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「お前何考えてるんだ、ばか!」
健吾の反応は予想通りだった。
頬に飛んできた手を私はそのまま受けた。覚悟はしていた。ただ生徒会室を出てすぐとは思っていなかった。そして平手打ちが一度だけではなく、両頬に向かって飛んできたことも。
「ごめんなさい、私、そうするしかなかったの」
泣けば許してくれるなんて、甘いことは考えていなかった。
激しく揺さぶられて怒鳴られているのが、生徒会関係者の前だというのがどうしようもなく恥ずかしくて勝手に涙が出てきた。
叩かれるのはわかってる、でも、みんなの前でなんて、ひどい。
「健吾、私、私」
「佐賀、お前、生徒会長なんてなにをするのかわかってるのかよ! なめてるんじゃねえぞ!」
「うん、わかってる」
「わかってねえだろ! お前たった一人で、なんにも知らないとこで、何からはじめろっていうんだ? 評議委員長が俺だから助けてくれるとでも思ったのかよ!」
──それは絶対考えてないのに。
火に油を注ぐような言葉を口にしてはいけない。
私に許されている言い訳は、これだけだ。
たったひとつの武器を私は用いるしかなかった。
「泣いたってもうどうしようもねえんだぞ! 誰か、おい、藤辻会長は?」
打たれた両頬を押さえて顔を覆っている間に、健吾は生徒会室へすれ違う人を突き飛ばさんばかりの勢いで飛び込んでいった。背中で健吾の、少し礼儀をわきまえた声が聞こえた。
「すいません、あいつ、たぶん間違ったんだと思うんです。だから、立候補の取り下げをお願いできませんか」
健吾は丁寧語を使っている。気に入らない先輩にはどんどんつっかかっていく健吾なのに、時々どもりながら。
「きちんと規則にしたがって立候補したのだから、翻すわけにはいかない」
藤沖会長の落ち着いた言葉にさえぎられている。それを聞いてほっとしている私。
「けど、どう考えたってあいつなんかにできるわけねえし」
「いや、そんなことはないと思うな」
背中をぎゅっと抱きしめてくれる気配がした。しゃべり方ですぐにわかった。風見さんの無理やり押さえ込んだ声だった。
「ハル、大丈夫、私が守る、大丈夫よ」
──風見さんが?
そっと顔をあげた。ちっとも乱れていない風鈴髪の風見さんが、ポケットからやたらとレースの多いハンカチを手渡してくれた。私が受け取ると、いきなりまた取り返しごしごしと目をこすってくれた。
「今のうちに逃げようよ。ね、彼とはあとで話せばわかってくれるよ」
「でも、もし立候補が」
「絶対大丈夫! 立候補は取り消されたりしないから! ちゃーんと規則どおりなんだもん!」
私が心配していたのは、健吾の嘆願よりも生徒会室に残された霧島くんと渋谷さんだった。私が下りてくれることを願っているに決まっている。本当はどちらかが会長になるべき人だったのに、とんびにあぶらげさらわれたようなもの。私の顔なんてもう二度と見たくないって思っているきっと。でも絶対にあと一年間顔を合わせないといけないってことも。本当は健吾に泣きついて、立候補を取り下げてもらえばいいのだ。わかってる、でも。
「ナミー、悪いけどハルをちょっと借りてくね。会長、どうも」
「おい、逃げるな、お前言うことあるだろうが!」
健吾の怒号から私は耳ふさぎ、廊下を駆け出した。
「台風だね。今ちょうど来てるね。あと一時間くらい待てば落ち着くよ」
あっけらかんといつもの口調で風見さんはしゃべり笑った。
「その間さ、ここにいようよ」
どうして私って、秘密の場所にばかり篭ることが多いのだろう。
さっきまで鼻水じゅるじゅるするくらい泣いていたから、顔を隠せるのはありがたかった。「音楽準備室ってね、意外と出入りが少ないんだ。吹奏楽部の人たちがたまに楽器を取りにくるくらいだけど、今日は台風だしさっさとみんな家に帰ったみたい。鍵はめったにかからないし」
「でもどうしてそんなところ」
「いろいろとね、情報あるのよ」
