ローズリーフの正体
鏡の中のルクレティア姫の声は、魔法で拡大したかのように響き渡った。世界中に鳴り響いたのではないかと思えるほどだ。
だが、言った瞬間だった。画像の中のルクレティア姫が、一瞬で氷の彫像に変化した。リュウマが知る滑らかな肌も、もはや人間の色はしていなかった。凍ったのではない。体が氷に変化したのだ。
鏡の前に、別の顔が映った。目鼻立ちは整っていたが、目つきが鋭く、世の中のすべてを恨んでいるような顔だと、リュウマには感じられた。何かを探すように覗き込んでいる。突然、画像は消えた。
部屋に明るさが戻る。
「いまの、ルクレティアよね」
ルーツィア姫の問いに対して、この部屋の中では初めて、シンデレラ姫が応じた。
「ああ。見間違えるはずがない。あれは、いばらの塔で眠っていると言われていたルクレティアだ。その後の女は、ヴィルジナル、雪の女王だろう。ルクレティアはリュウマ、お前の名を呼んでいた。何が起きたのだ? すべて……話してはくれないのか?」
最後の問いかけだけ、シンデレラ姫は声を落とした。シンデレラ姫の中の葛藤を知り、リュウマは心底申し訳なく思った。
「長い話になります」
「構わない。聞こう。お前の話なら、どんなに長くても聞いてやる」
「ええ。でも、お話が長くなるなら、お茶が欲しいわね」
ルーツィア姫がにっこりとほほ笑んだ。リュウマにお茶を淹れろと言っているのだ。シンデレラ姫の部屋に、一式のセットが備え付けてあるのを知っているのだ。明確に、部屋の一隅を指さしたのだから。
結局お湯を用意させ、リュウマはお茶を淹れることになった。シンデレラ姫の体にも、温かいお茶が必要だとルーツィア姫が譲らなかったのだ。一口含み、シンデレラ姫はため息のように白い息を吐きだした。
「なるほど、美味いな」
「ねっ! 騎士にしておくの、もったいないわ」
ルーツィア姫は相変わらずベッドの上に半身を乗り出していた。シンデレラ姫はルーツィア姫の水のように滑らかな頬を撫でただけで、何も言わなかった。
リュウマはいよいよ、告げなければならないと思う時が来ていた。だが、その前に、背後で物音がした。シンデレラ姫の部屋を、控えめにノックする音が響いたのだ。
シンデレラ姫は首の動きだけで了承し、リュウマは背後の扉を開けた。
「はぁい。ルヴェールの参謀にしてノンノピルツの主、アリスちゃんご到着でぇす。さっきのはなぁに? 私も初めて見たわ。ルクレティア……どうしちゃったのぉ?」
黄色い髪を左右に束ねた、姫達のなかでもっとも若く、もっとも知略に富んだアリス姫がそこにいた。何より、アンネローゼ姫の暗殺をほのめかし、神聖都市ルヴェールからリュウマを追い払った張本人である。本人に悪意がないのか忘れてしまったのか、リュウマを見ても顔色一つ変えず、体の位置をずれしてベッドを視界に入れ、シンデレラ姫に笑いかけた。
「それを、これからリュウマに聞こうとしていたのだ」
「へぇぇ。何か知っているんだぁ。アリスも知りたいなぁ。ルヴェール中の窓ガラスにも、水たまりにも、一斉に同じものが映ったんだよ。きっと、世界中に映されていると思うなぁ。あんな大きな魔法、見たことがないよ。ところで、私はぁぁぁ、氷の巨人ってやつと遊んでやろうと思ってきたんだけどぉぉぉ、もう終わっていたみたいね。せっかく、トランプの兵隊さんたち連れてきたのになぁ。シンデレラのことだから、無茶な特攻するんじゃないかと思って心配していたけど、上手く倒したみたいで安心したよぉ。よくあんな魔物、誰も死なないで退治できたね」
「私の手には負えなかった。倒したのはリュウマだ」
シンデレラ姫の声が、一転して誇らしそうに聞こえた。リュウマは、自分のことを自慢にしているシンデレラ姫を、見ることができなかった。シンデレラ姫に背を向けたまま、目の前のアリス姫の目が意地悪そうに笑うのを見ていた。
「へぇぇぇ。さすがだねぇ。騎士でもないのにぃ」
「なんのことだ?」
シンデレラ姫の声が厳しくなる。ルーツィア姫がシンデレラ姫を抑えるのがわかった。アリス姫はリュウマをかわしてシンデレラ姫のベッドに駆け寄った。
リュウマが振り向くと、ベッドの上に座りこんだアリス姫がリュウマを指でさしていた。
「だってこの人……」
「私は、シュネーケンの裁判で、騎士位をはく奪されました。もう騎士ではありません。その裁判では、死罪となり、死刑も執行されました。法的には、私は死んだ人間です」
「あぁ、自分で言っちゃうんだね。シンデレラを脅かそうと思っていたのにぃ」
「いずれ、わかることです。それに、これから言うところでしたから」
「何があった! リュウマお前、何をしたんだ」
シンデレラ姫はベッドから起き上がろうとした。背後から抱きすくめようとしたルーツィア姫を振り払う。シンデレラ姫の弱った体ではベッドから落ちてしまうと感じ、リュウマが駆け寄った。シンデレラ姫の両手が、リュウマの鎧を掴んだ。
「何の罪だ! どうしてお前が死罪になんかなるんだ!」
「シュネーケンの姫、アンネローゼ様を殺そうとしました。その罪です」
