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 一年の教室はA組からD組まですべて、必修クラブ用の展示用に使用されていた。 

 去年までは大抵、各委員会ごとに一部屋ずつ与えられていて、そこからみな準備をしたり指示を出したりしていたのだけれど、いろいろあって今は三階に追いやられていた。三年評議委員の人たちと健吾以外の評議委員は、時間の割り当てさえ守ればあとは特にすることもなく暇だった。

 私は一年B組の教室へ向かった。刺繍クラブの展示室だった。去年までは自分の教室だったはずのにすっかり記憶が薄れてしまっている。壁一杯に飾られているタペストリー、机を固めた島の中にちんまりと収まっているクッションや手提げ袋。ひとつひとつ眺めて行くと、みな欲しくなってしまう。ファンシーショップで選んでいる時と同じ気分だった。

「ハルのが一番、すっごく目だってるね」

 隣で風見さんがささやいた。私の作品まん前で、人差し指を突き刺すようにして頷いている。机がわから振り返ってみた。マッシュルームカットが全くはねずに整っている風見さんの髪。つるんとすべりそうなほどに光っていた。

「だってこれ、キットになっているのをそのまま刺しただけだし」

「でもこんなに細かく色を変えてこしらえるなんて、ハルみたいに根気がなかったら続かないよね。一番私、好きだよ」

 クロスステッチ用の刺繍布は、たてと横交互に織られていて、近くで見ると市松格子に似ている。男の子と女の子が手をつないで、ハート型の枠に収まった結婚式風のものだった。淡い桜色の刺繍布にそのまんま×で刺していっただけだった。たぶん、誰でもできると思う。夏休みと必修クラブの時間をたっぷり使って完成させたタペストリーだった。飾ることも考えて、四方の布端から横糸を抜いて、フリンジっぽく仕上げた。これは私のオリジナル。気に入っている。

「ありがとう、風見さんのも好きよ」

「ああ、あれね。私もハルみたいな感じで刺したかったんだけどね。時間オーバーしちゃったんだ」

 きのこちゃんと言いたくなるような髪を崩さず揺らし、風見さんは私の隣に並んだ。机には「2D 風見百合子」と名札が置かれている。ちゃんとお上品に、ランチョンマットとコースターが並んでいた。

「もっと色をたくさん使って、ハルみたいな可愛いものにしたかったんだけど。やり直しばっかりで結局ブルーにしちゃったんだ」

 小花模様が四隅に施されていて、途中に螺旋っぽいラインで繋がれている。深い水色に白の刺繍布。「ロイヤルコペンハーゲン」だったかな。確かそういう有名な食器があって、その柄に似ていた。地味って言うけど、可愛いと思う。そう伝えると、

「先生にも言われた。北欧風ですねって。でも私は、思いっきり明るいアメリカムードが好きなんだけどね」

 また私の作品に向かった。壁につるされているせいか、自分の刺した作品でないみたいだった。時折光が入ってきて、刺繍布が白っぽく見える。

 誉め殺しじゃないかって思うくらい風見さんは私の作品を絶賛した後、次に他のクラブ員たちが刺した作品を批評していった。「感想」ではなく、「批評」だった。それも「毒舌」の。

「いっちゃなんだけど、なんでみんなやたらとテディベアにこだわるんだろうねえ。それにこれも、なんだか手は込んでるんだろうけど、見てて目が痛くなりそうな幾何学模様、こういうの私大嫌い! それよりもみんな、観ていてほっとするものがいいのにね」

「テディベアは私、嫌いじゃない……」

「ハルはいいのよ。ハルはいつも、明るい色合い選ぶでしょ。刺繍キットって言っても、こういう風にふわっと明るい、見ても刺しても幸せな気持ちになれそうなのを選ぶよね。でも、これなんでなんで好き好んで『モナリザ』刺したがるわけ? こんな陰気な絵、見たって嬉しくならないよ。百歩譲って原画はいいかもしれないよ。でも、クロスステッチでこんなのこしらえてもいやあな気持ちになるだけじゃない。ほら、これだって……」

