表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/47

魔女姫アンネローゼ 後

 アンネローゼ姫が閉ざした扉をしばらく見つめ、我にかえったリュウマはルストに尋ねた。

「……最後の言葉は、どういう意味だ?」

「無防備に寝ていらっしゃるアンネローゼ様を、襲おうとしなかったからではないですか?」

 主君が姿を消した直後である。ルストは姿勢を崩した。床の上に胡坐あぐらをかいて座り、部屋が熱いとは思えないが、顔に手で風を送っていた。

「冗談だよな」

「もちろん。気にすることはありませんよ。ああいうお方ですから」

 ルストの顔が崩れた。ほがらかに笑う。これが、本来の姿なのだろうとリュウマは思った。リュウマも笑った。アンネローゼ姫の前で、自分が緊張していたのを自覚したのだ。直近で仕えるルストの緊張のほどが知れる。アンネローゼ姫の言動を思いだし、おかしくなった。

「私は、アンネローゼ姫のことを噂でしか聞いたことがなかった。想像とは、少し違ったな」

「どういうことですか?」

「私が聞いた噂では、アンネローゼ様は自己中心的でわがままだということだった。ルヴェールでは、そう言われていた」

「否定はしません。確かに、そういう面もあるでしょうが……」

 ルストは唇を突きだして抗議し始めたが、リュウマは遮った。まだ、リュウマの抱いた印象を言っていなかった。

「だが、私の見たところ、苦労性の耳年魔みみどしまだな」

 面倒見が良く、誰にでも好かれるが、その分気苦労が多い。リュウマはアンネローゼ姫の美しさは、本人にとってむしろ邪魔なのではないかとすら思った。外見のあまりの美しさに近寄り難いと思われがちだが、親しく接すれば好人物である。ルストは反論せず、少しずつ、相好を崩していった。よほど壺にはまったのか、次第に声を押し殺して笑いだし、しばらく笑い続けた。


 ひとしきり笑った後、ルストはたまたま持っていたのか携帯食料をポケットから出してリュウマに手渡した。

「笑い事ではありません。死刑囚のあなたが姫の部屋にいるとは、どういうことなのですか?」

「笑っていたのは私じゃないが……」

 リュウマは、昨日牢の守衛を勤めていたルストがナイドに変わってからの敬意を、ラプンツェル姫がどうやって鍵をリュウマに渡したのかということを除いて説明した。ルストはリュウマの説明を聞き、小さく頷いた。

「では、リュウマがこの部屋まで何事もなくたどり着けたのは、エルヴィーネ様の仕業だというアンネローゼ様の推測どおりでしょう。エルヴィーネ様はアンネ―ゼ様を愛しています。決して殺そうとはしないし、アンネローゼ様の障害になるものは排除しようとします。でも、リュウマがもうアンネローゼ様の脅威にはならないと判断したのでしょう。むしろ、アンネローゼ様が会いたがっているのでしたら、会わせてやろうと決めたのでしょうね。アンネローゼ様のことを心配もしています。『あまりにも近寄り難い雰囲気を出し過ぎて、本人が窮屈にかんじていなければいいけど』と普段からおっしゃっています。アンネローゼ様に必要なのは、醜聞スキャンダルだというのが最近の口癖ですからね」

「本当に、それだけならいいが……」

 ルストが語ったエルヴィーネの言葉は、リュウマがアンネローゼ姫に対して抱いた印象と一致した。その点に異論はなかったが、リュウマは裁判長としてのエルヴィーネを見た。普段は裁判長など勤めないのだろう。法律や規則については門外漢のリュウマから見ても、法の番人たる裁判官の長を務めるだけの見識があるとは思えない。確実にリュウマを死刑にしたかったはずだ。それに、リュウマを晒しものにすることを邪魔したアンネローゼ姫を見る目は、娘を心配する母の目つきとは思えなかった。血のつながりはないとは聞いているが、心底憎んでいなければ、あんな睨み方はしない。リュウマにはそう感じられたのだ。

「大丈夫ですよ。魔女としての経験はエルヴィーネ様の方が長いし、色々な珍しい道具も持っていますが、アンネローゼ様も一流の魔女です。それに、アンネローゼ様はお忙しいから、騎士たちに命令を出すことはエルヴィーネ様の方が多いけど、騎士たちは全員アンネローゼ様に心酔しています」