リュウマの目の前にある、シンデレラ姫の目が大きく見開かれた。
「……なぜ、そんなことを……」
「そんなこと、決まっているじゃない。この人が、シンデレラのため意外に、そんなことするはずがないでしょ。この後、世界の情勢がどうなっても、アンネローゼはシンデレラにとって疫病神になる。そう思いこませたのは、私だよ。結局死刑っていうことは、任務失敗……かな?」
シンデレラ姫は茫然とアリス姫を見ていた。最後に可愛らしく首を倒したアリス姫に向かい、シンデレラ姫は激昂した。
「アリス! 貴様、リュウマが私にとってどれだけ大事な騎士が知っていたはずだろう! どうしてそんな真似をした!」
シンデレラ姫はアリス姫に飛びかかろうとした。止めたのはリュウマである。リュウマはシンデレラ姫に鎧を掴まれたままだった。飛びかかろうとしたシンデレラ姫の体を受け取め、そのまま、ベッドに寝かした。
「仕方ないじゃない。だって、アンネローゼが言ったんだよ。『シンデレラの騎士の中から一人を選んで。あなたが選んだ騎士が、世界を救う鍵になるはず』って言われて、シンデレラなら、誰を選ぶの?」
「……アンネローゼが言っただと?」
「うん。アンネローゼが、私を殺しに来る騎士を選んでってね。アンネローゼは、私と違ってなんとなく魔法に詳しいんじゃなくて、きちんとした魔女だから、きっと理由があると思って」
「なら……どうしてリュウマが死罪になる?」
「人間の社会って、複雑だわ」
紅茶を傾けながら、ルーツィア姫がしみじみと言った。その点についてはリュウマも同意見である。
「アンネローゼ様の思惑はとにかく、私がアンネローゼ様を殺害する目的でシュネーケンに向かったのは事実です。アンネローゼ様の周囲に、それを心配する者たちがいました。私がうかつだったのです」
リュウマはシンデレラ姫を組み伏せたままで言った。シンデレラ姫の手が、リュウマの胸を押すように力がかかり、すぐに脱力した。リュウマの胸には、騎士が仕える姫を象徴する、エンブレムが飾られているのが通例だった。リュウマの胸にあったはずのエムブレムは、削り取られたままだった。それがラプンツェル姫による戯れであろうと、シンデレラ姫が気づいたのだと知ったとき、リュウマは心臓をわしづかみにされたような痛みを覚えた。
「シンデレラ様、申し訳ありません。償いは、必ず」
「……許さない」
「申し訳ありません」
シンデレラ姫の低く、脅すような声に応じて、リュウマも声を落とした。ルーツィア姫とアリス姫に見られているのだ。感情をむき出しにするようなことは、慎まなければいけないと思っていた。シンデレラ姫は違った。
「……私の……リュウマを……」
削られたエンブレムの痕に爪を立てながら、シンデレラ姫はもう片方の手で、リュウマの頬に触れた。
「こんなに……痩せて……シュネーケンの奴ら、いずれ後悔させてやる」
声が震えていた。二人の様子に全く興味がないのか、あるいは意図してか、ルーツィア姫が突然本題に戻した。
「でも、さっきのがルクレティアなら、アンネローゼの思惑どおりに色々いったということかしら? ルクレティアは、目覚めたの?」
リュウマは体を起こそうとしたが、シンデラレ姫が許さなかった。リュウマは覆いかぶさるような形になりながら、説明を試みた。だが、細かく説明すれば、ルクレティア姫が聖女となることを忌避した経緯や、聖女の力そのものにまで触れなければならない。リュウマの口から説明するには、荷が重い話しだ。それ以上に、リュウマの頭の中で、何かがつながった。ルクレティア姫が助けを求めた。同じような現象を、アンネローゼ姫の部屋で見たことがあった。
「……魔法の鏡です」
「なに?」
尋ねたのは、いまだにリュウマに組み伏せられたままのシンデレラ姫だった。リュウマはついに起き上るのあきらめた。シンデレラ姫も、その状態を甘受していた。
「私はシュネーケンからルヴェールまで、一昼夜で来ました。それは、シンデレラ姫が氷の巨人に凍らされ、踏み砕かれる映像を見たからです。あれは、アンネローゼ姫の部屋の鏡でしたが、アンネローゼ姫はその鏡はただの姿見だとおっしゃいました。また、こうもおっしゃいました。『魔法の鏡は、きまぐれに真実を告げる』と。私が見た映像は、魔法の鏡が映した未来だったのでしょう。魔法の鏡は、他の鏡や窓に、姿が映るものに、映像も、場合によっては声も飛ばすことができるのでしょう。私の見たものは、変えることができる未来でした。さっきのルクレティア……様も、未来なのかもしれません」
リュウマは、ルクレティア姫に敬称をつけるのをためらった。かつて騎士セジュールと呼んでいた時の記憶が、あまりにも濃厚だったためである。リュウマの戸惑いに気づかず、リュウマの体の下で、シンデレラ姫は真剣に言った。
「なるほど……では、ルクレティアはまだ、眠っているということか?」
「……いえ、少なくとも、私がシュネーケンを出た時には、起きていらっしゃいました」
「本当か?」
「はい。ですが、映像のように氷になったりはしていません。先ほどの映像がいつのものなのか……これから放っておけば氷にされてしまうのか、まだ助けに行ける時間があるのかは、わかりません」
