216th BASE
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相手や周りのことを思うが故に、自分の気持ちを犠牲にしかけてしまう。
これも恋愛あるあるなのでしょうか……。
暁との恋路について、紗愛蘭は嵐に相談する。付き合いたい気持ちはあるが、自分がチームを崩壊させるかもしれないという恐怖に強く怯えていた。
「そういうことね。……まあ、よく聞く話ではあるか。私も中学の頃は、少し調子が悪いと言われたことあった。彼氏に現を抜かしてるからやる気が無いんだって」
「……やっぱり、そういうもんなのかな」
紗愛蘭が肩を竦める。恐怖心は増すばかりだ。すると嵐は彼女の肩を抱き寄せ、屈託の無い笑みを浮かべる。
「でもさ、そんなの言いたい奴に言わせておけば良いんだよ。気にならないって言ったら嘘になるけど、私は今も昔も、真剣に野球をやってるって自負がある。自分が正しいと思うことを続けていれば、分かってくれる人はちゃんと分かってくれるんだ」
嵐も中学時代に人間関係で悩んだことがあった。しかし彼女には恋人の他に、野球部内に理解してくれる者がいたのだ。それは運が良かったからではない。大前提として、嵐自身が努力を怠らなかった故の結果である。
そして紗愛蘭も例外ではない。彼女はバスケ部でこそ認められなかったものの、ソフトボール部だった篤乃には認められた。どんな苦境に立たされても、真摯に取り組んでいる姿を見ていてくれる人はいるのだ。
「嵐……。そうだね。けどやっぱり怖いな。私のせいでチームがおかしくなっちゃうかもって思うと……」
「何言ってんのさ。そんなことあるわけないでしょ」
嵐が抱き寄せる力を強める。しかし紗愛蘭は地面を見つめ、力無く首を横に振った。
「……そんなの、分かんないよ」
「分かるよ。だって私らの代にはさ、馬鹿しかいないから」
「えっ……?」
呆れたような、それでもどこか温かみのある声色で嵐が言い放つ。咄嗟に顔を上げた紗愛蘭は、鬱屈とした目で彼女を見る。
「冷静に考えてみなよ。真裕は典型的な野球バカでしょ。京子は普通のバカでしょ。ゆりはあの性格だし、菜々花は熱血バカ。まあ祥だけは結構まともだけど、多分他人を気にしてる余裕は無いよね。……ほら、バカばっかじゃん」
「は、はあ……」
つまりどういうことなのか。普段は物分かりの良い紗愛蘭でも、頭には数多のクエスチョンマークが浮かぶ。
「要はさ、皆そんなに難しいことは考えられないってことだよ。良くも悪くも野球のことしか考えていられない。紗愛蘭が恋人作ったからってどうこう言わないだろうし、彼氏と仲良くしてたからって妬むこともないよ。羨ましがってちょっかい掛けてくるかもしれないけどね」
「……そ、そうなのかな?」
「そうだよ。紗愛蘭だって、真裕たちが恋愛でああだこうだ文句言ってくるとは思えないでしょ? そういうことに疎いだろうし」
「まあ、そう言われれば……」
論理的にどうなのかと思えるが、紗愛蘭は妙に納得してしまう。そもそも中学時代のバスケ部のメンバーと真裕や京子たちでは人として全く違う。それを同じように重ねて考えること自体が間違いなのだ。
「だから心配要らないって。紗愛蘭の思う通りにやれば。紗愛蘭がやりたいって思ってやったことなら、私も含めて皆が応援するよ」
「そう……、なんだね。……分かった。その言葉を信じるよ」
紗愛蘭は心の澱みが浄化されていくのを感じる。彼女が抱いていた不安は、ただの想像でしかない。だがたとえ想像であっても、一度傷を付けられている以上は一人で解消することは難しい。その人の胸には半永久的なトラウマとして刻まれているのだから。
それでも今の紗愛蘭には、寄り添ってくれる仲間がいる。主将の責務を一人で背負う必要も無ければ、やりたいことを我慢する必要も無い。
「ねえ、嵐」
「どうした?」
紗愛蘭が嵐の左肩に寄り掛かる。制服の袖越しに伝わる肌の感触に温もりを感じつつ、彼女はきっぱりと言い切る。
「私、暁君と付き合いたい。そうなったら良いなとかじゃなくて、……そうなりたい」
「そうか。それだけその子のことが好きなんだね」
「うん、好き。正直、今この肩が暁君だったら良いなあとか考えちゃってる」
「はあ? それは聞き捨てなりませんなあ。私を男代わりにするのは止めてよ」
嵐が即座に肩を上げて紗愛蘭の頭を引き剥がす。紗愛蘭はお茶目に舌を出して笑った。
「えへへ、ごめんごめん。でも好きなのは本気だよ。……私から行くのって、変かな?」
「良いじゃん。全然変じゃないよ。待ってるばっかりなのもあれだし、相手にも好意があると感じてるなら自分から動いても良いかもね。告白させやすくする意味でも」
いつの日かを懐かしむように嵐が笑う。紗愛蘭はそれを見て僅かながら勇ましい気分になる。
「そう? じゃあちょっと頑張ってみようかな。ありがとう、嵐」
「どういたしまして。また何かあったら聞かせてよ。私こういう話好きだからさ」
空がすっかり闇に染まり、星たちはそれぞれの輝きを遺憾無く発揮できるようになっている。この光に照らされた少女は今、自分の想いを成就させようと確と決意するのだった。
同じ頃、一人の少年もまた悩んでいた。暁はベッドに仰向けで横たわりながら、紗愛蘭とのやり取りを見返している。今は《練習頑張ってください!》という彼のメッセージで止まっている状態だ。
(紗愛蘭さん、今日の練習はもう終わったのかな。急かすわけじゃないけど、やっぱり連絡が返ってこないと寂しいよ……)
暁はスマホを置き、何の気無しに天井を見上げる。壁掛け時計の秒針を刻む音が妙に大きく聞こえ、少し煩わしい。
(俺は紗愛蘭さんのことが好きだ。そしてその“好き”は、異性としての“好き”だ。もしも恋人になれるのなら、こんなに嬉しいことはない)
紗愛蘭の気持ちは分からないが、最近の様子からするとチャンスはあるのではと期待してしまう。ならばこの機を逸したくないと思うのは当然。だが仮に上手く行ったとして、紗愛蘭の目標を邪魔することにならないか。その不安はどうやっても拭えない。
(俺はどうするべきなんだろう……。いっそ紗愛蘭さんの方から好きって言ってくれたら、全部解決するんだけどな。……いやいや、何を思い上がってるんだよ。そもそも紗愛蘭さんが俺のこと好きじゃないかもしれないだろ。ていうか、そっちの可能性のが高いって!)
暁は自らの頭を小突く。紗愛蘭と付き合いたいのなら、自分で動くしかない。それは火を見るより明らかだった。
(……玉砕覚悟で突っ込むか、もう少し様子を見るか。でも様子を見るって言っても、一体いつまで見るんだよ。来年の夏? それとも卒業? どっちにしたって一年以上はあるし、そのままタイミングを逃し続ける気しかしないんだけど)
紗愛蘭同様、暁も一人でこの答えを見つけるのは困難だろう。誰かに相談できれば良いが、残念ながらそこまで信頼できる友達はいない。ならば己の力で打開するしかないのだが……。
《お疲れ様! 練習終わったよ!》
その時だった。タイミングが良いのか悪いのか、紗愛蘭から返信が来たのだ。
See you next base……




