13
13
土曜の朝に、生徒会役員候補者名が告示された。
すでに私と健吾、梨南ちゃんと立村先輩を含めた激しいやりとりは、二年B組のクラスメートたちにも知れ渡っていたようだ。もともと女子たちは私から一歩か二歩距離をおいているし、男子たちも健吾が怖いのかあまり近づいてこない。噂話を固まってしているのはわかるけど、私に直接尋ねてくる人は誰もいなかった。
担任の桧山先生も、朝礼時にいきなり私を名指しして、
「佐賀、よく選んだな。えらいぞ」
誉めてくれた。もともと男尊女卑っぽいところのある先生だ。特に梨南ちゃんのようにプライドが高い女子は大嫌い。梨南ちゃんが評議委員から引き摺り下ろされ、唯一可能性のあった保健委員の路も閉ざされ、最後にはE組へ島流しにされたのも、いわばこの先生の意志が強かったと聞いている。普通だったらPTAから非難ごうごうになりそうなのだけど、あっさり流されたのは、やはり梨南ちゃんが普通でなかったからだろう。
桧山先生にとって私は「女子」の枠に入らないのだろうか。
黙って話を聞くことに専念した。女子たちから流れる冷たい空気をあえて耳元で遮断した。
「今まで生徒会は先生たちが裏で手を回して、無理やり立候補させるのが常だった。ところが今年は全員、自分の意志でやりたいということで全員役員席が埋まった。これは本当にすごいことだ。本当だぞ、佐賀。本来佐賀は、自分の意志でどんどん行動してよい人間だったんだが、小学校時代からいろいろと邪魔されて結局、力を発揮できずにいた」
梨南ちゃんのことを当てこすっていると誰でもわかる。女子たちも何も言わない。男子たちがひそひそと「だよな」「あれな」とささやいている。
「そういう佐賀が、二年以降自分自身の正しいと思うことを、正々堂々と行うことができるようになり、見違えるように強くなったのが俺はたまらなく嬉しいぞ。新井林、そうだろう」
隣の健吾はしかたなさそうに頷いた。朝、「おはよう」とだけ言ったっきり、話していない。なんだか、昨日のことを思い出すと恥ずかしくて、うまく言えない。
「とにかく、新井林、お前がいざという時支えてやるんだぞ。そういうポジションにいるだろ?」
意味ありげに笑う桧山先生。逆らうとまたぴしゃっとやられるだろう。女子には手加減しない。私に対してはひいきに近いくらいやさしくしてくれるけど、一度梨南ちゃんに味方したことのある女子たちには遠慮しない。すでに反省の色が見えているけれども、「一度犯した罪は消えない」とばかりに厳しく当たっている。私からすると少しやりすぎのように見えるけども。
「男として、やることが、あるだろう?」
もう一度健吾は頷いた。私を横目でちらっと見て、またノートにぐちゃぐちゃと悪戯書きをしはじめた。私には読めない文字だった。
台風が去った後の秋晴れ、夏に近い太陽が窓からのぞいた。
こんなに暖かい秋の日は久々だった。汗ばむくらいだった。
健吾が今、何を考えているのかわからない。雨の中、痛いくらい抱きしめられ、それでも雨でびしょびしょになりながら歩いたことを私は思い出していた。あの時何を話したのか、私がいなくなったあと生徒会室で何が起こったのか、それすらも聞いていない。
──後期評議委員長を奪う、ってどういうこと?
