんナイスバッチ!」
これでノーアウトランナー一塁。亀ヶ崎はこの試合初めて先頭打者が出塁する。
「よろしくお願いします」
六番の逢依が打席に立つ。初球はストレート。アウトコースではあるがやや真ん中に寄っている。逢依は迷わず打ちに出た。
「セカン!」
鋭いライナーがセカンドの穂波の上を越えていく。一塁ランナーの杏玖は一気に三塁へと進み、亀ヶ崎は前の回に続いて一、三塁のチャンスを迎えた。
「レフト!」
「オーライ!」
この後、七番の愛がレフトに犠牲フライを放つ。ようやくではあるが、亀ヶ崎は一点を返した。
「おっしゃ! さあどんどん反撃するよ!」
ホームインした杏玖は手を大袈裟に叩きながら声を出し、士気を上げようとする。まだまだ点差は開いているが、少しずつでも得点を重ねていくこと自体がチームにとって非常に大きな意味になるはずだ。
「ボール、フォア」
次の優築は粘った末に四球を選んで出塁。再びランナーが得点圏へと進み、打順は九番の春歌のところに回る。
「ピンチヒッター、西江」
ここで代打として二年生の西江ゆりが起用された。彼女は一発長打の魅力を秘める大型の右打者で、外野のレギュラーの一角を狙っている。
(よく考えたら、私ってこの打席が新シーズンに入ってからの初登場じゃん。あいつ誰ってならない内に、監督にも読者の皆にもアピールして存在感を示しておかないとね)
今後の出番確保に燃えるゆり。初球、アウトコースに来た直球をフルスイングで打って出る。やや振り遅れてファールにはなったものの、ライトへ鋭い打球を飛ばした。
「ゆりちゃん、良い感じだよ! どんどん振っていこう!」
「おっす! これからの保身のためにも頑張りますよ!」
真裕からの声援に、ゆりは意気盛んに応えて気合を入れる。普段はちゃらけたキャラクターの彼女だが、野球に対する情熱は他の者に負けてはいない。普段の練習にもひたむきに取り組んでおり、ここ数ヶ月で一気に伸びてきた選手の一人である。
(確かあちらさんはローテーションの配球をしてるんだっけ? とすると次はカーブになるのかな)
二球目。桜はカーブを投げてくる。打ち気に逸るゆりはバットを出していくも、低めのボールゾーンに沈んでいくところを捉えられず空振りを喫する。
(あちゃー。二球で追い込まれちゃったよ。けどそれで小賢しくなったら、私の持ち味が消えちゃう。打つと決めたら躊躇わずにバットを振っていくぞ)
ゆりは自身のバッティングスタイルを変えようとしなかった。ツーストライクからの三球目、桜の投じたシュートがゆりの臍付近に食い込んでくる。
(やっぱりシュートが来るのね。どん詰まりになるかもだけど振り抜くしかない)
ゆりは臆せず強振。案の定バットの根っこで打つことになり、打球は弱いゴロとなって三塁線沿いに転がる。
「サード!」
「えっ、私!?」
ところがサードの杉山はゆりのスイングに惑わされ、一歩目がかなり遅れた。慌てて前進し出すもアウトにできるかは微妙だ。
(これは間に合わないな。見送るか)
杉山は素手で捕球する寸前で右手を引っ込め、ファールにしようとする。しかし打球は切れることなく三塁ベースに当たった。
「おお、ラッキー」
この間にゆりは一塁を駆け抜ける。詰まったことが幸いしての内野安打。バットを振り切ったことも実を結んだ。彼女はふと微笑むと、自らを褒め称えるかのように一つ手を打ち鳴らす。
(ボッテボテでも当たり損ないでも、結果が出れば何でも良いんですよ。これで次も出番があるかな)
ゆりのヒットで全ての塁が埋まり、打順は一番へと戻る。ネクストバッターズサークルから出た京子は、いつになく真剣な眼差しで三打席目に臨む。
See you next base……
PLAYERFILE.21:琉垣逢依(りゅうがき・あい)
学年:高校三年生
誕生日:9/23
投/打:右/右
守備位置:左翼手
身長/体重:162/60
好きな食べ物:ちらし寿司