218th BASE
お読みいただきありがとうございます。
今回の話で、二人の恋路にひとまずの決着が付きます。
……ひとまずの決着?
一体どういう意味なのでしょうかね……。
「ふう……。着いた!」
のんびり自分たちのペースで歩を進めること十五分、二人は山を登り終える。道の途中から徐々に彩りを増していった紅葉は、頂上に達して本来の姿を露わにする。
「うわあ、綺麗……」
「はい。……凄いですね」
葉の一枚一枚が燃えるような赤色を身に纏い、それらが束になって見る者を圧倒する美しさを誇っている。紗愛蘭と暁は繋いだ手を解くことも忘れ、揃って口を開いたまま呆然と立ち尽くす。
「……あ、ごめんなさい紗愛蘭さん」
暫く経って我に返った暁が、咄嗟に手を離そうとする。ところが紗愛蘭はそれを拒むように握り直した。
「……もう少し、このままでいたいな」
「え……? ……あ、はい」
ふと暁が隣を見る。紗愛蘭の顔は紅葉の色素が伝染したかのように火照っていた。その可憐さに、暁は心を奪われる。
(可愛い……。めっちゃ可愛い……)
胸の奥が強く締め付けられる。同時にとある感情が、滝を登るような勢いで伸し上がってきた。暁はそれを抑えられず、自然と口に出してしまう。
「紗愛蘭さん……」
「どうした?」
「……好きです」
「え?」
二人の時が止まる。刹那に吹いた突風が、紅葉を何枚か地面に叩き落とした。
「……あ。しまった……」
仕出かした事の重大さに気付いたからと言って、もはやどうすることもできない。紗愛蘭に自分の想いを告げてしまった。恋愛漫画ならここで聞き逃してくれる展開もよくあるが、紗愛蘭がそんなことをするわけがない。
「“好き”って……。……ええ!? まさか、このタイミングで言うの?」
紗愛蘭にとっても予期せぬ出来事である。待ち侘びていた言葉だが、今は全く準備ができていない。そのため若干のパニックに陥り、顔を赤らめて苦笑いするしかなかった。
「す、すみません……」
俯き加減で詫びる暁。それから一寸の沈黙を挟み、紗愛蘭が声を発する。
「……それで?」
「はい?」
「それで、続きは?」
「続き……、ですか?」
暁が紗愛蘭を好きだということは分かった。ではどうしてほしいのか。紗愛蘭はその答えを待っている。
「好きって言われたのは素直に嬉しいよ。けどそれで終わりじゃないでしょ。暁君がどうしたいのか、教えてほしいな」
「それは……」
その後に続く言葉など決まっている。言わなくても分かるかもしれないが、関係を前に進ませたいのなら言わなければならない。
「えっと……。その……」
しかし、暁はその一言を躊躇ってしまう。互いの恋が実るまであと一歩、……いや、あと半歩と言っても良い。そこまで来ているにも関わらず、彼は最後の最後で足踏みする。
(何やってんだよ……。早く言えよ!)
心臓が飛び出そうなくらい鼓動する中、暁は自分で自分を叱る。その瞬間、唐突に彼の瞳から、一滴の雫が流れ落ちた。
「え? ……暁君?」
「……へ?」
暁自身にも何が起こったのか分からない。慌てて掌で雫を拭き取るが、二滴目、三滴目が留まることなく頬を伝う。
「だ、大丈夫? ちょっと一旦座ろうか」
紗愛蘭が急いで暁を連れ、近くのベンチに腰掛ける。暁は何度か深い呼吸を繰り返し、訳も分からず啜り泣く自分を沈めた。
「どう? 落ち着いた?」
「はい。何とか……」
「ごめんね……。せがむような聞き方しちゃって。プレッシャー掛けちゃったよね」
謝る紗愛蘭に対し、暁は首を横に振る。それからもう一度大きく息を吸い込んで吐き出すと、憔悴した声で話し始める。
「紗愛蘭さんのせいじゃありませんよ……。俺が弱いだけです。紗愛蘭さんと付き合いたいって思ってる癖に、いざとなったらその覚悟ができないんです」
「覚悟?」
「……はい。紗愛蘭さんと付き合ったら、自分は紗愛蘭さんに迷惑を掛けるかもしれない。そしたら紗愛蘭さんの目標を邪魔することになる。日本一になれるよう協力するって言っておいて、そんなことしてて良いのかって思うんです」
自分が情けないと感じながらも、暁は抱え込んでいた感情を吐き出す。これでは紗愛蘭に愛想を尽かされるかもしれない。ただもう不安や恐怖を堪え切れるほど、精神力も体力も残っていなかった。
「暁君……」
暁がそんなにも思い詰めていたとは、紗愛蘭は思ってもいなかった。そこまで深く考えなくても良いではないかとも思ったが、少し前の自分も大して変わらないことに気付く。自分は嵐に相談できたから良いものの、暁にはそういった相手がいない。だから一人で悩み抜くしかなかったのだ。
彼を救えるのは誰なのか。そんなことは考えなくても分かる。紗愛蘭は暁の左手を、両手で優しく包み込む。
「紗愛蘭さん……?」
「暁君、そんなことで悩まなくて良いんだよ。私に迷惑掛けるとか、私の目標を邪魔するとか、そんなのどうたって良いじゃない」
「え? でも、俺は紗愛蘭さんを支えるって言ったし……」
「確かにそれは嬉しかった。もちろん今後も頼りにしたいと思ってる。けどそれをするために、暁君の気持ちを押し殺してほしくない。暁君が私のしたいことを支えたいように、私も暁君のしたいことを支えたいんだよ」
全国制覇を後押ししてもらうことは、言い方は悪いが紗愛蘭にとっては“おまけ”のようなものでしかない。もっと大事なことはたくさんある。双方が幸せになれるよう、互いに助け合い、喜び合い、笑い合う。それこそが紗愛蘭の求める形だ。
「私も暁君が好き。これからもこうやって遊びに出掛けて、美味しいものとか食べて、楽しい思いをしたい。今考えるのはそういうことだけで良いの。……それで暁君は、どうしたい? どうなりたいの?」
紗愛蘭は穏やかさの中に勇壮さを秘めた瞳で訴える。暁に匹敵するほど心臓が音を立てて鳴っていたが、そんなことは気にしていられない。
「はあ……。何やってんだろ俺は……」
暁は右手で両目を覆う。自分は紗愛蘭の気持ちときちんと向き合っていなかった。勝手に想像した未来に怯えていただけなのだ。自らの愚かさに、再び涙が出てきそうになる。
それでも紗愛蘭は、自分を受け入れてくれる。“好き”だと言ってくれた。その想いに応えないなんてことが、あるのだろうか――。
「……踽々莉紗愛蘭さん」
「はい。何ですか?」
二人が目と目を合わせる。暁は一度大袈裟に唾を飲み込んだ後、改めて想いを告げる。
「好きです。俺と付き合ってください」
「……はい。喜んで。これからよろしくお願いします!」
紗愛蘭が満開の笑顔を咲かせる。繋がれた手の甲に、一片の紅葉が舞い落ちた。
See you next base……