「アリス、解らないか?」
噂では、アリス姫は知らないことがないとも言われている。噂の信憑性は疑わしいとは思うが、どうして知っているのかわからないことまで把握しているのは事実である。シンデレラ姫が尋ねるのは当然だったが、アリス姫は小さく肩をすくめた。
「何も。でも……あの人は知っているかもしれないよ」
「誰?」
尋ねたルーツィア姫に対して、アリス姫は扉を指で示した。
「入って来てよ。そこにいるのは知っているんだから。何か用なんでしょ?」
扉が開く。シンデレラ姫の継母アマーリエだった。
アマーリエは用があってきたのだが、さすがに三人の姫が揃っている場に入ることをためらい、扉の外で様子をうかがっていたのだと語った。
「さっき、おかしな少女がルヴェールの兵士に保護されたの。大きな犬にしがみ付いて、とってもやせて、何日もろくに食べていないみたい。それだけなら、ちょっと変わった子だけど……『リュウマを呼んで』って、ずっと言っているのよ。その様子が、あまりにも可愛そうで……王宮の医務室で保護しているわ。リュウマ、心当たりある?」
リュウマはしばらく考えた。大きな犬にしがみついてたどり着いた、やせた少女だという。
「はい。おそらく、私の知り合いです」
「ああ、よかった。リュウマを呼ばないといまにも暴れ出しそうで、手を焼いていたの。できるだけ早く行ってあげて」
「はい」
リュウマは返事をした。アマーリエは動かず、部屋の中央をじっと見た。小さく頷くと、リュウマに言った。
「それから、優しくしてあげてね。シンデレラはきっと、初めてだから」
シンデレラ姫はリュウマの下になっていた。そのままの姿勢で話していたのだ。明らかに誤解が生じている。
「母上!」
シンデレラ姫が真っ赤になって叫んだ。
「あらっ? それとも、経験済みなのかしら?」
シンデレラ姫の髪留めが飛んだ。アマーリエは笑いながら扉を閉め、髪飾りは正確に扉に当たって床に落ちた。
「で、どうなの?」
「何が?」
アリス姫が身を乗り出し、シンデレラ姫がぶっきらぼうに答えた。
「だから……け・い・け・ん」
「うるさい! 私は寝る!」
シンデレラ姫は真っ赤になって布団をかぶった。リュウマは動くのを忘れた彫刻のように固まっていたが、さすがに体を起こそうとした。
「リュウマ、どこに行く?」
「犬に乗った少女に会ってみます」
「だめだ。もうしばらく待て」
布団を被ったまま、シンデレラ姫が言った。リュウマは騎士ではない。だが、シンデレラ姫の命令には逆らえなかった。
「……どうしてですか?」
布団から、シンデレラ姫の顔が出る。顔が赤い。良い兆候だ。凍り付き、死にかけていたのが嘘のようだ。
「せっかく戻ったのだ。せめて、私が眠るまで、そばに居てくれ」
そんなことを言っている場合ではない。リュウマは思ったが、小さく頷いた。シンデレラ姫は安心したように笑い、目を閉ざした。シンデレラ姫の呼吸が寝息に変わるまで、結局リュウマは動けなかった。
「最後まで、シンデレラに触れもしない。だから、私はあなたが嫌いなの」
シンデレラ姫が眠っていることを確かめ、体を起こしたリュウマに、ルーツィア姫が舌を出した。リュウマは苦笑しただけで、安らかな眠りに落ちたシンデレラ姫に背を向けた。リュウマ自身は、何日もベッドで寝ておらず、安らかな睡眠とは無縁だった。
リュウマは医務室に向かった。後ろに、アリス姫がついてきていた。
「私と一緒に来て、よかったのですか?」
「来ちゃいけない理由がある? シンデレラの寝顔をみて喜んでいるのは、ルーツィアだけで十分でしょ」
確かに、眠ってしまったシンデレラ姫についていても意味はない。ルーツィア姫は放っておいてもいいのだろう。シンデレラ姫と一緒にいるだけで幸せだと普段から公言しており、今でもベッドで眠るシンデレラ姫に、ほおずりでもしているのに違いない。
「それに、ルクレティアのこともまだ聞いていないし。どうやって目覚めさせたの?」
やはり、アリス姫は誤魔化せない。リュウマは意図的に誤魔化したつもりではなかった。魔法の鏡のことに気を取られて、話がすり変わってしまっただけだ。
「ルクレティア姫が眠りに落ちたのは、聖女の力とは関係なかったということです。先代の聖女は、力を継承させるまえに死に、ルクレティア姫は力を受け取る前に眠りに落ちました。今回、ルクレティア姫が起きたことと、聖女の力には関係がありません」
「なるほどね……だいたい解ったよ」
リュウマの言ったことだけで、だいたい解ってしまうのが、アリス姫の凄いところでもある。アリス姫は別に聞き直しもしなかったので、リュウマもそれ以上は説明を続けず、先を急いだ。
複雑に入り組んだ王宮の回廊を渡り、リュウマは医務室を訪れた。医務室は怪我をした侍従たちが通う場所である。御典医は王族専門の医師なので、勤めている医師は別人である。いまは、誰が怪我をしたわけでもないので、医師の腕は関係がない。