 ルストは力強く請け合った。ルストに渡された保存食は、小麦粉を練って固めたものだ。腹持ちが良い上に消化しやすいため、衰えたリュウマの体にはありがたかった。

「では、エルヴィーネがこの部屋に私を導いたということで、ルストとしても私のことは信じてくれるということか?」

「ええ。そうですね。少なくとも、アンネローゼ様の命を狙うことはもうないのでしょうね。アンネローゼ様本人から『意気地なし』と呼ばれるぐらいです」

「それはまだ、私自身、断言はできないが……」

 リュウマがアンネローゼ姫の命を狙う必要が、そもそもなくなるかもしれない。アンネローゼ姫は肝心の部分を説明せずに出ていってしまった。実際、リュウマはアンネローゼ姫と相対して、何もしなかったわけではない。眠っていたアンネローゼ姫の首を折り、殺そうとした。あの時、鉱山都市ピラカミオンでのラプンツェル姫との約束がなければ、そのまま殺してしまったかもしれないのだ。

「では、リュウマからは引き続き目を放さないことにしましょう」

 ルストの目が、鋭く光った。いつの間にか短剣を抜いている。切っ先がリュウマの心臓に向いていた。

「そうだな。それがいいだろう。それよりルスト、この鏡、アンネローゼ様は魔法の鏡ではないと言ったが、昨晩不思議なものを見た。この場で見るはずがない、ルヴェールの近くの平原なんだが、どういうことだと思う?」

 リュウマは、アンネローゼ姫が着替えの際に使用する姿見の前に移動した。昨晩の映像は忘れられない。シンデレラ姫が死ぬ光景が、はっきりと脳裡に焼き付いていた。

「わかりません。その話は、アンネローゼ様にもしましたか?」

「ああ。アンネローゼ様は、夢でも見たのだろうと言っていた」

「なら、その通りなのでしょう」

 ルストもリュウマの隣に並び、鏡を覗き込んだ。姿見には、リュウマの隣に立つ可愛らしい青年の顔が写っていた。

「しかし、もしこの鏡に魔法の力が宿っていたら、とは思わないか?」

「……そんな鏡がそうそうあるはずもないとは思うけど、どうして?」

「アンネローゼ様は、毎日この鏡の前で着替える」

「……はあ」

 ルストはリュウマの顔を見上げた。ドワーフ族のルストは、リュウマの胸に届かないほどの身長しかない。だが、外見から力を図れないのは、ピラカミオンのフィーネを見ればわかる。

「一度写したものを、もう一度写すぐらいのことは、できてほしいと思わないか?」

「……リュウマ、あなたは最低です」

「ルストも顔が笑っているぞ」

 咄嗟とっさに頬を抑えるルストの姿に、リュウマは笑った。

「さっき、私の後ろで着替えていたのだ。呪われてもいいから、どさくさに紛れて振り向いておくんだった」

「なるほど……アンネローゼ様が言われたとおりですね」

「何と言った?」

「『意気地なし』」

「こいつ……」

 リュウマはルストの頬をつまみ上げた。

「リュウマ、痛い」

「やっぱりルストも見たいんじゃないか」

「そんなこと……当たり前じゃないですか!」

 突然扉が開いた。

「仲が良いのは結構だけどね。外まで話し声が聞こえるわよ」

 アンネローゼ姫の登場に、ルストの顔が真っ赤になった。


 アンネローゼ姫は部屋の中に入ると、普段は決して手放さないと思われているリンゴをあしらった杖を放り出し、背伸びをした。

「処置は終わったわ。リュウマは今日の正午ちょうどに処刑される。ただし、顔は最後まで覆面をしたままね」

「……身代わりですか?」

 ルストが尋ねた。リュウマは意味がわからなかった。アンネローゼ姫がうなずく。

「ええ。別の死刑囚よ。喉も潰してあるから、ばれる心配はないわ。本人じゃないことを知っているのはナイドだけ。リュウマ、このシュネーケンでは、お前は死んだことになる。顔さえ見せなければ、自由に動けるわ」

