210th BASE
お読みいただきありがとうございます。
夏大を利用して紗愛蘭との距離を縮めるとは。
中々暁も策士ですねえ。
自分が学生の時にこれくらいの行動力があれば今頃……。
夏大決勝戦からの帰り道、暁は流れに乗って紗愛蘭をデートに誘った。一時間後に返信が届き、彼は祈るような気持ちでスマホを開く。
《良いね。水族館とか行きたい!》
短い文章だったが、そこには確かに了承の一言が刻まれていた。しかも思ったより乗り気のようで、行きたい場所も提案されている。
(これって、オッケーってことだよな。……やった!)
暁の心の中はどんちゃん騒ぎ。それを外に漏らさないよう抑え込みつつ、返すメッセージをゆっくり丁寧に打ち込む。
《ありがとうございます! じゃあ水族館に行きましょう。次の紗愛蘭さんのお休みはいつですか? 俺ならいつでも合わせられますので!》
その後に送られてきたメッセージでは、紗愛蘭は二日後に休みがあると言う。暁は思い立ったが吉日と、その日に約束を取り付けた。
迎えたデート当日。地面や背中などあらゆる角度から蒸し暑さが押し寄せる中、暁が駅で電車を待つ。水族館には暁の方が最寄り駅から近く、紗愛蘭は先に電車に乗っている。二駅しか変わらないため最初は暁が迎えにいこうとしたが、紗愛蘭としては申し訳が立たなかったので車内で合流することとなった。
今日の暁の服装はオレンジ掛かった半袖のオープンシャツに、ネイビーの七分丈ズボンを合わせている。おしゃれには無頓着な彼だが、ネットで調べた情報を基に精一杯のコーディネートを施した。
《二番線に列車が参ります。黄色い線の内側まで下がってお待ちください》
九時三十二分、電車が到着した。暁は紗愛蘭のいる二両目に乗り込む。
「あ、暁君。おはよう」
紗愛蘭は車両の隅の席に座っていた。暁を手招きされるまま、彼女の隣に腰を下ろす。
「お、おはようございます……」
緊張気味に挨拶を返した暁は、その直後に硬直する。紗愛蘭の私服姿につい見惚れてしまったのだ。
「どうしたの?」
「そ、その……」
白いフリルブラウスに、ミントグリーンのロングスカート。どちらも主張が控えめの色合いだが、それ故に紗愛蘭自身の持つ清楚な可憐さが引き出されている。
「……可愛いです。凄く、とっても……」
言葉を失っていた暁だが、喉元から声を押し出し、顔を真っ赤に染めながらも紗愛蘭を褒める。彼女と会ったらまず言おうと決めていたことで、どうにか伝えることができた。
「そう? ありがとう。今日は久しぶりのお出掛けだし、少し張り切っちゃった。変じゃないかな?」
「もちろんですよ! めちゃくちゃ似合ってます!」
「ふふっ、そんなに褒められると逆に困っちゃうよ。でも嬉しい」
紗愛蘭は小さく声を上げて照れ笑いを浮かべる。暁はこの僅かなやり取りだけで、既に胸が一杯になる。
電車に揺られること一時間半、二人は目的地となるビーチパーク水族館に着いた。ここは同じ県内にある大型水族館よりも規模こそ小さいものの、魅力満載のショーや実際に動物と触れ合える機会があるなど、催し事は非常に充実している。加えてそれほど混雑しておらず、まったりと海の生物を満喫できる。激戦の疲労を癒すには最適だ。
「水族館に来るのなんて久しぶりだなあ。小学生以来かも。暁君は?」
「俺も多分そんな感じです。十年ぶりぐらいかもしれません。まさか高校生になって来るとは思ってもいませんでした」
「そうなの? 私は行きたいなあって思ってたし、暁君と来られて嬉しいよ」
「そ、そうなんですか……」
暁が思わずにやける。自分と来られて嬉しいなんて言われたら、そういう意味ではないと分かっていても喜んでしまうものだ。
「俺も紗愛蘭さんと来られて嬉しいです。今日は楽しみましょう」
「うん。もちろんだよ」
二人はまずビーチパークの名物である、イルカショーを観覧する。最前列も空いていたが、大量の水を被るのは怖かったため真ん中付近に陣取った。
《……続いてはビーチパーク期待の新生、ミライによる大ジャンプをお見せします!》
トレーナーの合図に導かれ、一匹のイルカが水中から勢い良く飛び上がる。迫力あるその姿は、老若男女問わず見る者全てを惹き付ける。
「おお! かっこいい! 今の見た暁君! 凄かったよね!」
紗愛蘭はすっかり魅了されたみたいだ。彼女は暁の左腕を右手で軽く掴み、高揚感を共有しようとする。
「は、はい。そうですね……。どうやったらあんな風にできるんだろう」
対する暁はそれどころではない。咄嗟の返答もかなり声が上ずっていた。服越しではあるが紗愛蘭の肌に触れ、違う意味で興奮を抑えるのに必死なのだ。更には微妙に隙間の空いた彼女の胸元が気になり、目のやり場にも困る。
(紗愛蘭さん、可愛い過ぎだし距離も近過ぎだろ。しかも何か良い匂いするし。これじゃ全然ショーに集中できないよ。……けど今なら、手を握るチャンスじゃないか?)
暁は紗愛蘭の右手に自分の右手を重ねようとする。しかしそれができるほどの器量は彼にはまだ無い。
(いや、ちょっと待て。そんなことしたらキモがられて終わるだけだって。ここは落ち着け、落ち着くんだ……)
紗愛蘭が正面を向いている隙に一旦深呼吸をし、気を沈める暁。結局ほとんど中身を見られない内にショーは終わってしまった。
その後は館内のレストランで昼食を摂ることになった。暁はオムライス、紗愛蘭は釜揚げしらす丼を注文し、空いていた席に向かい合って腰掛ける。
「いただきます」
暁がスプーンでオムレツの真ん中を割ると、中から真っ黄色に輝く半熟卵が蕩け出てきた。それをトマトソースに絡めてケチャップライスと共に口に入れる。
「……あ、美味しい」
卵の甘味、トマトソースの酸味、ケチャップライスの塩味の三重奏に味覚を刺激され、暁は思わず舌を唸らせる。それを見ていた紗愛蘭は羨ましそうに目を細めていた。
「どうしたんですか?」
「いや、暁君の食べてるオムライスが美味しそうだなあと思って……」
「ああ、これのことですか。思ったより美味くてびっくりしました。……良かったら、食べます?」
「良いの!? 食べる食べる!」
紗愛蘭は待っていましたと言わんばかりに幼気に喜ぶ。そうしてそれぞれの食べるものを交換。紗愛蘭は嬉しそうにオムライスを頬張る。
「あ、そういえばスプ……」
「うん、美味しい! ……ん? 今何か言おうとした?」
「い、いえ。何でもないです。美味しいなら良かった」
暁が指摘しようとするも時既に遅し。紗愛蘭は何の躊躇も無く暁のスプーンを使った。本人は気付いていないのかもしれないが、これはまさしく間接キスである。
「暁君も食べて良いよ。それもとっても美味しいから」
「え……?」
目の前には、艶のあるしらす丼が置かれている。紗愛蘭の言う通り美味しいことは間違いない。間接キスだって、紗愛蘭とできるのなら正直嬉しい。暁の中で罪悪感が渦巻くが、選択肢は一つしか無かった。
See you next base……