扉を開けると、不安そうに大きないぬ科の動物と抱き合う、やせぎすの少女がいた。アマーリエに命じられたのか、シンデレラ姫の姉メリーナが、動物を外に出すように説得している最中のようだった。メリーナに対し、少女自身が猛獣のように歯を剥きだして威嚇している。
大きな犬ではない。狼だ。ファニーと、お菓子の家に住んでいたグレーテルだった。
「リュウマ!」
グレーテルは立ち上がったが、駆け寄ったのはファニーが先だった。後ろ足で立ち上がり、リュウマの顔を舐めた。出遅れたグレーテルが、強引にリュウマに抱き付く。
「グレーテル、また痩せたな。まだ、お菓子の家に住んでいるのかい?」
「そんなこと言っている場合じゃないの。大変なんだよ!」
グレーテルは、お菓子の家について何も語らず、必要なことを訴えた。リュウマはうなずいた。それだけ重要なことを言おうとしているのだと理解したのだ。
「何があった?」
「あの……お話中悪いのだけど、医務室に犬は……」
リュウマはメリーナに首だけで振り向いた。ファニーとグレーテルに揃って牙をむかれていたためか、半泣きになっていた。
「このファニーは、犬ではなく狼です」
「ひっ!」
「しかも、私と森の魔物を退治した盟友です。後で掃除が大変かもしれませんが、大目に見ていただきたい」
「わっ……わっ、かったわ……仕方ないわね」
狼と聞いてから、メリーナの態度が明らかに変わり、逃げだすように医務室を出ていった。リュウマはグレーテルを抱き上げて、診察台を椅子代わりに並んで腰かけ、まずは落ち着くよう促した。アリス姫は置いてある椅子に、適当に腰かけていた。グレーテルは話し出した。
「私は……ヘンゼルとファニーと一緒に、シュネーケンに行ったの。もしかして、リュウマが裁判で死刑になるかもしれないって聞いて、私たちも、何かしなくちゃって……結局、何もできなかったけど」
「私とはシュネーケンで会わなかったな。シュネーケンに着いたのはいつだい?」
聞いているアリス姫にも理解できるように、リュウマは補足して尋ねた。アリス姫であれば、細かいことまでは言わなくても理解してくれるものと思っていた。その代わり、誤魔化しは通用しない。
「ええと……二日前。シュネーケンに着いたけど、知っている人はリーゼロッテぐらいだし、見つからないし……始めてきたし、解らなかったの。でも、死刑が始まったのはわかった。黒い覆面をした男の人が首を切り落とされて、私とヘンゼルは、リュウマじゃないって、すぐにわかったよ。リュウマはどこかにいるはずだから、探しに行こうって、ヘンゼルと相談していたんだ。リュウマはシュネーケンにはいられないはずだから、ルチコル村に戻っているかもしれない。見つけて、びっくりさせようって言っていたの。私とヘンゼルとファニーが、シュネーケンを出ようとした時だった。突然寒くなって。振り向いたら、シュネーケンが凍っていたの。氷がどんどん広がって……私たちは逃げたけど、追いつかれそうになって……ヘンゼルが私を庇って……氷になっちゃったヘンゼルは、シュネーケンの入口で凍っている」
「体が凍ったのかい? 寒いところにずっと置いたみたいに、冷たくて硬くなったのかい?」
「ううん。建物とかはそうだけど、ヘンゼルは体が氷に変わったの。他の人もそうだったみたい。だから、透き通って……ヘンゼル、死んじゃったの?」
「ちょっと待って、どうして、リュウマがルヴェールにいるって解ったの?」
口を挟んだアリス姫に、グレーテルは首を振った。
「知らない……そう、ここはルヴェールなんだ。私はただ、ファニーにつかまっていただけだから。ファニーは、リュウマがどこにいるのか知っているような気がしたの。だから、ファニーに、リュウマにところに連れていってってお願いしたの」
「ファニーはリーゼロッテ姫の友達だと聞いている。動物の言葉がわかるリーゼロッテ姫の影響を受けて、他の動物たちと会話ができているのかもしれないな」
リュウマはファニーに頭を掻いた。ファニーは嬉しそうに喉を鳴らした。リュウマはさらに尋ねた。
「リーゼロッテ姫が見つからなくても、セジュールを探さなかったのかい?」
「……誰? 私たち、頼りになる騎士は、リュウマしか知らない。だから、リュウマのところに来たかったの」
騎士セジュールの存在そのものが、なかったことになってしまったのだろう。リュウマは、せめて自分の記憶だけでも消えないように祈りながら、核心になる質問をした。
「シュネーケンの王城まで凍ったのかい? あそこには、四人の姫様がいたはずなんだけど」
「……わからない。でも……ファニーが丘の上で振り向いた時、私も見たの。お城の先まで、凍っているみたいだった」
「わかった。ありがとう。よく知らせてくれた。グレーテルは休むといい。ファニー、グレーテルについていてやってくれ。そんな顔をするなよ。戦いに出る時は、必ず声をかける。グレーテル、何か食べ物を運ばせよう。お菓子でいいかい?」
「……肉が食べたい」
「わかった。用意する」
お菓子の家を食べ飽きたのだろうか。リュウマは苦笑して立ち上がる。ファニーは動かなかった。リュウマが言ったように、グレーテルに寄り添った。