 アンネローゼ姫は椅子に腰かけた。長い足を組む。すらりとした形のよい足がスカートから出るが、リュウマは見えていないふりをした。

「そこまでして、私に何をさせるつもりですか?」

「それを決めるのは私ではないわね。お前自身よ。リュウマ、お前には話しておいた方がいいわね。どうして、お前が私を殺す意味がないのか。私が知っていることはすべて教えるから、その上で、自分が何をするべきか決めなさい」

「では、僕はこれで」

 ルストは腰を折った。だが、アンネローゼ姫が止めた。

「お前も聞いていていいのよ。リュウマ一人では背負いきれないかもしれない。その時、誰一人として頼りにできないというのは辛いわ。セブンドワーフスの代表として、お前さえよければリュウマに力を貸しなさい」

 騎士であれば、リュウマに主君に口答えすることは考えられなかった。このシュネーケンでは少し違うらしい。ルストは言った。

「僕には、荷が重すぎます」

「心配ないわよ。大部分はリュウマが背負う。お前は、その手助けをすればいいだけなのだから。そうよね?」

 突然リュウマは尋ねられ、戸惑いながらも答えた。

「そのなのでしょうね。私にはまだ話が見えませんが。アンネローゼ様のお時間はよろしいのですか?」

「私のことはいいのよ。昼食までの予定はすべてキャンセルしてきたから、午前中いっぱい平気。リュウマは大人気みたいね。断頭台の前は、すでに民衆であふれているわ」

 あふれているという民衆は、処刑を見に来ているのだ。シュネーケンの処刑方法を知らなかったが、断頭台で首を切り落とすらしい。

「私の人気ではなく、アンネローゼ様の人気でしょう」

 リュウマの罪は、アンネローゼ姫を殺そうとしたことによる。つまり、アンネローゼ姫の人気の裏返しであることは間違いない。アンネローゼ姫は顔の表情だけで笑い、真顔に戻って話しを切り出した。

 それは、聖女が均衡を保つ世界そのものの在り方を問うものだった。

「シンデレラは、眠りに落ちた聖女ルクレティアお姉さまを、呪われた眠りから呼び戻して、世界に秩序を取り戻そうとしている。逆に、私は聖女に頼らない世界を作り上げようとしている。世間でそう言われていることは知っているわ。シンデレラについてはその通りなのでしょうね。でも、私についての噂は操作されているわ。間違いないのよ。だって、私が操作しているのだから」

「アンネローゼ様自身が間違った噂を流したということですか? 何のためです? 本当の目的は、別にあるということですか?」

「私自身が、聖女に頼らない世の中を作らなければいけないと思っているわけではないということよ。ただ、結果的にそうならざるを得ないわ。だって、聖女の力はすでに失われているのだから」

「……どういうことですか?」

「私の姉、ルクレティアについての話は知っているわね?」

 アンネローゼ姫はリュウマに尋ね、反応を待った。世間で知られていることを確認するためもあるだろう。リュウマは知っているだけのことを話すことにした。長い間騎士として仕えていたリュウマが知っていることは、一般の民衆よりも多いはずだ。ごく普通に生活をしている民衆に知らされていることは、あまりにも少ない。

「はい。先代の聖女は、ルクレティア様に聖女の力を受け渡す前に亡くなられ、ルクレティア様は呪いにより眠りに落ちたと聞いています。ルクレティア様と先代の聖女がいた塔はいばらに覆われ、中に入るには各地で現れた魔物が持つローズリーフを集めなければならないとか。ローズリーフがどのような意味を持っているのか、騎士以外の者は持てないと言われている理由も、わかりません」

「その通りよ。間違ってはいない。あなた自身が言ったことのなかに、問題の核心がある。気づいていないの?」

「……ルクレティア様が聖女の力を受け継ぐ前に、先代の聖女は亡くなられた。という部分ですか?」

 アンネローゼ姫は大きくうなずいた。ルストが居心地悪そうに身じろぎする。動揺しているのだろう。ルストも気づいたのだ。リュウマも、アンネローゼ姫に指摘されて、たったいま気づいたばかりだ。

