0.ある魔人の最期
SF書いてる時に限ってファンタジーネタが浮かぶ。
日本列島は最大の霊場にして、世界でも名立たる霊峰・富士。
古来より大和民族の山岳信仰を受け、現代においてもなおその霊験に肖ろうとする登山者は途絶えることがない。
そんな霊山の裾野にある樹海を切り拓き、東西南北の土地を改造し人為的に四神相応を配した広大な敷地。日本の主要な龍脈を操作、接合して生み出した黄龍、麒麟の相を持つ中央部。
そこに魔術結社≪アガスティア≫の総本部は存在していた。
古代の聖者の名を冠し、新興でありながら世界最大規模の組織として君臨するアガスティアの本部。
そこには結社に所属し一定以上の権限を有する者のみが知る、隠された地下への入り口が存在する。
幾つもの物理的、呪術的な結界の張られたその入口を抜けると、そこには自然の洞窟を簡易的に舗装した長い小道が、下へ下へと続いている。
空間の大部分を占めるのは暗闇であり、明かりは道すがら点々と配置された燈籠の僅かな灯火だけだ。
知識のある者が見れば小道の随所には意図的に根の国あるいは黄泉、冥府を喚起する意匠が施されていることが理解できたことだろう。
その、さほど広くもない小道の脇には人影がずらりと並び、座禅を組みながらその場に佇んでいる。そのいずれもが老若男女を問わず、例外無くその身に宗教的あるいは魔術的な法衣を纏っていた。
彼らあるいは彼女らは、アガスティアにおいて小達人あるいは大達人と呼ばれる位階を持つ徒弟達である。
過去においては魔術結社の幹部にのみ与えられた称号だが、アガスティアにおいてはさほど珍しくもない。彼らは皆が大なり小なり、神秘・霊異を操る術を手にした魔術師であるのだから。
小規模な組織ならば首領の地位すら得られるだろう、その奇蹟の行使者たちに見守られながら、冥道を往く小さな影が在る。
「―――」
枯れ木の様に痩せ細った一人の老人だ。
乱雑に伸ばしたままの白髪と長い髭、その小柄な体躯に纏うのは薄布一枚だけである。
奇妙な紋様の入れ墨がびっしりと描き込まれたその身体からは肉や脂肪は最低限度を超えてこそぎ落とされ、文字通り皮だけの身体には骨がくっきりと浮き出ている。
内実を知らない余人には、その老人の姿は風前の灯のように儚げに見えるかもしれない。
だが、白髪からわずかに除く隻眼はぎらぎらと輝き、その足取りもまたゆっくりとしたものながら、剥き出しの冷たい土肌をものともせず一歩一歩、悠然と踏みしめながら歩いていた。
その存在感はか細い老人の見た目を裏切り、まるで巨木か山岳のような一種の物理的なまでの圧力を放っている。
周りに控える者たちは皆一様に老人の歩みをじっと見守っていた。
死に体の老人を見詰める、その視線に込められた感情には一切の侮りや憐憫などは存在しない。
むしろ、その真逆だった。
この場にいる者全て、老人に対して抱くのは敬意と畏怖。
黄泉路を逝くその巨魁こそは、この国のみならず世界そのものを変革した真正の魔人。魔道の道においての生きる伝説。
枯れ木のような姿? 笑わせる。あれは肉体という檻から無駄なものを全て捨て去った果ての、魔道の極致そのもの。
肉眼ではなく霊なる眼で見れば理解できる。今まさに噴火しそうなほどに滾る霊異の奔流を。
あれこそが魔術の徒が目指すべき理想の姿だと、徒弟たちは言葉にこそしないが胸中で感嘆する。
崇拝と畏敬、そこに僅かばかりの恐怖が入り混じる視線。
それらを一身に浴びる彼の老人こそは、アガスティアが誇る大首領にして位階2=9・魔術師の到達者。
大導師アカシャ、その人なのだから。
「―――」
「―――」
「―――」
魔術の徒弟達は、大導師の歩みに合わせて口々に祈祷と誓願の言葉を口にする。
