聖女を継ぐべき姫ルクレティア
かつて騎士であった大柄な男が、赤い頭巾を頭部に巻いて人ごみに紛れた。見る者がいれば異様な姿だったに違いないが、リュウマの姿を気にとめる者はいなかった。
セジュールの姿はすぐにわかった。リュウマと同じように頭から頭巾をかぶり、赤い頭巾ではなかったが、姿を隠そうとしていた。肩にかけた弓が、群衆の頭を越えて突き出ている。身分を問われても騎士であり、騎士が武器の帯同をとがめられることはない。ただ頭部を隠しているのは、リーゼロッテ姫への責任追及を恐れたからだろう。
人々ができるたけ集まれるように、断頭台は広場の奥に作られていた。セジュールの腕であれば、弓を射る十分な広ささえあれば、死刑執行人を射殺せる位置にいた。
リュウマが広場にたどり着いた時、セジュールはほぼ群衆の中央にいた。長い弓が揺れていた。前に進むほど、人が密集していた。
人々がどよめく。黒い頭巾を頭から被せられた男が、セブンドワーフスのナイドと、リュウマが知らない小柄な男に引かれて姿を見せた。
死刑囚には、あの死刑囚に限って、セブンドワーフス以外の何者も触れることができない。それがアンネローゼ姫の命令である。男を避けるように群衆が道を空けた。セジュールが動いた。肩に担いでいた弓を手に持ち替えたのがわかった。
人々をかき分け、リュウマは少しずつ近づいていた。
黒い頭巾の男が、断頭台に打ち据えられる。男は逃亡を試みようとしていた。群衆の怒りが高まり、ナイドが荒々しく蹴りつけた。セブンドワーフスが痛めつけるのは禁じられていないのだ。ナイドに向かって歓声が上がる。まるで女優の舞台衣装のような服を着たナイドが、歓声に答えて群衆にキスを投げる。群衆にはそれにはブーイングで応じ、ナイドが激怒した。リュウマの目には、ナイドと観衆のやりとりが、演劇のように構成されていることが理解できた。
リュウマはセジュールに近づいていた。まだ、届かない。
もう一人のセブンドワーフスが、斧を手に取った。
断頭台のロープに、斧の一撃が加わろうとした瞬間、セジュールが背負っていた矢筒から矢を引き抜いた。
セジュールの動きは、周囲にいた群衆の注意を引いた。セジュールの周囲から、逃げようと人垣が崩れた。セジュールにとっては、それだけの空間があれば十分に矢を射ることができただろう。リュウマにとっても、セジュールに近づくまたとない機会だった。
セジュールの構える弓に矢がつがえられ、セジュールの腕の長さだけ引かれる。リュウマはセジュールの背後に至った。背後から、セジュールが普段から護身用に腰に下げているナイフを抜き取り、矢が放たれる瞬間、矢弦を切断した。
断頭台の上で、斧が綱を切断した。
巨大な刃が、黒い頭巾の男が突き出させられた、首に落ちる。
「リ……」
直前で主人を裏切った役立たずの弓を見降ろし、セジュールが茫然と呟く。放たれることのなかった矢が、セジュールの足元に落ちた。
リュウマはセジュールの細い肩を掴み、強引に振り向かせた。
「貴様! なぜ邪魔をした? 名を……」
「私だ」
互いに頭巾で頭部を隠した、二つの視線が交差した。
断頭台の上で、もう一つの頭巾をかぶった黒い頭部が転がり落ち、周囲を赤く染めた。群衆の歓声は頂点に達し、ナイドが死刑囚の血を浴びながら転がり落ちた頭部から頭巾を外し、民衆の目に晒した。だが、本来処刑されるべき顔と違うことに、気づく者はいなかった。
リュウマはセジュールの体を抱き抱えるように、人目を避けてリーゼロッテ姫の邸宅へ移動した。セジュールはただ茫然としており、全身から力が抜けたようにただリュウマの誘導に従った。
リーゼロッテ姫の邸宅には誰もおらず、リュウマは騎士セジュールをソファーに座らせた。
「まったく、無茶をする奴だ。あそこでセブンドワーフスを殺したりしたら、今度はセジュールが死刑になるところだぞ。私を助けて、その後はどうするつもりだったんだ?」
リュウマは赤い頭巾を外した。リーゼロッテ姫のいい匂いがしたが、堪能するような余裕はなかった。セジュールも頭巾を外して立ち上がった。いつものように力に満ちた目をしていた。整った顔立ちで、生気にあふれ、何より怒って見えた。
「リュウマ!」
「どうした?」
立ち上がり、近づいた騎士セジュールは、呼びかけるなりリュウマを平手打ちした。
「僕が、どれほど心配したと思っているんだ! 君が死ぬと思ったんだ! 助けられるとは思っていなかった。それでも、何もしないでいられるはずがないだろう! もし助けられたらなんてこと、考えてもいなかったよ!」
一言一言、発するたびにセジュールはリュウマを殴り、少しずつ距離がつまり、平手から拳に変わり、顔から胸に移った。セジュールは言葉を止めてもリュウマの胸を打つことを止めず、拳でリュウマの胸を打ち続け、やがて距離がなくなると、額をリュウマの胸に押し当てたまま、震えた。