「ルクレティアお姉さまは、聖女の力を承継する前に眠りに落ち、先代の聖女様は誰にもその力を引き渡していない。なら、その力はいまどこにあるの? ルクレティアお姉さまを起こして、何が解決するの? シンデレラは、何がしたいの?」

「では、アンネローゼ様がしようとしていることは、聖女の力が永遠に失われたことを想定して、備えているということですか?」

「間違ってはいないわね。私も、すべてを話したわけではないし」

 アンネローゼ姫がルストを見た。緊張した顔をしているため、可愛らしい表情も引き締まって見える。

「話が長くなるから、お茶の支度を」

「はい」

 ルストが立ち上がる。お茶を取りに行くのだろう。席をはずせることを、喜んででもいるかのようだ。セブンドワーフスの一人が席を外し、リュウマと二人だけになったとき、アンネローゼ姫がリュウマに言った。

「ルクレティアお姉さまは、眠りに落ちてなどいないわ。姿を変えて、いまも元気よ。聖女として力を受け継ぐ準備をしていた時より、よほど元気といえるでしょうね。誰も気づいてはいない。ルクレティアお姉さまには、私が知るもっとも強力な呪いをかけた。どんなに大勢の前に出ても、それがルクレティアお姉さまとは、誰も気づかないわ」

「……アンネローゼ様が自ら魔法をかけたというのですか? 何のために?」

「ルクレティアお姉さまは、赤ん坊のころから聖女となることを求められていた。世界には七人の姫がいるけど、その七人は全員が聖女の候補なのよ。聖女の力を受け継げる資質を持った女の子を見つけると、姫として育てる決まりなの。私やシンデレラみたいに、たまたま王家に産れついた者もいるし、ラプンツェルやリーゼロッテのように、素質を認められて姫となった娘もいる。だけど、聖女は一人でいい。万が一聖女に選ばれた女の子が病気や事故で死んだ場合でも、力を継承できるように、他の六人はただのスペアね。でも、それが聖女の力が二〇〇〇年も引き継がれてきた秘訣よ。現代では、聖女が簡単に変わることはないけどね。聖女にもっともふさわしいと選ばれた一人に、その時代の名だたる魔女が祝福を授けて、あらゆる災厄や不運からその女の子を守るようになっているからね。ルクレティアお姉さまも、産れた時から魔法に守られて、他の姫たちとは明らかに違った。聖女の力を受け継ぎきれるものは、ルクレティアお姉さまだけだった。でも……お姉さま自身は、それを望まなかった」

「どういうことです?」

「聖女になれば、もう自由はないわ。一日のほとんどを祈りに捧げ、次の聖女を産むためにもっとも相性がいいと思われる男と、強制的にめあわせられる。旅に出ることも遊び歩くことも許されず、民衆に仰がれることはあっても民衆の中で一緒にまじわることはできない。奴隷のような、あるいは、奴隷より窮屈きゅうくつな状態が、聖女の力を引き渡すまで続く。ルクレティアお姉さまは、いつも私と二人になると数えていた。聖女になるまでの期間を、まるで、死刑が執行される日を待つ囚人みたいな顔でね。その後で、もし聖女に産れなかったら、どんなことをしたいかをいつも話した。それを話すときの楽しそうな顔は、忘れられないわ」

 リュウマは、聖女についてのことは何も知らなかった。一般に騎士が仕える姫より、さらに高位の存在だ。先代の聖女にもお会いしたことはない。姫達の立場も知らなかった。アンネローゼ姫は続けた。

「そんな時、突然先代の聖女が死んだ。なぜかは私にもわからない。魔法で守られているから病気になるはずはないし、聖女を殺して得をする人間がいるとも思えない。でも、その時はまだ……聖女の力を誰かが受け継ぐことはできた。当然、お姉さまが呼ばれた。お姉さまは、聖女の力を引き継ぐ準備をするため……その手伝いをするために、私を自分の部屋に呼んだわ。そこで……『アンネローゼ助けて。私は聖女になんかなりたくない』目に涙をいっぱいためて、ルクレティアは言った。私は……毒を渡した。聖女の力を引き継ぐ儀式が始まってから、飲み込むように指示したのよ。だって……儀式が始まる前にルクレティアを隠せば、私が真っ先に疑われることになったから。ルクレティアは私の指示通りにした。聖女の儀式がその後どうなったのかはわからない。ルクレティアのことは、その場にいる全員が死んだと思った。でも、私がルクレティアは眠らされたと公表するよう命じた。民衆に、聖女の力が永遠に失われたと知らせてはいけないと。ルクレティアの死体はセブンドワーフスに言って、シュネーケンまで運ばせた。もともと、ただの仮死状態になる薬だったから、その後蘇生させて、別の記憶を与えたの。自分を別の人間だと思いこみ、姫であることさう忘れて生きていけるようにした。その後は、お前が知る通りよ」

