シマフクロウのコタンコロ
この地に来て冬が二度来た。今は夏だ。あの忌まわしき夏を私は忘れない。
獲物を探して飛んでいた。いつものように。普段と変わらない森、普段と変わらない空、普段と変わらない川。私はそんな景色の中から豆粒くらいにしか見えない標的を淡々と狙う。いつもの事だ。たまに木に留まって探す事もある。あまり優れない時はそうしている。
その日の獲物は、空を余り飛ばず、私の居た木から発見した。開けた大地を挟んで向こう側の木の下だ。随分と活発なネズミだっただろうか。そいつに狙いを定めた。忍び寄って捕らえるのは得意だが、今日は何だか調子が悪い。そのせいでさっきも狩りに失敗していた。
時間を掛け過ぎても腹が減るだ。私は、あらゆる感覚の全てを獲物に向け、全集中を注いだ。音を立てずに飛び出し、一直線に向かう。殺った・・・そう確信した。
だが、その確信の直後、私の真横から疾風の如き何かが急接近してくる。羽がそれを感じていた。私は一瞬、それに目をやった。薄暗い白の体、その体には紫色のハスの花といつも見慣れた風景である森の緑が線になって纏わりついている。それが永遠と続いていた。そして、その巨体の中に悪魔はいた。
たまに森で見かける二足歩行のそいつらは、私のテリトリーに来ては荒らしに荒らして去っていく。獲物も逃げる、住処も汚される。
その悪魔は巨体の頭の部分に座って手の部分を動かしていた。目を見開いてこちらを見つめていたのを覚えている。死ぬ・・・・、私は直感した。これに当たれば確実に逝く。
私はありとあらゆる感覚と筋肉全てを総動員してそれを回避しようとした。舞い上がればそれでいい、それで躱せるのだから。
私の翼はどうにか風を掴む事が出来、体は一気に青空の方へ上がり始める。これで危機一髪回避出来た・・・、そう思っていた。
ゴン、バキ。同時にそんな音が聞こえた気がする。私の右の翼からだった。持ち上がったと思われた体はただ横に逸れていただけで、右の翼がちょうど巨体の前に飛び出る形になった。
右の翼の感覚が一瞬にして無くなった。力が入らず、地面に落ちた。
一瞬の出来事だった。ものの数秒で私は生きる術を奪われたのだ、あの忌まわしき二本脚の悪魔に。
飛べなくなった同族は大抵、その場で餓死するか、キツネやらクマやらに喰われる運命しかない。私達は飛ぶ以外に移動手段を持たず、狩りの手段も飛ぶ事で行うからだ。それを失うのは死と同じ。
憎い、奴らが憎い。私の全てを奪い去った奴らが憎い、憎い、ただただ憎い。殺してやりたい、滅ぼしてやりたい。このままではとても死にきれない、そんな思いだった。
だが、そんな事を言ってはいても私にはもう死しか待っていない。このままここで死ぬしかないのだ。ああ、何て絶望だろうか。憎しみを抱いたまま死ぬなんて。
だんだんと意識が遠のき始めた。死が目の前に迫る。次に生まれた時は、必ずあの悪魔達に復讐する。その思いだけが駆け巡る。そうして、私の視界は真っ暗になった。
「こんにちは、コタンコロさん。また来ちゃいましたよ」
一人の人間の声が聞こえた。かつての私と同じ、世界に絶望した人間。
あの後、私は人間達によって救われた。私達の住処を、生きる術を奪った彼らに。彼らは私に頻りに声を掛け続けていた。「大丈夫かい」だの「もう心配はいらないよ」だの。
信用等出来る筈もない。私にとっては破壊者であり侵略者でしかない。彼らの作り出した物は、ありとあらゆる物を壊していく。それだけの物だと思っていた。
しかし、私は彼らを見くびっていた。人間達に救い出された後、白い建物に連れていかれた。そこに連れていかれた後の記憶はない。眠らされたからだ。
眠りから覚めたら、私の右の翼は何やら弄られていたようだった。そのお陰かどうかは分からないが、翼と体が繫がっている感じがした。
人間は破壊するだけではない、作るだけでもない。治す事も出来るのか・・・
心底恐ろしい存在である。
その後は、人間達に翼を使う訓練をさせられた。彼ら曰く「無事にまた、大空を飛べるように」らしい。どうせ、戻ったら戻ったでお前らのような奴がわんさかいるんだろうが、飛べないよりはましだとしっかり訓練には参加した。訓練が終われば食べ物をくれた。森で食べた事のある魚やネズミが出た事もあれば、森では見た事もない食べ物を食べさせられた事もあった。意外に美味しかったので文句は無いが。そんな事が暫く続いて、翼を少しずつ動かせるようになったのは緑の葉が黄色になりかけていた頃だった。翼を羽ばたかせて飛ぶ練習をし、終われば飯を食う。そんな生活がまた暫く続いた。
緑がまた生い茂り始めた頃、私は空を飛べるようになった。これで自由だ、そう思った。
しかし、彼らは私を森には返さず、今暮らすここに連れてきた。曰く「まだ野生には返せない」「子孫繁栄の為に少し協力してもらおう」らしい。全く勝手な奴らだ。こっちの気も知らないで。