なんだか渋谷さんとしゃべっているような話なんだけど、側でかいがいしく世話をしてくれるのはやはり風見さんだった。私に泣くだけ泣かせてくれた。
「どちらにしても、ハルがこうなるってことは、私もわかってたんだ」
「わかってるってどういうこと?」
「そう、あのね」
私に風見さんは、いつもの明快な笑顔で答えた。
「私、ハルに会長、ナミーに副会長になってほしかったんだ。絶対!」
喉に何かが詰ったみたいだった。せきこんだ。風見さんは背中をさすってくれた。
「けど、ハルがやりたくないのにさせるわけいかないしね」
「やりたくないに決まってるわ」
「けど、ちゃんとやってくれた」
あっさりと答えた風見さんは、くるっと表情を変えた。木曜に見せた大人っぽい瞳をきらめかせた。
「何がなんだかさっぱりわかんないよね。ハル、ごめんね」
「わかんないわ。だってこんなことになるなんて」
だって風見さんがいきなり梨南ちゃんや立村先輩を罵ったりしなかったら、私もおとなしく書記あたりで立候補していたはずだった。書くことこそ迷っていたけども、私の居場所はそこしかなかっただろうし、健吾も多少は怒ったかもしれないけどあとで「まあ、書記ならな、たいした仕事もねえしな」とあっさり受け入れてくれたかもしれない。
「生徒会長なんて、そんな、私」
「ハル、あのね」
窓のない音楽準備室、風は入ってこない。ただ壁がかすかに揺れる。
「どちらにしても、話すつもりだったんだ。だから、全部聞いてくれないかなあ」
おばかっぽくない、どちらかいうと渋谷さんに近い話し方だった。
いや、違う。似てるのは、あの人だ。
──佐川さん、どうして何にも連絡してくれないんですか。
恨みを言いたくて、でもそれを言う相手は風見さんではなくて。
私は頷いた。にっこり頷いて、また一枚ハンカチを取り出し目と鼻を拭いてくれた。そのハンカチには紺の糸で白地にいて座のマークがクロスステッチで記されていた。
風見さんは床に安座した。スカートの上に両こぶしをのせて、あごを支えるように持ってきた。私の知っている風見さんらしくない語り口だった。
「私、五年の時にね、品山小学校から棚氷小学校へ転校してきたんだ。最初から青大附中受験するって決まってたし、もし落っこちてもできたら市街地の中学に行きたいなって思ってたし。品山離れたくなかったよ。友達いっぱいいたし。けど、パパとママの決めたことだし、しょうがないよね」
かすかに口元をほころばせた。意味なく片手で指を折り、数えていた。
「転校して最初の頃って、なかなかクラスのグループ分けが読めないところあるでしょう? 気の合う子がどのチームにいるかとか。だから最初のうちは、クラスで少し変に思われているタイプの子と一緒い行動してたんだよね」
「変に思われる?」
つまり、風見さんとぴったりなタイプの人だろうか?
「今思えばね、その子も決して悪い子じゃなかったと思うんだ。ナミーたちが中心のチームに最初入れてもらっていたらしいんだけどなかなかうまくいかなくて、ちょっと仲間はずれっぽい扱いされてたらしいんだ。なんというか、みんなに笑ってほしくてわざとうけないギャグを飛ばしたり、間違った当て字作って手紙書いたりする子いるでしょ。で、その場は盛り上がるけど、あとでばっかじゃないのって言われちゃうタイプの子。みんなに関心持ってほしくて、わざと髪の毛ぼさぼさにしてきて、『きゃー、あの子って髪形変、直してあげるよ』みたいに面倒見てくれる人を探す子とか。なんかね、それを狙っているってことが、すぐに私、わかったんだ。だからね、すぐにナミーたちのチームに混ぜてもらおうと決めたんだ。その子には悪いけど、やっぱり気の合う子同士の方がいいかなって思ったの」
私はハンカチで頬を抑えながら、思い当たる女子たちの顔を思い出した。
なんだか風見さんが私に対してしていることと、その「変に思われている子」の行動は全く同じに思えてならなかった。「私を見て、私をかまって」って、さっきみたいにいきなりすっとんきょうな行動を取る風見さんの意図はそこにありそうな気がした。