 ルストが戻ってきた。お茶のセットを一人分だけ運んできた。一人分しか用意しなかったりは、アンネローゼ姫の部屋に、他の人間がいると知られないための配慮だろう。ルストがお茶の準備を始める。危なっかしい手つきのルストをとどめ、リュウマが変わった。お茶の準備をしながら尋ねた。

「その聖女の力、アンネローゼ様でも受け継げたのではないですか?」

「そうかもしれないわね。でも、聖女の力は具体的に目に見えるものではないわ。今現在、どこにあるのもわからない。私は、すでに失われていると思っているわ。魔物が増えているみたいだしね。実のところ、先代が儀式をせずに死んだ段階で失われたのかもしれないし、仮死状態のルクレティアがそのまま力を引き継いでいるのかもしれない。なにしろ、その時は突然のことが多すぎて、全員がパニックに陥っていたから、正確なところは誰もわからないわ」

 アンネローゼ姫は、ルクレティア姫のことを『仮死状態の』と呼んだ。一時的には仮死状態になったはずだが、その後は息を吹き返し、どこかで元気にしているはずだ。そのことは、ルストにも教えたくなかったのだろうと、リュウマは理解した。お茶の準備ができたため、ルストがアンネローゼ姫の前に運んだ。

「事態が深刻なことはわかりました。なら、なおのこと、六人の姫様たちには真実を告げた方がよかったのではないでしょうか? シンデレラ姫やルーツィア姫は、アンネローゼ様が姉であるルクレティア様を憎んでいるかのような誤解をしています。アリス姫がどう考えているのかはわかりませんが……ひょっとして、シンデレラ姫もすべてを知った上で、聖女の力がすでに失われていることを隠すために、アンネローゼ様と対立しているかのようにふるまっているのですか?」

 アンネローゼ姫はルストが運んだお茶に口をつけた。お茶菓子をかじる。リュウマを見つめる視線が同情的だったのが、むしろ傷ついた。

「……美味しいお茶ね。リュウマは職業を間違えたのではない? さぞかしいい執事になったでしょうに」

「ルーツィア姫にも、同じことを言われました」

「そう。ルーツィアの勧めを断ったぐらいなら、執事になるつもりはないということね。シンデレラに真実を言ってどうなるの? そりゃ、聖女抜きで世界の秩序を保つために、力にはなってくれるでしょうけど、その代わりに聖女の力が失われたかもしれないって、世界中に聞こえるような大声で叫んでまわるに決まっているわ。それに……ルクレティアお姉さまはどうなるの? シンデレラに、ルクレティアお姉さまが聖女になるのを嫌がっていたから、探さないでやってほしいって頼むの? それを、あのシンデレラが受け入れると思うの?」

 リュウマはルストを見た。ルストは、ルクレティア姫が眠りについていないことは聞いていないはずだった。驚いた顔をしていたが、何も言わなかった。口を挟むつもりはないのだろう。リュウマは小さく頷いた。そのまま黙っているように促したのだ。

「その聖女の力ですが……ひょっとして、まだ失われてはいないかもしれません」

「……どうしてそう思うの? リュウマ、何か知っているの?」

「私は各地で魔物と戦ってきました。アンネローゼ様を殺すための旅に出る以前から、あちこちを転戦して魔物を始末していました。少しずつ、遭遇する魔物が強くなっているのを、経験上知っています。聖女の力が失われてしまったのなら、もっと強力な魔物が世界にあふれているのではないかと、魔物たちと戦った私には感じられます。聖女の力が正式に継承されなかったから、失われつつあるのは確かなのでしょう。ですが、どこかにまだ残っていると考えた方がいいのではないでしょうか」

