117th BASE
お読みいただきありがとうございます。
夏大も三回戦までが終了し、気付けば次が準決勝です。
このまま亀ヶ崎が優勝するところが見られるのか?
私としても期待を膨らませています!
《おめでとう。ネットで見てたよ。あと二つだな》
《ありがとう! 椎葉君から力を貰えて勝てたよ。このまま優勝する!》
試合後。椎葉君に勝利報告をすると、すぐに返事が来た。避暑していた木の下、私は思わず口元を綻ばせる。
「真裕先輩、へらへらしてるんですか? 情けない顔して」
そこへやってきたのは春歌ちゃんだ。彼女はバットケースを背負い、既に帰り支度を整え終えている。
「あ、もう帰る時間? 急いで準備するね」
「いえ、まだですよ。とりあえずチームの荷物を監督の車に乗せてるだけです」
「そうなんだ。じゃあ私も手伝うよ」
「良いですよ。真裕先輩は完投してるんですから。休んでてください」
立ち上がろうとする私を春歌ちゃんが制す。ふと彼女の顔を見ると、心なしか妙に強ばっていた。
「ん? 春歌ちゃん、顔色悪くない?」
「え? 別に普通ですけど」
決して気怠そうではない。どちらかというと緊張しているという感じだ。
「そう? なら良いけど……。具合悪かったら早めに言うんだよ」
「分かってますよ。ここで倒れて優勝の瞬間に居合わせられないなんて嫌ですからね」
言動にはいつもの春歌ちゃんらしさが出ている。やはり私の思い過ごしだったか。
ともあれ私たちは三回戦に勝利した。明日は一日予備日を挟み、明後日から準決勝・決勝と連戦になる。
「失礼します」
夜。バッテリー陣が監督の部屋に集められた。話は当然、今後の投手起用についてだ。
両脇に優築さんら捕手陣が陣取り、私たち投手陣は中央に並ぶ。私の左には祥ちゃん、右には春歌ちゃんが座った。どちらも非常に表情が硬く、緊張感に挟まれた私の心臓も自ずと鼓動が速まる。全員が揃ったのを確認した監督は、早速話を始めた。
「話すことは決まってるし、さっさと終わらせようか。だがその前に、皆本当にここまでよく頑張ってくれている。ベンチからもとても頼もしく見えてるぞ」
うっすらと笑みを浮かべる監督。それに釣られて、私たちも相好を崩す。
「ここからはより厳しい戦いになるが、ピッチャーもキャッチャーも自信を持ってプレーしてほしい。今の君たちならどんな強敵でも立ち向かえるはずだ」
監督の言葉に、私たちは各々で頷く。部屋を覆っていた緊張感が、ゆっくりと和らいでいった。
「それでは本題に入ろう。今後の試合の先発だが、準決勝は春歌に任せようと思ってる」
皆が一斉に春歌ちゃんを見やる。春歌ちゃんは若干目を見開いた後、唇を真一文字に結んで「はい」とだけ返事をする。
「二回戦で登板した時、点差があったとはいえ四番相手に怯まず投げ込んでいた。その姿を見て先発で使いたいと思ったんだ。結果は気にしなくて良い。この前みたいに闘志を全面に出して、思い切りぶっかってこい」
「分かりました。ありがとうございます」
春歌ちゃんは力の籠った声で応答し、軽く会釈をする。監督からの熱い激励を確と受け止めたようだ。
「そして決勝は真裕に託す。頼んだぞ」
「はい! もちろんです」
待ってました! 私は心の中でそう叫び、春歌ちゃんとは対照的に勢い良く返事をする。監督はこれ以上何も言わなかったが、それが信頼の証だと思うと嬉しくなる。
「よし。では先発はこれで行こう。しかしこの二試合はブルペン総動員、スクランブル態勢で臨む。祥や美輝の力も当然必要になるだろう。序盤に交代ということも有り得る。だから常に準備は怠らないでくれ」
決勝は私が完封して胴上げ投手になる。……と言いたいところだが、そんな理想的にはいかないことも重々承知している。第一まず準決勝に勝たなければならないし、明日の展開次第では私も投げることになるかもしれない。前を見据え過ぎることなく、一歩一歩着実に進んでいこう。
次の日は全体練習を行わず、各々で試合に向けて調整することとなった。ここまで出突っ張りの野手の中には休養に充てる者がいる一方、リザーブの選手を中心に宿舎近くのグラウンドを利用して汗を流している。私もノースローではあったが、ジャージ姿で軽く体を動かす。
「カウントツーボールツーストライク、カットボール」
明日の先発に指名された春歌ちゃんはというと、ブルペンで投球練習を行っていた。イニングやカウントを細かく設定し、かなり本格的なピッチングとなっている。私はストレッチをしつつ、遠目から様子を見守っていた。
「春歌、そろそろ上がった方が良いんじゃない? 明日に響くよ」
「いえ、もう少し投げさせてください」
受けていた捕手が切り上げるよう促すも、春歌ちゃんは従おうとしない。球数は定かではないが、もうかなり長い時間投げているはずだ。
昨日は監督の部屋を出てからも、春歌ちゃんはずっと険しい顔付きをしていた。私たちが何回か話しかけても、表情が解れるところは見られず。闘う気持ちを作っていたのかもしれないが、何だか少し気負っていたようにも感じる。
「気になるの? 春歌のことが」
一緒にストレッチをしていた紗愛蘭ちゃんにそう尋ねられる。ここまで三試合ともフル出場を続けているが、何もしないのは嫌なのでと私に付き合ってくれている。
「うん。別に今更どうこう言うつもりはないんけど、ちょっと前日にしては張り切り過ぎというか、既に追い詰められているような気がしてね」
「なるほど。まあそりゃ気にならないわけないよね。はい、足開いて」
私は開脚し、息を吐きながら体を前に倒す。その後ろから紗愛蘭ちゃんが背中を押した。腰の筋肉が伸びるのと同時、股関節に痛気持ち良い感覚が走る。私は思わず声を漏らす。
「ふう……。もちろん気合いが入るのは良いことだと思うよ。ただ私も去年あったんだけど、夏大の先発マウンドって知らない内に自分を見失ってることがある。そうならないかどうしても心配なんだよね」
「確かに。春歌って凄く結果に拘るタイプだから、余計にね。それ自体はとても良いことだと思うけど、傍からだと異様な執着心があるように見える。どうしてそこまで拘るんだろう?」
紗愛蘭ちゃんが背中から手を離し、春歌ちゃんに目をやる。私も視線を同じ方向に向けた。春歌ちゃんは相も変わらず投げ続け、止める気配は感じられない。
「トラウマ……かな?」
ぽつりと呟く紗愛蘭ちゃん。片耳で拾った私は反射的に聞き返す。
「え? どゆこと?」
「多分春歌はさ、最初からあんな感じじゃなかったんだよ。過去に何かがあって、その影響で変わったんだと思う」
「その過去の何かが、トラウマになってるってこと?」
「うん。トラウマとまで言えるのかは分からないけど」
春歌ちゃんは以前、私のコンプレックスがあるのかという問いに動揺していた。紗愛蘭ちゃんの言うトラウマとはそれと重なる部分もあるのだろう。
でもきっと、トラウマがあることは悪いことじゃない。春歌ちゃんはそのトラウマを原動力に頑張っているのだから……。
何だかんだ言っても、春歌ちゃんならやってくれる。私はそう信じ、もう暫く彼女がミットを響かせるのを聞いていた。
See you next base……