尋ね返すべきか迷ったけど、黙っておくことにした。
たぶん、健吾にとっても私にとっても、それが一番正しいと思えたからだった。
四時間目後、健吾はこれから部活があるはずだ。話をこれ以上しないですむ。
「先に帰るわね」
「言うことはねえのかよ」
他のクラスメートたちが私たちを興味しんしんの目つきで見つめていた。こんなところでまたひっぱたかれるようなことされたくないし、私も説明をきちんとする自信がない。
「またあとで、ふたりの時に話したいの」
どう受け取ったかはわからないけど、健吾はあっさり納得したようだった。
「あとで電話するからな。家にいろよ」
「うん」
ひそひそ声なんてどうでもいい。廊下をすれ違う他クラスの生徒たちの視線も無視した。
私は一呼吸した後、渋谷さんのいる教室へと向かった。
どうしても、早く話さなくちゃいけない人がいる。
どうしても、風見さんよりもきっちりと、話をつけておかねばならない人がいる。
役員選挙は来週の金曜六時間目を予定しているという。それまでに私は立会演説用の原稿をこしらえなくてはならないし、私なりの理念のようなものも考えねばならない。昨日、発作的に立候補してしまい、信任当選が確定している私であっても、会長としてやるべきことを考えなくてはならなかった。
最初、生徒会に誘ってくれたのは渋谷さんの方だ。去年の経験ももちろんあるだろうし、きっと教えてくれると思う。ただ、本来渋谷さんが望んでいたであろう路を断ってしまった私を、彼女は許してくれるだろうか。
風見さんは、「ナミーは書記の方がいい」「霧島くんより下の役職についたほうがいい」と言っていたけど、渋谷さんは不本意に決まっている。あの時、私が立候補する以外に梨南ちゃんを追い出す方法はなかったと言い訳しても、やはり難しいだろう。
でも、どちらにしても、早く決着をつけておかねばなるまい。
私が会長で、渋谷さんが書記。一緒に一年間、生徒会室で同じ空気を吸う仲間として。
「渋谷さん」
私の方を見て、一度どっきりした風に口を尖らせた。すぐに笑顔をこしらえた。
「もう、帰るの?」
「ええ、渋谷さんは、これから生徒会室?」
あえて何も考えていない風に私は振舞った。心臓がどきどきしているけど、そんなの見せないようにしなくちゃ。気付いていないのか、渋谷さんは首を振った。ヘアバンドがやはりきっちりと決まっていた。
「改選まで生徒会室に入ってはいけない決まりになっているのよ。不正があるといけないからという理由でね。だから来週までは近寄れないわ」
そうだったのか。私は知らなかった。聞いてよかった。
「そうなの、それならこれから、時間ある?」
腕時計をちらっと見た後、渋谷さんは私を用心深く見つめ返した。
「大学の学食で、もしよかったら一緒にごはん食べていかない?」
明らかにどきんとした表情だったけど、すぐに自然な笑顔を見せてくれた。
「そうね、心配なことあったら、相談に乗るわ」
私が考えていることを一切気付いていない証拠かもしれなかった。
何事もなかったかのように、大学食堂に到着するまでの間、私たちは関係のないことばかり話しつづけていた。互いに今何を考えているか、知りたい気持ちは見え隠れしている。でも、ここでうっかり口を滑らせたらまずいと、本能でささやきかけてくるものがあった。どこから湧いてくるのかわからないけれども、とにかく心を読まれないようにしなくちゃ、そう用心していた。
「渋谷さん、ぬいぐるみ好きなの?」
テディベアのぬいぐるみを抱きしめて、「うわあ、可愛い!」そう呟いていた姿を思い出し、話を次いだ。髪の毛を耳にひっかけるようにして、優等生顔で渋谷さんは答えた。
「ええ、でもああいうのって子どもっぽ過ぎるから、見るだけにしているの」
「そうなんだ」
「中学生でそんなの赤ちゃんっぽすぎるでしょう」
