20th BASE
お読みいただきありがとうございます。
紅葉が見たい!
……ので、今日は紅葉狩りに行ってきます。
日中は汗ばむ陽気だったが、夕方になって風が出てきたことにより、過ごしやすさが感じられるようになった。私たち女子野球部は男子野球部との試合を終え、今は後片付けに取り掛かっている。私は春歌ちゃんと一緒にブルペンを整備していた。
「真裕先輩、この掘れた穴に水を掛ければ良いですか?」
「うん。お願い」
投げる際の踏み込みで削れた部分に春歌ちゃんが水を入れ、そこを私がトンボで土を足して固める。この作業を何度か繰り返し、元の状態に戻していくのだ。
「……あ、水切れちゃった」
「あらら、じゃあ汲みにいこうか」
春歌ちゃんの使っていた如雨露が空になり、私たちは近くの水場に補給しにいく。ここは蛇口を全開で捻ってもあまり量が出てこないので、満杯になるには時間を要する。
「春歌ちゃん、今日はお疲れ様。ランナーは出したけどほんとに良いボール投げてたと思うよ。ナイスピッチング」
今日の試合では私と春歌ちゃんの両方が登板。私は先発して六イニングを投げた。優築さんのリードのおかげでどの球種も効果的に使うことができ、男子野球部を相手に失ったのは一点。決め球のスライダーも冴え、自分としても納得のいくピッチングができた。
「ありがとうございます。けど真裕先輩には敵いませんよ」
春歌ちゃんの方は八回の一イニングを無失点に抑えた。緊張からか途中制球を乱す場面もあったが、最終的に立て直したところは中学までの経験の成せる技だろう。
「そりゃ私は上級生だからね。一年やってきたっていうところを示さないと」
私はややはにかみかけたが、先輩として後輩の煽てを真に受けるわけにはいかない。これくらいは当然という余裕を見せなければ。
「それはそうですけどね。真裕先輩は去年の初登板はどうだったんですか?」
「私は二イニングで一失点だったよ。その時の四番の子にホームラン打たれちゃった」
「へえ、そうだったんですか。真裕先輩でもデビューはほろ苦かったんですね」
春歌ちゃんは他愛なく微笑む。マウンド上ではピンチになっていくに連れて怖い顔つきになっていったが、現在ではそんな雰囲気はすっかり消えている。
「うん。けどそうやって苦い体験をしたから、その後の練習により気合を入れて臨むようになった。あとは切磋琢磨する存在もできたしね。……さて、そろそろ良いかな」
私は如雨露を持ち上げて中身を確認する。少し水を入れ過ぎただろうか。片手で持つとバランスを崩しそうになる。
「おっとっと……」
「あ、私が持ちます」
「そう? ありがとう」
私は春歌ちゃんに如雨露を渡す。春歌ちゃんは底に左手を添え、零れないように支える。
「あ、真裕、春歌」
そこへ菜々花ちゃんも如雨露を持ってやってきた。彼女は優築さんと共に本塁の整備をしている。
「菜々花ちゃん、そっちはあとどのくらいで終わりそう?」
「うーん……。まだちょっと掛かるかな」
「そっか。こっちもそんな感じだわ」
私は互いの進捗状況を確認し、春歌ちゃんと持ち場に戻ろうとする。だがその直後、菜々花ちゃんが私だけを呼び止めた。
「真裕、ちょっと待って」
「どうした?」
「帰る前にさ、私のところに来てもらっても良い? 春歌も連れて」
菜々花ちゃんはうっすらと眉尻を下げ、悲憤の念を感じさせるような口調で言う。何かあったのだろうか。私は事情を理解できず、とりあえず了承するしかなかった。
「……ああ、うん。分かった」
「ありがと。じゃあお願いね」
会話が途切れ、蛇口から流れる水の音のみが二人の間に響く。やにわに背筋に悪寒が走った。だが私は何も感じてない振りをし、逃げるようにしてグラウンドへと駆けた。
片付けを済ませた後はチーム全体でのミーティングを行い、解散となった。私は春歌ちゃんにさりげなく声を掛け、菜々花ちゃんのところに連れていく。
「菜々花ちゃん」
「ああ、真裕。ありがとう。春歌も残らせてごめんね。どうしても尋ねておきたいことがあってさ」
「はい、大丈夫です」