リュウマが医務室を出た時、アリス姫がリュウマの前に立った。
「待って、君、どこに行く気?」
「アリス姫の言葉とも思えません。この状況で、私が向かう場所がシュネーケン以外にあるのですか?」
「雪の女王、ヴィルジナルを倒しに、だよね?」
「もちろんです。魔物たちを放っているのがヴィルジナルだという確証はありませんでしたが、ルクレティア姫を氷にしたのはヴィルジナルに間違いありません。まだ、あの場所にいるはずです。手をこまねいてはいられません」
「勝算は?」
「……今回ばかりは、ありません」
「君、頭おかしいの? 私たちは、何も知らないんだよ。どうして突然、ヴィルジナルがあんな巨大な力を手にしたのか、その力に対抗する手段も、何も知らないのに、むざむざ殺されに行くようなものだよ」
リュウマは自分よりはるかに身長が低い、アリス姫を見降ろした。腰に手を当て、本気で怒っているようだ。だが、リュウマが考えていたのは全く別のことだった。
雪の女王ヴィルジナルが、どうして突然、シュネーケンを覆い尽くすような巨大な魔力を手に入れたのか、リュウマは知っていた。知っているはずだった。気が付かなければいけなかった。
「……私のせいだ」
「どういうこと?」
「私が、アンネローゼ様に言ったんです。アンネローゼ様は、ルクレティア姫が聖女を引き継がず、聖女の力は失われたと言ったんです。ですが、私は旅をしてきた経験から、聖女の力は完全には失われていない。おそらく、アンネローゼ様が引き継いでしまっていると言って……アンネローゼ様も否定しなかった……シュネーケンには、魔法の鏡がある。魔法の鏡の主人は、エルヴィーネです。エルヴィーネとヴィルジナルがつながっていれば、アンネローゼ様を騙して、聖女の力をヴィルジナルに渡すこともできた」
「ふぅん……なるほど……すべては推測だけど……たぶん正しいね。その通りなんだと思う。でも、ならなおさら、君を行かせるわけには行かないよ」
「なぜですか?」
「君が騎士ではないから。ここから先のことは、シンデレラとルーツィアにも相談しなくちゃ。リュウマ、戻ろう。急がなくても大丈夫。だってもう、みぃんな氷漬けなんだから」
アリス姫は笑って見せた。無理をしているのはリュウマにも解った。全く楽しそうではない。土気色の顔をして笑われても、痛々しいだけだ。だが、アリス姫の気遣いは嬉しかった。アリス姫も他人に気を使うのだと驚きながら、リュウマは廊下を急いだ。
リュウマはアリス姫とともに、シンデレラ姫の自室に戻った。今日だけでなんど訪れたかわからない。扉を開けると、まだ眠っていると思っていたシンデレラ姫が、開いた窓に向かって柔らかい日差しを浴びていた。時刻は昼に近いが、空を薄い雲が覆い、弱い陽光がシンデレラ姫の全身を優しく包んでいた。鎧を脱ぎ、ふんわりとした部屋着に着替えたシンデレラ姫は、絵本の中から抜け出たばかりのような、誰でも思い描く理想の姫君だった。代わりに、シンデラレ姫のベッドでは、ルーツィア姫が突っ伏していた。上半身だけをベッドに乗せて、眠ってしまったようだ。
「シンデレラ様、もうよろしいのですか?」
シンデレラ姫は、リュウマの声にゆっくりと振り向いた。ゆっくりとしか振り向けなかったのは、また、扉が開いても気が付かなかったのは、シンデレラ姫の手に乗る白い鳩が原因だった。一羽ではない。手に一羽、腕に二羽、肩に一羽が羽を休め、シンデレラ姫は真剣に耳を澄ませていた。
「ありがとう。ご苦労だった」
シンデレラ姫は言うと、窓の桟に置いてあった容器からお菓子を取り出し、宙に放った。鳩たちが一斉に羽ばたく。鳥を使役する伝説の聖女のようだと思いながら、シンデレラ姫は聖女ではないのだと、リュウマは自分に言い聞かせた。
「まだお休みになっているものかと思いました。お体はよろしいのですか?」
「ああ。すっかり元通りだ。さすがはルーツィアの持ってきた薬だな。リュウマが飲ませてくれたと聞いている」
リュウマは小さく会釈した。どうやって飲ませたのかまでは、詳しくは聞かされていないのだろう。それでも、リュウマには十分だった。自分の名前を呼ばれたからか、ルーツィア姫も顔を上げた。眠そうに目をこすっている。
「ずいぶん早いお目覚めでしたね」
「お前に馬乗りになられたまま本当に眠ってしまうほど、私は豪胆ではないよ」
どんなに硬く忠誠を誓おうと、シンデレラ姫が女性であることに変わりはなく、リュウマが男であることも変えようはない。リュウマは、なぜか非難されているような気になった。シンデレラ姫の口元は硬く結ばれていた。リュウマが口を開こうとしたとき、シンデレラ姫は言った。
「シュネーケンが落ちた。生きて動いている者は、誰もいないそうだ」
それば、鳩たちから得た情報なのだろう。シンデレラ姫は続けて言った。
「……だが、あまりにも唐突だ。鳩たちの言葉をそのまま信じることはできないが、深刻な事態が起きたことは間違いないだろう」
「雪の女王ヴィルジナルに襲われたようです。辛うじて逃げ伸びた少女が、狼に運ばれてきました。私の知り合いです。妄言ではありません」