「希望的な観測、というわけね。でも、見つける方法はないわ。言ったでしょう。聖女の力は目に見えるものじゃない。誰が持っているのかなんて、確認することもできないのよ」

「アンネローゼ様はおっしゃいました。アンネローゼ様を殺しに来る騎士が、世界を救う鍵になると」

「ええ。リュウマ、あなたが聖女の力を持っていると?」

「いいえ。それは、魔法の鏡が言ったことだと聞きました。私が聞いた、魔法の鏡の言葉はもう一つあります。世界で一番美しいのは、アンネローゼ様だとか」

「それは、私自身が聞いたことではないわ」

「僕は直接、聞いたことがあります。エルヴィーネ様の部屋を横切ろうとした時、エルヴィーネ様が何度も鏡に尋ねていました。鏡は何度尋ねられても、答えは変えませんでした。世界一美しいのは、アンネローゼ様だと言い続けました」

 ルストが口を挟んだ。どうしてルストがエルヴィーネの部屋を横切ろうとしたのかリュウマが尋ねると、ルストは小さな声で、エルヴィーネは可愛い服を手に入れて、ルストに着させるのがお気に入りなのだと語った。

「まあ……そう言われて悪い気はしないわ。でも、それがどうしたの?」

「魔法の鏡は、世界の命運にかかわること以外を自ら言うことはないと聞いています。それが本当なら、アンネローゼ様が世界一美しいということは、それだけの意味があると考えるべきです。聖女の力を受け継いだのは、ひょっとしてアンネローゼ様ではありませんか?」

 アンネローゼ姫は紅茶のカップを置いた。顎に手をあて、黙り込んだ。リュウマの言ったことを考えているのだとわかった。ルストが息を飲む。アンネローゼ姫が口を開いた。

「先代の聖女がどうして死んだのかはわかっていない。でも、先代の聖女が命の危機をあらかじめ感じていたとすれば、世界の秩序を保つ聖女の力を奪われないように、処置していた可能性はあるわ。それを、ルクレティアお姉さまに引き継がせるのは妥当ではない。だって、ルクレティアお姉さまが聖女になることを、当時は誰も疑っていなかったのだから。先代が狙われる時には、同時にお姉さまも狙われるに決まっているもの。人知れず、聖女の力を別の誰かに渡そうとしていたとしたら……確かに、他の姫の中で、私が一番近い場所にいたわ」

「でも、それならどうして聖女の力が失われつつあるんですか? アンネローゼ様が引き継いでいたなら、聖女の力が弱まるはずがありません」

 ルストが言ったのは正論だが、アンネローゼ姫は小さく首を振った。

「聖女の力は大きすぎて、一人の人間の器に収めるのは、その人間を強化しないといけないのよ。ルクレティアお姉さまには幼いころから祝福と言う名のまじないが施されていた。聖女になった者は一日のうちの大半を儀式に費やすことが求められている。それは、聖女の力を維持するためのもので……私がそれを怠ったから、力が失われているというなら、そうなのかもしれないわ」

 アンネローゼ姫は不服そうに言った。もし、聖女の力をアンネローゼ姫が知らないうちに引き継いでいるとすれば、アンネローゼ姫の生活は、これからもっと窮屈なものになるだろう。ルクレティア姫が聖女になりたがらなかった理由を、誰よりも知っているアンネローゼ姫が、聖女になりたいと望んでいるはずがない。

「でも、それを確認するのは簡単ね。魔法の鏡に尋ねればいいわ。私が聖女の力を引き継いでいるのかどうか。さすがに、それに答えないということはないはずよ」

 アンネローゼ姫が椅子から立ち上がった。リュウマは止めた。

「お待ちください。どうして先代の聖女が死んだのかはっきりわからないのに、それを確認するのは危険です。もしアンネローゼ様が力を引き継いでいることがはっきりしたら、次に命を狙われるのはアンネローゼ様です」

 ルストも同意した。アンネローゼ姫は、楽しそうに口元をゆがめた。リュウマに近づき、リュウマの頬を叩いた。

「私を殺しにきた男に、命の心配をされるとは思わなかったわ」

「もし、聖女の力をアンネローゼ様が受け継いでいたとしたら、アンネローゼ様が殺されれば、本当に聖女の力は失われてしまうでしょう。そうなったら、世界は強力な魔物であふれることになるでしょう」