春歌ちゃんと顔を合わせるや否や、菜々花ちゃんは再び悲し気な表情をする。それから何となく聞き辛そうに、重々しく口を開く。
「……ねえ春歌、曽根君と水田君に対して、態と危ないボールを投げたでしょ?」
「え?」
私は反射的に春歌ちゃんの顔を見る。春歌ちゃんはしれっとしたまま首を傾げ、菜々花ちゃんに聞き返す。
「どういうことですか? 言ってることがよく分からないんですけど……」
「嘘言わないで! 私はアウトコースのサインを出していたのに、それ無視してバッターの顔を目掛けて投げてたでしょ」
菜々花ちゃんは少しだけ声を荒げ、春歌ちゃんを一喝する。周りにいた人たち驚いた様子でこちらに目を向けた。
「待って菜々花ちゃん。それはあんまりだよ。春歌ちゃんだって初めての試合で緊張もあっただろうし、ああいう投球になったっておかしくないよ」
私はすかさずフォローに回る。春歌ちゃんは菜々花ちゃんに気圧されたのか、口を噤んで黙りこんでしまった。
「真裕の庇いたくなる気持ちも分かる。でも水田君の時なんて、抜け球であんなに球速が出るとは思えないもの。仮に本当にすっぽ抜けたんだとしても、危なかったの一言では済ませられないよ」
「そ、それは……」
確かに菜々花ちゃんの言っていることは筋が通っている。けれども春歌ちゃんが意図して危険な球を投げたと決めつけるのは、いくらなんでも可哀想ではないか。
「おいおい君たちどうしたの? 何をそんなに揉めてるんだい」
そこへ杏玖さんが仲裁に入った。私たちの立ち位置を見て何となく状況を察してくれたのか、まずは菜々花ちゃんを諭そうとする。
「菜々花、春歌と何かあったの?」
「えっと……。配球のことで食い違ったところがあって……」
「なるほど。だとしたらそこまであんな風に怒鳴ることないんじゃない? 春歌はまだ一年生なんだよ」
「う……。すみません」
菜々花ちゃんは申し訳なさそうに顔を伏せる。流石に杏玖さんに指摘されて頭を冷やしたのだろう。
「注意したいことがあるならどんどん言って構わないけど、相手を威圧するような言い方をしても解決にはならないよ。菜々花は落ち着いて話せば、考えたことをしっかり伝える力があるんだから」
杏玖さんは菜々花さんの肩を叩く。感情的になったのは良くないが、菜々花ちゃんは春歌ちゃんのためを思って言ったはずだ。だから非難はできない。
「ま、とりあえず今日のところはこれでおしまいにして、また明日辺りに話しなよ」
「はい……」
「よし。春歌も帰る準備してきな。今日は疲れてるだろうし、ゆっくり休んで」
「はい。ありがとうございました」
春歌ちゃんは一礼してこの場を去る。私は彼女が完全にいなくなったのを確認し、菜々花ちゃんに小声で話しかける。
「杏玖さんも言ってたように、また日を改めるのが良いと思うよ。春歌ちゃんも何か感じることはあるだろうし、何なら私も一緒に話し合うからさ」
「ありがと。ひとまずそうすることにするよ。けど真裕、春歌には用心しておいた方が良いよ。ちょっと厄介な子かもしれない」
「厄介? どういうこと?」
菜々花ちゃんの忠告に私は眉を顰める。あんなに素直で純粋な子の、どこが厄介だというのだろうか。
「一言で言えば我が強い。いや、強すぎる。自分だけでなく、他人すら破壊しかねないほどにね。だから真裕も気を付けて」
「わ、分かった……」
私はこの時、菜々花ちゃんの言っていることが全くもって理解できなかった。そしてこれから身を持って体感させられることなど、思いもしなかったのである。
See you next base……
★マウンド(ブルペン)の整備
投手がマウンドを使って投球すると、軸足と踏み込む足を部分の土が削られて穴ができる。整備をする時にはその穴に必ず水を入れ、土と一緒に捏ねて固めなければいけない。水を入れないで整備をしてしまうと土が十分に固まらず、次に使用する際にすぐに穴が空いてしまい、安全にピッチングができなくなる。
また定期的に土の入れ替えもしなければならない。マウンドの質を保つためには、日ごろからの入念な整備が不可欠なのである。




