196th BASE
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西経大との一試合目が終わりました。
亀ヶ崎は善戦しましたが、惜しくも一点差で敗北。
クリーンナップ、特にオレスに一打出ていればというところでしたが……。
西経大との一試合目が終わり、昼休憩に入った。選手たちの多くがグラウンドに隣接する休憩所で昼食を摂る。そんな中、オレスは一人、近くにある川のほとりにいた。
ここは川の流れや鳥の鳴き声以外はほとんど聞こえず、静かに過ごすには最適な場所だ。空調の効いている休憩所には及ばないものの、木陰も多いためそれなりに涼しい。熱中症になることもまずないだろう。
オレスは陰のできている芝の上に座り、緩やかに流れる川を望みながら弁当を食べようとする。中心に大きな野球ボールがプリントされた弁当箱を開けると、好物である白身魚のフライやメンチカツが入っていた。出来立てではないため衣は柔くなっているが、噛んだ瞬間に素材の旨味が口一杯に広がる。自家製のタルタルソースを付ければ美味しさは倍増。ところが今日は、噛んでも噛んでも味を感じられない。
「……美味しくないわね」
ひとまず口に入れた分を飲み込むと、オレスは弁当箱を地面に置いてしまった。食欲もあまり湧いておらず、両肩に岩でも乗っているかのように体が重い。
亀ヶ崎に来て初めての試合。初回の一打席目では二塁打を放ち、先制点を呼び込んだ。
しかし目立った活躍はこの一本だけ。空を打ったということで大きな価値はあるが、その後は精彩を欠く場面の方が多かった。加えてそのどれもが悉く失点に繋がる、若しくは得点機を潰すことになってしまい、彼女が勝敗を分けたと言っても過言ではない。
華々しいデビューを飾るはずが、まさか敗因を作ることになろうとは。オレスは悔しさと己への失望から、どうしようもない虚無感に囚われていた。
「ん?」
ふと背後で、何者かが芝を踏む音が耳に入る。振り返ったオレスの目に映ったのは、こちらに歩いてくる紗愛蘭の姿だ。
「やあネイマートル。ここに居たんだね」
紗愛蘭がオレスの横に腰を下ろす。休憩所にオレスが居ないことに気付いた彼女は、昼食を早々に食べ終えて周辺を探していた。最初は真裕たちも一緒に探すと言ってくれたが、それを断って敢えてオレスと二人で会うことを選んだ。
「探した? また何か説教でもするつもり? それとも無様な私を叱りにきたの?」
オレスは咄嗟に弁当箱の蓋を閉め、鬱陶しそうに応答する。無視してやろうとも考えたが、それはそれで面倒だった。そんな彼女に、紗愛蘭は変わらず優しい笑みを向ける。
「だからそんなことしないって。仲間が落ち込んでたら、励ますのが普通でしょ」
「仲間? こんな奴をよく仲間だなんて言えるわね」
馬鹿馬鹿しいと言わんばかりにオレスは嘲る。だが紗愛蘭に引く気配は無い。強い信念を持ってオレスに接していた。
「仲間だよ。ネイマートルが亀ヶ崎のユニフォームを着た瞬間から、……いや、もっと言えば亀ヶ崎への入学が決まった時から、ネイマートルは仲間なんだ。そこにはその人の過去も、人種も、人柄も、一切関係無いよ」
紗愛蘭は慎重に言葉を選びつつも、口に出す時は一言一言に力を込める。オレスがどんな人物であろうと、自分たちは仲間として受け入れる。それをとにかく伝えたかった。
「はあ? どうしてそんな大それたことが言えるの? どうせ後先考えず、無責任に言ってるんでしょ」
「あー……。確かに後先は考えてないのかも。あはは……」
オレスの指摘が半分当たっており、紗愛蘭は苦笑いする。しかし決して無責任なんかではない。彼女は本気だ。
「でもね、たとえどんなことがあっても、私たちがネイマートルと仲間であることは変わらない。それは約束する」
紗愛蘭は右手の小指を立て、指切りの仕草を見せる。オレスはそんな子ども騙しには引っかからないと言いたげに、冷たくあしらおうとする。
「そんなこと信じられるわけないでしょ。第一、別に私はそんなこと望んでない。仲間なんていなくたって、私は自分が活躍できればそれで良いのよ」
「……ほんとにそうかな? 私にはそんな風には見えないよ」
「え?」
オレスは心臓が掴まれたように、一瞬縮み上がる。心做しか川の流れる音が速くなった。
「だってネイマートルは、チームを勝たせようとしてるじゃん。右方向へのバッティングも、自分がどうしたらチームに貢献できるかを考えた結果でしょ」
「それは……」
黙り込むオレス。紗愛蘭は彼女の献身性に目を付けていた。
オレスは打席で無茶な大振りなどはしない。何故なら自分の実力を理解した上で、チームの勝利のためにプレーしているから。それをできる人間が、根から自分勝手であるとも、理由無しに孤独になりたがるとも思えない。
「きっとネイマートルはさ、私たちともっと友好的な関係性を築きたいと思ってくれてる気がするんだよね。けどそれで失敗するのが不安だから、近付き過ぎて拗れちゃうことが嫌だから、態と私たちから距離を取ってるんじゃないかな?」
紗愛蘭はオレスの気持ちをほとんど読み切っていた。何故そんなことができるのか、オレスには不思議で仕方が無い。
「……何でそんな知ったような口が聞けるのよ。私のこと何も知らないくせに」
「うーん……。確かにネイマートルのことはあんまり分からない。けど私がそうだったから。孤独になっても、本当にやりたいことがあっても、上手くいかなった時が怖くて一歩を踏み出すことができなかった。勇気が出ずに一人で悩んでたんだ」
仲間だったはずの者たちから虐げられた中学時代と、友人との関係が壊れるのを恐れ、自分の本当の気持ちを打ち明けられなかった高校入学当初。紗愛蘭の境遇には、オレスに通ずる部分が見られる。ただし二人の間には一つ、決定的な違いがある。
「でも私には、私を救ってくれる人たちがいた。だから一歩を踏み出せたんだよ。その人たちがいなかったらどうなっていたか分からないし、ほんとに自分は運が良かったなって思ってる」
紗愛蘭には差し伸べてくれる誰かの手があった。彼女はその手を取ることで前に進むことができたのだ。もしもそれらが無かったら、紗愛蘭は今この場に立っていないだろう。
「私はいつも誰かに助けられてきた。だから傲慢かもしれないけど、今度は私が誰かを助けられるようになりたいんだ」
そう言った紗愛蘭は、オレスに右手を差し伸べる。太陽の光に反射してか、オレスにはその手が眩しく輝いているように見えた。
See you next base……