そうなんだろうか。首を傾げたくなった。あの時、ちらと見ただけだけど、渋谷さんは本当に大好きなものを見つけたって顔をしていた。赤ちゃんっぽすぎる、って誰が決めたのだろうか。
「私も好きよ。食事終わったらまた観にいかない?」
おねだりする風に持ち出してみると、渋谷さんはたちまち楽しげに、
「いいわよ、佐賀さんってぬいぐるみとか好きなの?」
背をぴんと伸ばし、微笑んだ。
たぶん風見さんが渋谷さんに対して話したことはほとんどが本当のことだろう。
なんとなくそう感じていた。
家でも、教室でも、その違和感が抜けずに頭を悩ませていたのだけど、こうやって直接渋谷さんと言葉を交わしてみると、裏に隠しているらしきものが見えてくる。
渋谷さんがこうやってぬいぐるみの話に、一歩高いところから見下ろすような態度を見せるのもそうだろう。ぬいぐるみの好みは人それぞれだし、年齢で分けられるようなものでもない。もしテディベア大好きな子が渋谷さんの言葉を耳にしたら、傷つくかもしれない。そこが風見さんの言うところの「ナミーの冷たさ」なんだろう。
でもどうして、そんな風にしなくてはならないんだろう。
風見さんは渋谷さんのおうちの事情と話していたけれども。
「長」にならないとばかにされる家の事情ってなんだろう。
大学学食に中学生はそれほどいなかった。いつもだと委員会関係の人たちが時間をつぶすために集まっていることもある。私も何度か二年生評議の集まりに参加したことがある。なによりも時々健吾に連れられてふたりきりでラーメンを食べたこともある。でもあまりなじみがある場所ではなかった。
「あまりいないのね」
「よかった」
渋谷さんは私に「え?」とびっくりした風な瞳を向けた。
「あそこのふたり席空いてるわ。席とってくるわね」
広い多数がけのテーブルは、ほとんどが大学生の人たちで埋まっていた。大学生はたいていがトレーナーとジーンズ姿だったのですぐに見分けがついた。文句言われそうなのですみっこを選ぶのは、中学生としての世の習いだった。おにぎりとジュースを買って私は席に戻った。渋谷さんも同じくたらこのおにぎりを一個買って席についた。女子だし、あまりたくさん食べるつもりはなかった。
「渋谷さん、あのね」
おにぎりを半分に割り、ひとつぶずつお米を口に入れながら、私は切り出すタイミングを計った。うちの弟の話とか、髪形の話とか、女子っぽい話がなかなか途切れなかった。
思い切っていくしかない。
「昨日、風見さんから聞いたの」
すべて喉に流し込んだ後、私は口を切った。
「小学校の時のこと、教えてもらったの」
驚きは見せなかった代わり、渋谷さんは無表情に私を見つめかえした。それだけで十分、動揺のしるしだと思った。
「昨日、私、新井林くんにはたかれて泣いちゃったでしょう。かっとなるといつもああなの。だからつい、がまんできなくてごめんなさい」
「でも男子が暴力をふるうなんて最低よ」
健吾の悪口に持っていかれたくないので、私は素早く主導権を握った。
「それで風見さん、心配してくれて、いろいろ話してくれたのよ」
「そうなの、またあの子のことだから、大げさにいろんなことしゃべったんでしょうね」
まただ。やはり風見さんを見下すような言い方だ。注意せよ。自分にささやく。
「ううん、悪口は言ってなかったわ」
また風見さんを肴にした悪口の応酬になりそうだった。気を付けなくちゃ。なんとなくそう思った。
「たぶん事実関係は全部聞かせてもらったと思うのだけど」
「そう、全部?」
少し気が立っているような返事が返ってきた。ほんのわずかだけ。
「きっと風見さん、渋谷さんのことが大好きなのね。本当の親友だと思っているんだなって」
「そう思わせるようにしているから当然じゃない」