ある者は、道教に伝わる泰山地獄の主・泰山府君と冥界の長たる夜摩閻羅天への祝詞を。
ある者は、冥界アアルの王オシリスとアヌビスの二柱に対して嘆願を。
皆が皆、口々に己が信仰あるいは己が生涯を掛けて追及する秘儀とそれに纏わる神々の名を唱え続ける。
イザナミ。イザナギ。
ハーデス。ペルセポネー。
北斗星君に南斗星君。
キュベレイ。
ネルガル。
タナトス。
イナンナ。エレシュキガル。
ミクトランテクトリ。
国や地域、信仰、宗派もそれぞれ統一感はなく、古今東西の呪の言葉が空間を満たしていく。
共通するのはただ一点。
いずれもが冥界や地獄、死と再生に纏わる願いや祈りであることだ。
死呪の祝詞で満たされた小道を歩き続けた先にあるのは地底湖だ。
その空間だけは一際大きく整斉され、湖水を囲むように十二の大燈籠が置かれている。
湖自体はさほど大きくはない。四方が精々十数メートルから二十メートル程度か。
湖底を見通せるほどにその水は透き通っており、その水面は周囲の明かりを反射し湖面中央へと続く木造の橋を照らし出していた。
徒弟の列は地底湖手前で途切れている。
いまだ彼らの口にする呪は洞窟の壁面に木霊して聞こえているが、彼ら自身が立ち入ることは出来ない。
穢れなき空間でありながら、ここは既に冥府そのもの。
生者、それも未だ修行途上の者が足を踏み入れるべき場所ではない。
これより先は真の意味で一人だけ。
極限まで死に近づきつつある老人アカシャのみが、この先へと歩を進める。
「…………」
口にすべき言葉はない。
沈黙を是として湖の中央へと進む。
そこにあるのは、巨大な樹木。
日の当たらぬ地下でありながら、その枝葉は青々としており生命力に溢れていた。
その根本には小さな洞がぽっかりと口を空けている。
人ひとりが収まるのが精々だろうか、アカシャは極自然にそこへと身を潜らせた。
座禅を組み、遠く聞こえてくる弟子達の声を聴きながら瞑想する。
僅かに残った肉体の軛から精神を魂を解放する、その状態を深くイメージする。
殻を脱げ捨て羽化する蝉のように。
あるいは古い皮を脱ぎ捨て脱皮する蛇のように。
肉の器を捨て去り、上なる者へと至る為に。
「…………ぁあ」
アカシャはふと、小さく喘ぐかのような声を絞り出す。
覚者の如く振る舞い、覚者の如く所業を成していながら、その内面は覚者の如く入滅へと至らぬ己を思い笑ったのだ。
走馬灯、と世間一般では言うのだろうか。
彼の脳裏に若き頃の記憶が駆け巡った。
物心が付いた時、あるいはそれよりも以前、母の胎内の中にいた時からか。
ずっとずっと、この世に生を受けた頃から思っていた。
―――ああ、自分は生まれてくる世界を間違えたのだな、と。
特になにか生活に不便があったわけではない。
平成の世の平和な日本という国。その至極一般的な中流家庭に生まれ、他の同年代の子供らと共に学び、遊び、時にはやんちゃもしたものだ。
だが食事の時も、授業を受けている時も、遊んでいる時どころか睡眠の時ですらも、心のどこかで、これは違うと囁く声があった。
何かが自分には欠けている、なぜかは知らないが自分は満たされていない。そんな理由すらもはっきりとしない、両親や友人たちにも話せない苦悩を幼いながらに抱え込んでいた。
幸か不幸か、己は表情が表には出にくい子供だったらしく、その悩みが誰かに露見することはなかった。お陰で小学生の頃は随分と窮屈な思いをしたものだが。
そんな自分の人生に転機が訪れたのは中学生の時。
ある友人に押し付けられたとある小説だった。
当時はライトノベル全盛の時代であり、友人が布教用にと己に渡したのは、一冊のファンタジー小説。
そこにあったのは王道の展開、ヒーローらしい主人公と愛らしいヒロイン、かのトルーキンの時代より連綿と続く数多のモンスター像。なによりも、魔法という存在。
