179th BASE
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真裕にとっては試練の練習試合が終了しました。
ここから立ち直るためには、どんなことが必要なのでしょうか。
時刻は午後四時過ぎ。日中に猛威を振るっていた酷暑は大分落ち着いてきていた。最近は夕方になるとアキアカネがよく見られるようになり、秋の訪れを感じさせる。
教知大学との練習試合を終えた私たちは、一旦亀高へと帰ってきた。今日は軽くミーティングを行ってから解散。紗愛蘭や京子ちゃんを含めて皆そのまま帰宅したが、私は一人で居残って外野でダッシュを行う。
本来であれば、私も京子ちゃん達と一緒に帰るつもりだった。けれども投球の出来が散々だったため、こうして自主練をしていくことに決めた。言わば自分への懲罰でもある。
五回までは一人のランナーも出さなかった。直球で空振りを取ることもできていたし、完投に向けて順調に進んでいた。しかしチームが先制点を取った直後の六回に四点を失い、ランナーを残して降板。敗戦投手となった。
この結果だけなら特に何もしなかっただろう。私が許せなかったのは、自分自身の振舞だ。頭を冷やして一人で振り返ってみると、次々と反省点が浮かんでくる。
まずは同点に追い付かれた内野安打に関して。何故私はあの打球を、菜々花ちゃんの指示も聞かずに処理しようとしたのか。良い送球ができても一塁がアウトになった可能性は高くない。普段なら自らの判断で見送ってファールにしようとしていたはずだ。
続く打者には勝ち越しの三塁打を許した。何故初球からあんなに軽率な投球をしたのか。もっと落ち着かなければならなかった。感情に任せて力勝負に行き、甘く入った直球を痛打されて返り討ちに遭ってしまった。
――そして何故、降板の際にあんな発言をしたのか。私が投げなきゃ勝てない。思わず口に出そうになったのは、心のどこかでそう思っていたから。信じたくはないが事実だ。
端的に表せば傲慢や驕り。だけどそれだけではないと思う。新チームになって自分がしっかりしなければならないという意識が強過ぎ、どうしても完投しなければならないという気持ちを抑えられず暴走していた。
ならば今度は無理に完投しようとせず、他の投手と協力して……。そう考えるべきなのだが、今の私はそれで大丈夫だとなれない。もしも自分がマウンドを降りたら、夏大の決勝戦のようなことが起きてしまわないだろうか。そんな不安に苛まれているのだ。
では一体どうしたら良いのか。問答を繰り返している内に、気が付くと一時間近く経過していた。足の運びも徐々に重くなってきたため、私は一度止まって呼吸を整える。明日も練習があるし、適当なところで切り上げないと。
「……こんな時間までよくやりますね、真裕先輩」
ふと聞き馴染みのある声が耳に入ってくる。目を向けてみると、ホームの方から春歌ちゃんが歩いてきていた。
「春歌ちゃん? どうしてここに?」
グラウンドにはさっきまで誰もいなかったはずだ。よく見ると春歌ちゃんは制服やユニフォームではなく、黒のジャージに身を包んでいる。
「一回帰ったんですけど、用があってちょっと出かけたんですよ。それで学校の前を通り掛かったら、真裕先輩の姿が見えたので」
「そうなんだ。春歌ちゃんは家が近いもんね。コンビニにでも行ってきたの?」
私はできるだけ他愛の無い話を振ろうとする。しかし春歌ちゃんはそれを良しとしなかった。
「まあそんなところです。……それより今日のピッチングはどうしたんですか? 真裕先輩らしくなかったですよ」
「それは……」
まごつく私を見て、春歌ちゃんは含み笑いを浮かべる。まるで心が見透かされているようだ。
「ま、そういう時もありますよね。でも今の真裕先輩なら、私は好きになれそうです」
「えっ!? ……どういうこと?」
一瞬でも嬉しくなった自分が恥ずかしい。こんなの皮肉以外の何物でもない。
「だって今の真裕先輩、一人で戦ってるじゃないですか。私には仲間を信じろって言ったくせに、自分は全然信じられてない。矛盾の塊です。そんな人が相手なら、私がエースになるのも時間の問題ですね」
嫌味のある言い方をする春歌ちゃんだが、中身は正論そのものだった。私の背筋が急速に冷たくなる。首を絞められたかのように喉の奥が詰まり、何も言葉を返せない。
「そろそろ帰らなくちゃ。夏休みの宿題もやらないといけないんで。ではまた明日。失礼します。……あ、今度の試合での巻き返しに期待してますよ」
春歌ちゃんは屈託の無い笑顔を私に向けて去っていく。私は岩石で殴られたかのように胸を打ち砕かれ、完全に真っ暗闇に落とされた気分だ。倦怠感が一気に押し寄せてもう走る気力が湧かない。春歌ちゃんの姿が完全に見えなくなるのを確認し、私は帰途に就くしかなかった。
家に着いた後も私は悩み続けた。お風呂に入っている間も、夕ご飯を食べている間も、自分の脳内で問いかけては答えが出ず、問いかけては答えが出ずと埒が明かない。今日はせっかくのネギトロ丼だったのにあんまり美味しさが感じられなかった。
「……ごちそうさまでした」
とりあえず食べる分だけ食べ終えた私は、歯を磨くことも忘れてそそくさと自分の部屋に入る。ベッドの上に転がってスマホを開くと、紗愛蘭ちゃんから一件のメッセージが届いていた。
《お疲れ。時間がある時で良いから、ちょっと電話できないかな?》
内容を見た瞬間、手が震え出す。十中八九、今日の試合についてだろう。このままではチームに示しが付かないし、叱られても仕方が無い。もちろん気乗りしないが、ここで逃げても惨めなだけだ。
《お疲れ様。こっちはいつでも良いよ》
これだけの短文を打つだけなのに、何度もミスをしてしまった。私はメッセージを送信して暫く待機する。じっとしているのは嫌なので机に腰掛けて宿題を広げてみるも、この状態では進められるはずがない。
何もできないまま時間が経過すること三〇分、スマホに再びメッセージが届く。紗愛蘭ちゃんからだ。
《今から掛けても良い?》
《どうぞ》
返信を送ると、一分も経たない内に着信音が鳴る。私は心臓の拍動が加速するのを感じつつ、小さく溜息を吐いてから通話ボタンを押した。
See you next base……




