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森の少年ヘンゼル

神聖都市ルヴェールの南東、城塞都市シュネーケンに向かう街道をまっすぐ進むと、平地から森に入り、小高い丘の上の集落がある。リーゼロッテ姫|(赤ずきん)の治めるルチコル村である。

街道を道なりに進み、周囲が森に覆われたところで、リュウマはあまりにも静かな森に、警戒して足を止めた。

耳を澄まし、臭いをかぐ。剣に手をかけ、盾を構える。

森は静まり返り、何も臭わない。陽光を受けて美しく輝く森は、生命にあふれているように見える。だが、あまりにも静かだ。まるで、何かを恐れているかのように。

しばらく待ち、結果として、何も起こらなかった。

あるいは、リュウマの気のせいだろうか。

街道からは外れない方がいいだろう。警戒を解かずに進むリュウマの前に、木からぶら下がる白い塊が目に入った。見たくはない。だが、見てしまった。

木からぶら下げられた物体は、人間の子供ほどの大きさがあった。細い糸により幾重にも巻かれ、白い塊に見えていた。

 自然界の生物であれば、白い塊は昆虫の卵か捕えられた獲物と解すべきだろう。しかし、あまりにも大きすぎる。子供の大きさとはいえ、中身が詰まっていれば、かなりの重量になるはずだ。しかも、吊るしているのは塊を形作っている細い糸の一本だけだった。

 街道からやや外れるものの、さすがに糸の中身が気になったリュウマは、森の中へ分け入った。

 近くで見ても正体が不明なら、不自然だが生物の卵として放置することもできるだろう。捕えられた獲物だとしても、中身が人間でなければ、あるいは干からびて死後かなりの時間を経過しているようなら、危険はないとして無視することはできるだろう。だが、それ以外であれば、人間を襲う魔物が森に潜んでいるということだ。

 シンデレラ姫の元を離れ、アンネローゼ姫|(白雪姫)を殺しに行くのだといっても、リュウマは騎士である。人間の脅威となる魔物を野放しにはできない。

 近づくと、糸のまくの奥に、逆さにつられた人の顔が見えた。顔がうっ血しているが、紫色にはなっていない。

「生きているか?」

「降ろして」

 若いというより、幼いとさえいえる声だった。はっきりとした人間の言葉は、確かにまだ生きているのだと思わせた。魔物に操られて話している可能性もあったが、そうとは思えなかった。見捨てることはできない。表面の糸に触れ、粘つかないことを確認すると、リュウマは剣を一閃した。どんな丈夫な糸でも、横からの圧力には弱いものだ。糸の一部が破壊されると、まるで卵からかえった幼虫のように、あるいは放出された便のように、男の子が地面に落ちた。

 リュウマは抱きとめ、男の子が、思ったほど幼くはないことに気が付いた。

「何がいる?」

 『どうした?』とは尋ねなかった。わかり切っていたからだ。魔物の仕業だ。

「大きなクモだと思う。見たことはないんだ。誰も見たことはないと思う。夜になると這いだして、糸で罠を仕掛けて、昼間は眠っているんだ。助けて。すごく強い奴なんだ。セジュールが捕まったかもしれない」

「セジュールだと?」

 それは、かつて共に戦った騎士の名前だった。地下迷宮の魔物に対し、的確で鋭い弓矢でリュウマを援護してくれた。

「うん。知っているの?」

「ああ。あいつなら、簡単にやられたりしないだろう。どっちだ?」

 リュウマの知るセジュールならば、騎士の中でも最も冷静で、まず生き残ることを考えるはずだ。勝てない相手にも執念深く張りつき、隙を見つけるまではなれない。直接の付き合いは短かったが、敵に回したく相手の一人だった。

「あっち。案内するよ」

 少年はリュウマの肩を掴み、自らの足で地面に立った。少しふらついているようだが、酷く消耗しているというわけではないようだ。

「私はリュウマだ」

「僕はヘンゼル。ルチコル村に妹と住んでいるけど、最近はずっと森にいるんだ。妹が森から離れなくなっちゃったからね。どうしてなのかは、会えばわかるよ。騎士セジュールが魔物の監視に来たから、僕が案内していたんだ。早朝だった。僕が魔物の罠にかかって、セジュールが助けようとしてくれたけど……僕は糸に包まれて何も見えなかった。セジュールの悲鳴が聞こえたんだ……僕は何もできなかった。きっと、まだ魔物は寝ていなかったんだ」