「もちろん。では、どうすればいいの? このまま、何もせずに手をこまねいていても、解決にはならないわよ」

「私に、先代の聖女の死因を特定し、犯人がいれば討伐するよう、命じてください。自信があるわけではありませんが、魔法の鏡が私を指名したのなら、道は開けると思います」

「なるほど……その間に、私は聖女になる準備をしていろというわけね?」

「……お嫌ですか?」

 リュウマは尋ねた。リュウマの提案に乗るのが嫌なのかもしれないし、そもそも聖女になるのが嫌なのかもしれない。アンネローゼ姫は目を閉ざし、声を落とした。

「聖女になりたいはずがない。でも……すでに道がないなら、せめて準備をする時間が与えられたことに感謝しなければね。リュウマ、私はいまの生活を気に言っている。シュネーケンは好きだし、民衆もいまの私を愛してくれている。もし、聖女の辛気臭い生活に入るしかないというのなら……リュウマ、少しでも多く、時間をかけなさい」

 アンネローゼ姫はおどけたように言ったが、聖女になることを受け入れたわけではない。アンネローゼ姫の気持ちはわかる。しかし、リュウマも譲れなかった。

「はい。しかし、世界が魔物であふれる前に」

「わかっているわ。でも、もう一つ問題があるわ。リュウマ、あなたはもう騎士ではない。このシュネーケンでは、もうじき死人になる男なのよ。別の名前がいるわ。城の中で自由に行動するなら、やはり騎士になるのがいいでしょうね。でも、ただの人間が騎士になるのには、ちょっとした試験と覚悟だけあればいいけど、一度騎士位をはく奪された者が再び騎士となるのには、少し面倒な儀式がいるわ」

 リュウマは確かに、騎士としての地位をはく奪され、それを受け入れた。人としても死人同様である。だが、それ以前にリュウマは気になることがあった。

「願わくば、一度ルヴェールに帰還をお許しください」

「シンデレラに筋を通したいとでも言うの? 騎士位をはく奪されたら、それは世界共通よ。ルヴェールでももう騎士としては通じないわ。気にすることはないはずよ」

「昨晩見た光景が頭から離れません。シンデレラ姫は、近いうちに雪原で魔物に立ち向かい、殺されるのではないかと……変えられる未来であれば、なんとしてでも変えたいのです」

「ただの夢だと私は思うけどね。リュウマがそんなに気になるなら、好きにしていいわ。戻ってくるまでに、騎士となるための準備は進めておくわよ」

「ありがとうございます」

「でも、再び騎士となるからには、主君も選び直しね。ルスト、セブンドワーフスに人間が入っても大丈夫だったかしら?」

「調べてみます」

 リュウマはアンネローゼ姫に仕えるとは一言も言っていない。ルストが嬉しそうに返事をしたので、口を挟めなかった。リュウマはアンネローゼ姫を見た。カップを名残惜しそうに見つめている。リュウマが尋ねると、アンネローゼ姫は紅茶のお替りを求めた。


 ルストが騎士の規約を確認するために部屋を退出し、リュウマが二杯目の紅茶を淹れた時、アンネローゼ姫の部屋の扉が勢いよく開かれた。

「このシュネーケンでは、扉をノックするという習慣は忘れ去られたのかしら? それとも、私の部屋だけ、その価値がないということかしら?」

「アンネローゼ、大変なの! セジュールが、リュウマを助けるって、飛び出して行っちゃった。私は止めたけど、私に迷惑をかけるから、何も知らなかったことにしてくれって言って、飛び出して行っちゃったの!」

 愚痴ぐちめいたアンネローゼ姫のつぶやきを無視して、まくしたてたのはリーゼロッテ姫だった。小柄で、赤い頭巾が特徴的だ。一気に話すと、よほど急いできたのか、苦しそうにうつむいて、呼吸を整えようとしていた。そのために、部屋に誰がいるのかを確認しなかった。

 アンネローゼ姫は時間を確認した。最新のからくり時計がベッドの脇に置かれている。魔法ではないというところがアンネローゼ姫の気にいったのだろうと、リュウマは勝手に解釈した。