シンデレラ姫の目つきが険しくなり、リュウマを射た。信じられない。そう言っているようだった。
「いくらヴィルジナルでも、そんなことができるはずがない」
「おそらく……ヴィルジナルは聖女の力を手に入れたのでしょう。シュネーケン全体が氷の城となるのを、少女が見ています」
「シュネーケンには、アンネ―ゼがいるんだぞ。そう簡単に、やられるはずがない」
「いえ。アンネローゼ様だけではありません。リーゼロッテ様、ラプンツェル様、ルクレティア……様も、一緒だったはずです。世界を治めるとされている姫は、この部屋にいる皆さんで全員です」
「リュウマ……知っていることを、すべて話せ」
世界が氷に覆われようとしている。
リュウマには、自分が『世界を救う鍵』となると言われたこと自体、間違いではないかと感じられた。
リーゼロッテ姫の騎士にセジュールと名乗る若者がいたことを知っていたのは、リュウマだけとなった。リュウマはセジュールのことを伏せたまま、シュネーケンに四人の姫が集まった顛末を語った。聖女の力を引き継ぐべきルクレティアが眠りにつき、アンネローゼ姫が本人も自覚のないままに聖女の力を継承した。毎日の儀式を欠かしたことで聖女の力が弱まり、魔物が世界を席巻し、眠りに落ちたのではなく別の人格に姿を変えていたルクレティア姫は、たまたま(リュウマはその点は脚色し、譲らなかった)本当の姿に戻った。リュウマがルヴェールに旅だった後、アンネローゼ姫の持つ聖女の力が奪われた。おそらく継母である魔女エルヴィーネにより、聖女の力はヴィルジナルのものとなった。
「やがて……世界は氷に覆われる。逃れる方法は一つか」
「はい。私もそう思います」
雪の女王ヴィルジナルを倒すしかない。そこで、黙って聞いていたアリス姫が口をはさんだ。ルーツィア姫も、シンデラレ姫のベッドに上がりこんで聞いていた。
「四人の姫を簡単に氷に変えるような化け物相手だよ。どうやって倒すのかな?」
「リュウマなら、何か考えがあるのではない?」
嫌味ではなく、ルーツィア姫は期待を込めて言ってくれた。それは解っているが、リュウマにその心得はなかった。
「あの四人は油断していたのだろう。きちんと準備していけば、なんとかなる」
シンデレラ姫は力強く断言したが、根拠があるわけではなかった。
「一つの街を、まるごと凍らせる奴だよ」
「……それは……そうなのか?」
アリス姫の指摘に、シンデレラ姫も顔色を失ったのだ。リュウマに三人の視線が集まった。
「私に、ヴィルジナルに抵抗できる力があるとは思えません。ですが、このまま放置するわけにはいきません」
「まあ、君には倒せないよ。だって、君は騎士じゃない。さっきもそう言ったよね。あれを倒せる可能性があるとすれば、騎士だけ……だよね?」
アリス姫はルーツィア姫に顔を向けた。ルーツィア姫は首を傾げた。
「んーーーーー……騎士によるかしら。でも、さっきの話が本当なら、そうなるわね」
「……そうだな……」
シンデレラ姫も呟くように同意したが、リュウマには解らなかった。今度は、リュウマが言う番だった。
「シンデレラ様、アリス様、ルーツィア様、知っていることがあるなら、話してください」
「もちろん。そのつもりで、シンデレラのとこまで来たんだものね」
アリス姫はいかにも何かを企んでいそうな表情で、顔中で笑った。
「つまり、聖女の力は二〇〇〇年、継承されてきたんだ。その力は、少しずつだけど着実に強くなって、人間に繁栄をもたらし、魔物を封じ込めた。
もともと世界には、二つの力があった。一つは聖女の力で、もう一つは魔物の力。どちらかが正義で、どちらかが悪だっていう単純な話じゃない。聖女の力と魔物の力は、もともとそういう名前だったわけじゃなくて、その後の結果からそう呼ばれているというだけだからね。それで、二つの異なる力が存在し、人間はというか、世界のあらゆる生物が、一つの力を選んだ。だから、一部の例外を除いたほとんどの生物が、似たような体の構造をしている。心臓や肺があって、血が全身を巡っている。
どちらかの力を選べば、もう一つの力が、人間に敵対的な存在に流れ込むのは当然だった、かな。聖女の力に対抗するように、魔物が生まれた。聖女の力がゆっくりと強くなるのにつれて、魔物は数を減らしたけど、世界はもともと二つの力の均衡で成り立っていたんだ。聖女の力も、魔物の力が消滅することは望まなかった。
そうして、いつの間にか、魔物の体内にローズリーフが生まれた。ローズリーフを持つ魔物は、どんなに強い聖女の力が満ちた場所でも、生きることができた。ローズリーフは、魔物に味方する力の象徴で、聖女の力もローズリーフを持つ魔物には及ばなかった。でも、自分の中にローズリーフがあるなんてこと、魔物は知らないし、聖女の力に見過ごされているなんとことも知らない。人間にとっては迷惑な存在だし、脅威だから退治するのも仕方ない。でも、そうして人間と魔物は憎しみ合いながらも、世界の均衡はとれていたんだ」
