聖騎士姫シンデレラ 後
強い踏み込みと同時に繰り出される鋭い突きを、剣の腹でいなし、逆に打ち込む。リュウマの剣をシンデレラ姫は一見華奢に見える体つきながら盾で受け止め、リュウマの伸びた腕に剣を叩きつける。
即座にリュウマは腕を引いたため、シンデレラ姫の剣は空を薙ぎ、無防備な間隙が生まれる。横から薙ぐように木剣で払う。木と木がぶつかり合う、心地よい音が響いた。リュウマが横合いから打ち込んだ木剣を、シンデレラ姫が木剣の腹で受けたのだ。
互いに、ほんの一瞬だけ動きが止まる。視線が交錯した。シンデレラ姫が笑ったような気がした。リュウマも思わず顔がほころんだ自覚がある。
どちらが木剣を引いたのか、もはやわからなかった。だが、互いに木剣を引き、同じタイミングで打ち込んだ。木剣と木剣が再び激しく打ち合わさり、互いの頭上、脇腹、足元、腹部の前で乾いた音を上げた。数十合に及ぶ打ち合いの後、リュウマはシンデレラ姫が顕したわずかの隙に打ち込んだ。全く同時に、風を切る音を聞いた。
リュウマの剣先が、シンデレラ姫の喉元で止まり、シンデレラ姫の剣先が、リュウマの喉元にあった。シンデレラ姫の髪がほつれ、体から蒸気を上げるさまに、リュウマは自分の主人は本当は人間ではなく、地上に舞い降りた神なのではないかという幻想に囚われた。シンデレラ姫が即座に次の行動を起こせば、まさに剣を交えた相手に見惚れたリュウマは、一太刀で敗北していただろう。
だが、シンデレラ姫も意識を削がれた。訓練場の建物の奥から、甲高い声が姫の名前を呼んだ。
「シンデレラ、いつまでお稽古をしているの? そろそろ舞踏会の準備をなさい。皆、あなたのドレス姿を楽しみにしているのよ」
訓練場の奥の扉を開けながら声をかけてきたのは、シンデレラ姫の継母アマーリエだった。継母でありながら、シンデレラ姫を支える重臣でもあり、つねに優しくシンデレラ姫をサポートしている。手にしている大きな駕籠に、たくさんの衣服が見えた。上に乗っているドレスを見れば、舞踏会用のシンデレラ姫の衣装に違いない。
「継母様、時間には遅れずにまいりますゆえ、しばらくのご猶予を」
シンデレラ姫はリュウマの首に木剣をつきつけたままであり、リュウマも同様である。アマーリエは心配そうに声をかけた。
「でもシンデレラ、あなたは一人ではお着替えできないじゃない。どうするの?」
「心配には及びません」
シンデレラ姫が、わずかに首の位置をずらしながら、前に踏み込んだ。リュウマも受ける。二人の顔が近づき、その中央で木剣が木剣を捉えていた。
「そう。ほどほどにね」
「感謝します」
アマーリエが衣装の入った駕籠を置き、背中を向ける。シンデレラ姫の手首が返り、リュウマの顎を薙ぎあげようとした。リュウマはのけぞってかわし、伸びたシンデレラ姫の脇腹に打ち込み、シンデレラ姫が木剣で受けた。シンデレラ姫は受けた木剣を前に突き出し、リュウマは切っ先をそらした木剣でさらにシンデレラ姫を責める。
アマーリエが去ってからさらに数百に渡って打ち合い、ついに、二人の木剣が柄元からへし折れた。
「剣を変えて続けるか?」
全身から汗を滴らせながら、シンデレラ姫が尋ねた。時間があるはずがない。
「姫様さえよろしければ」
「うむ……残念だ」
傾きかけていた日は沈み、あたりは夜の寒気に包まれようとしていた。遠くから、楽隊の演奏が聞こえてくる。
継母アマーリエとの約束は、すでに破ってしまったのだ。
「さすがに、顔も出さんと言うわけにはいかんだろう。継母様の対面を潰すことになるしな」
「勝負はお預けといったところですか」
リュウマは激しい訓練を終え、高揚した気分で思ったことを口にしてしまった。シンデレラ姫が口をへの字に曲げた。
「何をいっておる。常に私に合わせた戦い方をしおって。実戦になれば、戦場では、はるかにリュウマの方が強いはずだ」
「いえ。実戦で姫様に剣を向けるなら、自害いたします。戦場で姫様の前に敵が現れるようなことがないよう、日々鍛えております」
「私を、飾り物扱いするつもりか?」
仮に戦争になったら、シンデレラ姫は自らが先頭に立って兵を率いようとすするだろう。それだけはさせてはいけない。シンデレラ姫の周りにいるすべての者の願いが、本人には届かないのだろうか。