「もうこんな時間だったのね。処刑は正午に行われるわ。セジュールというのは、リーゼロッテの騎士の名ね」

「うん。リュウマを見殺しにはできないって。遠いところにいるシンデレラなんかのために、死なせられないって言って」

「だそうよ。どう思う?」

 アンネローゼ姫が尋ねたのは、リュウマだった。セジュールのことはよく知っていた。こうならないように、裁判所ではあえて冷たく当たったつもりだったが、効果がなかったようだ。

「セジュールが牢に向かうことはできますか?」

「いいえ。処刑が済むまで、あの男にはセブンドワーフス以外には近づけないわ」

「なら、セジュールが狙うのは、断頭台でしょう。セジュールは弓の名手ですが、断頭台に向かって弓を射る場所は限られているはずです」

「群衆に紛れて、というところでしょうね」

「ならば、セジュールが成功してもしなくても、セジュールの身が危ないでしょうね。民衆はあの男を憎んでいるはずですから」

「えっ? リュウマ? どうして? だって君、これから死刑になるはずなのに」

 ようやく気づいたリーゼロッテ姫が声を裏返した。アンネローゼ姫がリーゼロッテ姫の口に指を立てる。

「大丈夫よ。あたなの大切な騎士を死なせたりしないわ。リュウマ、そうよね」

「……私ですか?」

「他に誰が止められるというの? 別の人間が邪魔をしたりすれば、その騎士と戦闘になってしまうわ。顔さえ隠していれば、だれも解らないわよ。処刑の前は、全員が断頭台の方向しか見ていないわ。それに、私の言うことに逆らうと、どうなるかわかっているの?」

「……どうなります?」

 アンネローゼ姫は、自分の唇に指を当てた。リュウマは思いだした。シュネーケンで初めて見たものは、アンネローゼ姫の顔であり、はじめて触れたのは唇だった。だが、そのことで恩に着せられる覚えはない。そのはずだったが、アンネローゼ姫は意外なことを言った。

「私も初めてだったのよ。リュウマという男が、私の純潔じゅんけつを汚した。リーゼロッテに言って、世界中に広めてやるわよ。特に、ルヴェールには念入りにね」

 実に性質が悪い。リーゼロッテ姫は心配そうにアンネローゼ姫を見上げていたが、その性質の悪さこそがアンネローゼ姫の魅力なのだろうと、リュウマは可笑しくなった。こみ上げてくる笑いをこらえながら言った。

「いえ、その必要はありません。セジュールのことは任せてください。私のために、リーゼロッテ様の大切な騎士を死なせるわけにはいきませんから」

「まるで騎士みたいね」

 アンネローゼ姫は、騎士の位をはく奪さえ、そのためにかえって自由を堪能しているはずのリュウマを笑った。リュウマはあえて、アンネローゼ姫ではなくリーゼロッテ姫に対し、騎士の礼を取った。リュウマが普段着なので恰好はつかなかったが、二人の姫はその意味を理解し、リーゼロッテ姫は力強く頷き返したが、目は不安でいっぱいなのがわかった。アンネローゼ姫は、リュウマに対して舌を出していた。

「アンネローゼ様はどうされます?」

 騎士の礼を解き、アンネローゼ姫に尋ねた。

「死刑に立ちあう義務はないわ。でも、それよりも心配なことがある。リーゼロッテ、ラプンツェルを見た?」

「ううん。シュネーケンに来ているの?」

「ええ。昨晩着いたみたいね。私のところに顔を出さないっていうのは、後ろめたいことがあるのよ。例えば、助けたつもりの囚人が、死刑になりかかっているとかね。私たちはそっちを何とかする。リーゼロッテ、犬に命じて臭いをたどって。私は、お母様の魔法の鏡を使うわ」

「うん。それから……リュウマ、これを使って」

「いいのですか?」

 リーゼロッテ姫が渡したのは、常に身に着けており、リーゼロッテ姫の二つ名として知られているものだった。

「うん。その代わり、絶対にセジュールを助けてね」

「必ず」

 決意を新たに、リュウマはリーゼロッテ姫の赤い頭巾で顔を隠した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