渋谷さんは指先で、おにぎりを包んでいたビニールを手の中で丸めた。あせっているって感じがした。
「そうなの、渋谷さんはそう思ってるのね」
「何言ってたのかわからないけど、佐賀さんはそれを信じたの」
「わからないわ、でもね、風見さんはいいことしか話してなくて、どう答えたらいいかわからなかったの」
私は言葉をゆっくりと選びながら、首を傾げて時間を稼いだ。
「風見さんがどうやって渋谷さんと友だちになったのかとか、生徒会副会長に立候補するきっかけとか。本当にいいことばっかりなの」
反応を見た。渋谷さんは水を口に持っていった。視線は私から動かさなかった。
「だから、本当に、風見さんは渋谷さんのことが好きなんだなって思ったのよ」
「あの子はね、誰にでもそうなんだけど、人に受けるためならなんでもするのよ。佐賀さんのことが好きだから、私はいい人なのよってアピールしようとするのよ」
半分当たっているとは思う。でもすでに風見さんから先に事情を聞いている私はその言葉もまゆつばものとして受け取ってしまう。
「そうかしら」
私はもう一度反対側に首を傾げた。
「親友になる契約を結んでいる」と渋谷さんは言う。そこには軽蔑の感情しかない。
風見さんの言葉を信じたくなるのは、そこに本物の「友情」の匂いが漂うから。
「もうひとつ聞いていい?」
「なに?」
だんだん刺が増えている。ひとくち、水をふくんだ。心を落ち着けて。
「きっと、大変だったんだなって私、思ったの。渋谷くんが」
「え?」
「本当はああいうタイプの人、友だちにしたくなかったんだろうなって思って」
一瞬だけ渋谷さんの眼がひょっとこになった。
──やはりそうなんだ。
私は確信した。続けた。
「風見さんが転校してきた時、渋谷さん、なんとかしたかったんでしょう」
「なんとかってどういうこと?」
いまや完全に刺だらけの言葉が飛んできた。おなかに力を入れた。
「自分のことばかり見てほしがってる困った人を、風見さんとくっつけたかったんでしょう? つりあいが取れてるから、きっと仲良くなれるって見抜いたのかしら」
「佐賀さん、何をあの子に言われたのかわからないけど、すべてを信じちゃだめよ」
「うん、わかってるわ」
頷きながら、それでも私は言い切った。
「その問題の女子の話聞かせてもらって思ったの。その人、梨南ちゃんとそっくりな子だなって。だからきっと、渋谷さんもそういう子と友だちやめたかったんだろうし、そのためにチャンスをうかがってたのかなって思ったの」
しばらく口を閉ざした。渋谷さんの反応を待った。
「そうかもしれない」
「やはり?」
「転校してきた時の、風見さんの態度がね、あまりにも受け狙いでクラスのみんながうんざりしていたのを感じてはいたの。だってそうよ、いきなり『私は風見鶏百合子でございまーす!』なんて、笑っていいのか悪いのかわからない自己紹介したのよ」
想像はつく。喉の奥で笑った。
「学校の雰囲気とキャラクターが合わなかったといえばそれまでだけど、私としてはあまり積極的に友だちになりたいとは思えなかったのよ。わかるでしょ。一言で言うと下品なの」
「だいたいわかるわ」
相槌を打った。
「そしたら、たまたま問題になった子が風見さんに興味を持ったみたいで、近づいていったの。私たちは『あーそうなんだ』って眺めていただけ。仲良くなるんだったらいいんじゃないのってね」
「でも、その女子は風見さんにくっつけられるのをいやがったの?」
「きっと同じタイプの人間が嫌いなのよ。変よね。自分にそっくりな人見ると腹が立っちゃうなんて。最初のうちは仲良くふたりで給食食べていたりしたけど、ふたりとも私のいるグループに入りたがってしょうがなかったから適当に付き合っていたら、いきなり濡れ衣着せられてしまったのよ。ひがまないでって言いたいわよね」
やはり事実関係は私の読み通りだったのだろう。
