173rd BASE
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亀ヶ崎三度目のチャンスも、最後は超スローボールで抑えられてしまいました。
中々得点ができずもどかしい展開が続きます。
試合は三回裏に入る。この回も真裕は簡単に二人の打者を退け、九番の池下を左打席に迎えていた。彼女もワンボールツーストライクと追い込み、最後はインローへのストレートで仕留めに掛かる。
「ピッチャー!」
池下は何とかバットに当てるも、どん詰まりのピッチャーゴロとなる。真裕が冷静に処理してアウトにする。これで三回までが終わった。
更に四回、五回の攻防でも試合は動かない。亀ヶ崎は再三チャンスを作るもホームが遠く、教知に至っては一人のランナーも出せていなかった。
両チーム無得点で迎えた六回表、亀ヶ崎は六番の真裕から攻撃が始まる。残るはあと二イニングしか無く、ベンチにはそろそろ得点しなければならないという焦燥感が漂い出している。
(一点でも取れれば私が抑えるのに、その一点が入らない。なら私が打つしかないな)
真裕は自分が均衡を破ろうと息巻く。ピッチャーは前の回からサウスポーの金山に代わっている。
初球、金山がオーバーハンドから投じた内角のストレートを、真裕が捉える。腕を畳んだ綺麗なスイングで打ち返した打球は、鮮やかに三遊間を破った。
「ナイスバッティング!」
ベンチから拍手が送られる中、真裕は一塁へと到達する。今日は何人もランナーを出しているが、ノーアウトでの出塁はこれが初めて。確実にホームへ迎え入れたい。
打席には七番の栄輝が入る。ここまでは二打席連続三振と打球を前に飛ばすことすらできていない。ベンチからは送りバントのサインが出された。
(バントかあ……。苦手だからやりたくないんだよね。展開的に仕方無いんだけど)
どんな大打者でも、バントの指示が出る時はある。そして命じられた以上は得意でなくても遂行しなければならない。それがチームプレーであり、こういった場面できっちりとバントができる者こそ、隆浯の言う「勝てる選手」に該当してくる。即ちレギュラーになれるのだ。
一球目、栄輝は外のスライダーをバントする。しかし腰が引けて手だけでやっており、三塁側へのファールとなる。
(やっぱりできる気しないよ……。でもどうせ次もバントだよね)
栄輝はベンチの指示を仰ぐ。予想通り引き続きバントのサインが出された。二球目。今度は高めのボール気味のストレートだったが、栄輝はバットに当てる。
「キャッチ!」
東山の後方に小フライが上がった。彼女がマスクを取って追い掛けるも間に合わず、バックネットの手前に落ちる。
ただこれで二球連続バント失敗となり、栄輝は追い込まれる。スリーバントという選択肢もあるものの、今の栄輝では成功するとは思えない。隆浯も同じことを考えたのか、ひとまず次の一球は何の作戦も取らない。
(結局バントを決められなかった……。なら打つ方で挽回しなきゃ)
普段はマイペースな栄輝だが、この時ばかりは少し焦っていた。三球目、初球と同じようなスライダーに手を出す。
「サード」
平凡なゴロが三塁線上を転がる。捕球した赤池が二塁へ送球するも、その前にファールの判定が出ていた。ダブルプレーになりそうな打球だっただけに、栄輝としては九死に一生を得る。
(栄輝ちゃん、あんまり打てそうにないな。ここは私が足で揺さぶってみるか)
一塁ランナーの真裕は、苦しむ栄輝の姿を見て自らが何か仕掛けよう画策する。リードを取りながら頻りに腰や足を動かし、体を解しておく。
四球目はストレートがアウトコースに外れる。一目でボールと判断できる投球だったため、栄輝も簡単に見逃せた。
栄輝と真裕の二人がサインを伺う。ここも特に作戦は無し。ランエンドヒットなどを使おうと思うなら、並行カウントになるまで待つのが定石である。ただ真裕は既にもどかしさを感じていた。
