1.帰郷
帰るなりフリージオに抱き着いたら、母様に怒られちゃいました。
着ている服がどーの、ふるまいがどーの、言葉遣いがどーのといろいろ言っていたけれど、まあ要約すると、
「大国の王女としての自覚を持ちなさい」
ってことだ。
だけど、公的には虚弱な姫として引きこもりな設定なのだからいいじゃない。いざとなったらちゃんと虚弱なお姫様のフリ、するしできるしさ。久しぶりの故郷と家族にテンション上がっちゃうのは仕方ないと思わない? 命がけの大冒険乗り越えてきた末娘に対して、もうちょっと寛容でもいいと思うの。《境界石の間》には家族以外いないのだし。
とグチグチ思いながらも、お説教が長くなるのはイヤなので、早々に自室に下がって着替えることにした。
あたしの部屋は、《境界石の間》があるこの塔の最上階、すべて。
その中心部には、《境界石の間》直通の双方向転移陣がある。
元々はおそらく、この塔および関連魔術の管理と、あの石の守護を任された人が住む部屋だったのだと思う。この部屋に入るには、塔の四階からであろうと、国王の許可が必要だから。
まあそもそも、この塔自体、入るのに許可が必要なんだけど。
ともあれ、今はこのあたし、ルリ・フィネスの部屋だ。
世界西方最大の王国の、王女の部屋だ。
だけど、だからって、これはない!
転移して、陣のある小部屋から出て目に入る光景に、あたしは足を止めて絶句した。
薄いピンクと白で統一された、とても可愛らしい、少女趣味全開な内装。
繊細なレース、丸みを帯びた家具、ふんわりタッチの花柄の布製品、愛らしいぬいぐるみ。
……確かにあたしも、可愛いとは思うわ。ものすごく可愛いわよ。こういうのが好きな子なら、絶対に大喜びする。スターチスやサクラの自室が、見たことはないけどたぶん、こんな感じなんだろうなー、と想像したことがある。
今、ここがまさに、その時想像した部屋だ。
だけど、あたしの好みじゃないのよね……。もうちょっとこう、シンプルな、装飾の少ない方が落ち着く。差し色も、ピンクはちょっと。
いくら長期間留守にしていて自由に弄る時間がたっぷりあったからって、ひどくない?
王女として、娘として、王宮での暮らしに王妃である母様の干渉は素直に受け入れてきたけど、これはちょっと、反抗させてもらおう。
とは言え、デザインはともかく、どれも最高級品だ。母様があたしのために、と考えて発注したのだろうし、あまりわがまま言えない。どうにか妥協点を探らなきゃ。
まったく、困ったものだわ。
ふかふかのきれいな絨毯を汚すのは気が引けるので、履き慣れてはいるけれどあまりきれいじゃない靴を脱ぎ、靴下で無人の部屋に歩を進めた。
この部屋に、侍女をはじめとする使用人の類は一切いない。
この塔が特別な場所であることも理由の一つだけど、あたしの部屋がここでなくても、王族と医者以外の入室は禁じられただろう。
あたしを隔離するための措置だからね。
……建前としては保護だけど、事情を知る人達なら、隔離、あるいは幽閉という本音が出てくるでしょう。
事情が事情だから仕方ないとは言え、ずっとここに独り、というのは寂しい。
ま、だからこそ、あたしはこうして自力で抜け出して、旅なんかしちゃったり冒険したり市井に紛れて暮らしてみたりしているのだけどね!