「本当ならね、その子と仲良くしながらナミーたちと遊んで、自然と輪を作ってあげられればよかったんだと思うの。無視したつもりはなかったけど、きっとその子は傷ついたんだと思う。しばらくしてからいきなりその変な子、先生に告げ口したんだ」
「告げ口?」
「私に無視された、って言うんだったら本当のことだし、ごめんねって言うしかないよね。だけど、その子が標的にしたのがね、ナミーひとりだったんだよね」
「渋谷さんを?」
「そう、自分は何にも悪いことしてないのに、ナミーが自分のチームから追い出そうとして、転校してきた私に無理やりその子を押し付けようとしたって。私みたいな『変』な子とくっつけて、ナミーたちのチームから引き離そうとしたって。だからナミーはいじめっ子だって」
返事するのに困った。だって、もし渋谷さんの立場だとしたら、そうしたくなるのはごく自然のことに思えたから。風見さんの言う「変な子」はきっと、風見さんとお似合いに見えたんだろう。もともと気の合わない「変な子」と同じチームにいるよりも、本当に気の合いそうな転校生とくっついてもらったほうがいろいろと楽だもの。なぜか渋谷さんの弁護をしたくなった。私はハンカチで目頭を抑えながら、
「なんで、なんで」
そう尋ねた。
「何が起こったのかつかめなくてしばらく私も様子見してたんだ。それがきっと甘かったんだと思うのね。ナミーっていっぱいいっぱい話さないと、冷たい女子に見えるでしょう? それがきっと損だったんだね。いつのまにかナミーのチームにいた子たちが一人、二人、って離れていって、あっという間にナミーひとりぼっちになっちゃったんだ」
「なぜ?」
鼻水を少しすすりあげてしまった。声が詰る。
「もともと気取っているとか、お高いとか、頭悪いくせにできる振りしてるとか。すっごく悪口聞かされたよ。私が転校する前からそう思っていたけど、ご機嫌取らないといけないからしかたなくがまんしてたんだって。でも、それ、今更なんでそんなこと言うのかなって思ったよ。そんなに嫌いだったらさっさと離れればいいのにねって思ったもん。けど、ナミーも悪かったと思うよ。無理に学級委員になりたがったり、何か集まりがあるとすぐに仕切りたがったりするのが、鼻についたんだと思うんだよね」
「なんか、信じられない」
首振ってそう言うと、風見さんはこくこく頷いた。
「うん、ナミーといっぱいいっぱい話すと、そんなことないってわかるのにね。それでね、私その、変な子にはっきり言ったんだ」
「なんって?」
舌足らずな言い方で風見さんは答えた。
「『かまってかまってってわざとらしくアピールするのがむかつくのよ! そんなにあんたの面倒をみてやらねばならない義務って私たちにはないし、ひまだってない。かまわないからってそれをいじめだと決め付けて騒ぐのは、あんたが私たちを攻撃してるのと同じなのよ』ってね」
「それで、受け入れてもらえたの?」
恐る恐る尋ねた。渋谷さんが言い放つのならば説得力もあるけど、この風見さんがなら、どうだろうか。
「どうなのかな。私はそのあと全然いじめられなかったし、その子とも卒業までうまく付き合っていったし、友だちもあっという間にたくさんできたし、問題はなかったよ」
「でも、渋谷さんは?」
また、震える声で尋ねる。風見さんは首を振った。
「なんか私が、ナミーの居場所を奪っちゃった形になったんだよね。どうしてだろ。ずっと淋しい顔してて、ひとりぼっちになっちゃったんだ。きっとナミー、その変な子と話が合わなかっただけなんだよね。合わない子とあわせることも大切だけど。けど、その子はナミーとその仲間たちだけでしゃべりたい時にも割り込んでこようとしたり、内緒にしていることを無理やり知ろうとしたりするんだよ。大親友でないと話せないようなことを、その子は同じチームだからって理由でしつこく聞いてくるんだよ。いじめる気はないけど、しつこすぎて鬱陶しい子をどうやってうまく遠ざければいいのか、きっとそのやり方がわからなかったんだなあ、ナミーは」
