207th BASE
お読みいただきありがとうございます。
紗愛蘭と暁の中学編は今回で終わりです。
思ったよりも長くなってしまいました。
次回こそ二人の距離が急接近?すると思います。
卒業式当日。紗愛蘭は部活動の送別会まで済ませ、これから友人の林篤乃たちと共にファミレスでも行こうかという話をしていた。暁は昇降口を出たところで待ち伏せし、紗愛蘭を呼び止める。
「さ、紗愛蘭さん!」
「え? ああ……、え?」
紗愛蘭は一瞬誰か分からなかった。暁は目や耳を覆っていた髪をばっさりと切り、眼鏡も外している。これまでとは完全に違う装いをしていたのだ。
「あ、暁君か!」
「そ、そうです。やっぱり、分かんなかったですか? えへへ……」
暁は恥じらいを隠すようにして笑う。柔らかな顔立ちが露わになり、暗い雰囲気はほとんど消え去っている。
「ごめんね。けどそっちの方が全然良いと思う! 凄くかっこよくなってるよ」
「ほんとですか? 嬉しいなあ」
素の顔を見せることに抵抗のあった暁だが、紗愛蘭になら受け入れてもらえると信じていた。実際に褒めてもらえたので、イメージチェンジは大成功である。
「何だかお二人さん、めっちゃ良い感じじゃん。私たちはお邪魔みたいだね。先に行って待ってるから、二人でごゆっくりどうぞ」
「別にそんなんじゃないよ。けどありがとう。後で追い掛けるね」
篤乃たちが場を離れ、紗愛蘭と暁は二人になる。暁は空気を読んでくれた篤乃たちに感謝しつつ、紗愛蘭に祝意を表する。
「紗愛蘭さん、卒業おめでとうございます。……お祝いに、渡したいものがあるんです」
「え、何々?」
紗愛蘭は部活の後輩からの贈り物を大量に持っていたが、それらを丁重に地面へと置いた。それから暁が差し出した一枚の色紙を受け取る。
「これは……」
色紙には紗愛蘭の似顔絵が描かれていた。可憐な笑顔を咲かせるその姿は、暁が彼女に抱いている印象そのものだ。
「暁君が描いてくれたの? 嬉しい! すっごく可愛くなってるし」
紗愛蘭ははにかみながら喜ぶ。やや表情の強ばっていた暁だったが、安堵したように目元を弛ませた。
「ほんとはハンカチとかドライフラワーとか、そういうものも考えたんですけど……。やっぱり僕には、絵しかなかったです」
「いやいや、せっかく暁君からのプレゼントだもん、絵が一番良い! しかも私を描いてくれるなんて光栄だよ。ありがとう!」
「そうですか? なら良かったです!」
暁も嬉しそうに相好を崩す。髪を切ったため、笑った顔は紗愛蘭にもしっかりと確認できる。
「……やっぱり、良い顔するね」
「え? 何か言いました」
紗愛蘭がふと零した一言を、暁は聞き逃してしまう。紗愛蘭はもう一度言い直すのは気恥ずかしく、在り来りの無い言葉で誤魔化す。
「ううん、何でもない。この絵が改めて可愛いなあって思っただけ」
「ああ、気に入ってもらえて何よりです。それで一つ、紗愛蘭さんに聞きたいことがあるんですけど……」
「うん、何?」
「……紗愛蘭さんって、そ、卒業後の進路はどうなってるんですか?」
暁は努めて冷静に尋ねる。何てことのない質問にも思えるが、暁にとってはこれでも非常に勇気が必要だった。紗愛蘭に自分の好意が悟られるのではないかと不安だったからだ。
「あ、高校の話? 私は亀ヶ崎に行くことにしたよ」
対する紗愛蘭はごく自然に答える。もちろん暁の気持ちなど知る由も無い。
「え、亀ヶ崎なんですか? めちゃくちゃ近いじゃないですか」
「そうだよ。だから通学時間が今とほとんど変わらないんだよね」
「言われてみればそうですね。そっかあ、亀ヶ崎かあ……」
唐突にしんみりとした様子を見せる暁。紗愛蘭は何事かと口を微かに窄める。
「紗愛蘭さん、僕も……、僕も亀ヶ崎に行きます!」
暁は喉元を振り絞るようにして決意を口にする。しかしこれは今の今この場で決めたこと。はっきり言って、進路についてはそれまでほとんど考えていなかった。紗愛蘭を追い掛けられる可能性が残されていると分かり、そこに賭けずにはいられなかった。
「おお! 暁君も亀ヶ崎志望なんだ! 頑張って。また一緒の学校に通えると良いね」
「そうなんです! 絶対に紗愛蘭さんに追い付きますから! 待っていてくださいね」
言ってしまった以上は後に引けない。暁はあたかも前々から決めていたかのように見栄を張る。何も知らない紗愛蘭は、一年後を密かな楽しみにしながら進学するのだった。
紗愛蘭を裏切るわけにはいかない。ここから暁は、猛勉強に勤しむこととなる。
亀ヶ崎は県内でも有数の進学校で、偏差値はそれなりに高い。合格するためには中学校内で上位二割程度に入れる学力が必要となる。成績は悪くない暁だが、それでも定期テストの順位は最高で上位三割を一回記録したのみ。三年生の一年間で大きく上積みしなければならない。
暁はネットに絵を載せる頻度を減らし、その分を勉強に充てた。これまでは半ば嫌々やってきた勉強だが、そんなことは言っていられない。紗愛蘭のことを考えれば苦しさも忘れられた。
また、ただ闇雲に勉強するわけではなく、分からないところは先生に質問して説明を求めた。初めの方こそ話し掛けることへの苦手意識から気が進まなかったものの、何度も繰り返す内に段々と平気になっていった。
結果的にこの取り組みは勉強だけでなく、コミュニケーション力の改善にも良い影響を齎す。暁は一部のクラスメイトと日常的に話せるようになり、以前とは比べ物にならないほど表情が豊かになった。これは後の高校生活にも繋がっていく。
努力の甲斐あって成績は急上昇。夏休みを過ぎた最初の定期テストで上位二割に入り、最後までその位置をキープし続けた。
そして迎えた高校受験。暁はこれまで積み重ねてきた成果を出し、晴れて合格を掴み取った。紗愛蘭と同じ亀ヶ崎へ通うという念願を果たす。
高校入学初日、暁はクラスメイトとの交流そっちのけで紗愛蘭を探した。とにかく早く彼女に報告したい。そう思うと体が勝手に動いていた。
紗愛蘭はグラウンドで部活動に励んでいる最中だった。やや離れた場所からではあったものの、ライトのポジションを守る背中を見て暁はすぐに彼女だと気付く。中学でソフトボールを辞めるという話を聞いていたので、野球部に入っていたのは少々驚きだ。けれどもプレーする姿はとても絵になる。
(紗愛蘭さん、中学の時よりも一段とかっこよくなってる。俺も変わったところ見せなくちゃ)
憧れの人に追い付いた。暁は心を躍らせる。二人の運命が、再び絡み合う。
See you next base……