アリス姫は話し続けた。シンデレラ姫もルーツィア姫も、神妙な顔で聞いている。二人とも、知っていたのだ。ただ、リュウマは知らなかった。聖女の候補である姫であれば、当然知っていることだということか。
「ヴィルジナルと騎士のことは、まだ出てきませんか?」
アリス姫が持参したティーカップに、リュウマが紅茶を淹れた。アリス姫が紅茶を傾けながら続けた。
「雪の女王ヴィルジナルが何者なのか、いつから女王と呼ばれているのか、誰も知らない。体は氷でできていて、壊れても死なない。だから、氷でできた体のほかに、どこかに生身の体もあるはずだよ。だけど、見たことがある人はいない。
一つはっきりしているのは、ヴィルジナルは、どっちでもいいから力が欲しかったっていうことだね。あるいは、人間が聖女の力を選ぶ前から、ひょっとしたら、力が二種類に割れる前から、ヴィルジナルは生きていたのかもしれない。ヴィルジナルは、力を求める空っぽの器なんだって言われている。その中には魔物の力も入るけど、聖女の力が強くなった現在の世界で、魔物の中のローズリーフを回収しても物足りないのかもしれない。ここからは、ただの推測になるけど……ヴィルジナルは力を手に入れるため、ずっと狙っていたんだよ。人間は欲が深いから、いいなりにできる……聖女の力に近いところにいる誰かを……アンネローゼの母親、エルヴィーネみたいな人を」
「騎士というのは、特別な存在なのだ」
シンデレラ姫が後を続けた。騎士の話になるのを、待っていたかのように話し出す。視線は、厳しいほど真剣にリュウマに向けられていた。
「聖女の力が強くなりすぎることを、もっとも危惧していたのは聖女そのものだった。均衡を保っているはずの二つの力のうち、片方が消滅しては、もう片方も存在できないかもしれない。それを防ぐため、聖女の力は魔物の力を保護する方法を見出した。普通の人間は魔物のローズリーフを持つことはできない。聖女の力に守られているからな。だが、それでは魔物はひたすらに、消滅を待つほかない。魔物が退治されても、魔物のローズリーフが無事なら、魔物の力そのものは保護される。そのために、魔物を退治できる力を持つ人間を騎士とし、騎士だけが、ローズリーフを持てるようになった。誰かが意図してそうしたわけではない。聖女の力が自らを守るために自然にそうなったのだ。だから、騎士になるものには、必ず儀式を受けさせる。一度騎士になったら、公式の場ではく奪されない限り、騎士を辞めることはできない」
「騎士の中で、唯一ローズリーフを持てないのがシンデレラね。わかったでしょう。騎士は魔物を倒すために生まれ、同時に魔物を保護している。騎士というのは、私たち聖女の候補からみたら、穢れた存在なの。シンデレラが聖騎士っていうのは、騎士と同等の力がありながら、清らかなままの存在であることを意味するのよ」
ルーツィア姫はにこやかにいい、リュウマにお茶のお替りを求めた。
「ああ。私は聖騎士になったのではない。聖騎士にしかなれなかったのだ。私が退治した魔物は、ローズリーフを残すことなく消滅してしまうだろう」
シンデレラ姫は、推測でしか言うことができない。実際には魔物を退治したことはないのだ。周囲の騎士がさせなかった。どんなに訓練しても、実践が不足している。
リュウマは姫たちの言葉をまとめて言った。
「つまり……聖女の力を手に入れたヴィルジナルを倒すためには、魔物の力を持ったローズリーフが必要ということですね」
「そう。そのローズリーフをもつことが、いまの君にはできないってこと。今まで集めた分は、どうしている?」
アリス姫に問われ、リュウマは荷物入れの中から、ローズリーフを入れていた袋を取り出した。袋の口をほどく。魔物の力の象徴であるローズリーフを三人の姫は警戒しながら覗き込んだが、袋の中にあるのは、ただの茶色い砂にすぎなかった。リュウマが多くの魔物を倒し、手に入れてきたローズリーフは、形を失いただの砂に変わってしまっていた。
「リュウマほど、多くの魔物を倒した騎士はいない。リュウマが騎士に戻れば、ローズリーフは聖女の力からリュウマを守るだろう。しかし……それだけで、あれだけの力を持つヴィルジナルに、勝てるのか?」
神妙な顔をするシンデレラ姫に、リュウマはかける言葉を持たなかった。勝てるという根拠はない。アリス姫が言った。
「でも、今のままリュウマをヴィルジナルの前に連れ出せば、抵抗する暇もなく氷にされるに決まっているよ。もう一度、騎士になるしかないでしょ」
「でも、それにはあの人が必要よ。どこに居るのかしら?」
リュウマが淹れたお茶に顔をくゆらせながら、ルーツィア姫が言う。
扉が叩かれた。無遠慮な声が響く。
『騎士カシュバルです!』
「入っていいよ」
「アリス、ここは私の部屋だぞ。私に断りなく許可を与えるとは……」
「いいじゃない。どうぞ」
最後に言ったのはルーツィア姫だった。扉が開く。リュウマは習慣で、万が一の時に備え、腰の剣に手を添えながら扉の前に移動した。
騎士隊の副隊長であるカシュバルと、優しげな瞳をした利発そうな青年が立っていた。
