212th BASE
お読みいただきありがとうございます。
第一部の真裕と丈は夏祭り、そして今回の紗愛蘭と暁は水族館。
二つとも作者の経験(したかったこと)が基になっております。
浜辺で三〇分ほど語らい、二人は帰りの電車に乗り込む。席に座った紗愛蘭は話の続きでもしようかと、隣の暁に声を掛ける。
「暁君、さっき浜辺で言っ……」
ところが暁は着席するや否や無意識に目を瞑り、そのまま寝落ちしてしまっていた。本人にとっては大失態。だが今日は体だけでなく心も相当疲弊したため、こうなるのも無理は無い。
(楽しんではいたんだろうけど、同じくらい気を張ってたのかな。私のためにありがとう。……それにしても、可愛い寝顔してるなあ)
愛らしさに誘われた紗愛蘭の右手が、暁の頭部へと動きかける。しかし彼女は触れる寸前で引っ込めた。
(危ない危ない。何やってるんだ私は)
飛びそうになる理性をどうにか制御する紗愛蘭。ならば写真でも撮ってやろうかとも思ったが、それはそれで大人気ない。できそうなことはたった一つ。赤子のように眠る暁を、紗愛蘭は優しい眼差しで見守る。
「……はっ」
「あ、起きた」
暁が目覚める頃には、彼の最寄り駅まで数駅となっていた。一時間以上乗るはずの電車も、残された時間は十五分程度しかない。
「ご、ごめんなさい。俺、寝ちゃってましたよね……?」
「ふふっ、気にしないで。今日は結構歩いたし、それだけ疲れたってことだよ」
「けど紗愛蘭さんを置いて一人で寝るなんて……。不覚です」
紗愛蘭と過ごせる時間を無駄にした。暁は罪悪感よりも強い悔恨を感じる。
「けど私は暁君の寝顔が見られて良かったよ。何だか癒されたし」
「ええ……。まあそれなら、良いのかな?」
腑に落ちない様子の暁ではあったが、とりあえず紗愛蘭が良いと言うならと自分を納得させる。それを見た紗愛蘭は穏やかに目を細める。
「良いんだよ。それにお話する機会ならたくさんあるじゃん。……それにまた、こうやって遊びにいくだろうしね」
「……はい。えっ?」
暁は耳を疑う。確かに紗愛蘭は今、また遊びにいくと言った。
「どうした?」
紗愛蘭は微かに口角を上げたまま、それ以上は何も言わない。実は唐突に込み上げた恥ずかしさを必死に押し殺しているだけなのだが、暁には分かるはずもない。彼は自分の聞いたことが信じられなくなる。
《……出口は左側となります。列車が完全に停止してからお立ち下さい》
電車が暁の最寄り駅に到着。名残惜しいがここで解散となる。
「で、ではお先に失礼します。今日はほんとに楽しかったです」
「うん。私も楽しかったよ。じゃあね」
「はい。……また、誘っても良いですか?」
降車の直前、暁が勇気を持って問いかける。曖昧なままで終わるのは嫌だった。
「もちろん。待ってるね」
紗愛蘭が頷きながら答える。それから二人は手を振り合い、別れを惜しんだ。
電車を降りた暁は、閑散とした駅のホームで一人佇む。こことは別の華やかな世界から帰ってきたような寂寥感を色濃く滲ませながらも、次があるという希望が垣間見える。
(今日は楽しかったな。でもこれで終わりじゃない。紗愛蘭さんともっと仲良くなりたい。そしていずれは……)
紗愛蘭との距離は明らかに縮まっている。もう単なる先輩と後輩の関係ではいられない。というよりそれでは満足できない。暁には一歩も二歩も先を求める感情が強くなっていた。
水族館でのデートを境に、二人が連絡を取り合う頻度は上がった。特に紗愛蘭は浜辺での一件を受け、暁に野球部での悩みを打ち明けるようになる。
《二学期から転入してくる子が新しく野球部に入ったんだ。イギリスからの留学生なんだって!》
《えっ、凄いですねΣ( ˙꒳˙ )!? うちの学校に留学生なんて来るんだ》
《びっくりだよ。ただ野球は上手なんけど、性格がちょっと難しい子かも……》
オレスの件に関しても相談していた。暁は紗愛蘭に救われた経験を思い出し、アドバイスを送る。
《チームにその子が必要なんだって伝えたらどうでしょう? 俺もそうでしたけど、存在価値があるって分かれば頑張ろうと思えるもんですよ》
《なるほど……。ありがとう! 頑張って伝えてみるね》
このやり取りが西経大との練習試合に繋がる。紗愛蘭がオレスの心を開かせられたのは、暁の後押しが大きかった。
そして時は現在に至る。九月末に開催される文化祭に向け、亀高では各クラスが準備に励んでいた。暁は絵の才能を買われて装飾を担当。その日の活動内容などを逐一紗愛蘭に報告している。
《今日は文化祭で使う看板を作りました。実はこれ、俺がデザインしたんですよ。結構良い感じでしょ》
自分が変わるきっかけとなった文化祭。暁は必ず成功させようと意気込んでいた。加えてもう一つ、どうしてもやりたいことがある。
《良いと思う! 暁君、前よりも更に絵が上手くなってるよね。凄いなあ》
帰宅途中だった暁は、自宅の目の前で立ち止まって返信を確認する。紗愛蘭に褒められるのはどんなことでも嬉しい。このメッセージ一つを見るだけでも、とてつもない活力が湧いてくる。
(やった! 紗愛蘭さんも喜んでる。この流れなら……)
暁は新たなメッセージを打つ。やや緊張気味ではあったが、その手際は以前と比べて見違えるようにスムーズだ。
《ありがとうございます! ぜひ立ち寄ってくださいね。それともし良かったら、当日の空き時間は一緒に回りませんか?》
これがもう一つの暁のやりたいこと。彼としてはデートの誘いとほぼ同義であるが、紗愛蘭の返事は果たして……。
《もちろん行かせてもらうよ。一緒に回るのも良いね。こっちの空き時間が決まったら教えるね( ´ ꒳ ` )》
文面を見た瞬間、暁は小さく拳を握った。続けて歓喜の声も思わず上がる。
「しゃ! やったぜ!」
「……あき兄、一人で何奇声上げてんの? 気持ち悪いんだけど」
「へっ?」
暁が家の玄関を見やると、そこには妹の茜がドアを開けて待機していた。ただ兄の帰りを出迎える雰囲気は無く、寧ろ蔑むような視線を送っている。
「あ、茜……。何でもないよ。ただいま」
「何でもないのに叫んでたの? ……はあ、まあ良いや。おかえり。とっととお風呂入ってきて。早く晩御飯食べたいから」
「うん。分かった」
何事も無かったかのように平静を装う暁だが、一部始終を見ていた茜は誤魔化されない。それでも追及しないのが妹としての優しさか。呆れたように溜息を吐きつつも、先に暁を家へと入れてやるのだった。
See you next base……