そこで言葉を切った後、風見さんはもう一度首を反対側に傾げて、
「私もね、結構言われたなあ。せっかく親切にしてあげたのに、結局頭のいい子や可愛い子のチームがいるところを選んだんだ、恩知らず!ってね。別にそんな気全然ないのに。私よりずっとその子の方が顔、可愛いのに。頭のいい子ったって、転校してきたばかりなのに成績がいいとか悪いとかわからないよ。とにかく、勝手に自分の基準で物事決められたらたまったもんじゃないってね。悪いことしてないのに、あっという間にその子の基準だとみんないじめっ子になっちゃうの。最低だよね」
頷いた。誰かさんの顔を思い出した。
「私はすっごく楽しい思い出がいっぱいだったけど、ナミーは私がきたせいで友だちをみんななくしちゃったってことだよね。責任やっぱり感じちゃったんだ。その頃はやっぱりナミーのイメージ、私もあんまりよくなかったし、仲良くおしゃべりって感じでもなかったけど、私なりに償わなくちゃと思って、夏休みに一度、ナミーを家に呼んで泊まってもらったんだ」
「いきなり?」
風見さんの発想が極端だ。「あまりイメージのよくない」渋谷さんを「償い」のためになぜ「家に泊める」のか? もっと別の順番があるんじゃないだろうか。
涙も止まった。顔拭いてごまかす振りをするのもやめた。私は前かがみになり風見さんの話に聞き入った。
「そこで初めて聞いたんだけど、ナミーの家では、成績が悪かったりなんかの長になれなかったりすると、ものすごく責められるらしいんだ。うちみたいに脳天気なお兄ちゃんお姉ちゃんじゃないし、できることが当然って決め付けられてるんだって。だからどんなにみんなから馬鹿にされても、学級委員にならなくちゃいけなかったし、勉強も一杯しなくちゃいけなかったんだって。いっぱいいっぱいナミーとその時話して、やっとわかったんだ。だからそれ以来、私、ナミーをささえていこうって決めたんだ。だって私のうち、そんなこと一度も言われたことないんだもん。そんなこと言われたら家出したくなっちゃう。せめてね、私と一緒にいる間は、おうちのいやなこと忘れさせてあげようって決めたんだ」
自業自得じゃないの。ぽそっと口走りそうになる。
なんでだろう。
さっきまで渋谷さんの味方をしていたくせに、いきなりすうっと冷えてくる空気。
瞳が乾いてきた。
「もしね、ナミーが他の子たちのように、私の話をぜんぜん聞いてくれなかったとしたら、こんなに仲良くなりたいと思わなかったんじゃないかなって思うよ。何日も話をしてみて初めてわかったんだけど、ナミー、こんな風にしゃべる機会っておうちでも学校でも全然なかったみたいなんだよね。本当の気持ちを話したら怒られちゃうからって感じみたい。だから私のうちではいくら話してもいいんだよ、って何度も言ったんだ。一年くらいずっとそう話し続けて、それでやっと、親友になれたと思うんだ」
風見さんは「なんども、なんども」と繰り返した。
「あの子は、聞いてほしかったんだなって思ったの」
私ももう一度頬をハンカチで抑え、別のことを考えた。
──梨南ちゃんも、話を聞いてほしかったんだろうか。
──私も、風見さんみたいに、しつこく話をしたいと思ったことあるだろうか。
──ない、そんな気持ち、ぜんぜんなかった。
「私、ナミーと青大附中に入ってから別のクラスになっちゃったでしょ。私はすぐに友だちができる方だからそれほど不安もなかったけど、ナミーはきっと周りとトラブル起こすだろうなって思ってたから、できるだけクラスでべったりすることにしたの。私みたいに頭のねじが外れたような子が側にいれば、ナミーも安心して堂々としてられるし、周りからもナミーが評価してほしい形で評価してもらえると思ったんだ。本当は評議委員会に入りたかったけど別の子がすぐに立候補してしまったから勝ち目なかったしね。けど、生徒会が穴場だってことはいろいろなとこから情報もらってたから、去年の秋にね、ナミーを立候補させたの」
「風見さんが?」