今の世では特に斬新さは感じられないだろう。実に王道、言ってしまえば在り来たりな内容だった。
だが、自分にとってはまさに青天の霹靂であったのだ。
これだ!! と、まさに体に電流が走ったかのような衝撃。
ファンタジー、モンスター。特に魔法! これらの言葉が己の心を揺さぶったのだ。
ああそうだ、己はこんな世界に生まれたかったのだ。この小説のキャラクター達のように、自分も魔法を使ってみたいのだと。
そこからはまさに急転直下。
僅かばかりの小遣いで同ジャンルの小説を買い漁り、友人らを誘ってアニメ鑑賞会やら感想を言い合ったり、時には自分で小説を書いてみたり―――まあ、言ってしまえばそっちの道にどっぷり嵌ってしまったわけだ。
全ては、魔法という奇蹟の技を身に着けるための布石とするべく。
高校に入ってからは、小説のみならず多くの宗教や神話伝承に惹かれた。
我が国の八百万の神々や、アジア各国、エジプトやギリシャ、北欧の神話。果ては世界宗教の教義に至るまで。
やや小難しく、より深い場所に足を踏み入れたわけだ。
それら神話や宗教に関しての書物に始まり、チープながらもディープな内容のオカルト雑誌などにも手を出して、暇があればそれらで得た知識をもとに自室で瞑想などして自己修練の真似事などをしていた。
そんな一高校生のただの真似事であった修練は、大学へと進学するにつれより本格化していった。
週末、連休ともなれば一人深い山奥へと入り浸り、修験者のように肉体と精神の両方を鍛え修行した。
暇さえあれば瞑想をし、あるいは県の図書館などでより専門的な書物を自分なりに解釈して知識を吸収していった。
今にして思えば、自分の行動は他人から見れば奇異そのものであっただろう。
両親や古い友人達などは、自分の事をよく知っていたからか特に分け隔てなく接してくれていたが、結局恋人の類などは出来なかった。
まあ当たり前と言えば当たり前かもしれないが。
そうして成人し、大学を卒業する頃にはとある企業への内定が決まった。まあ一般的な会社だったろう。ホワイトでは決して無かったが、ブラックとも言い難い。あえて言えばグレー企業。
既に立派な社会人ではあったし、仕事ぶりもまあ優秀な方だったろう。とは言え有給を取得しては山奥で修行を続けていた為に社内では変人扱いだったが。
それからしばらく時を経て、社内でもそれなりに上の立場に立った五十代の半ば頃に両親が亡くなった。
二人ともまだ若くはあったが、ある日ぽっくり逝ってしまった。
なにがしかの病気ではなく、天寿を全うしたのだ。
悲しくこそはあったが、悔やむべきことはなかった。むしろ夫婦仲良くほぼ同時期に召されたのだ、自分だけ残して旅立ったのは気がかりであったろうが、まあ比較的幸福な最期であったのかもしれない。
むしろ、自分にとって―――言い方は悪いが―――縛るべき鎖が解けたのだとそう認識した。
未だ独り身であった為に、身内と呼べるものは両親だけであった。
その二人がいなくなったいま、己を止めるべきものは無くなった。
これで修行に、より深く没頭できるとそう考えたのだ。
とはいえ本格的な行動に移ったのは、社会人の最低限の務めとして会社を定年退職した後からであったが。
「若かったな……」
ふふ、と小さく笑う。
務め人としての責務を離れてからは、修行の旅と称し退職金を利用して世界各地を飛び回ったのは今でも得難い経験であった。
六十代から始めたその修行、いや苦行の数々を思い出す。
世界各地の深山幽谷へと着の身着のままに身を投じる事を基本とし、瞑想、断食、滝行、火行とあらゆる宗派の別を問わず没頭した。
文字通りありとあらゆる、この世界における神秘を求めたのだ。