(私はあんまり警戒されてないみたいだし、走っても大丈夫だと思うけど……。後手になる前に動くべきじゃないかな)
五球目、内角に来たスライダーを、栄輝が一塁側へファールにする。何とか食らい付いてはいるが、打てそうな雰囲気は感じられない。痺れを切らした真裕は仕掛ける決意を固める。
(ここでも牽制は無かった。投手だから動いてこないと思われてるのかな? 私だって京子ちゃんには及ばないけど、紗愛蘭ちゃんに張り合えるくらいの足はあるんだから)
真裕は腰を低くして爪先立ちをする。金山の足元を注視し、彼女が六球目の投球に入るのを見てスタートを切った。
「走った!」
「えっ?」
これには金山だけでなく、栄輝も驚きの声を上げる。投球はインハイへのストレート。栄輝は中途半端なスイングで空振りを喫する。
真裕は脇目も振らず二塁へ駆ける。東山の送球は久屋の胸元へ行くも、それ以上に真裕の走塁が勝った。
「セーフ」
栄輝は三振に倒れたものの、真裕が盗塁を成功させてワンナウトランナー二塁。バントで送ったのと同じ形になる。
(どんなもんだい。私だってこれくらいはできるんだから)
真裕は得意気に笑ってみせる。失敗してはいけない場面だが、彼女には京子と同様にグリーンライトの指示が出ているため、盗塁を試みることは何の問題も無い。しかも実際に成功させ、栄輝のバント失敗をカバーした。
これでもう何度目の得点機だろうか。今度こそ物にするべく、打席には嵐が立つ。
(真裕がノーサインで盗塁するなんて珍しいな。走塁ではあんまり冒険しないのに。それだけ勝ちたいってことか。その心意気は無駄にできないね)
嵐としても値千金のタイムリーを放ったとなれば、レギュラーの座が一気に近付く。その初球、臍の辺りに来たクロスファイヤーを、嵐は打ち返そうする。
しかしバットには当てられず。真裕には上手く打たれたものの、ストレートの威力はある。今の空振りも嵐は相当差し込まれていた。
(きっともう一球どこかで使ってくるだろうな。決め球か、あるいはカウントを稼ぐために続けてくるか。いずれにせよ今の私じゃバットに当てるのが精一杯だ。打つとしたら他の球しかない)
嵐は間合いの取りやすい外角に狙いを定める。ところが二球目、金山はもう一度内角のストレートを投じてきた。これには嵐も手が出ない。
「ストライクツー」
早々に追い込まれた嵐。このまま凡退するわけにはいかない。空振りは極力避けようと、バットを指一本分短く持つ。
(これは三球連続でクロスファイヤーも有り得るな……。でもそれを打とうと躍起になったところでどうにもならない。外の変化球が来るのをじっと待つんだ)
三球目、またもやインコースのストレートが続く。だがこれは金山が力んでしまい、低めに外れた。嵐は落ち着いて見送る。
(如何に自信のある球でも、全部が全部思い通りに投げ切れるわけじゃない。これで変化球を挟んでくる気がするぞ)
次の一球が勝負の分かれ目となりそうだ。嵐はバットを握り直し、唾を飲み込む。対する金山は二塁に牽制するジェスチャーして間を置いた後、改めてサイン交換を行いセットポジションに入る。両者の額には暑さと緊張感から流れる汗の雫が光っていた。
四球目、金山の左腕から放たれたのはスライダー。嵐が待っていた変化球だ。
See you next base……
WORD FILE.10:イーファス・ピッチ
いわゆるスローボールのこと。通常よりもゆっくりとした腕の振りから繰り出され、大きな山なりの軌道を描く。
1940年代のメジャーリーグにおいて、パイレーツのリップ・シーウェルが投げ始めたのが起源とされている。当時のチームメイトであるモーリス・バン・ローベイスがイーファス・ピッチと名付けたが、彼によれば“イーファス”に意味は無い。
日本でも極稀に使われるが、ストライクになることはほとんどない。軌道が山なりのため、キャッチャーミットに収まる時には外角低めに決まっていても、打者の前を通過する時は高いと判定されてしまうことが多い。