「姫様が飾り物の聖騎士であれば、お仕えするのは楽でしょう。そうでないから、苦労しております。お仕えのしがいがある、と思っております」
「ふむ。食えぬ奴だな。リュウマの力量は堪能させてもらった。これから、ずっと苦労させてやるから、楽しみにしておれよ」
シンデレラ姫は折れた木剣の柄をリュウマに押し付けながら、訓練場の奥に足を向けた。笑っていた。リュウマの悩みは何も解決できていない。だが、シンデレラ姫と会って、考えることすら無意味なものに思われた。
稽古は終わった。リュウマは折れた木剣の残骸を拾い集めた。シンデレラ姫が髪をかき上げ、汗が飛び散った。星の光をまとっているかのようだった。リュウマは、執事になるのを断って正解だったと確信した。四六時中主人の周りにいる執事が、ことあるごとに主人に見惚れていては仕事にならない。
「待て。どこに行くつもりだ?」
リュウマはシンデレラ姫に会いに来るつもりはなかった。いとまごいをしようとした。訓練場を掃除し、辞するつもりだった。ルーツィア姫(人魚姫)の部屋のように、出ていけない場所ではない。壁となっている生垣を割って出ても、騎士であれば見とがめられることはないだろう。
「姫様が舞踏会に出られるのであれば、私はここにいても仕方がないかと」
シンデレラ姫は、訓練場の奥に向かっていた。その先には、継母アマーリエが置いていった衣装がある。
「継母様の話を聞いていただろう。私に一人で着替えろというのか?」
「はっ?」
駕籠の中から大きなタオルをとり出し、シンデレラ姫は汗をぬぐいながら言った。リュウマが思わず意味をなさない声を発して問い返す。主人に対して、通常出さない声だった。
「手伝え」
「私が、ですか?」
「決まっているだろう。他に誰がいる」
シンデレラ姫は、ためらいも見せずに聖騎士の鎧を脱いだ。
王女として育ったため、シンデレラ姫は感覚が一般庶民とは違うのだ。リュウマそうにちがいないと結論づけた。
リュウマが見ている前で堂々と全裸になり、タオルで汗をぬぐい、香水を身にまとい、下着をつけた。その間、リュウマはシンデレラ姫が脱ぎ捨てた鎧や肌着、下着を拾い上げ、整理した。シンデレラ姫はずっと背中を向けていたものの、リュウマに目を閉じることも要求しなかった。リュウマはシンデレラ姫の下着を丁寧にたたみながら、長い髪のみが覆い隠す白い肌を瞳の奥に焼きつけた。
「さて……ここからが問題だ」
新品の下着を身に着けただけの姿で、シンデレラ姫は駕籠の中に山と積まれた衣装をつまみ上げた。
「服を着るだけで、そんなに大変なのですか?」
「言ったな。ではリュウマよ、私に見事着せて見せるがいい」
自分では服を着られない自信というのは、相当なものなのだろう。シンデレラ姫は胸をそらせた。リュウマは肌着から始まり、下着以外のほとんどすべての衣装をシンデレラ姫に着せることになった。
「私はこれでいいと思いますが、不思議と大分余りましたな」
舞踏会用のドレスに身を包んだシンデレラ姫は、リュウマにとっては魂を抜かれるほど美しかった。正視すると目を放せなくなるのではないかと思い、あえて顔をむけず、駕籠に屈んだ。リュウマには、使い道がわからないものがたくさん余っていた。
「これでいいのか? ずいぶん楽だが?」
「普段は苦しいのですか?」
思わず振り向いてしまった。シンデレラ姫はリュウマの動揺に気づかず、同じように駕籠を覗き込んだ。
「うむ。腰でも足でも、召使いたちは妙に締め上げるのでな……使わなくてもいいと思うか?」
シンデレラ姫は、いまいましそうに木で作られた薄い鎧のような道具を指でつついた。
「身を守るためですか?」
「いや。立ち姿を美しく見せるためのようだ」
いいながら、シンデレラ姫が立ち上がる。姿見に全身を映した。リュウマは見惚れながら、素直な感想を口にした。
「不要でしょう」
「そう言ってくれると思っていた」
シンデレラ姫は笑う。姿をほめられたことではなく、胴体を締め付ける道具を使わなくてもいいことに対してだった。だが、明らかに必要な品が、まだ残っていた。
リュウマは、駕籠の奥に追いやられていた、透明の靴を持ち上げた。
「これで最後でございます」
「うむ。やはり、それを履くことになるか」
「仕方ありません」