ただただ、全ては魔法を使いたいという傍から見れば狂った願いのためだけに。
仏教、神道、修験道、陰陽道、道教はもちろん、西洋や中東に根差す宗教宗派の数々。世界各地に点在する神話。果ては中国拳法の理合やカラリパヤットのような武術にも手を付け、錬金術やら民間信仰における迷信話やらに至るまで知識と技術を学び続けた。
この時点でも常軌を逸脱した苦行を己に課していたが、その時ですらも己の手の内に奇蹟は宿らなかった。だが私は諦めきれなかった。
時にはチベット仏教の高僧へと教えを乞い、徳の高い司祭が居るとされる教会へはその説教を受けに通い詰め、悟りに近づいたとされる聖人が居ると聞けばどこであろうと赴いた。
彼らのいずれも私より年下であったが、その事に関して驕った事は一度もない。未だ神秘を持たざる未熟者であると自認していたからだ。
まあ行く先々で僧や信者の方々に手厚く歓迎を受けたのは謎だったが。
苦行は年々激しさを増していった。
生半可な修行ではもはや満足出来ず、チョモランマの山頂へと登頂し、大瀑布の中へ身を投じ、未開のジャングル奥地へと足を運び、失われた知識の探求と再現に努めた。
ああ、片目を失ったのはこの時期だ。
事故ではない、己で納得したうえでの対価だ。
北欧に名高き魔術神を真似、己に己を生贄と捧げる儀式を実行したのだ。片目を泉に捧げ首を括り、しかし結局得たものはなにもなかったと、その時は思っていた。
そんな苦行を超えた荒行の末、この世界には魔術師と呼ばれる者たちが実在していることを知ったのは九十代を半ばにした頃だ。
とある大学図書館に秘された魔道書が所蔵されていることを知り、その貸出許可を得るために向かった先で、同じ目的を持った、しかし強硬かつ短絡的な思考の人間と遭遇したのだ。
徒手空拳に火種を生み出し、使い魔を操り、呪言を放つ。そんなお伽話の存在。それが実際に目の前に存在していたのだ!
当然、己は歓喜したさ。
当時の顛末は省くが、まあこの魔術師とは物理言語で話し合った末に和解したとだけ言っておこう。そんな事よりも魔法だと興奮していたしな。
「ああ……懐かしい、話しだな」
件の魔術師と対話をしてみた結果、驚くべきことに私はこの道の世界では相当な有名人らしかった。
曰く、あらゆる分野に精通した導師の中の導師。
曰く、覚者へと続く聖なる人。
曰く、偉大法の体得者。
曰く、隻眼の魔術王。
他にも、魔道探究者やら深淵の者やらなにやら……まあ様々な異名を付けられていることを知って、年甲斐もなく笑ってしまったよ。
その実態は奇蹟のきの字も扱えない、ただの中二病を拗らせた面倒な爺だと言うのにな。
とは言え、そこから先はとんとん拍子だった。
話の中でようやく私が今まで魔法を使えなかった理由がわかったのだ。
この時点での私を車で例えるならば、エンジンもガソリンも不備は無く、車体も完璧でいつでも発進出来る状態でありながら、動かすために必要な鍵だけが無いという状態だったらしい。
成程と納得したさ。
殆んどの魔術師は最初に鍵だけを持っている状態であるという。これは両親や師、より大きな門閥などから教えを乞うあるいは引き継ぐもので、そこから徐々に修行を重ねて車体やエンジンに該当する部分、つまりは肉体や精神を完成に持っていくらしい。
私の場合は真逆を行っていたわけだ。
パズルの欠けた一ピース、それを持つ本物の魔術、魔法を行使する者を知己と得たのだから、その手に奇蹟を発現させるのにそう時間は掛からなかった。
本物の魔術師の協力の元で手解きを受け、百歳の節目にしてついに魔法を手にしたのだ。
その日ははしゃぎ過ぎて付近の天候を幾度も変えてしまったが、まあ興奮していたからしょうがない。
一緒の現場にいた魔術師にはドン引きされたが。なぜだ?