でも、これって認めてしまっていいものだろうか。渋谷さんはここで何をしたいのだろうか。私も少し不安を感じてきた。もっと力強く「違う違う!」と言い張るものだと思っていたのだけども。ある程度本音を伝えた方がうまくいくと判断したのだろうか。
「私も、渋谷さんの気持ちがわかるつもりよ」
少し様子見しながら言い直した。
「きっと大変だったのね。だってその問題の女子、梨南ちゃんにそっくりだもの。渋谷さん、もっとうまくやればよかったのにな、って思うわ」
いつだったか、渋谷さんに同じことを言われたことがある。どうして梨南ちゃんを早い段階で斬らなかったのかと。今思えばそれは、自分がそれをしようとした証なのだろう。ただそれは渋谷さんの場合成功しなかっただけだ。それどころか余計なお荷物まで背負わされてしまったというわけで、さぞいらだったことだろう。今渋谷さんが言った「同じタイプの人間が嫌い」だとしたら、同じ経験をしている私はさぞむかつく存在だっただろう。
「でも、まあ、あの子も悪い性格じゃないし。それはわかっているのよ」
「そうね」
「ただね、同じことしている子同士がいがみ合っているうちに、とばっちりが私の方へ飛んできたってわけ。もともと私のことが嫌いだったのかもしれないけど、勝手にいじめられたと思い込んで他の友だちに言いふらすのはやめてほしかったわ」
「昨日、風見さんが立村先輩に言い放ったことと同じかしら」
呆然として立ちすくんでいた立村先輩の様子を見たわけでもないのに、なぜか感じ取ってしまったあの日の空気。
「ほんと、よく先輩に恥をかかせるわね。あきれてしまうわよ。あの時と一緒よ。ああ、またやっちゃったかって思ってみていたけれど、ほんといらいらしてしまうのね」
「梨南ちゃんに対してもそうだったのかしら?」
「そう思うわ。きっとそっくりなものを感じたのよ。気に入らないなら無視すればいいのに」
──そうか、あの時のように。
両方の言い分、どちらを信じるべきか。迷った。
どちらの気持ちがわかるだろう。
私はどちら側の人間だろう。
もし渋谷さんの言うことを信じるならば、風見さんが悪目だちしすぎていて、まともな女子なら近寄りたくないと感じてしまったというのが真相だろう。もし、風見さんとその女子が同類同士だと認めて仲良くしていたら、とばっちりを受けることもなく、無理やり「親友」になることもなかったわけだ。しかし、今の渋谷さんは「ナミー」とあまりセンスのよくないあだ名で呼ばれている。「親友」の関係だ。
それは本当に、彼女の求めたものなのだろうか。
しかたなくそうするしかなかったのだろうか。
「渋谷さん、私ね、もし渋谷さんの立場だとしたらどうしていたかなって思ったの」
一度水を取りに行き、呼吸を整えた。目の前の渋谷さんはまだ言い足りなさそうだったが無視して続けた。
「ううん、きっと私、同じ経験していたのよ。ただ渋谷さんと違うのは、私が梨南ちゃんを受け入れてしまったことなの。私ももし、同じように梨南ちゃんとつりあいの取れる転校生が来ていたら、押し付けて逃げていたと思うし、どうしてそうしなかったのかなって今でも思うわ」
「そうね、できればそうしたかったわ」
だんだん安心してきた様子。ふたりで話している時の渋谷さんに戻ってきた。
「でしょう? あの頃の私は、梨南ちゃんに逆らったら大変なことになると思っていたからそうしていたけど、でも今なら私、きっちり言うと思うの。迷惑だから、別の人と仲良くしてねって」
大きく頷いた渋谷さんに、
「私、最初からそういうべきだったと思うの。小学校に入ってまもなく、梨南ちゃんが私をがんじがらめにしようとする前に、そういうのがいやだ、って断るべきだったの。そう言っておけば梨南ちゃんは私にはりつかないで、もっと自分を可愛がってくれる人を選んで友だちになったはずよ。でも、今の風見さんの話聞いていると、簡単にあきらめてくれるわけではないし、困るわね」
