シンリンオオカミのユリアとケン
どうにか櫻子が居た場所から避難できた私は、次の目的地に向かった。因みに、櫻子がいたあそこは『カバ舎』である。説明し忘れていたが。
カバ舎から歩いて5分、周りの来園者達が「何か変な奴がいる!!」と言って追いかけていないか確認した後、『オオカミの宿』に私は入った。
ここには、シンリンオオカミという種類のオオカミが何頭か飼育されている。正確な頭数は私も知らない。どうでもいい話だが、昔はこの北海道の大地にもオオカミが存在していた。確か、1890年代に人間の手によって絶滅させられてしまったらしいが。
「ユリア、あそこに例の男の人がいるよ、どうする?」
「どうでもいいんじゃない?放っておこうよ。それより水浴びしない、今日は太陽が照ってて体冷やしたい
んだけど」
私の方を見て会話をしていたのは、オオカミ夫婦のユリアとケン。人間で言うところの「オシドリ夫婦」で、白い毛並みを持つのがユリア、灰色がかった毛を持つのがケンだ。
私は、彼らの会話のやり取りが好きで、動物園によると必ずここに寄っていく。仲睦まじい姿を見ることも出来れば、絶対にユリアが勝利する夫婦喧嘩や今後の子作りについて話し合う姿も見ることが出来る。この能力を持っているからこそこのような事が観察できる、有り難いものだ。
「なあユリア、もうそろそろさ、子供作っていいころだと思うんだよ。もう俺たち結婚して2年じゃんか。結婚生活にも慣れてきたしさ、子育てもしたくなってくる頃だと思うんだけどさ、どうかな?」
「あんた、それ昨日も言ってなかった?と言うか、結婚してから毎日言ってるよね。私さ、まだその気はないんだよ」
「じゃあ、いつ子供産むのさ?俺たちの子孫を残せないじゃないか」
「まあ、そうだけどさ」
「それにさ、きっと子供産まれて新しい家族が出来たらきっと今よりも楽しくなるよ絶対に!!」
「・・・・」
中々重い話だ、人間の夫婦が子供を作る時に話すことと殆ど一緒じゃないか。そう思って聞いていた。
シンリンオオカミは夫婦仲が非常に良く、子育てに関しては夫婦と協力して行うなど、仕事ばかり考えて子育てには一切ノータッチな人間よりよっぽど素晴らしい行いをする動物だ。きっとケンは、子供が生まれれば命を賭けて立派に育てあげるだろう、子孫も残すことが出来る。
しかし、ユリアは何故かそれに対して乗り気でない。どうしてだろうか。まあ、子供の産む産まないは結局本人次第だから
「ねえ、そこの男の人」と、ユリアが私に話しかけてきた。今日は動物に話しかけられる事が多いな。周りにはそんなに人がいないし、返事してをあげようか。
「何ですか?」
「子供、産むべき?」
「ああ、ええとですね・・・。私個人の意見ですけど、どっちでもいいんじゃないですかね?ユリアさんは子供産みたくないんですか?」
「絶対産んだほうがいいよユリア!!」とケンが余計な口を挟んでくる。人間の旦那だったら奥さんに絶対に睨まれる事してると思いながらも、面倒くさい事になるのは嫌なので口には出さなかった。
「・・・・。不安何だよね、産むのが」
「「え?」」、ケンとハモる。
「私、子供を産むの怖くてさ。産むのきっと痛いだろうし。それに、子供を産んだはいいかもしれないけどその後さ、立派に子供を育て上げる自信が無いと言うかさ・・・」、そうユリアは語った。
これは訳ありだ・・・私は、何だか複雑な気持ちになってきた。ケンも表情が曇ってきている。
「過去に何かあったのですか?」と、私は勇気を出してユリアに聞いてみた。
「ううん、別に何も無いよ、本当に」
「「ん?」」、またケンとハモる。
「ただ、不安なだけ。幻滅した、オスの方々は?」
ユリアはただそう言った。感情を込めずに。
私は言葉を失った。特段彼女は何も言っていない。しかし、その言葉にはとてつもない重みがあった。そして、改めて結婚や妊娠について考えさせられる。ケンもそれを今痛感している筈だ。
オスはあくまで子供を守ったり餌を採ったりするだけ。メスはオスの役割に加えて子供を妊娠して出産する事が加わる。
妊娠はそれ自体が命を賭けて行う事だ。子孫を反映させるために産め、と言うのは少し酷ではある。
ケンは、「ユリア、御免ね。俺、全くユリアの事考えてなかったよ。2年間も辛かったよね、本当に御免」
「ううん、ケンは悪くないよ。私が覚悟出来てないだけ、私の方こそ御免ね」
見てて辛い。いつも来る時は二匹がじゃれ合って夫婦生活を楽しんでいるのに。
今日に限って何でこんな事ばかり起こるのだろうか。先程の櫻子の件にしろこの夫婦にしろ・・・。
私は気持ちが重くなっていた。
「ケン、あなた私の夫だよね?」と、ユリアはケンに語り始めた。
「うん、勿論だよ?どうしたのいきなり。まさか・・・離婚?」
「違うってケン。寧ろずっと傍にいてほしいの。私ってサバサバしてるとは思うけどさ、芯がフニャフニャしてて優柔不断なのよ。あんたはさ、普段こそチャラチャラしてそうな感じだけどいざとなったら私の事いつも心配してくれるじゃん。ここに来て沢山のオス見たけど、私を本当に守ってくれるのはあんただけだってそう思ったの」
「ユリア・・・」
「だからさ、これからもずっと私の事守って欲しいなあ・・・何て、何か私らしくないね」
「ユリア、御免、御免よ。俺が軽率だった。出産にそこまで不安があった事に気付けない何て・・・。
俺はもう間違えない!!ユリア、これからは悩み事とかあったらさ、ドンドン言ってよ。俺が何とかして見せるからさ!!」
「有難うケン。じゃあさ、子供産んでよ」
「それは無理!!!」
いつの間にか私は蚊帳の外だったが、まあ何やかんやどうにかなったようだ。
人間の家庭には、ああいう夫婦の温もりと言うのはあるのだろうか。私は妻も彼女もいないので分からないが。
「ああ、そこの人。話は以上だからもうあっち入ってくれない?」
「そうだそうだ、もうあっちいけ!!」と、二匹に一斉に威嚇されたので、私は最後にこれだけを聞いて去る事にした。
「お二人はその、今のこの動物園での暮らしは幸せですか?」
「俺は勿論幸せだよ!!ユリアが居る限りはずっと幸せさ」
「私も生活環境は昔住んでいた所と比べてまあ狭くはなったけど、何も不自由は無いよ。餌もあるし、旦那もいるし。あんたはどうなの、今幸せ?」
私は、それには敢えて答えずに笑顔だけ見せてそこから去った。
「結局、幸せなのかなあの男の人?」
「さあ、幸せってことでいいんじゃないの?そんなことよりケン、これからどうしようか」
いいものを見させてもらったとはいえ、精神的にまた疲れてしまった私は、餌以外の事は何も考えていないあいつのもとに向かう事にした。
「今日のあいつ、どんな感じかな?」