踵が高く、歩きにくいのだろうとリュウマは思った。何より、靴は小さかった。しかも、ガラスでできていた。シンデレラ姫に設えたものに違いないが、靴が変形しない分、足にかかる圧力は通常の靴より大きいだろう。
シンデレラ姫は椅子に腰かけた。何もつけていない剥きだしの足をリュウマに向ける。淡い青色のスカートの下から、白く形のよい足が覗いた。リュウマが履かせろというのだろう。リュウマにいまさらためらう理由はなく、シンデレラ姫の足元に両膝をつき、靴の片方とシンデレラ姫の足を掴んだ。
「なあリュウマよ、そなた私に、話すことがないのか?」
突然だった。着替えが終わる頃合いを見計らっていたかのように、シンデレラ姫が尋ねた。リュウマは、すぐにアリス姫のことを思い浮かべた。シンデレラ姫に、アリス姫が与えた任務の内容を話すわけにはいかない。リュウマは靴と足を掴んだまま、シンデレラ姫の顔を見上げた。
彫刻のように整った顔で、澄んだ瞳をリュウマに向けていた。稽古中のような鋭い視線でもなく、着替えを手伝わせている間の、リュウマの反応を楽しんでいるかのような楽しげな眼付きでもなかった。真剣に、下問された。
だが、リュウマは素直に答えることはできなかった。
「お美しいです」
舞踏会用の衣装に着替えたのだから、誉め言葉を発するべきではある。しかし、シンデレラ姫は誤魔化されなかった。
「そうではない。アリスから聞いている。リュウマよ、そなたはしばらく私のもとを離れるそうだな」
アリス姫の名が出た瞬間、リュウマは胃の縮む思いがした。だが、アリス姫はすべてを語ったわけではない。確かに、シンデレラ姫にはアリス姫から言っておくと、リュウマ自身にも語っていた。
「……お許しください」
「ルーツィアがリュウマを連れてきた時は、私を裏切ってルーツィアに仕えるのかと思ったぞ」
「私の主君は、シンデレラ姫だけでございます。たとえ、お傍にはお仕えできなくとも、そのことは変わりません」
「理由は言えぬか」
シンデレラ姫はやや寂しそうに、呟くように言った。リュウマは答える言葉を持たなかった。シンデレラ姫の足に、ガラスの靴をあてがう。吸い込まれるかのように、シンデレラ姫の文句のつけようもない見事な足が収まった。
もう片方、ガラスの靴をとり上げる。
「あらためて問うが、リュウマよ、この衣装を着た私をどう思う?」
聞かれた内容が異なっていた。リュウマが再び顔を上げる。シンデレラ姫は、少しだけ笑っているような気がした。
「私は詩人ではございません。お美しいという以外に……言葉を知りません」
「聖騎士である私が、ドレスを着て舞踏会に出て、滑稽ではないか?」
リュウマは、シンデレラ姫がどんな格好でどんな場所に出ようが、滑稽だとは思わないだろう。むしろ、シンデレラ姫には鎧を着て剣の稽古などせず、王女としてふるまっていてほしいとさえ思う。だが、シンデレラ姫がそのような答えを望んでいないことも理解していた。
「姫様であれば、どのような舞踏会でも、もっとも美しくいられることと思います。ただ、私がお仕えしたいのは、聖騎士であるシンデレラ姫でございます」
リュウマは嘘をついた。主君であるシンデレラ姫に、初めて、嘘をついた。
「ではリュウマよ。そなたもはや、主人である私に恥をかかせるような真似はするまいな?」
ただ片手にガラスの靴を持ち、シンデレラ姫の足を掴んだまま、リュウマは迷った。舞踏会には出なければならない。だが、踊るのはしたくない。ならば、踊れないようにすればいい。リュウマは顔を上げた。シンデレラ姫は見降ろしながら、笑みを浮かべていた。リュウマの反応を楽しんでいるのは明らかだ。
「……よろしいのですか?」
「ああ。私のためにしたことだ。恩赦ぐらいは与えられよう」
シンデレラ姫のためという大義名分があれば、罪は許される。リュウマは覚悟を決めた。
「では」
手にしていたガラスの靴を握りしめ、懐にいれる。もう片手に掴んでいたシンデレラ姫の足に、リュウマは唇を寄せた。
「これ、それは騎士の礼儀ではあるまい」
「一時、騎士であることを忘れます」
リュウマは立ち上がった。シンデレラ姫は立ち上がらず、高い踵の靴を片方だけ履いたまま、リュウマに声をかけた。
「息災でおれよ」
生きて帰る。リュウマは誓い、シンデレラ姫の元を後にした。