129th BASE
お読みいただきありがとうございます。
ここ数日で急激に寒くなり、初雪が観測される地域も出てきました。
いよいよ冬本番ですね。
ベスガルの熱い戦いで、凍えた心を暖めていってください。
《六番サード、外羽さん》
杏玖の一打でも、エラーやバッテリーミスでも何でも良い。とにかく亀ヶ崎は点を挙げて追い付きたい。
(さっきも一球目からワイルドピッチがあった。少しでもスタートを早く切れるようにしておこう)
紗愛蘭もやや大きめにリードを取り、三塁から虎視眈々とホームを狙う。その初球、伊調は低めにスライダーを投じる。
「ボール」
投球はベースの奥でワンバウンド。紗愛蘭の足が動きかけたが、佐伊羅が前に弾いたことで止まる。
杏玖はバットを動かすことなくあっさりと見送った。緊張感はあるが、選球眼はしっかりしている。
(今のがスライダー? コースは悪くなかったし、最初に出てきた時よりもキレが落ちてるのかな)
二球目もスライダー。これは最初から最後までストライクゾーンを通っており、杏玖は打ちに出る。だがバットの下で引っ掛け、三塁側へのファールとなる。見極めはできても、捉えるのは難しい。
続く三球目、伊調は膝元へのストレートを投げる。杏玖はバットを振ろうとする素振りを見せるも、タイミングが合わず打ちにはいかない。
「ストライクツー」
忽ち杏玖は追い込まれる。バッテリーがテンポ良く投げているため、少々球質が落ちてもこうして有利なカウントをすんなり作れる。
(ここまで打てる球は来てない。私はできることをしてるわけだから気にするな。相手だって苦しいはずだし、じっくり戦えば良い)
杏玖は一回タイムを掛けて打席を外す。緊迫した場面だからこそ、こうして自分のための時間を作り、気持ちも頭も整理することが必要だ。
タイムが解けた後の四球目、伊調の投げたストレートが外角に来る。杏玖は強引に打ちにいかず、カットで逃げる。
(……そんな風にねちっこく来るなよ。同点のチャンスだから普通に打ってくれれば良いのに。けどこれができるからキャプテンなんだろうな)
ファールになった打球を見つつ、伊調は汗と雨が入り交じった額の水滴を拭う。バッテリーとしても早く終わらせたい気持ちはある。ただこちらも勝負を焦ってはいけない。
五球目はストレートが高めに外れる。六球目も同じ球種が続いたが、こちらは杏玖がファールを打つ。
「ナイスカット! どんどん付いていこう」
「ピッチャー勝ってるよ! 負けるな!」
両軍ベンチから大きな声援が飛ぶ。どちらもチーム一丸となってこのターニングポイントをモノにしたい。
「ファール」
七球目、八球目もファールが続く。一球一球息の詰まる瞬間の連続だが、杏玖も伊調も集中は途切れない。
(まだまだ粘っていくよ。どんどん来い)
(尽くバットに当ててくるな。ならとことん付き合ってやる)
九球目、伊調は真ん中からスライダーを曲げる。ボールゾーンまで落ちたが、これにも杏玖は付いていってファールにする。
もはや決着が付くのか怪しくなってきた。十球目、伊調はアウトロー一杯を目掛けて直球を投げ込む。
「ボール」
際どいコースだったものの、球審の手は挙がらない。杏玖としても確信を持って見送っていた。
これでフルカウント。杏玖も伊調も四球がちらつくが、その意識が強まれば自然と消極的になってしまう。なので二人とも頭から消し去り、これまでと同じ姿勢で臨む。
(フォアボールはただの結果。真っ直ぐでもスライダーでも、私は打つべき球に食らい付くだけだ)
(ストライクゾーンで勝負してたらいつまでも堂々巡りになる。ここは私の一番自信のあるボールで打ち取る!)
伊調は指先にロジンバッグを付けてからサイン交換を行う。何を投げるかはすぐに決まった。
十一球目。伊調の左腕から投じられたのは、これまで何回も空振りを取ってきた低めへのスライダーだった。杏玖はとにかく当てることだけを考えてバットを振る。
「こんにゃろ!」
右肩の下がった苦しいスイングになりながらも、杏玖は何とか打ち返す。右手を投げ出すようにしてフォロースルーをし、最後に打球を押し込む。
「セカン!」
小フライがセカンドとライトの中間に飛ぶ。伊調と佐伊羅は揃ってセカンドの恵比鶴に向かって声を上げた。
(私? 九ちゃんじゃ無理なのかな……)
恵比鶴は一瞬ライトの九重の位置を確認する。懸命に前進してきてはいるが、彼女が追い付くのは厳しそうだ。
(……ならしょうがない。私が捕る!)
タイミングを合わせてジャンプする恵比鶴。打球をグラブに引っ掛けることはできたが、掴み切れず彼女の後方にボールが零れる。
(落としてたまるか!)
恵比鶴は落とすまいと咄嗟に拾い上げる。しかしグラブに入る直前で、僅かにボールは地面に触れていた。
(おし! 同点だ!)
杏玖は一塁に達しようというところで拳を握り、紗愛蘭の生還を見届けようとする。ところがそこで事件が起きる。
「アウト! アウト!」
何と一塁塁審がアウトを宣告。恵比鶴がノーバウンドでキャッチしたと判断したのだ。
「はあ!? 違う違う! 落ちた! 落ちたじゃん!」
血相を変えて猛抗議する杏玖。地面を指差し、一塁塁審にフェアであることをアピールする。だがもちろん判定が変わることはなく、浦和明誠ナインはベンチへと引き揚げていく。
「絶対落ちてたって! 私見たもん!」
「ストップ杏玖! あんまり熱くなるな」
「何でだよ! 同点なんだぞ! こんなところで誤審なんて有り得ないだろ!」
一塁コーチャーが必死に宥めようとするが、杏玖の怒りは収まらない。慌てて隆浯が叫ぶようにして彼女を呼んだ。
「杏玖やめろ! 帰ってこい!」
「か、監督……。ちっ……」
これには杏玖も引き下がるしかない。大きな舌打ちをしてからベンチに戻る。
「杏玖、気持ちは分かるがあの態度は駄目だ。もう少しで退場になるところだったぞ」
「ですけどあれはほんとにフェアだったんです! 私はこの目でちゃんと見たんですよ」
「そうかもしれん。俺もお前を信じてる。だけどリプレー検証がされない以上、落ちたという証明はできない。だから判定を覆すだけの根拠が提示できないんだ」
杏玖の訴えに理解を示しながらも、隆浯は彼女を冷静な口調で諭そうとする。確かに杏玖の目にはボールが地面に落ちたように映った。しかし一塁塁審には落ちていないように見えた。誰の目を信じるかと問われれば、当然杏玖よりも一塁塁審の方が優先される。映像や写真などを振り返らないアマチュア野球ではこうするしかないのだ。
「仮にお前を失えばチームとしてはとんでもない痛手だ。理不尽だとは思うが、ここはぐっと堪えて、後のプレーに活かしてくれ」
「分かりました……」
杏玖は渋々ながら納得し、グラブを嵌めてサードの守備に就く。残念ながら同点とはならず。誤審と断言したくはないが、後味の悪過ぎる攻撃の終わり方となってしまった。
See you next base……




