164th BASE
お読みいただきありがとうございます。
四月中旬になっても寒い日が続きますね。
普通なら桜の見頃が終わると春の暖かさを感じられるのですが、今年はそれが無くて寂しいです。
舞泉は怒っていた。激しく荒ぶる感情が、帰途に着くため荷物を整理する手付きにも現れている。
(何で……。何で降りたんだよ真裕ちゃん)
優勝が決まった瞬間は喜びに浸ったが、それが落ち着くと果てしない空虚感に襲われた。理由はもちろん、真裕との対戦が不完全燃焼で終わったからだ。
(一対一の同点、私たちの対決も決着が付いていなかった。それなのに何で……)
舞泉は右手で掴んでいたユニフォームを強く握り締める。それを無造作に鞄の中へ詰め込むと、何かを思い立ったように勢い良く立ち上がり、早足で何処かへと歩いていってしまった。
真裕は奇妙な感覚に陥っていた。試合に負けて悔しかったはずなのに、いつの間にかその感情は消え、思い出せなくなってしまったのだ。
(あれ……? 私さっきまで皆と泣いてたよね。それなのにどうしてこんなに冷めてるんだろう?)
去年の夏大後は、自分の不甲斐なさに涙が止まらなかった。だが今回は驚くほど冷静になっている。帰り支度を整えている今も尚、自分の周りには号泣している者はいるが、それを見ても何の感情も湧かない。
まるで自分だけ別世界にいるようだ。居た堪れなくなった真裕は、その場から逃げ出すようにしてそそくさと何処かへと歩いていってしまった。
真裕がやってきたのは、スタンドへの入場口だった。目の前にある階段を上がると、バックネット裏の席へと繋がる。駐車場がレフトスタンドの後方にあり、球場スタッフやチームメイトは皆そちらへ移動しているため、ここにはほとんど人が来ないはずだ。
ところがふと、三塁側の方から足音が聞こえてくる。振り返って見た先では、舞泉が歩いてきていた。
「あ、舞泉ちゃん……」
「真裕ちゃん……!」
舞泉は真裕を見つけるや否や、走るのと変わらないくらいの勢いで歩み寄ってきた。その形相は鬼のように厳しく、真裕も一目で怒っていることが分かった。
「舞泉ちゃん、どうし……」
「どうして降りたの⁉ まだ試合は終わってなかったじゃん!」
真裕の言葉を遮り、舞泉は至近距離で怒号のようなものを上げる。真裕は訳も分からないまま体をびくつかせる。
「どうしてって言われても……。監督から交代の指示が出たし……」
「はあ? 監督の指示があったら簡単に降りたの? あれだけの投球をしていたのに?」
舞泉は怒りを増幅させる。もちろん監督が決めた以上は従わなければならない。しかし舞泉は、真裕が何の疑問や不満も持たずに交代したと思えたことに憤りを覚えた。
「私は真裕ちゃんとの対戦を楽しみにしてた。今年はマウンドに上がらせてもらえないから、野手として活躍するしかない。だから真裕ちゃんを打って優勝しようと思ってた。それなのに……」
迸る激情を抑えられず、舞泉は声を詰まらせる。呼吸は両肩が激しく上下するほどに荒くなり、全身が休む間も無く顫動している。その気迫に真裕は圧倒され、何も言えない。
「私との勝負も試合の勝敗も、何もかも中途半端なところで交代して、真裕ちゃんは何も思わなかったの? しかもその後で他のピッチャーが打たれて負けたんだよ。私だったら我慢できない。……そういうところが甘いんだよ」
舞泉の口調は少し和らいだが、それでも怒気を孕んでいる。真裕は何か言わなければと必死に返答を探すも、見つける前に舞泉が背を向けてしまう。
「こんなに後味の悪い試合は初めてだよ。勝つとか負けるとか、それ以前の問題だ。がっかりしたよ……」
そう捨て台詞を残し、舞泉は真裕の元から離れる。追いかけてくるなと背中で言っているかの如く、瞬く間に去っていった。
一人になった真裕は、一旦冷静になるべく深呼吸をする。それから舞泉に言われたことを少し思い返してみる。
(何もかも中途半端のまま……。確かに舞泉ちゃんとの勝負は微妙な感じで終わってたからもう一回対戦したかったし、試合自体も同点だった。だから少なくとも九回は投げたかったな)
九回表も自分が続投していればどうなっていたか。舞泉の四打席目はどうなっていたか。真裕の頭にはそんな想像が浮かぶ。すると先ほど芽生えた奇妙な感情が、朧気に正体を現し始めた。
(私だったら坂口さんにも小野さんにも、まともな勝負ができたはず。あの二人を塁に出さなければ、五点も取られることは間違いなく無かった)
真裕は九回表の出来事を思い出す。初め祥は制球が定まらず、ストライクを取りにいった球を狙い打たれた。
一点を争う状況、しかも決勝戦の延長ともなれば、絶対にやってはならないことだ。それを祥は二人連続でやってしまった。真裕であればそんなことはしなかっただろう。
(ただ祥ちゃんを責められない。あの緊張感の中で登板したら誰だって腕が振れなくなるし、ああなってしまっても不思議じゃない。だから代わらない方が良かったんじゃないかって感じちゃうんだ)
続いては舞泉の勝ち越しタイムリー。あの場面、祥は苦し紛れにストレートを選択するしかなかった。それではいくらコースが良くて球威があっても、舞泉相手には中々通用しない。結果的に右中間へと運ばれ、二人のランナーが生還した。
(私が投げていたとして抑えられたかどうかは分からない。でも私には祥ちゃんと違って決め球がある。三打席目だってヒットになったけど、捉えられたわけじゃなかった)
真裕のスライダーには舞泉も対応に四苦八苦していた。四度目の対決だとしても、抑えられる可能性は十二分にあったと言える。
以上のように、真裕が九回も投げ続けていれば試合展開はまた違ったものになっていただろう。それはつまり、優勝の行方も変わったかもしれないということだ。
(八回を終わった時も、体力的な問題は全く無かった。九回を投げても点を取られない自信があった。監督だって信頼してくれてたはず。……なのにどうして代えられたんだ!)
真裕は腸が煮えくり返る気持ちになる。奇妙な感情の正体は、とてつもない“怒り”だった。
投げられる状態であったのに降板させられた上、後を受けた投手が打ち込まれて負けた。そのことに納得が行かず、ただただ腹立たしい。エースの誇りは、深く傷付けられた。
(……こんなんじゃ駄目だ。真のエースというのは、決着が付くまで投げ抜くもの。私がそれをできるようにならない限り、日本一になんてなれない!)
真裕の心に悔しさが再燃する。ただしこれは負けた悔しさではなく、最後まで投げさせてもらえなかったことへの悔しさだ。
(私はもっと強くなる。誰にも打たれないだけじゃない。誰にもマウンドを譲らない投手になるんだ!)
真のエースとなってこの地に帰ってくる。真裕はそう新たな誓いを立て、仲間の元へと戻っていく。
そしてこの場からは誰もいなくなった。そのタイミングを見計らったかのように小さな竜巻が発生し、球場を吹き抜けた。
See you next base……




