208th BASE
お読みいただきありがとうございます。
暁はめでたく亀高に入学することができました。
しかし勝負はここから。
想いを実らせられるのでしょうか。
「ありがとうございました!」
練習を終えた紗愛蘭が、真裕と二人で部室へと引き揚げていく。その道中、暁はタイミングを見計らって声を掛ける。
「……お久しぶりです、紗愛蘭さん!」
「君は……、暁君!」
紗愛蘭はすぐに暁のことを思い出す。一年経っても、彼との記憶は色褪せていない。
「はい! 覚えててくれたんですね」
「もちろんだよ! ここにいるということは、亀ヶ崎に入学できたんだね」
「そうです! ちゃんと紗愛蘭さんに追い付くことができました」
暁は満面の笑みを見せる。一年前から容姿も雰囲気も更に明るさを増しており、紗愛蘭は少し圧倒された感覚を覚える。
「おめでとう。……何か暁君、前より更に垢抜けた感じするね」
「そうですかね? これも紗愛蘭さんのおかげですよ」
「そんなことないよ。暁君が頑張った結果だと思う」
二人の間に沁み沁みとした空気が流れる。一人取り残された真裕は、申し訳ないと思いつつも口を挟んだ。
「あのー……、お取り込み中ごめんね。この子は誰?」
「あ、ごめんごめん。この子は美波暁君。私の中学の後輩で、今年から亀ヶ崎に入ったんだよ」
「すみません、挨拶が遅れました。美波暁です。暁って字を書いて“あきら”って呼びます。よろしくお願いします」
暁は薄らとした照れ笑いを浮かべて頭を下げる。真裕も咄嗟に会釈をして返す。
「暁君か。私は柳瀬真裕。紗愛蘭ちゃんと同じ野球部だよ」
「じゃあ暁君、私たちはそろそろ行くよ。これからよろしくね」
「はい。……ただ帰る前に一つ、お願いしても良いですか?」
「どうした?」
改めて部室に戻ろうとした紗愛蘭を、暁が一旦引き止める。するとポケットの中からスマホを取り出した。
「お、それはスマホ?」
「はい。高校に入るのに合わせて持ち始めたんです。……も、もし良ければ、連絡先を交換してもらえないでしょうか?」
暁は突然しどろもどろになる。内面がいくら変わっても、いざ紗愛蘭と仲を深めようとすると喉が締められるように緊張してしまう。
「もちろん良いよ! 部室に置いてあるから、今取ってくるね」
紗愛蘭は二つ返事で承諾する。よっぽどのことが無い限り断られるはずないのだが、暁は一仕事終えたかのように胸を撫で下ろす。距離を詰めるために連絡先の交換は必須。第一関門は突破できた。
暁はその日から早速、紗愛蘭とメッセージを送り合うようになる。最初は頻繁に連絡を取り合って鬱陶しがられないかと思うこともあったが、紗愛蘭が欠かさず返信してくれるおかげでいつしかその不安は消えていた。
去年は互いにどんな一年を送っていたのか、学校や部活でどんなことがあったか、何だかんだ話題は尽きない。暁はもちろんのこと、紗愛蘭にとっても楽しい日常の一部になっていた。
ただしここからの進展がまた難しい。直接顔を合わせる機会が作れないのである。野球部の紗愛蘭とどこの部活にも所属していない暁とでは、帰る時間がまず合わない。仮に合ったとしても紗愛蘭がほぼ真裕たちと帰っており、流石にそこへ入っていく図々しさは暁には無い。休日も紗愛蘭は毎日のように部活動がある。暁はどこかへ出掛けようと誘いたくても、中々タイミングを掴めないでいた。
そうこうしている内に入学から三ヶ月が経過。七月になったところで転機を迎える。夏の大会も迫り、暁は紗愛蘭が月末頃から兵庫に行くことを知る。
これはチャンスだ。暁はそう思った。応援という理由があれば、何の不自然も無く紗愛蘭に会いにいけるからだ。
暁はネットに上げた絵や小遣いから旅費を捻出。決勝戦の一日だけではあるが、紗愛蘭に会うため兵庫へ向かう準備を整える。彼女には事前に連絡を入れ、細かい球場の場所や試合開始の時間を聞き出しておいた。
決勝戦当日。球場には吹奏楽部を始め、亀ヶ崎の生徒が多く応援に訪れていた。知った顔も混ざっており、その中の何人かは暁の存在に気付く。
「……あれってさ、美波君じゃない?」
「ほんとだ。一人で来たのかな? 誰の応援だろう?」
「ね。彼女とかいるのかな? 美波君って見た目爽やかだし、結構モテそう」
独りでに耳へと入ってくる言葉に、暁は恥ずかしさを感じる。決して悪い気はしないが、まだ素直に喜べるほど褒められることへの耐性は付いていない。
暁はあまり人のいない客席の隅、一塁側スタンドの一番端に腰掛けた。ただラッキーなことに、そこからはライトを守る紗愛蘭がよく見える。
「ナイスピッチ! このまま三者凡退で締めよう!」
マウンド上のピッチャーや他の仲間を鼓舞する紗愛蘭の姿は、暁の目にとても頼もしく映る。この光景が間近で見られるだけで、暁にとっては幸せだった。
試合は一点を争う投手戦となり、野球をあまり知らない暁でも好ゲームと分かる展開が繰り広げられた。現地でのスポーツ観戦が初めてとなる暁は、序盤こそ肩身の狭い思いをしていたものの、終盤は応援歌に合わせて手を叩くなどすっかり引き込まれていた。
「アウト、ゲームセット!」
亀ヶ崎は最後の最後まで健闘するも、延長での大量失点が響き敗戦。準優勝に終わった。無念の結果に選手たちは涙を流し、その中には紗愛蘭も含まれている。
スタンドで立ち尽くしていた暁にも、これまで感じたことのないほどの悔しさが湧き起こる。憧れの人が、人目を憚らず号泣している。それだけ情熱を持って取り組んでいたということだ。暁も思わず感極まりそうになったが、同時にある感情が芽生えた。
(あの紗愛蘭さんが泣いてる。悲しんでる。どうして俺には、ここで見ていることしかできないんだ……)
紗愛蘭のために何かしてあげたい。今の悔し涙を止めることはできないが、未来の悔し涙を防ぐことはできるはずだ。
(あの人に涙は似合わない。笑っていてほしい。それを俺が後押しできたら……)
暁は奥歯を噛み締め、両の拳を震わせる。紗愛蘭に会いたい、仲良くなりたいという若干邪な想いが、紗愛蘭を支えたいという献身的な想いに変わる。同じ“好き”でも、自分が先か、相手が先か、ベクトルは全くもって異なる。
相手が喜ぶために何か行動したい。そう思えた時こそ、人は真の意味で誰かを“好き”になれるのではないだろうか。
See you next base……