 ヘンゼルは話しながら歩きだした。森の中をまるで平地のように進む。森を完全に知り尽くしている者の歩き方だった。

 リュウマは不思議に思った。

「セジュールは魔物の監視に来たのか? 何を監視する?」

「知らないよ。セジュールがそう言っていたんだもの」

「そうか……魔物だとわかっているなら、討伐すべきだと思うが……。その魔物は、突然現れたのか?」

 ヘンゼルと名乗った少年は、この森の付近に長く住んでいるらしい。いつから魔物が住みだしたのかも知っているかもしれない。リュウマは尋ねてみた。

「ううん。少し前から……あちこちで魔物の噂を聞くようになってからかな。森に棲みついたけど、夜に森を歩かなければ出会うことはないし、あちこちに罠を作るから迷惑だけど、僕みたいに人間が罠にかかるのは珍しいんだ。初めてだよ、人を襲ったのは」

 その初めて襲われた人間が、騎士セジュールなのだ。

ヘンゼルの背中を追いかけながら、リュウマはヘンゼルが世界の異変を知る者であることを理解した。一般の市民は、世界が魔物に覆われたこと自体を知せないはずなのだ。それを知るのは、ごく一部に限られる。世界を治める七人の姫と、姫に仕える者たちだ。騎士もその一人であり、アリス姫に仕える帽子づくり職人のライツやウサギの耳をしたドリットも同様である。ヘンゼルはただ森に住むわけではなく、世界を治める七人の姫の誰かと近い関係なのだ。それは、疑うまでもなくルチコル村を治めるリーゼロッテ姫だ。

「誰かが悪戯でもして、人間に腹を立てたんじゃないか?」

 あえて、リュウマは聞いてみた。魔物であれば無条件に討伐すべきだと考えているリュウマが言うことではないが、ヘンゼルはそうは思わなかったようだった。

「そうかもしれないね。妹は教えてくれないけども、妹が何かしたのかもしれない。さっきも言ったけど、ずっと森に住んでいて、村に戻ろうとしないんだ。グレーテルっていうの。騎士さんも、グレーテルには気をつけたほうがいいよ」

「ああ。まだ生きているといいな」

 気をつけるのは、ヘンゼルに対しても同様だと、リュウマは言わなかった。この森はすでにシンデレラ姫が治める神聖都市ルヴェール領内ではない。そもそも、リュウマはヘンゼルに対して騎士だとは名乗っていない。外見だけで騎士だと判断できるだけ、騎士を見慣れているということだ。

 二人はしばらく森の中に分け入り、リュウマが街道の位置を見失った頃、ヘンゼルが止まった。

「ここがあいつの巣だよ」

 小高い丘のふもとに、穴が口を開けていた。リュウマは不思議に思った。

「クモのような奴だろう?」

「うん。見たことはないんだ。でも、糸で動けないようにして獲物を捕まえるから、きっとクモだよ」

 ヘンゼルの言うことに、リュウマは首を傾げた。目の前の穴は、地中深くに潜っているはずだ。人が立って入れるほど大きい。糸を吐いて獲物を待つタイプのクモが、地面に穴を掘って巣を作るというのは聞いたことがなかった。

「セジュールとグレーテルはこの中にいるのか?」

「わからない。入ってみて」

「そうだな」

 ――罠か?

 リュウマはヘンゼルを疑った。しかし、そうだと断定はできない。魔物の巣と思われる穴に、ヘンゼル少年を行かせるわけにはいかない。

 危険を承知でリュウマが穴の中に踏み込むと、リュウマは背中を強く押された。足元が崩れる。土に埋まる。だが、足元はさらに崩れ続けた。落ちながら振り返るリュウマの目に、感情のこもらない瞳で見降ろすヘンゼルの顔が見えた。


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