そんなこんなで紆余曲折。
気づけば最初に出会った魔術師は私の一番弟子を自認しており、更には他にも弟子を願い出る者たちが多く現れた。
とは言え己も魔術を身に着けたばかりの未熟者であると、先の例えを出して断ろうとしたのだが、弟子入りを志願する者たちはこぞって「貴方様を車と例えるならば、我らは良くて玩具のミニカーのようなものでしょう」と謙遜し、結局は押し切られてしまった。
「そうして増えていった弟子たちを纏めるために、アガスティアを設立したのだったなぁ……」
現在では二百余名を数える己の弟子達。
いずれも皆、違う系統の術の使い手であり指導には苦労したものだ。まあおかげで自分の身に付けた知識が無駄にならずに済んだし、知識の再確認も出来たしで一石二鳥ではあったが。
その間にも世間では第三次か第四次かの大戦が起きたり、表社会に魔術師の存在が露見し世界に浸透したりと色々とあったが、概ね有意義な時間であったろう。
「―――そして気づけば人間としての最高齢の記録を大きく塗り替え、こうしていまや木乃伊もかくやという様になっているわけか……」
どういう理由かは知らないが、魔法を会得した時から更に幾数年も年月を積み重ねてきた。普通の人間ならばとうに二度は死んでいるだろう年をだ。
その肉体はもうぼろぼろだった。
思考も精神もまだまだ現役だと自負している。だが鍛え上げた身体はまだ動きこそするものの、往年のキレは年々衰えていくばかり。
アカシャは肉体の死につられて、このままでは精神までも衰弱するのではないかと危惧し、だからこそ人生最後にして最大の荒行を成すことを決意したのだ。
それは俗にいう即身成仏。
ただし、それそのものではない。
アカシャ自身が考案した世界でも類を見ない、と言うより、人類史において完全に初の試みとなるだろう魔法。
死してなお死なず、黄泉返り、より上位の霊的存在へと己を昇華する大儀式。
基礎となるのは先にも言った即身仏の理論だが、そこに尸解仙へと至る羽化登仙の術法、さらに泰山府君祭や世界に数多ある甦りという概念を持つ儀式を組み込み、果ては冥府を司る神々への誓願。
この地底湖へと至る道中は冥府へ繋がる道の再現であると同時に、母なる地球への胎内回帰を意味し、己の収まるこの樹木は覚者の悟りの際にあった菩提樹と世界そのものを意味する世界樹を指す。
湖水を囲む十二の燈籠は、十二支であり十二星座であり十二宮である。同時にこれは十二の月、十二の時刻、そして十二の方位。
即ちこの狭い地下空間は世界そのものの縮図であり、己が座すこの場所こそは疑似的な世界の中心なのだ。
こうして最後の思考を行っている今も、刻一刻と死へ近づいているのが自分でもよく分かる。
多少の息苦しさは感じるが、痛みがないのは幸いか。
この儀式が完遂されれば、抜け殻の肉体はこの地にそのまま鎮座することが決定されている。
アガスティアに所属する弟子たちの先々の繁栄を願う、いわば御神体となるわけだ。
―――では己の魂は?
目論見通り神と等しき存在へと変じるのか、あるいは普遍無意識の海に浚われるのか、はたまた虚空の果てへと消え去るのか。
正直なところを言えばどれでも良いし、どうでも良いのだ。
思えば、長く生き過ぎた。
奇蹟を求め、奇蹟を探し、奇蹟を手にして……だが多くの者を置き去りに、今日までずっと生きてきた。
後の事は、弟子達が上手くやってくれるだろう。
それに関しては最初から心配はしていない。
「だが……」
だがしかし、だ。
唯一未練が残っているとすれば、そう。
ああ……ああ、願わくば―――
「―――もっと、魔法を…………」
己の欲望と渇望に誰よりも忠実に生きた人類史上最大・最高の魔人アカシャ。
その意識は最後の時まで夢を追いかけ続け、そして眠りにも似た闇の中へと閉ざされた。