共感しているように続けた。
佐川さんに相談したいと無理なことを思う。
生徒会役員としてこれからやっていく以上、わだかまりのあるまま一年間過ごしたくはない。今までの私だったら、梨南ちゃんに対してしたのと同じように、相手の顔色を見て合わせ、ご機嫌取りをしているだろう。むくれられて八つ当たりされるよりはそれの方が楽だろうと判断したからだった。
そして、渋谷さんに対しても同じだった。
風見さんはおそらく、私に渋谷さんを守らせたいと思っているだろう。私の直感が正しければ、風見さんは純粋に渋谷さんを親友だと思っている。と同時に渋谷さんがこうやって私に悪口を言っていることも知っているだろう。口ぶりからそんな感じだった。それでも友だちでいるのは、それなりに覚悟があるのだろう。
けど、そんな覚悟、私に求められても困る。
「家庭の事情でどうしてもプライドを守らなくてはならないナミー」を、風見さんと一緒に守るなんてことは、私はどうしてもしたくなかった。
目の前の渋谷さんが、一瞬、梨南ちゃんに見えた。
「あの、それと昨日少し気になったことがあったの」
「何? またあの子ばかなこと言ったわけ?」
渋谷さんは一気に水を飲み干した。
「風見さんがちらっと話していたのだけど、間違っていたらごめんなさい」
一呼吸置いた。口が勝手に回っていた。
「渋谷さん、霧島くんのこと、好きなのかなって。私も同じ風に見えてたからそう思ったのだけど」
渋谷さんの置いたコップが、ほんの少しだけかちんと音を立てた。
「そんなことまたばかげたこと」
「うん、そうね。風見さんも『もしかしたら』って話していたから、違うかもとは思ったのだけど」
まずは自分を守る言葉を間にはさみこみ、
「でも、もしそうだとしたら、今の渋谷さんは危険なポジションにいるなって気はしたの。私も、健吾と付き合ってるから男子がどういう風に考えやすいのかとか、どういう風に扱えば機嫌よくなるのかとか、大体わかっているから」
自分の話に持ち込んでみた。どうだろう。渋谷さん、私みたいにお付き合いしたことあるのだろうか。風見さんは何も言っていなかったけど。
「私がなぜ、健吾にあんな酷いことされてもがまんしていたかわかる?」
「はたかれたことよね。許せないわよね」
「そう思うのがふつうだと思うわ。でも、あそこでうまく押さえていたから、たぶん健吾は評議委員長を奪う決断をしてくれたのだと思うの」
切り札を、おずおずと出してみた。
賭けだった。
渋谷さんがいきなり身を乗り出した。大きく目を見開いていた。
「あの時もし、私が何か言い返していたとしたら、健吾はただかあっとなってまた騒ぎ立てただけだと思うわ。もともとそうなの。健吾は何かあるとすぐパニックになってしまって、変なことばかりするの。本当は叩かれたくなかったけど、少し落ち着けばきっとまともに物事考えられる人だってわかっていたから、だから、私、風見さんと一緒に逃げたの。あの後、生徒会室で何かあったの?」
健吾が何も言わないのでそのあたりの事情はわからなかった。聞き出したかった。
「わからないわよ。会長とふたりで廊下にさっさと出てしまったから」
そうか、藤沖会長と健吾との間に何か、内密の約束が交わされたのかもしれない。あとで探りを入れてみよう。
「そうなの。その間に決めたのかしら。わからないけど健吾にはありがちなことなのよ。きっと健吾は、私と同等の立場に立たないといやだと思って、それで後期評議委員長を立村先輩から堂々と奪おうと決めたのだと思うの」
あてずっぽだけど、思いつくまま述べてみた。