荷を下ろし、軽く汗とほこりを落として、広い衣裳部屋へ。その中の、これまた可愛い装飾がなされたクロゼットの一つを開けた。
「うわ……」
思わず声を出してしまう。前に見たときよりも、明らかに増えている。
服が、じゃないわよ。服についている装飾が、よ。
母様や姉様たちのどの服よりも動きにくそう……。
同じような服を日常的に着ているのなんて、滅多に動かないスターチスくらいなものじゃないかしら。あたしとしては、百歩譲って、せめてサクラくらいのものにしてほしいところ。
母様の服飾に対するこだわりからするに、装飾を無くすことは無理だろうからね……。
用意されていた数ある服の中から、出来るだけ装飾が少なくて、かつ、動きやすそうなものを選んで、魔術も駆使して、着る。
さすがにこういう服を一人で着こなすには魔術の手がないと厳しい。
まあ、慣れたけど。
動きにくそうでいかにもおとなしいお姫様ルックな服装は、着てみるとすごく似合っているからまた反応に困る。
あたしってほら、まだ子供だってことを差し引いても可愛く整った顔をしているじゃない? だからこそ、城の外では地味じゃない程度にシンプルな服を選んで、このお姫様っぽさというか、お嬢様っぽさを感じさせないようにしているのだけど……、母様プロデュースの服を着ると、髪を適当に梳いただけでもうお嬢様だ。飾っている間は装飾過多に見えるのに、着ると程よく品よく可愛らしい、このセンスは本当にすごいと思う。
ま、ここにある服はすべて胸元に王家の紋章が刺繍されるから、母様プロデュースじゃなくても、シェルナ王国の王女だと一目でわかるのだけど。
うーん、ここに入っている服や、皆が着ていたものから察するに、今は冬の初めかしら。宮殿内は魔術でどこも室温を調節されているからよくわからないけれど、どれも長袖だし、布が厚めだ。あたしがいた所はまだ日中は暖かい日もあるような秋だったから、温度の変化に体を早く慣らさないと。
確か、旅に出たのが夏の終わりだったから――結構長く留守にしていたのね。季節を一つ丸ごと留守にしたのは久しぶりじゃないかしら。
どうりでみんながほっとした顔をしていたわけだ。
ともあれ、髪を魔術で簡単にまとめたら、お気に入りの髪飾りを――
あれ?
今、何か妙な気配がした。
空間を不自然に乱す、転移魔術そっくりの、だけどそれにしてはおかしな気配。
これは自慢だけど、あたしは気配察知と空間把握に関しては世界一優秀だ。
我が国――魔術大国シェルナは、国内の人が住む場所はほとんど全てに結界を張っている。それは、大都市から寒村まで、魔術による犯罪の防止を目的として、初代国王を筆頭に歴代の王族が創りあげた、人類史上でも最上位に複雑かつ困難な高等魔術だ。
その効果の一つに、転移魔術の制限がある。距離だったり、場所だったり、許可証が必要だったり、相当複雑な制限だ。
なにせ、自宅内なら自由に転移できるし、魔力と技能が許せば国内のどこからでも自宅に転移可能なのに、他人の家には家主の許可なく転移できないようになっているのだ。公共の場所であれば転移で到着できる場所が限られているし、町から町への移動も、目的地が自宅でない場合は特定の場所にしか転移できない。
これによって、転移魔術を行使しての不法侵入を9割以上防いでいる。防げていないのは、まあ、あたしみたいな規格外な人間は世界中探しても他にいないけれど、人間以外ならすり抜けられる場合があるからだ。
悲しいかな、人間の魔術技量は全種族で見るとあまり高いとは言えないのだ。種族的な格差が明確に存在するからね。
それはともかく。
今さっき感じた気配は、その制限内で行われている――ように見せかけて、どこか別の、許可外からの侵入であるような気がするのよね。
だとしたら。
「まずいわね。担当術師が気づいているならいいけど」
シェルナ王国は魔術師の国だ。国民の9割が魔術師であり、重要な魔術の維持・管理には、当然優秀な術師が配属されている。
だけど、今の気配は物凄く巧妙だ。転移での帰郷直後だからこそすぐに気がついたけれど、そうでなければ、あるいは転移があちこちで行われる昼間だったら、このあたしでも気がつかなかったかも。
担当術師は当然、異変がないか常に警戒しているだろうけど……気づいているかしら?