 風見さんの好みはなんとなく私も似てるなって思った。

 私も、モナリザや渦巻きや、猫のしましま模様っぽいものとか、あまり選びたくない。

 いくら「大人っぽくて上品」と言われても、なんか抵抗がある。

 頷きながら一通り、風見さんの厳しい批評を聞き終えた後、私は時刻を確認した。

 今日は評議委員会の手伝いがない日だから、大丈夫。

「少し、お茶飲まない?」

「待ってました!」

 細い目で微笑んだ風見さん。私の手を取るとすぐ、「お茶場」と呼ばれる家庭科室へと向かった。一階で奥まった部屋だけど、大抵の人たちはここか、大学の学食かのどちらかで休んでいるはずだった。一部の生徒を除いては。


「ハルは何にする?」

「うん、紅茶がいいな」

 ポップコーンが入っていそうな大きい入れ物にたっぷりアイスティーを注ぎ、風見さんは座っている私に持ってきてくれた。自分用にはサイダーを選んだみたいだ。喉が渇いてしまったせいか、ストローでぐいぐい飲める。他の生徒たちがちらちらと私たちを見ているのにすぐ気付いたけれども、風見さんが全く気にしていない様子なので私もそうした。

「風見さん、今日は他の友だちと一緒に見て歩かないの?」

「うん、みんな生徒会に行っちゃってるし、いつもつるむ必要もないしね」

「そうなんだ、生徒会なんだ」

「ハルもきっと忙しいんだろうなあって思ってたんだけどね、でも誘ってよかった」

 またにっこりと笑う風見さんは、なんとなく小人のお姫様っぽく見えた。

 私の目の高さくらいの背丈で、もしかしたら下級生に見えるかもしれない。切れ長のまなざしも、おちょぼ口もそれほどきつそうには見えない。毒舌批評家な部分を見せなければ、日本人形っぽくて可愛いのになって思う。

「風見さんは委員会に入ってないの?」

「うん、最初っから考えてなかったし」

 投げ出すように答えた。聞いちゃいけないこと、聞いちゃったんだろうか?

「もし入るとしたら評議委員会だったけどね、なんだかちょっとね」

 言葉を濁した。もちろん青大附中内の委員会事情は重々わかりきったことなので私もそれ以上問わないでおいた。

「でも、ハルはえらいよね。途中から参加して、ちゃんと実績あげてるんだもんね」

「そんな、たいしたことないわ」

「だってすごいよね。あんな酷いことした人をちゃんと、宿泊研修に参加させてあげて、文句言わせないようにきっちり最後までまとめたんだもん。女子でそこまでできる子って、いないと思うなあ。私の友だちもみんな言ってたよ。佐賀さんってすごいねって」

「ありがとう」

 露骨に否定するとかえって風見さんを傷つけてしまう。だから素直に受け取った。

 実際、その通りではあったのだから。

「でも、ハルも今日はのんびりしてられるよね」

「うん、でも何もすることないのも、淋しいわ」

 正直なところ、評議委員会でもっと仕事をもらえるのかと楽しみにしていたんだけど、健吾たちや先輩たちにすべて取られてしまった。あまり強く言うのもなんなのですぐに出てきたけれども、私だったらもっと上手にお手伝いできたのに、そう思うところもある。

「学校祭って委員会に入ってる人にとっては面白いけど、私にとっては正直、なんだかなって気がするなあ。だって、こうやってハルが今日付き合ってくれなかったら、私ひとりなんだもん。つまんない」