煽り立てたのか? あっさりと頷いた。
「そう。だってナミーのおうちでは、何かの長とか役員とかなってないと、ばかにされるんだって聞いてたから。評議落とされてからかなり落ち込んでたし、それなら生徒会の役員の方がずっと上だよって言ってね。ほんと、副会長になってからはうちの人たちから馬鹿にされなくなったって喜んでたよ。私も嬉しかったんだ。ナミーが笑ってくれてて」
信じられない。すべての状況が風見さんの言葉で塗り替えられていく。それをすべて信じるわけにはいかないと、心でブレーキをかけてみる。まゆつばまゆつばと呟いてみる。でも説得力がありすぎて、私にはどう否定していいかわからなかった。
佐川さんだったらすぐにきれいな切り分けをしてくれるだろうに。また涙がこぼれそうだった。勘違いした風見さんが、
「ハル、大丈夫?」
髪の毛をかすかに揺らして見上げてくれた。私は首を振り、話の続きを待った。
「信任投票だから余裕で入ると思ったけど、この学校ってやたらと委員会が威張っているなって印象は最初から私、感じてたの。友だちを通じていろいろ情報集めてて、それで、次期評議委員長がまさかあの立村だと聞いた時、私何かが間違ってるって思ったんだ」
「立村先輩の、過去のこと?」
ぶんぶん首を振った。
「違うよ。いろんなことがあっても罪を償ってればいいよ。私、浜野先輩の妹と仲良かったし、文通もしてたし、よく遊んだりしてたし、品山の人たちがどう思っているかはだいたい聞いてたの。もともと立村のうちはちょっと気取りすぎてて、うんそうだね、ずうっと前のナミーみたいな感じだったみたいなんだ。頭がよくないくせに『他のばかどもとは違うのよ』って振舞ってて、目だつような格好したりして差をつけようとしたり、町内会の行事をシカトしたり。やはり大人たちもむかついてたみたいなんだ。私たちでもやはりあるんだよね、そういうむかつくことって。だから無視されてただけなのにね」
風見さんはそこで言葉を切り、人差し指をくわえた。
「浜野先輩のことだってそうだよ。もしもね、立村があっさりとあの事件の後で頭を下げて謝るとか、あの事件の事情を説明したりすれば、また変わったかもしれない。実際、周りはそれを待っていたからこそ黙っていたらしいよ。けどね、ぜんぜんしらん振りして、学校に行く時はわざと早めに逃げ出すようにすり抜けてるとか、みんなばればれなんだよ。自分が悪いことに気付いてないならはっきり言うだけでもいいと思うけど、あいつは自分が何をしでかして、どれだけの人を傷つけて、精一杯の思いやりを踏みにじったんだよ! そんな奴がなんで、青大附中の評議委員長なんてやれるのかって、私、許せなかったんだ。浜野先輩の足のことを聞いてるからなおさらね」
さっき、立村先輩を罵った風見さんの言葉に、少し言い過ぎなのではないかって思ったのだけど、事情をそのまま信じるならば当然だろう。周りが思いやりを示してくれたのに、一切受け入れようとしない、それどころか自分の要求だけを押し付けようとする。まるで梨南ちゃんと同じだ。いや、だからこそ立村先輩は梨南ちゃんに惹かれたのだろうか。
「だから私、どういう手を使ってもこの事実だけははっきりさせたいって前から思ってたの。ナミーが立候補する前からね。せめてきっちりと、浜野先輩に土下座して謝ってもらい、きちっとけじめをつけるなりしてほしいって思ってたんだ。関係ない評議委員の人たちには悪いなって気持ちはあるけど、間違っていることは間違ってると認めてからすべてを巻き直さなくちゃ。ほら、ニューディール政策ってあったでしょ。だからなの。びっくりしたよね、ハル。私って最低の人間だって思われちゃうよね。ごめんね」
いきなり謝られて戸惑った。慌てて首を振った。
「さっき、私、はっきり立村相手に言ったことはほんの少しだけよ。ほんとはもっと怒鳴りたいこといっぱいあるの。だけど、あそこでの目的は杉本をさっさと追い出すことと、藤沖会長に立村の本性を暴露することだったからあれだけにしといたの」
──あれだけ?