あれほど巧妙な侵入者が、ただ侵入するだけとは思えない。よほど自分の腕試しがしたいとか、術の網目のすり抜けが趣味だとかいうんじゃない限り、侵入は目的遂行のための過程だろう。
問題は、その侵入者が何をしようとしているのか、だ。
この国で悪さしようってんなら、絶対に許さない。
ここは、あたしの大切な《帰る場所》なのだから。
急いで身支度を終えて、転移の小部屋から《境界石の間》に戻る。
そこでは、父様達が深刻な顔で何事かを話し合っていた。
「お待たせいたしました。これでいいでしょう? 母様」
「あら。よく似合っていてよ。さすがわたくしの娘」
にこりと少し笑みを見せ、すぐに母様の表情は曇った。
どうしたのか、訊ねる前に母様は父様に顔を向けた。
「ねえ、あなた。やはり、ルリには」
「くどいぞ、ハクベラ。公的にどうなっていようとも、現状、行き詰っているのは明確だ。ルリの能力を鑑みれば、何も知らせず何もさせないのは、それこそ王族として許されない」
父様の言葉に、母様と年長組――八人兄弟の上四人が、さらに暗い表情になった。不安なような、申し訳ないような、そんな感じでこっちを見る。長子のアメジスは父様同様平気そうな顔をしているけれど、あれは、悔しい時の目だ。
年少組――兄弟の下三人は、深刻な顔ではあるけれど、なんだろう、ほっとしているようにも見える。
「ええと、もしかして」
口を開きつつ、フリージオの前の、自分の席に着く。
「さっきの、妙な気配が何か関係してる?」
頬杖ついてそう言えば、全員が目を見開いた。
「さっきの、妙な気配?」
驚いた顔を隠し切れずに、父様が鸚鵡返しに呟いた。
どうやら、というかやはりと言うべきか、ここにいる全員、気付かなかったらしいわね。
ふうん。
そうか。
つまり、今、この国は。
「人間じゃ、太刀打ちできないような何者かに、侵入されているのね?」
重い、重い息を吐いて、父様が深く頷いた。
* * *
「……なんですって?」
父様の、感情を押し殺したような淡々とした説明に、あたしがようやく絞り出したのは、そんな言葉だった。
久しぶりの帰郷に浮かれていた気分が、一気に底まで落ちていく。
血の気が引く思いなんて、随分久しぶりだ。
深刻な皆の顔を見ても、せいぜい、得体のしれない強者が侵入していることは発覚しているけれど、なにをやっているのか分からないのだろう、と考えていた。だから、気配の察知に長けたあたしに調査してほしいのだと。
あたしなら、国民に顔が割れていないし、というかむしろ別の顔のほうが知られているし、そっちの顔で調査に乗り出すことができる。
その結果、危険人物とやりあうことになる可能性があるから、母様達はあんな顔をして感情では反対していたし、年の近い三人はあたしの実力なら大丈夫とほっとしたのだろう、と考えたのだ。
シェルナは世界で一、二を争う大国だ。豊かで暮らしやすい国だけど、人口が多い以上、どうしたってトラブルも多発する。
その数多くのトラブルのすべてを把握することは不可能だし、表に出ない事件だってある。一見どこでも起こりうる事故に見えて、大きな事件が裏で進行していたこともある。
近隣諸国との関係がどれも良好だというわけでもない。特に南隣の国とはおよそ千年にも渡って不仲だ。
それでも、戦争なんてここ三十年ほどは小競り合いですら関わってないし、自然災害だって大きな問題になるようなものは起こっていなかった。
なのに、何が起きているって?
……まだ半年も経っていないのよ? 旅に出て帰るまで季節一つ分しか経っていないのに、なんだってそんな事態になるわけ?
信じられない、信じたくない一心で聞き返すと、父様は一度きつく目を閉じて、深く息を吐いた。
「我が国は、現在、正体不明の何者かによって、襲撃されている」
改めて、父様が無感情な声で告げた。
ひゅっと、息をのむ音が聞こえて、胸が苦しくなる。
死者およそ3万人。
行方不明者およそ千人強。
生存者――わずか三名。
それが、帰郷したあたしに待っていた、祖国の惨状だった。
毎話このくらいの分量でやっていけるよう頑張ります。