 なんでだろう。やたらと風見さんは、「ハル」と私を呼び捨てにする。

 今までいろいろと呼ばれてきたけど「ハル」なんて初めてだ。

「でも、風見さんにはクラスの女子かいるでしょ。それに生徒会の」

 言いかけたところでまた、マッシュルームの頭がぶんぶん揺れた。

「違うって。もちろん友だちはいるよ。でもみんな、それぞれ行きたいところがあるし、私もしたいことがあったしね」

「したいこと?」

「まあいろいろとね」

 ずずっと音がする。風見さんがもう、サイダーを飲み干したらしい。紙コップの中の氷をつついていた。

「でもほんっと、今回は先生たちよくぞやったって誉めてあげてもいいかも」

「何を?」 

 いきなりなんだろう? 先生たちを誉める? 風見さんはいつも、先生たちに対しても容赦なくこき下ろす人だ。珍しく認めるなんて、いったいなんだろう。

「だってね、私たちがお茶する場所をちゃーんと用意した上でね、三階の特別喫茶を設置するってのが、うまいよね。誰も文句言えないよね」

「ええ?」

 戸惑った。三階には確かに特別喫茶が設置されている。最奥の音楽室を利用する形で、お茶と珈琲、それとお菓子クラブの生徒たちがこしらえたケーキを用意する場所がある。もちろんその辺に関する事情は健吾を通じてすべて知っているけれど、まさか風見さんも聞いているのだろうか。用心深く探りを入れた。

「三階の喫茶よね、うん、知ってるけど」

「生徒会の子から聞いたけど、あそこの運営を任された生徒さんたちって、E組の人たちと聞いてるんだけど、ハルもその辺は知ってるよね」

「〜よね」と言われて、頷くしかない。やはり、かなり深いことを知っていると見た。

 だってE組、の名を出すんだもの。

「さっき、クラスの子が偵察に行って紅茶飲んできたらしいんだけどね、味は本格派だって。美味しいんだけど、それ以上に何かもやっとするものがあって、もう二度と近寄らないって誓ったって話してたよ」

「混んでるのかしら?」

 今、私たちがいる「お茶場」もかなり席が密集している。たまたまふたりだから相席にならないですんでいるけど、ひとりで立ち寄った人たちは大抵「一緒に座ってくださーい」と半強引に勧められている。

「一応ね。来る人がもう決まりきってるみたいなんだ。ほら、三年の女子先輩でいたでしょ。クラスの男子に振られてしつこく追い掛け回して、結局口が利けなくなってしまったっていう自業自得の人いるじゃない。あの人がひとりでウエートレス役してるみたいなんだ。あの人の友だち関係とか、あと学校の来賓関係とか、父母とか。とにかくE組がらみの人たちの溜まり場っぽいらしいの。まあね、珈琲も紅茶も本格派だったら、普通はそこに行くよね。チケットだってこことそう変わらないんだし。でもね、やっぱり、私、お茶を飲むって『雰囲気』が大切だと思うんだ」

 雰囲気、か。だんだん意味が伝わってきた。

 たぶん、そういう感じだ。

「大人っぽい感じも悪いとは言わないけど、やっぱり私はハルとこうやっている方がいいよね。お茶を淹れている人の気持ちが伝わってくるところは選びたいもんね」

「きっと、美味しいとは思うんだけどな」

 私はすべてを了解した。風見さんの眼を見つめて、ゆっくりと答えた。

「梨南ちゃんは、お茶の淹れ方に関しては、厳しいから」


 梨南ちゃんが現在、一部の授業以外をE組で過ごしていることを、きっと風見さんは知っているはずだった。そして、本来だったら宿泊研修も別にする予定だったってことも風の噂で聞いていたに違いない。私は確認していないけれども、あれだけ去年の事件が派手だったことを考えれば、納得できないこともない。

 さっき風間さんは私に、「宿泊研修に参加させてあげて」と褒め称えてくれた。

 これは全く嘘ではない。

 本当だったら梨南ちゃんは、2Bの宿泊研修に参加しないはずだったのだ。担任の桧山先生も了解していたようだし、梨南ちゃん本人が私と顔を合わせたくなかったらしくて、とのことだった。

 それを健吾が小耳にはさんできて、私に尋ねたのだった。

「あの女を露骨に無視した形で、宿泊研修を終わらせるべきだと思うか?」と。

 正直なところ、梨南ちゃんを一切無視した形でもって準備をすすめてきたし、抵抗がないわけではなかった。一瞬だけ迷った。でも、私はすでに2Bの評議委員だ。全く関係のないクラスメイトだったらそれでもいいけれども、評議委員の立場できっちりと判断しなくちゃって、そう思った。だから、