だんだんわからなくなってきた。風見さんの言葉はすでに計算されつくしていたことなのだろうか。しゃくりあげた振りをして、口を覆った。私がまたショックを受けたと思っているのかもしれない。何度も風見さんは「ハル、ごめんね」を繰り返した。
「藤沖会長って本当は応援団に入りたいって思ってるような人なのよ。単純すぎるくらいまっすぐで曲がったことが大嫌いなんだ。そんな会長がなんであんなひねくれた立村を応援しようとするのかな。ものすっごく不思議だったの。ほんとだったらはっきり告げ口したかったけど、会長の性格ならその言った相手を軽蔑すると思うんだ。だから成り行きを待つしかなかったのよ。たまたま今、グットタイミングだったから言っちゃったけど、ハルはびっくりしたよね」
「うん」
グットタイミングなんて。私はてっきり風見さんがたまたま機嫌が悪くて叫んでしまっただけだと思っていたけど計算ずくだったなんて。誰かに似ている。いったい誰だろう。思い出せない。
「でもこれで、評議委員会からの権限移行はずっとスムーズに行くはず。今までは立村率いる評議委員会に気を遣って藤沖会長がのったりのったり進ませようとしていたけど、もう義理立てする必要なんてなくなっちゃったもん。さっきも会長言ってたでしょ。『もう口出ししない、人を見る目がなかった』って。あれ聞いて、もう大丈夫だなって確信したの。ハル、あとは楽よ。あとは生徒会側の要求をどんどん要求していけばいいの」
「そんな、私わからない」
今はまだ、改選が行われていないから、評議委員の私。
「大丈夫大丈夫。生徒会選挙が終わってから今度は委員会の改選でしょ。他のとこはもう決まってるから動かないと思うけど、評議は大変よ。さっき私が言ったこと、みんな生徒会関係の人たちが聞いてたし、あいつも認めたし。そういう最低な自己保身人間を委員長に選びたいと思う?」
首を振った。風見さんは頷いた。
「よね? もちろん簡単に委員長が変わるとは思えないけど、でも、信頼感がゼロになったってことは、団結力もがたがたになるだろうし、そうなったらこっちの思う壺よ。あとはどんどん攻めていけばいいってわけよ。ナミーと霧島くんたちと一緒に、評議委員会をただの学級委員会にしちゃえばいいの。ハル、大丈夫。私があとは守るから」
「風見さん、どうして?」
やっと搾り出した質問を、私は投げかけた。こくこくっと答える準備をする風見さんが微笑んだ。
「こんなにいっぱい計画立てることができるなら、どうして風見さん、生徒会長に立候補しなかったの? 私なんかより、ずっとずっと、渋谷さんたちを守れるでしょう? 私なんか、何にも知らないのよ。私」
そうだ。なんでこんなに頭の働くところを風見さんは隠してきたのだろう。
一時間前までは、風見さんがただの風鈴頭のなんも考えていない幸せな女の子としか思っていなかった。渋谷さんには「親友」になってもらって、かろうじて輪に入れてもらっているだけの子。でも今の話を聞いていくとふたりの関係が逆転して映る。
実力がないのに強がっている渋谷さん。
親友を守るために精一杯走り回っている風見さん。
そんな図が、まだ私にはなじまない。
風見さんは胸ポケットから生徒手帳を取り出した。中から四つ折りの紙を私に見せた。立候補受付用紙だった。「会長」の欄に「風見百合子」と丸文字で書いてある。
「もしハルが動かなかったら、私も覚悟はしてたんだよ。とにかく杉本を蹴落とすためにだけね。でも私だったらもしかしたら、知名度低くて選挙戦で落っこちたかもしれないなあ。ね、だからその点ハルの方が絶対向いてるよ」
「そんなことないわ。だって、私、流されてるだけなのよ」
「ハル、自信を持って!」
いきなりぴしりと言葉が響いた。どきっとした。
「杉本をおっぱらった時のハルはかっこよかったよ。ほんとだよ。私、ハルとこうやっておしゃべりするようになる前から噂を聞いてたけど、いい悪いは別としてすっごく自分を持ってる子なんだなって思ってた。馬鹿な女子たちが流されて、威張ってる杉本の方についた時も、一人ぼっちになっても怖がらないでしっかり立ってたハルって、強いなって思ってた。そういう子と私、友だちになりたかったんだよ。それにね」
びっくりする言葉を風見さんは続けた。
「ナミーには私より、もっとしっかりした子が友だちでいた方がいいと思うんだよね」
「しっかりした子?」
うそでしょ? だって私のどこが「しっかり」してるんだろう。
いまだに佐川さんや健吾に甘えっぱなしの私に。
すねもせず、にっこりしたまま。
「これ、ナミーに確認してないことだけど」
ちろちろと周囲を見渡した。誰もいないのに。つられて私もきょろきょろした。思わず笑った。
「たぶん、ナミーは、好きだと思うんだあ」
とろんとした口調で、何を言い出すのか。身構えた。恐る恐る尋ねた。
「何を」
「霧島くんを」
「え?」
私の頭には、ぎりぎりまで「約束したじゃない!」「押し付けるな!」言い合っているふたりの様子が一気によぎった。まさか、あんなふたりが。私がまた首を振ると、
「私の勘。結構当たるんだ、これって」
──佐川さんだ!