セジュールはこんなに背が低かったのかと、リュウマは驚いた。普段は体の小ささなど感じさせなかった。リュウマの胸に額を押し当てていたセジュールは、腰を折っていたわけではない。それがセジュールの身長なのだ。肩幅も狭く、手足も細い。リーゼロッテ姫側近の騎士であり、世界でも有数の騎士であるはずなのに、どうしてこんな体で勤まるのかと、不思議に思うほどだった。
「セジュール、済まなかった。心配させたな」
リュウマはかつて騎士として共に戦った弓の名手の肩に、両手を置いた。肩を触れられたセジュールは、小さく体を震わせ、尋ねた。
「いつから、入れ替わっていた? 自分が死なないと知っていた?」
「昨晩遅くだ。セブンドワーフスが手引きをしようとしたが、私は拒否した。その後、ラプンツェル姫が来て、強引に私を牢から追いだした」
「では……裁判で死刑になると決まったとき、リュウマは、本当に死刑になるつもりだったのだな」
「……ああ」
「死刑になるのを受け入れるつもりで、あんな告白状を書いたのだな」
「……ああ」
脱走しようとしたのは、死刑が確定し、守衛すらいなくなった夜遅くのことである。ラプンツェル姫が現れなかったら、リュウマだけで逃げられた可能性は低い。できるだけの抵抗をして、敵わなければ今頃は首を落とされていただろう。
セジュールが額を押し付けたリュウマの胸が、熱く濡れた。セジュールの体が震え、声を張り上げた。
「許さない! 君を侮辱した騎士たちも! 死刑にしようとしたエルヴィーネも! 死刑を受け入れた君も! 君に、死を選ばせたシンデレラも!」
叫びながら、同時にセジュールはリュウマの胸を打った。顔をリュウマの胸に押し付けたままで、拳をうちつけた。もし手にナイフを持たせていたら、当にリュウマは死んでいただろう。それほどに、強くリュウマを打った。
「セジュール、落ち着け。いつも冷静な、お前らしくないぞ」
「冷静でなんかいられるものか! 残された者のことなんか、考えもしないのか?」
「シンデレラ様にご迷惑がかからないよう、努力はした」
「僕はどうなる! 君に死なれて、僕はどうしたらいいんだ!」
「セジュール? 何を言っている?」
リュウマは支えていた肩に力を入れ、騎士セジュールの顔を自分の胸からはがした。セジュールは上を向き、リュウマの顔を見つめた。涙が筋を作り、なおも目からあふれ出ていた。
「どこまで鈍いんだ! 君なんか、大嫌いだ!」
セジュールがリュウマの胸倉を掴んだ。セジュールに引き寄せられるかのように、リュウマの姿勢が下がる。顔が近づいた。
唇が触れあった。
塩辛かった。
セジュールの涙の味だと感じた。
――そうか。セジュールも、私のことが……。
リュウマはその意味を悟り、自分の腕をセジュールの背に回した。セジュールの背骨が折れるほど、強く抱きしめ、セジュールはそれに答えた。
その時、魔法が解けた。
リュウマは突然、誰を抱いているのかわからなくなった。
腕を解き、ほぼ抱き上げていた細い体の持ち主を床に下ろした。
見たことがある、別人のような気がした。
「……セジュール……だよな?」
「はは……アンネローゼの呪いが……解けちゃった」
離れたばかりの二人の唇が、透明な糸を引き、重力に従って下に落ちていく。
「アンネローゼ様の……呪い?」
リュウマの頭の中で、アンネローゼ姫が語ったことが一気に駆け抜けた。聖女になる準備をしていたはずの姫が、ある日突然聖女になることを迫られ、何を語ったか。アンネローゼ姫が、何を行ったか。知るはずのないことまでが、まるで映像で見ているかのように、リュウマの脳に映し出され、目の前にいるのが誰か、リュウマに教えた。
「まさか、ルクレティア姫?」
「僕は、ずっと騎士セジュールでいたかった」
整った顔だちの美しい姫が、目の端にあふれた涙を拭いた。幾筋も痕をつけた激しい涙の後に、穏やかにあふれる液体は、温かく、優しかった。
「失礼を」
咄嗟に、リュウマは騎士の礼をとった。もはや騎士ではない。そう思っており、実際に騎士ではないはずなのに、身に着いた習慣は治らなかった。
「やめて! 私は、そんな」
「立派な姫じゃない。その通りだよ」
ルクレティア姫の言葉にかぶせるように、部屋の入口から、とげとげしい言葉が飛んだ。リュウマは振り返らずとも、その声の主がわかった。ラプンツェル姫だ。リュウマが礼を解き、振り返ると、長い髪を体にまきつけるようにした勇ましい姫が、入口の扉に寄りかかった腕を組んでいた。
「ご免、リュウマ、止めたんだけど、ラプンツェルが聞かなくて」