「いいわ。私も梨南ちゃんの扱い方、わきまえてるもの」

 笑顔で答えた。実際、その通り、うまく二泊三日の旅行が終わったのだし、梨南ちゃん以外の女子からも私を評価してもらえたし、実際大成功だと思っている。梨南ちゃんは旅行中最低限の口しか利かなかった。できるだけ浮かないようにと思って、2Bで少し、ずれ気味の女子グループに混ぜてあげたのが一番の成功原因だと思う。とりあえずは一人ぼっちにならないですんだだけでも、よかったのではないだろうか。

 健吾にも後で、思いっきり頭を撫でてもらった。その後でぎゅっとされたのだけは余計だったけど。

 でも、風間さんに知られているってことは、他の女子たちにもそうなんだろうな。

 なんだか、私のことを買いかぶられていそうで、ちょっぴり怖い。


「私の情報はみんな、生徒会ルートで流れてきていることだからね。間違ってたら注意して」

 風間さんは紙コップを机に置いたまま、指を折りながら話し始めた。まだ私の紅茶が残っているので、混んでても追い立てられないですむ。

「はっきり言って学年一番のガンって言われている子いるでしょ。あの子がまた、評議委員会に茶々入れようもんならたいへんなことになるってみんな思ってたらしくって、先生たちが先に動いたんだって聞いたよ。先生たちが、E組の問題児二人に、特別喫茶店の運営を任せて、究極の紅茶と珈琲を用意させて、自己満足させようとしたらしいってこと。だよね?」

 私は首をかしげたまま動かずにいた。うっかり誤解を招くことは、まだ避けたい。

「E組担当の駒方先生が中心になって、どんどん準備を進めて、テーブルクロスからお茶の淹れ方から飾り付けから、みんなあの二人にやらせたらしいよね。ふたりでもできることだろうし、なんでも刺繍はあの子が全部やったんだって? 幾何学の気持ち悪い刺繍で。黄色の糸でね」

 ああ、大体わかるような気がした。梨南ちゃんの好きな柄は、ルノワールの絵画か、あとは同じ柄が繰り返されている幾何学模様だった。風間さんの好みとは全く異なるはずだ。

「結局それで時間を食ったから、ふたりが評議委員会関連に手を伸ばすことがなくて、しかもここの運営は例のふたりと駒方先生、あとたまに狩野先生がいるだけ。だから二人が他の場所に顔を出す可能性も少ないってことよ。ある意味、監禁よね」

 すごいこと言ってるけど、でも外れてはいない。

 生徒会を通してそこまで情報が流れているなんて、侮れない。

「ハル、ほんとよかったよね。これであの子としばらく顔合わせなくてもいいね」

 私はしばらくうつむくことにした。話を逸らした。

 うっかり本当のことを口にしてはいけない。言葉少なく過ごすのが、今の私にとって一番の盾。


 厳密に言うと、梨南ちゃんと西月先輩を三階音楽室内喫茶店に閉じ込める計画を立てたのは、三年男子評議委員の先輩たちだった。私は健吾からそのあたりを聞かせてもらったけれども、ある程度は想像で補っているところがある。

「しゃあねえだろ、立村さんがあいつのことを面倒見てるのは趣味なんだ」

 健吾はあきれ果てた風に、舌打ちしながら私に話していたっけ。

「つまり、あいつらをな。立村さんがまたなんか引きずりこむんでないかって三年評議が騒いでてな。立村さんには内緒で、先生たちに話を通したらしいんだ。E組メンバーをなんとかしてくれってさ」

 意外に見えるけど、正しい判断だと私は思う。

 公私混同なんてよくないって私も思うから。

「駒方先生も即、了解したんだ」

 最初からその辺は考えていたんじゃないかな。きっと駒方先生も、梨南ちゃんがやりたがっていることを他人の迷惑にならないようやらせたかったんじゃないかな。その辺と、三年の先輩たちとの意志が重なったってわけなんだもの。うまくいったんじゃないかって私は思う。

