206th BASE
お読みいただきありがとうございます。
少し前まで中学生との関わりが多かったのですが、それくらいの時期の子どもたちは良くも悪くもとても心変わりしやすいように感じます。
今回の暁もその一人。
彼の人生が少しでも良い方向に向かえば良いなと思います。
放課後、四人が昨日と同様に空き教室へと集合する。暁は今日も来るのが最後となった。
「お、暁君だ。待ってたよ」
教室に入ると、紗愛蘭が笑顔で手を振ってくれる。暁は咄嗟に応えようとするも、緊張でぎこちない笑い方になってしまう。
「ポスターの方はどう?」
「一応、二枚ともできました」
「ええ、早いね! 見せて見せて」
「ど、どうぞ」
席に着いた暁は、二枚のポスターを机に並べる。紗愛蘭は興味津々でそれらに目を通す。
「おおー、花と動物かあ。どっちも凄く良いね! 三種類とも系統が違うし、これなら見る人も楽しめるはずだよ」
「それは良かったです。……ありがとうございます」
またもや紗愛蘭は喜んでくれた。それが暁にはこの上なく嬉しい。
ただし三種類目のポスターはこれで完成ではない。暁は最後の一手間を加えるため、三人にある提案をする。
「あの……、実は皆さんにお願いがありまして……」
「どうしたの暁君? 何でも言ってよ」
紗愛蘭は何もかも許してくれそうな優しい顔を見せる。弱気だった暁だが、ほんの僅かに気持ちが楽になる。
「動物のやつなんですけど、このままだとちょっと物足りない気がしてて……。それで、皆さんの絵も少しずつで良いから描き足してもらいたいんです。そしたら、もっと楽しい雰囲気になると思うから……」
動物たちが似たような顔になってしまうなら、一人ではなく複数で描けば良い。加えて暁自身が他の人、特に紗愛蘭と一緒に絵を描きたいと思ったのだ。
「……私たちの絵を、加えるってこと?」
「そ、そうです。せっかく四人いるんだから、皆で描きたいなと思って。もちろん、良ければですけど……」
戸惑った様子で尋ねる紗愛蘭に対し、暁はたじろぎながら答える。一緒に描きたくなんかない。そんな風に断られるイメージが、暁の脳内で再生される。
「良いの!? ぜひやりたい!」
「へっ?」
ところが紗愛蘭は声を弾ませ、快く承諾した。予想外の反応に、暁は思わず聞き返す。
「ほ、ほんとに良いんですか?」
「そりゃ良いよ。寧ろ暁君の絵に混ぜてもらえるなら、こっちからお願いしたいくらい」
「……そうですか。ふふっ、良かった……。良かったです」
暁の緊張の糸が切れる。すると無意識の内に口元は緩み、穏やかな笑みが零れる。それを見た紗愛蘭は、不意打ちを食らったように一瞬大きく目を見開く。
(……何だ、笑ったらすっごく良い顔になるじゃん)
それから三種類目のポスターに三人が絵を描き加えていく。下級生二人が兎やペンギンなどの可愛らしい動物を描く一方、紗愛蘭が描いたのは猛々しさのある虎だった。
「紗愛蘭さん、これ虎ですか?」
「うん。変かな?」
「いえ、良いと思います。可愛い絵になってますし」
もの柔らかな紗愛蘭の意外な一面。暁には多少の驚きはあったが、そのギャップも愛おしく感じられる。
こうして全てのポスターが完成。色付けを経て張り出されると、忽ち校内で話題となる。
「今年の文化祭のポスターさ、かなり気合入ってない?」
「分かる。何かめっちゃ綺麗だよね。あれ誰が描いたの?」
「誰なんだろう? 三年の踽々莉さんが描いたって話だけど」
どこから湧いたのか、生徒たちの間では紗愛蘭が描いたという話になっていた。暁の名前も出るには出ていたが、彼のことを知る人間が極端に少なかったため、ほとんど広まらなかった。
しかし暁にとっては好都合だった。顔が割れれば否応無しに注目を浴びることになる。それはあまり望んでいなかったからだ。紗愛蘭も暁の気持ちを汲み、友人に聞かれた際も適当にはぐらかすなどして真相を明らかにしなかった。
その後、文化祭は滞りなく開催され、実行委員の活動も終了。ここから二人の本格的な恋が始まる……わけもなく、紗愛蘭は受験に専念、暁は元の日常に戻る。
「あ、暁君。おはよう」
接点があるとすれば、ごく稀に廊下ですれ違う程度。その際に紗愛蘭は決まって声を掛けてくれた。暁も挨拶こそ返すが、それ以上は踏み込めない。進展する兆しは一向に見られなかった。
ただ暁には一つ変わったことがある。文化祭直後からSNSを始め、定期的に自分の描いた絵をアップするようになったのだ。紗愛蘭に喜ばれたこと、校内でも評判になったことで自信が付き、もっと多くの人に見せてみたいと興味が湧いた。ネット上ならどんな人間が描いているのかも分からないため、暁としても気兼ねなく始められた。
まだまだ駆け出しのため閲覧数は多くない。それでも見てもらえた人からは好意的な意見が寄せられ、暁の創作意欲は一層刺激された。
文化祭から半年近く経過し、紗愛蘭たちは卒業を迎える。暁は結局彼女との距離を縮められず。無情にも時だけが過ぎていた。
これまで誰かを好きになったことはない暁だが、紗愛蘭への気持ちが恋愛感情に近いものであることは薄々気付いている。付き合いたいと言えば付き合いたいし、その先のことだってしたい。だが自分みたいな人間が手を伸ばしたところで、彼女に届くとは到底思えない。それに正直もう会うことはないだろうと、ほぼ諦めかけていた。
ところがいつしかの夜のこと。ネット上での繋がりが増え、他人の投稿を屡々チェックするようになっていた暁は、とある言葉に目が留まる。
《そろそろ卒業シーズンになるから言うけど、卒業前にやっておきたいことがあるなら、どんなに大変でもやっておいた方が良いぞ。これから上のステージに進むに連れて、やりたいことはどんどん増えていく。だがやりたいことに使える時間はどんどん減っていく。ここで少しでもやりたいことをやる癖みたいなものを付けておかないと、いつか時間に追われて何にもできなくなる。後悔も失敗も何度したって怖くない。それより動きたくても動けなくなることを怖れろ》
全く繋がりの無い、どこの誰かも分からぬ人の投稿。にも関わらず、暁は胸を深く突き刺された。
(やりたいことをやれなくなる……。紗愛蘭さんのおかげで変われたはずなのに、このまま何もしなかったら、いつか俺は元の自分に戻っちゃう気がする。……それは、嫌だな)
ここが今後の自分を左右する、分水嶺となるかもしれない。暁は己を奮い立たせ、覚悟を決めて動き出す。
See you next base……