ラプンツェル姫の隣で、リーゼロッテ姫が顔を出した。両手を合わせているのは、ラプンツェル姫を連れてくると面倒なことになると、知っていたのだろう。それを教えた張本人であろう、アンネローゼ姫がゆっくりとした足取りで部屋に入ってきた。
「お姉さま、お久しぶり。どうでした? 姫ではなく、騎士として過ごしてみて」
「僕……いえ、私自身、自分が姫であるということも忘れていました。でも、その間のことは覚えています。アンネローゼは、絶対に解けない魔法だって言っていたけど……」
「お姉さまが真剣に愛した相手で、その相手が真剣にお姉さまを愛したという条件でキスをした場合のみ、呪いが解かれる。そんな条件が揃うはずがない。そのために、わざわざ男の恰好をさせて、騎士にまでしたのに。本来は、姫が騎士になるなんて、絶対にありえないことなのよ。それなのに……世の中、私には理解できないことであふれているわ。リュウマ……どうしたの?」
リュウマは再び騎士の礼をとった。世界を治める七人の姫のうち、四人までが目の前にいる。ほかに、リュウマには取るべき行動がわからなかった。
「私は、先代の聖女を殺した犯人を探すために、再び騎士となる覚悟です」
「ええ。その準備はしているわ。でも、そのことと、お前が泣いていることに、つながりがあるの?」
「私が愛した騎士セジュールは、永遠に失われてしまいました。私が、軽率な行動をしたばかりに」
「待って、リュウマ、セジュールなら……」
ルクレティア姫は何かを言おうとした。その前に、アンネローゼ姫の杖が差し出され、ルクレティア姫の動きを制限した。ルクレティア姫がアンネローゼ姫を見る。アンネ―ゼ姫は、ただ小さく首を振った。ラプンツェル姫が、扉に預けていた背中を持ちあげた。
「そうだ! こいつは、そういう男だ! リュウマ、再び騎士になる以上、姫に手を出すような真似はしないな」
「当然です」
リュウマは立ち上がる。ルクレティア姫の顔は蒼白だった。リュウマはかつてセジュールと呼んだ友に、視線も向けなかった。リュウマはアンネローゼ姫に言った。
「私の装備一式をお返しいただきたい」
「シンデレラを助けに行くの?」
「はい。先ほど外に出た時、雪が降り始めるのを見ました。昨晩、シンデレラ姫は騎士たちを率い、雪原で戦っておられる映像を見ました。時期が近づいていると思います。一刻も早く、駆けつけなければ」
「そうね。ルストに用意させてある。また、そこの赤ずきんを被って、私の部屋に行きなさい」
「ありがとうございます」
「待って、リュウマ! 無理に騎士に戻らなくてもいいでしょ。先代の聖女を殺した相手を探すなら、宰相でも大臣でも、好きな地位を望めばいい」
ルクレティア姫は、アンネローゼ姫の制止を振り切った。リーゼロッテ姫がリュウマの前に立った。手には、リュウマが脱いだ赤ずきんを持っていた。
「そうだよ。このままじゃ、ルクレティアが可愛そうだよ。リュウマだって、好きなんでしょ」
リュウマは赤ずきんを受け取った。
「死んだはずの人間が、宰相や大臣になれるはずがありません。騎士なら、強ささえあれば認められる。私には、この方法しかありません」
「待って! シンデレラを助けに行くなら、私も行きます」
ルクレティア姫が追いすがった。赤ずきんをまくために目をぬぐったリュウマに、触れようとした。リュウマは、自分が泣いていることを理解していた。失った。本当に好きなのだと、理解した瞬間に、その人を失った。ルクレティア姫が何者でも、もはや関係なかった。
「触るな!」
リュウマが声を荒げていた。姫に対して、騎士が発する声ではない。自分でも制御できなかった。感情に動かされていた。ルクレティア姫の動きが止まった。
「騎士セジュールはもういない。あなたでは、足手まといだ」
ルクレティア姫が床に崩れた。リュウマの肩を、ラプンツェル姫が抱く。
「シビリーを連れてきている。リュウマなら乗りこなせるだろう」
「助かります。ラプンツェル様はどうなされます?」
「シビリーでも、二人を乗せて全力では走れないよ。他の馬では着いていけないしね。シンデレラは気にいらないが、魔物に殺されそうなのを、黙っているわけにもいかない。行く以上、結果を出しなよ」
「はい」
「それとルクレティア、あんたには話がある」
ラプンツェル姫の言葉は、もはやリュウマに向けられてはいなかった。力強い声に背を押され、リュウマはリーゼロッテ姫の部屋を出た。
今回のお話で、シュネーケン編は終了、次話からは最終決戦編です。長らくご無沙汰だったあの方々の出演ですが、誤字等のチェックをする時間がないため、少しお休みします。応募期間内に完結させますので、ここまでお付き合いいただけた方は、少しだけお待ちください。