結局、ここで暮らし始めてかなりの時間が経つが、その間色々な人間を見てきた。私をカッコいいだの凄いだの言う者、私の境遇を知ってか否か同情をする者、私の行動を観察する者等様々だった。様々ではあるが、結局、彼らも私達の住処を奪った奴らと同族の存在だ。信用等出来る訳がないのだ。
目の前にいる人間もそうだ。こいつはかなりの回数見ている気がする。他の人間と違うのは、私に"話しかけてくる"事だった。
「突然動物の心が読めるようになってですね、斯く斯く云々で動物と会話も出来るんですよ」などと話していた。そんな奴いる訳が無い。そんな人間今まで一度も見た事が無いからだ。しかし、そいつは私に話しかけている。こいつは頭がおかしい。
そいつはここに寄る度に色々な話をした。自分が得た力を誰にも話す事が出来なかった事、昔は人間の心さえ読み取れてしまったので色々人間の醜い部分や自分に対する目線が知れてしまった事、そのせいで一度死を決めた事、そして、この動物園で黒いサルに止めてもらった事などをベラベラと語った。
私は特に返答はしなかった。ただ、人間にも色々な経験してるのがいるんだなあくらいだった。そんな話聞いたところで人間を好きになる事は無い。それは今も変わらない。
だが、この人間はいつも私の所に来ては様々な人間の話をする。何でだろうかな。
「と言う人がいたんですよ、酷いでしょう?人間の世界にはお酒っていう飲み物がありましてね、それを飲み過ぎると狂暴になってしまって酷い事をするようになるんですよ。そう言う人の事、酔っ払いって言いまして。お買い物の会計してた時にその酔っ払いがいきなり手を振り上げたんですよ。仕方がないから警察を呼んで対処してもらったんですよ。えらい迷惑な人でしょう?人間てそんなばかりの人達だけじゃなくて、もっと親切な人も沢山いるのに」
「本当にそう思っているのか」
「お、話してくれましたね。待ってましたよ。ええ、そう思ってます」
「自然を破壊し、命の恵みを一瞬にして奪い取る貴様らに、善などあるのか」
「確かに、それは人間にとっては反省すべき事です。あなたの言う通りだ」
「なら何故、そんな奴らの話をお前はいつも私にするんだ」
「人間はそういう存在だけではないからです」
「それはどういう意味だ」
「人間は自然を壊すし奪う。人間社会でもありますからね、他人の物を奪ったり命そのものを奪ったり。友を裏切ったり家族を裏切ったりする人間もいるんですよ。でもね、それだけでは無いんです。
壊してしまった自然を治そうとしたり、あなたのように人の手で傷付いてしまうしまった動物達を保護したりする人がいます。人間社会だったら、家族でも無い愛する人を守る為とか自分とは全く関係の無い赤の他人に命を賭けて救おうとする人もいるんです。あなたには、それをわかってほしい」
「そんな奴、私は見た事が無いな」
「ありますよ、あなたのその翼を治してくれた人がまさにそう。あなたが死んでも、人間に取ったら何も損はしない筈ですよね。何故貴方を助けたか分かりますか」
「さあ、考えた事も無いな」
「貴方をただ救いたかったから。それだけです。何時かまた大空を羽ばたいて欲しいから、だから救ったんですよ」
「私はもう空を飛べる。それなのに私はこの窮屈な箱の中に閉じ込められている。何故だ」
「それは、貴方の子孫を残すためです」
「子孫だと?どういう意味だ。こんな狭い箱の中でそんな事が出来る訳が無い」
「貴方のみでは無理です。だから、女性を連れてくるんです。今度貴方が住んでいるそこに、女性が入ってくる予定なんです。人間は、貴方達を減らしすぎてしまった事を反省し、貴方達の子孫繁栄を手助けする事を始めたんですよ」
「なるほど、言いたい事は理解したよ。で、結局お前は私にどうして欲しいんだ」
「少しずつでもいい、人間を好きになって欲しいんです。確かに酷い奴も沢山います。でも、貴方を助けるような親切な人もまた沢山いる事を分かって欲しいんです。」
「何故、そこまでする必要があるんだお前が」
「私は動物に心と命を救われました。その恩返しです」
そいつはそう言うと「ヤバい、もう閉園時間だ」と言って焦り始めた。
「また貴方の所に来ますから。今度はこんな固い話じゃなくて楽しい話しましょうね」と言って、そいつは走って去っていた。
人間は愚かな破壊者・侵略者だ。あいつが幾ら力説したとしてもそれは変わらない。しかしだ、もし、私を助けた理由があいつの言ったように私をただ助けたかったからだとしたら。本当に赤の他人の為に命を賭ける事が出来る存在が居たとしたら。私達の同族に赤の他人を助けるような者は存在しない。それは、人間のみが用いている感情なのではないか。私はそう思い始めた。ただの二足歩行の悪魔では無くなり始めていた。
「ふん、いいだろう。話くらいは聞いてやろう。少しだが、人間に興味が湧いてきた」
人間も一筋縄ではいかないらしい。ここでの生活も少しは楽しくなれそうだ。そんな事を思いながら私は茜色に染まった夕陽を眺めていた。