風見さんと重なった顔、それが信じられなかった。
私を導いてくれる、たったひとりの人を思い浮かべてしまった。
気付いてない。風見さんは自分なりの疑問を挙げている。
「ハルもびっくりした? でもね、ナミーの性格から考えて、いつのまにかみんなにばれてしまうと思うんだ。ナミーってね頭がよくて美形の男子が好きなんだ。だから霧島くんはぴったりなの。でも、あの霧島くんって年上の女子を馬鹿にしてるとこあるね。ナミーには合わないと思う。けど、ナミーが好きなら応援するしかない。だからね」
また「だからね」だ。
風見さんの言葉に震え上がりながら私は次を待った。
「霧島くんが会長に出なかったのはきっとハルに勝てないって思ったからだと思うの。だから副会長にしたんだろうな。けど、もしナミーが副会長で並んだりしたら選挙戦になっちゃうし、ナミーが下にならない限り、恋愛の対象にはしてもらえないって気がしたの。だからナミーには、書記で出てもらって、霧島くんを安心させて、それからアタックあるのみ! だからよ」
「だから?」
風見さんは自信たっぷりに言い切った。
「だから、私、ナミーに書記にしなさいって書き直させたの。会長よりも絶対にうまくいくポジションだって思うもの」
何も言えなかった。風見さんの風鈴ヘアをはずした中には、佐川さん並の鋭い頭脳が隠れていた。ずっと渋谷さんの言葉ばかり追いかけてきたのに、すべてをひっくり返されてしまった。わけがわからないくらい涙が流れた。ハンカチを押さえすぎて、糸の部分がにじんでいた。どうしよう、しみが残ってしまう。
「ハル、ちょっと待っててね」
私をしばらく覗き込み、手をひらひらさせたあと、風見さんはひとりで廊下に出ていった。台風、上陸したのだろうか。がたがたと揺れている壁。私は耳を澄ませ、今聴いたことをすべて頭の中に通していった。針に糸を通すような感じだった。飲み込むのが難しかった。
風見鶏。三百六十度ぐるぐると回り、すべてを見渡している。
どうして私は気付かなかったのだろう。
佐川さんだって教えてくれなかった。
ドアが開いた。風見さんかと思った。廊下の空気と温度差を感じた。熱く感じた。
「おい」
ネクタイをはずしたまま、ジャンバーを羽織っている健吾がいた。
「帰るぞ」
一言告げて、荒々しく入ってきた。
「泣くんじゃねえ」
「ごめんなさい」
健吾の顔にはもう、私をひっぱたいた時と同じような荒々しさはなかった。
「台風、すげえぞ」
言われた通り、私は制服の衿を直し立ち上がろうとした。健吾が腕を振り回すように私の前に立ちはだかった。怒られるのだろうか。許してくれないのだろうか。気持ちがついていかない。と、その手がいきなり腰に回った。両腕でぎゅっと健吾と密着させられるようなかっこうになった。誰もいない。唇に食いつかれた。こんなに痛いことされるのは初めてだった。怖い。動けずされるままだった。
「佐賀、いいか」
唇を離し、また擦り付ける。合間に呟いた。
「覚悟はあるな」
「うん」
「俺も決めた」
もう一度ちくちくする口を頬にくっつけられた。耳元にささやいた言葉に私は動けず、何度も健吾の頬ずりを受けるはめになった。
「後期評議委員長を奪う」