205th BASE
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紗愛蘭と出会いをきっかけに、暁の才能が開花しようとしています。
彼の絵はきっと、誰かを夜明けに導くことができるはずです。
『せっかく素敵な名前付けてもらってるんだもん。大切にしなくちゃ』
『少しでも変わるきっかけが掴めるよう、一緒に頑張ろ』
紗愛蘭の前向きな言葉を、暁は信じてみたくなった。彼も思春期の中学生男子。紗愛蘭のような可愛い女子に励まされれば、それ以外の動機が無くとも簡単に頑張ろうと思えるものだ。
幸運なことに、暁は得意の画力を活かせる仕事を任された。しかも同じ班には紗愛蘭がいる。彼女の喜ぶ顔が見たいと、暁は寝る間を惜しんでポスターを作った。今日の集まりに遅れたのは、睡眠不足で放課後に寝落ちしてしまっていたからである。
結果、紗愛蘭は自分の絵を見て喜んでくれた。気持ち悪がられることもなく、追加で違う絵が見たいとも言ってくれた。暁にとってこんなに嬉しいことはない。
「……おし。こんなもんかな」
作業はこれまでになく捗り、二時間ほどで二種類目のポスターが完成。今度は色とりどりの花々を満面に散らばめ、華やかな装いに仕上げた。ピンクのシクラメンや紫のフリージアが、それぞれの美しさをアピールするように咲き誇っている。
「あき兄! いい加減に部屋から出てきてよ! ご飯冷めちゃうよ!」
「えっ?」
四歳下の妹、茜にドアを強くノックされ、暁はふと時計を見る。時刻はいつの間にやら七時半に達していた。
「ご、ごめん。今行くよ」
暁は急いでドアを開けて部屋を出る。普段であれば茜の後をのたりと追いながら階段を下るのだが、今日は茜を置き去りにして軽やかな足取りで向かった。いつもとは別人のような兄の姿に、茜を何事かと首を傾げるしかない。
夕飯と入浴を手短に済ませ、暁は自室に戻ってきた。いざ三種類目のデザインを制作する。学生たちの爽やかさ、花の美しさと来れば、最後は文化祭らしい楽しさが相応しいだろうか。ブレーメンの音楽隊を参考に、楽器を演奏するリスやシマウマなどの動物を描いていく。そこに五線譜や音符を加え、本当に音楽が聞こえてきそうな雰囲気を出す。
文化祭のポスターとしては十分過ぎる出来だろう。しかし暁はどこか納得いかなかった。絵のクオリティはそれなりに満足できている。デザインも悪くない。ただ何かが足りないと感じるのだ。
(これで完成にしたら凄く勿体ない気がする。どうすれば良いんだろう……)
暁は眉を顰めて考えるも、答えは見つからない。右手の人差し指と中指で挟んだ鉛筆が止めどなく揺れるだけで、時間は刻一刻と過ぎる。
「ふわあ……」
唐突に欠伸が漏れた。そろそろ日付が変わる頃だ。昨日はほとんど寝られていないので、今日もまた夜更かしするわけにはいかない。暁は描き掛けのポスターごと学校用の鞄に仕舞い、ベッドに倒れ込む。
「はあ……」
大きな溜息と吐くや否や、目を瞑る暁。帰宅してから計六時間以上も絵を描いていたわけだ。疲れて当然である。ただ以前の彼なら、それでも絵を描き続ける、若しくはスマホなどを弄って中々寝付こうとしなかった。次の日を迎えるのが気怠く、できるだけ時間が過ぎないようにしていた。
だが今は、明日が待ち遠しくて仕方が無い。理由は簡単。学校に行けば紗愛蘭に会えるからだ。
綿菓子のようなベッドの柔らかい感触に包まれ、暁が眠りに落ちる。その顔付きはとても心地好さそうだった。
最後の絵に足りないものは何なのか。翌日、暁は授業中も机上にポスターを広げて悩む。
「移りかはるこそ、あはれなれとありますので、ここは“こそ”と“なれ”の係り結びになり……」
先生の話はもちろん耳に入っていない。ところが四限目の国語の時間、遂に捕まった。
「おい美波……。俺の授業で内職とは良い度胸だなあ」
「あっ……」
よりによって担当は、校内でも厳しいと評判の渡邉先生。常に昭和の任侠ドラマを彷彿とさせる眼鏡を掛けており、黄土色のレンズの奥には虎のような眼差しを潜めている。
「とりあえず昼休みに俺んとこに来い。話はそれからだ」
当然の如くポスターは没収。暁は給食後の休み時間に職員室へと呼び出された。
「失礼します……」
渡邉先生の席は窓際の後ろから三列目に位置していた。暁は怖じ怖じしながら彼の元へ向かう。叱られるのは仕方が無い。だが何を言われてもポスターだけは取り返さなければならない。
「あの渡邉先生……。すみませんでした」
暁はいの一番に頭を下げる。渡邉先生は眼鏡を少しだけ下にずらし、彼を鋭く睨んだ。怖々と頭を上げた暁は、心臓が止まったような感覚に陥る。
渡邉先生は眼鏡を元の位置に戻すと、ポスターを左手に取る。没収された時は紙一枚の状態だったが、今はクリアファイルの中に入って保管されていた。
「これ、お前が書いたのか?」
「は、はい。そうです……」
暁は糸のように細々とした声で答える。次は何を言われるのか。彼の心音がどんどん速くなる。
「ふーん……。上手じゃないか。お前にこんな才能があったんだな」
「あ……、ありがとうございます」
「でもこんな上手いのに、どうして悩まし気に睨めっこなんかしてたんだ? 俺の授業そっちのけで」
「そ、それは……」
一旦は口を噤む暁。しかし沈黙で押し通せるほど、渡邉先生は甘くない。
「……何か、足りない気がするんです。それが分かんなくて……」
「それで考えてたと。楽しそうで悪くない絵だと思うがな。……まあ一つ言うなら、どいつもこいつも似たような顔してんのが気になるが」
「えっ、先生もそう感じるんですか? どうしたら……」
「そんなことは自分で考えろ。まあ良い。お前はいつも聞いてるのか聞いてないのか分からんような顔で静かにしてるから、今日のところは許してやる。他の授業も含めて二度目は無いと思え」
渡邉先生が暁にポスターを返す。意外にもお咎め無しだったことに拍子抜けしつつ、暁は安堵感を滲ませる。
「あ、ありがとうございました……」
「はいはい。……良いのが描けると良いな」
「は、はい! 頑張ります」
職員室を後にした暁は、渡邉先生の言葉を思い出す。どれも似たような顔になっているのは暁も薄々感じていたが、描き手が同じなのである程度はどうしようもない。物足りなさの本質はその陰にある。
「あ、そういうことか! でも……」
暁は何か閃いたようだ。ただそれができるかどうか不安になり、仄かに表情を曇らせた。
See you next base……