「けど隠し事するってのは俺もどうも気に入らねえ。だからちゃんと天羽さんたちにも言ったんだ。立村さんに話通してからにしろって。一応俺も、来年は評議委員長なんだしな。ここでがちっと間違ってることは間違ってるって言わねえと」

「でも、立村先輩は怒らなかったの?」

 健吾は鼻の下を手の甲でこすった。

「俺は見てねえけど、天羽さんたちが言うにはそりゃあもう、すごい剣幕だったらしい。けど、結局は納得したみたいだな。なんだかんだ言って、時間あればE組連中の喫茶の準備手伝おうとしてたしな。もっとも、評議委員会主催のクイズ大会や水鳥中学との交流会第二弾準備で忙しくてたいしたことはできなかったらしいけどなあ」

 ふうん、なるほど。私はあまり口にしなかった。健吾には言葉を選ばなくてはならない。ずっと幼馴染でいたゆえに、そのあたりはすでに読み込み済みだった。

 

 青大附中の学校祭は、主に来年受験予定の小学生および親子、また他の学校から来る生徒会関係の交流会も兼ねていた。今年は特に、水鳥中学との交流会が一学期中に行われたこともあって、だいぶそのあたりが盛り上がっているとは聞いていた。もっとも接待する役は大抵が生徒会で、評議委員会の出番は現・次期の委員長のみだという話だった。

 だからか。

 たぶん、立村先輩は、梨南ちゃんをそこらへんでからめたかったのではないだろうか。

 私でもそのくらい見当がつくのだから、三年の先輩たちがぴんとこないはずがない。

 完全に梨南ちゃんを評議から引き離すと口先では言っておきながら、何かあるとすぐに「杉本、ちょっと来てくれ」と声をかける立村先輩。どうしてなのかも、きっとある程度周囲の人たちは勘付いているに違いない。

 ひそかに「影の評議委員長」と噂されている3Aの天羽先輩が仕切ったとすれば、頷けなくもない。やっぱり、立村先輩と梨南ちゃんとの関係は、誰の目にも明らかだろう。今一応、立村先輩は同じ評議の清坂先輩と付き合っているけれども、梨南ちゃんがもう少し積極的にがんばればすぐに陥落するに決まっている。これも、私だけではない、他の人たちみな同意することだと思うのだ。


「あのね、風見さん」

「ドリって呼んでよ」

 追加注文したドーナツ五個入り袋を、風見さんが広げた。チョコのかかった固めのドーナツをほおばりながら、細目の笑顔を満開にさせて。

「私と仲いい子ってみんな『ドリ』って呼ぶんだ。むかつく奴から言われたら無視するけど、ハルには絶対、『ドリ』って呼んでほしいな。いい? これからは『ドリ』だからね!」

 なんで「風見百合子」が「ドリ」なんだろう?

 由来が意味不明だったけど、マッシュルームから覗く目がちょっと怖かったので、ここは縦に大きく頷いておいた。「ドリ」と舌に乗せようとして、ためらってしまった。

「でもどうして、『ドリ』なの?」

 両肘ついて、拳骨の上にあごをちょこんと乗せた。佐川さんを思い出した。細い目がいきなりまん丸くなると、さらに似ている。

「私、小学一年の時、クラスのお楽しみ会で漫才ごっこやったんだ。その時にね、芸名付けたんだけどね」

 両腕をがばっと広げた。私は加えているストローを思いっきり噛んだ。

「『かざみどりゆりこでございます!』ってね、名乗りを挙げたら大受けだったわけ。それ以来、『風見鶏』から苗字をはずして「ドリ」になったってわけ。これ、親友にしか教えない秘密なんだよ。ね、ハル、これから私のことを『風見さん』なんて呼んだら、返事しないぞ!」

 正直、困ったなって気が、しなくもなかった。

 だって、親友って。

 ──怖い。

「ほら、ハル、呼んで見てよ。『ドリ』って」

 仕方なく私は首を寝かせたまま、舌を震わせた。

「うん、『ドリ』、ドーナツふたっつわけしよっか」

 風見さん……やっぱり私の中ではまだ、苗字で呼びたい気分だった。

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