赤みを帯びた髪で紳士然とした出で立ちをした青年は、騎士の世界で生きるリュウマやカシュバルとは、明らかに異質な雰囲気を持っていた。
「オズヴァルトと申します。アンネローゼ様に呼ばれてシュネーケンへ行く途中でしたが、ルヴェールへ行くよう突然指示を受けて、こちらへ参上しました」
「では、私はこれで」
騎士カシュバルは立ち去ろうとした。騎士隊の副隊長は忙しいのだ。オズヴァルトが止めた。
「お待ちください。あなたにもお手伝い願います。騎士になるというのは、簡単なことではありません」
「騎士に? 誰が?」
カシュバルは周囲を見回した。この場にいる誰が、新たに騎士になるというのか。カシュバルはそう思っているに違いない。リュウマは苦笑したが、何も言えなかった。
「オズヴァルト、あなたは?」
「ええ。初めてお会いしますね。初めて騎士になるのには、それほど難しい儀式は必要としませんから、代理の者に任せることが多いのです。ですが、二度目となると簡単には行きません。騎士になるというのは、この世界に満ちる理から、一部外れることを意味します。ただでさえ、不自然な存在なのに、一度ローズリーフに嫌われておきながら、もう一度騎士になろうというのですからね。魔物の力の象徴ですから、それなりに代償を求めるのです。そのために、僕が呼ばれたんです」
「リュウマを、騎士に戻せるのか?」
シンデレラ姫が尋ねた。
「ええ。本人が、強く望むのなら」
「なら大丈夫だ。リュウマ、そうだろう?」
シンデレラ姫は嬉しそうに見えた。リュウマは答えられなかった。シュネーケンで騎士位をはく奪された後、確かに解放感に満たされたのは間違いのない事実である。普段は自覚もしていなかったが、騎士であることが精神的な重荷になっていたのだ。もちろん、騎士に戻ることを厭うつもりはなかった。
「無理に騎士にならなくてもいいんじゃない?」
ルーツィア姫がティーカップを見つめながら言った。
「君が騎士に戻ったからって、ヴィルジナルを倒す方法は見つかっていないんだよ」
アリス姫も口を添える。
「何を言っている。リュウマは騎士以外の何になるというんだ。リュウマ、ためらうな。自分の気持ちに正直になればいい」
リュウマはシンデレラ姫に頭を下げ、突如現れたオズヴァルトに言った。
「私は、この世界を守りたいと願う姫様たちのために、最後まで戦いたい。そのための力を授けてほしい」
「再び騎士になる。そう受け止めていいのですね?」
「それが、最善であれば」
「わかりました。では、二つ条件があります。一つは、あらたに仕えるべき姫を選びなさい。もう一つは、騎士になるということは、人間の身で魔物に近づくことです。魂を変質させることをも意味します。これから、正気を失うほどの苦痛を与えます。あなたは、耐えなくてはなりません」
「承知した」
地獄が始まった。
目の前の光景が突然血の色に染まり、全身の痛覚神経がむき出しになったような痛みが走る。呼吸をすれば胸の筋肉が上下して叫び出したいほどの苦痛を受け、心臓の動きすら我慢がならない。
叫びながら騎士カシュバルが剣で斬りかかってくる。動かなければ死ぬが、動くことは死ぬ以上の苦痛である。リュウマは体の回転と腕の最小範囲の動きだけでやり過ごしたが、全身が悲鳴を上げた。背後の呼びかけに振り向けば、シンデレラ姫の輝くような柔らかい髪が血でべっとりとよごれ、首から上が床に落ち、血が噴水のように高く天井に達するのが見えた。
――幻覚だ。すべてが、まやかしだ。
ただ感じるだけの痛み、虚構だとわかった上での絶望など、シュネーケンで味わった汚辱に比べれば、ほんの戯言にすぎない。
気が付くと、目の前にオズヴァルトが好青年然とした顔で立っていた。ぽかんと口を開け、むしろオズヴァルトこそが信じられないものを見たような顔をしていた。
「弱い人であれば、この儀式で命を失うこともある。錯乱し、二度と戻らない人もいる。わずか数十秒でこの術を打ち破るとは……リュウマはどうやら、僕などが想像もできないような苦痛を味わってきたようですね」
「当然だ。そうでなければ、私の騎士をリュウマが辞めることなど、ありはしない」
満足げに、リュウマの背後でシンデレラ姫が呟いたが、シンデレラ姫本人の意図よりも、かなり大きく室内に反響した。シンデレラ姫が慌てて咳払いをしているのが聞こえた。リュウマはオズヴァルトから視線を離さずに尋ねた。
「もう……終わりか?」
「越えるべき修練は終わりです。これから、儀式に入ります。仕えるべき姫をあなたが選び、姫が拒否しなければ儀式は終了です。ここにいない姫でも構いません。姫が拒否したかどうかは、僕にはわかります」
オズヴァルトは片手で本を広げ、片手で複雑に印を結んだ。リュウマを中心に球体の奇怪な模様が出現したのを確認し、オズヴァルトは言った。
「魔物の力を忌避し、聖女の胸に逃亡したか弱き者リュウマが、再びローズリーフの力を求め、騎士にならんと欲すものである。慈悲深き聖女の許しを請う。願わば、聖女の候補よこの者を受け入れたまえ」
オズヴァルトに促されて、リュウマが一人の姫の名を口にしたとき、その現象は訪れた。