「そう考えると、これからどうすればいいか、大体見えてくるの。私がつい、生徒会長に立候補してしまったのは、単純に言えば梨南ちゃんをこれ以上傷つけたくないからなの。でも、もし渋谷さんと霧島くんが評議委員会から権力を奪いたいのだったら、私を利用してくれればいいとふと思ったの」
「佐賀さんを、利用?」
少し言葉に甘味が含まれていた。
「そうなの。これから評議委員会は委員長改選を建前上行うはずだけど、誰もがまだ立村先輩の連投だと思っているはずなの。でも、健吾は私より上の立場に立つために、絶対評議委員長を狙うはずよ。男子のプライドなのかしら。女子よりも上でないといやみたいなの」
「最低ね、それも」
「そう思うわ。健吾って単純だわ。でも、もしそうだとしたら、健吾の性格を知らない霧島くんよりも、それなりに扱い方を知っている私が対応した方がもしかしたらうまくいくかもって思ったの。私、渋谷さんのおかげで、強くなれたから、どうしても何かをしたいの。感謝してるの。だからなの、お願い、手伝わせて」
数珠繋ぎの言葉がどんどん流れていく。どうしてだろう。佐川さんになったみたい。
「それに、霧島くんのことだけど、私評議委員だったから、お姉さんの霧島先輩を知っているわ。いろいろ意地悪されたけど、恨みはないの。だってもともと、この学校にいるべき人じゃなかったのだから、気にする必要はないと思っているの」
霧島くんの話をすると、また目がきろっと光った。やはり風見さんの読みは当たっているのだろう。心にメモしておかなくては。
「ただその影響がきっと、霧島くんに出ているのかなという気はするのよ。渋谷さん、霧島くんってどうして年上の女子に対してきついのか、わかる?」
「お姉さんの影響?」
「そう、それは絶対あると思うの」
断言した。
「だから、上からものを言われたり、頭が悪い女子はきっと嫌いだと思うの。お姉さんを思い出すからじゃないかしら。本当だったらやはり霧島くんを会長に立候補させればよかったけど、私が邪魔をしてしまった以上責任を取るつもり。きっと怒っているわ」
あえて何も言わなかったのは、渋谷さんもその後遺症を感じているからだろう。
「私、きっと霧島くんにはばかにされていると思うし、年上の女子としても軽蔑されちゃうかもしれないわ。だからきちんと、霧島くんには話をするわ。一応、名前だけは私が会長だけど、本来は霧島くんであり渋谷さんがなるべきはずだったんだってこと、言うわ」
「そんなこと言わなくても」
戸惑う言葉をさえぎった。私が言い切らなくてはならないこと、まだある。
「ううん、そうなの。私は象徴会長なんだってこと、ちゃんと説明するわ。そして、これから先ふたりのために精一杯努力するわって言うわ。私、渋谷さんがどれだけ素敵な人なのか知っているもの。そうすればきっと」
目に少し力が入ってしまった。私はテーブルの上に片手を置いた。そうしないと言葉が乱れてしまいそうだった。
「男子って基本的には健吾と同じ、プライドが高いと思うの。きっと霧島くん納得すれば、健吾のように渋谷さんに協力してくれると思うし、尽くしてくれるはずよ。どうか支えてほしいの」
ゆっくりと、渋谷さんの口角が下がっていった。
私は畳み掛けた。
「風見さん言ってたわ。たとえ渋谷さんがどんな風に思おうとも、友だちだと思っているって。今、渋谷さんが言ったことをすべて気が付いているのね。私、風見さんほどの覚悟はないけれどいろいろなこと、協力するわ」
渋谷さんの表情がこわばり、やがてうつむき、鼻をすするようなしぐさをした。私から目をそらしたまま、片頬に手を当てた。まるでぶたれたみたいだった。かすかに目を潤ませたまま何度も手の甲で拭いた。無理に笑顔をこしらえながら渋谷さんは呟いた。
「ごめんなさい、なにか変ね」
理由を私は尋ねなかった。
ふたりで語り合う機会はいくらでもある。その時答え合わせすればいいことだった。