108th BASE
お読みいただきありがとうございます。
今年はどの台風も本州から逸れてくれていますね。
しかしこういう時は秋が深まった頃に突然直撃することがあります。
備えだけはしっかりしておきたいですね。
「頑張って投げてる祥に援護点をプレゼントするよ。ピンチを凌いだ流れを活かそう!」
「おー!」
杏玖を中心に円陣を組み、気合を入れた亀ヶ崎ナイン。その輪が解けると、祥は真裕の隣に陣取る。
「さっきはありがとう。真裕の言葉で吹っ切れられたよ」
祥は激励されたことを感謝する。だがそれに対し、真裕は何事もなかったかのように微笑みかけた。
「別にお礼を言われるようなことはしてないよ。私は伝令に行っただけ」
「そんなことないよ。真裕があそこで励ましてくれたから立ち直ることができたんだ」
「あれはただのきっかけ。祥ちゃんが自分で投げることを選択して、自分の力で抑えきったんだ。本当にナイスピッチングだったね。次の回も頼むよ!」
真裕は立てた左の親指を祥に見せる。彼女の言う通り、三回のピンチは紛れもなく祥が自身の力で抑えたのだ。一気に崩れてしまってもおかしくない状況から、よく持ち堪えた。
といっても、真裕が祥を奮い立たせたのも事実。では何故、彼女はあのような話をしたのだろうか。その理由は試合前に交わされた隆浯との会話にあった――。
――祥の投球練習を見終えてベンチに帰ってきた真裕に、隆浯が尋ねる。
「どうだった? 祥の様子は」
「調子は悪くないと思います。腕もそこそこ振れていました。本人は不安がってましたけど、そこは菜々花ちゃんが上手にリードしてくれるでしょう」
「そうか。なら良かった」
隆浯は腕組みをして頷く。すると今度は、真裕の方から一つ聞いてみた。
「あの、どうして今日は祥ちゃんを先発させたんですか?」
「どうして? あいつにそれだけの実力があると判断したからだが。不満なことでもあるのか?」
「いえ、そういうことじゃありません。祥ちゃんはこの一年でかなり成長しましたし、投げる実力は十分あると思います。私も祥ちゃんにはこの大会のどこかで投げてほしかったんです。けど美輝さんや春歌ちゃんもいる中で、敢えて祥ちゃんを先発に選んで理由があるのかなと思って……」
「ほお……。中々察しが良いじゃないか」
隙の無い笑みを浮かべる隆浯。胸の筋肉も同調して盛り上がったように見える。
「一番大きな理由は、江ノ藤は祥がイップスを克服するのに良い相手だと思ったんだ」
「江ノ藤がですが?」
「そうだ。江ノ藤にはあいつの苦手な左打者が多くいる。そういうチームに投げることは、必ず良い経験になるはずだ」
「それはそうでしょうけど、今回は夏大という大舞台です。もしもストライクが入らなくなって、以前みたいにパニックになったら……」
「……おそらくなるだろうな」
隆浯はきっぱりと断言した。小さく口を空けて眉を顰める傍ら、彼はこう続ける。
「今日は普段の練習試合とは比べものにならない緊張感がある。祥にとっては初めての夏大だし、しかも苦手な打線を相手ともなれば、間違いなく苦しい投球になるだろう。そこからイップスの症状が現れても何ら不思議じゃない。でもそれで良いんだ」
「え? それで良いんですか?」
普通ならイップスの症状が現れないようにするはずなのだが、隆浯の考えは違った。そこには彼なりのイップスに対する理論と、それに基づいた明確な狙いがあった。
「前にも言ったかもしれないが、イップスは祥が野球をやっている限りずっと付き纏う。即ちマウンドに上がる度にイップスの症状に襲われる可能性があるとういことだ。イップスを克服するというのは、その感覚を受け入れて、その感覚の中でも自我を保って投げ続けられるようになることだと俺は思ってる。あいつはこの一年で、少しずつそういうことができるようになってきた。だから今回は、より大きいプレッシャーの中でも投げられるようになってほしんだ」
「なるほど……。そういうことだったんですか」
「祥はどんなに苦しくても、どんなに辛くてもイップスに立ち向かってきた。その強さには本当に頭が下がる。だからあいつが投げたいと言うのなら、投手を続けたいと言うのなら、俺はマウンドに上がり続けられるようにサポートしてやりたい。あいつの抱いている目標を叶えるためにもな……」
話し終えた隆浯は、不意に遠い目をする。真裕はその姿がとても印象的だった――。
(あの場面、監督は祥ちゃんを降ろす気は無かった。祥ちゃんも自分から降りたいって言うことはないと分かってたから、私は祥ちゃんに自分で投げる選択をさせた。あれで立ち直れなかったらどうしようとも思ったけど、何にせよ上手くいって良かった)
祥の先発起用は、彼女の成長を促すためのもの。だからできるだけ長く投げさせたい。そんな隆浯の思いを汲み、真裕は三回表のマウンドであのような声掛けをしたのだった。
《三回裏、亀ヶ崎高校の攻撃は、一番ショート、陽田さん》
三回裏の亀ヶ崎の攻撃が始まる。京子が二回目の打席に臨む。
(前の回の投球を見る限り、向こうのピッチャーは立ち直ってきてる。味方も得点したから更に気合いを入れてくるはず。でももしかしたらそれが力みに繋がることもある。そこを狙いたい)
初球は低めのストレート。しかし鎌倉が狙い過ぎたのか、ワンバウンドの投球となる。
(いきなり叩きつけた。二回にはこんな球なかったのに。やっぱり力が入ってるのかもしれない)
二球目も鎌倉は直球を続ける。ただ外角に抜けてしまい、これも大きく外れた。
(フォアボールは絶対に出したくないはず。ストライクに入れてきたら打つ!)
三球目。鎌倉はまたもストレートを投げてきた。今度はアウトローのストライクゾーンに行く。バットを出しかけた京子だったが、難しいコースだったので我慢する。
(良い球だったな。けど次も甘い球が来る可能性は高いぞ)
京子は額の汗を拭い、集中し直す。続く四球目、鎌倉はスライダーを投じてきた。投球は外角から真ん中に入ってくる。京子は十分に引き付けてからコンパクトにスイングし、ショートの頭上に弾き返した。
「おお!」
鮮やか流し打ち。打球はレフト前に落ち、京子は一塁をオーバーランして止まる。京子が先頭打者として出塁した。ピンチの後にチャンスあり。初回の攻撃を再現できるか。
See you next base……




