175th BASE
お読みいただきありがとうございます。
完全試合継続中にエラーをしてしまうと、野手としては非常に辛いと思います。
ただ投手からすれば四死球は出しても大丈夫と気が楽になり、そのおかげでノーヒットノーランができたというのは結構あります。
何事も捉えようが大事です。
真裕はどうでしょうか。
六回裏、ワンナウトから昴がエラーを犯し、教知が初めてランナーを出す。
「真裕さん、すみません……。せっかくのパーフェクトだったのに」
「大丈夫。気にしなくて良いよ。どうせできるとは思ってなかったから。それよりも切り替えて、次は頼むよ」
真裕は謝る昴を宥める。その表情は穏やかで、大らかに構えている。
(ランナーが出ちゃったか。まあでも、ホームに還さなければ良い。昴ちゃんのミスは私がカバーする。それもエースの務めだ)
打順は九番の金山に回るが、左打者の徳重が代打に送られる。教知としても点を取りにいかなければならないため、攻撃的な手を打ってくる。
エンドラン等を警戒して二度の牽制を入れた後、真裕は徳重への初球を投じる。アウトハイのストレートはボールと判定された。
二球目もストレート。これも高めに来たが、今度は徳重がバットを出して空振りとなる。
(ちょっと浮いてきてるのは気になるけど、真っ直ぐの勢いは衰えてない。バッターは代打でまだタイミングも取れてないし、小細工は必要無さそうだ)
菜々花は再度ストレートを要求する。頷いた真裕は、クイックモーションで三球目を投げる。
「ボール」
一球目と同様、外角高めに外れた。ランナーを出したことでリズムが狂ったか、それとも点を与えまいと力んでいるのか、真裕の制球が乱れてきている。
(おかしいなあ……。普通に投げてるつもりなのに。一旦落ち着くか)
真裕は地面に置かれたロジンバッグを触り、一呼吸入れる。気を取り直しての四球目、カーブでカウントを整えようとする。
ところがこれも高めに浮いた。真ん中に沈んできた投球を、徳重が打って出る。
「ショート!」
打球は京子の頭上を越え、レフトの栄輝の前に落ちる。教知に初ヒットが生まれた。
「むう……。もっと低めに投げなきゃいけなかったのに」
真裕は歯痒そうに眉間に皺を寄せる。甘く入った球を痛打され、ワンナウトランナー一、二塁とピンチに陥る。
教知打線は三巡目に入り、一番の赤池を打席に迎える。一球目、真裕の投げたストレートがアウトローへ行く。
「ストライク」
赤池はバットを出さずに見送る。いや、出せなかったと言った方が正しいだろうか。それほどに彼女の反応は遅れている。
二球目、バッテリーはストレートを続ける。ボールと判定されるも、コースは外角低め。真裕は高めに浮いていたコントロールを修正してきた。
(今のを見れば分かるけど、教知の打線は私の球に付いてこれていない。甘くならなければ打たれないはずだ)
三球目、真裕はツーシームで内角を抉る。赤池は引っ張ろうとスイングするも、球速に対応し切れず一二塁間にゴロが転がる。
「オーライ」
処理に向かうのは昴。素早く動き出して捕球すると、体を左向きに反転させながら二塁へ投げる。
「アウト」
今度は良い送球が行った。受け取った京子は併殺を狙うも、一塁はセーフ。ツーアウト一、三塁と局面は変わる。
「ナイス昴ちゃん。よく二塁で刺したね!」
「ありがとうございます」
真裕は拍手を送って昴を称える。これで先ほどのエラーを少し挽回できた。
ただしまだピンチを凌いだわけではない。打席には二番の本山が立つ。その初球、バッテリーはカーブから入る。本山はバットの先に引っ掛けた。
平凡なゴロをきさらが前に出てきて捌くが、捕った位置はファールゾーンだった。
(タイミングがあんまり合ってないにも関わらず、初球から打ってきた。追い込まれる前に何とかしたいってことかな? それならもう一球カーブで行くか)
菜々花は本山の心中を悟り、続けてカーブを要求する。外角のボールゾーンへと曲がる投球となったが、本山はこれにも手を出してきた。
「ファール」
打球はバックネットに向かって転々とする。あっという間にツーストライク。こうなれば真裕にはスライダーがある。菜々花はもちろんそのサインを出した。
(スライダー……。普通ならそうなんだけど、今はそうじゃないんだよね)
ところが真裕は首を横に振る。これには菜々花もマスクの奥で静かに驚く。
(珍しいな。真裕がスライダーに首を振るなんて)
(今日の課題は真っ直ぐで空振りを奪うこと。カーブで追い込んだんだったら、最後は真っ直ぐで締めたい)
(……なるほど。じゃあ膝元の真っ直ぐで行こうか)
菜々花が改めてサインを出す。真裕は首を縦に動かすと、一塁ランナーに目をやってからセットポジションに入る。
(ここで抑えればチームは勝てる。私が勝たせるんだ!)
オレンジ色のグラブが日差しを集め、仄かに焦げた匂いを発する。真裕はそれを心地好く感じながら、三球目を投じた。
ストレートが本山の臍付近目掛けて直進する。緩急が効いているため、本山はどうしてもスイングが遅れた。それでも空振りはせず、バットから鈍い音が鳴る。
「ピッチ!」
一塁線上に今にも息絶えそうな弱いゴロが転がる。真裕はすかさずマウンドを降りて追い掛けた。対する本山も懸命に両腕を振って走る。
「真裕見送れ! ファールにしよう!」
一塁が際どいタイミングになると判断した菜々花は、真裕に捕らないよう促す。だがその声は真裕には届いていなかった。
(……私がチームを勝たせる。そのためにはこのゴロをアウトにしなきゃいけない!)
真裕は打球を素手で掴み、その流れのまま横手投げで送球を行う。最初は嵐の元へ真っ直ぐ向かっているように見えたが、次第に白線の外側に逸れていく。
「危な……」
本山との交錯を恐れた嵐はグラブを伸ばすことができず、ボールはライトの方へ抜ける。セカンドの昴がバックアップしたものの、三塁ランナーが生還。一塁ランナーも三塁まで進んだ。
(そんな……。同点になっちゃった)
真裕は一塁方向を見つめて唖然とする。インローを狙った三球目だったが、実際の投球は本山の腰の高さに行ってしまった。そのせいでバットに当てられたのだ。
更には守備も不味かった。間一髪のプレーだったため、送球が上手くいかなったことはどうしようもない。問題は、菜々花の指示を無視したことにある。
「真裕……。私の声、聞こえなかった?」
「……ごめん。アウトにしたくて、体が勝手に動いちゃった」
気遣わしそうに尋ねる菜々花に詫びを入れ、真裕は顔を顰める。すると唐突に居た堪れない気持ちになった彼女は、逃げるようにマウンドへと戻る。
(何やってるんだ……。私が崩れたら、このチームは終わりじゃないか!)
真裕はグラブで太腿を叩く。せっかくの先制点を守り切れず、自らへの苛立ちを隠せなかった。
See you next base……




