帽子づくり職人ライツ
アンネローゼ姫|(白雪姫)は、世界を統べる七人の姫の一人である。眠らされた聖女ルクレティア姫|(いばら姫)の妹であり、世界に平穏をもたらすために、聖女ルクレティア姫|(いばら姫)を眠りに落したヴィルジナル(雪の女王)を討伐しようと、騎士の招集を呼びかけたことで知られている。
世界に平穏をもたらすことについては、眠りについたルクレティア姫を除く六人の姫に意見の対立はない。混乱をもたらしたヴィルジナル|(雪の女王)を倒すことについても同様である。だが、その後の世界の構想には、大きく二つの立場が対立していた。
眠りについたルクレティア姫を目覚めさせ、元通りの世界に戻そうとする、シンデレラ姫を中心とした一派と、すでに混乱してしまった世界には、新たな秩序が必要だと考える、アンネローゼ|(白雪姫)を中心とした一派である。シンデレラ姫はルクレティア姫を目覚めさせた後、七人の姫のかなめとして再びルクレティア姫を据えるつもりなのに対して、アンネローゼ姫|(白雪姫)は自らがそのかなめに座ろうとしているのだと噂されている。
どちらが正しいのかを考えるのは、騎士の仕事ではない。
だが、アンネローゼ姫一派がヴィルジナルを倒したとなれば、仮にルクレティア姫が目覚めても、元通りとはいかないだろう。アンネローゼ姫は権力を欲していると噂されている。自らの正義を主張し、世界を牛耳るはずだ。シンデレラ姫は、アンネローゼ姫と対立しているかのように思われている。だが、シンデレラ姫の一派がヴィルジナルを倒したとしても、同じ結果になる可能性もある。聖女ルクレティアは、聖女と呼ばれるだけあり、欲がないと考えられている。自らが眠ってしまったために世界が混乱したことを追及されれば、その座を簡単に妹であるアンネローゼ姫に明け渡してしまうかもしれない。
そうなる可能性を排除するには、つまりシンデレラ姫のことを思うのであれば、アンネローゼ姫を殺すしかない。
リュウマは、神聖都市ルヴェールの居酒屋に入り、料理をつつきながら酒をあおった。リュウマはまだ若かったが、騎士となって以来、酒を注文して断られたことはない。
「相席、よろしいですか?」
明るく朗らかな声は、この時のリュウマの神経に障った。ただ、露骨に嫌な顔をするほど、荒れていたわけではない。
「どうぞ」
テーブルのスペースを作るため、自分が食べていた料理を手前に引き寄せようとしたところ、声の主が止めた。
「結構です。ここの料理を味わうのも素敵な経験に違いありませんが、そのために来たのではありませんから」
男にして高く、鼻から抜けるような声だった。リュウマが顔を上げて声の主を見ると、声以上に、親しくなりたいとは思わない容貌をしていた。
肌が白く、整った顔立ちに、色鮮やかな服装、建物の中でしかも夜だというのに、異様なほど飾りつけた大きな帽子を被った男だった。
「ただ飲むだけなら、カウンターの方がいい」
酒を飲みに来たのではない。リュウマには確信があったが、あえて言ってみた。色白の帽子の男は、実に愉快そうに腹を抱えて笑った。
「お酒というものは、どんなご立派なお方をも酩酊させる奇跡の飲み物です。あなたのような立派な騎士ならとにかく、私のような下賤の者には恐れ多くて手がだせません。私は、こちらをいただきます」
リュウマの向かいに座った男は、懐からティーポットとカップを取り出した。懐に、そんなものが入るはずがない。そもそも、自分で用意したお茶を飲むのに、居酒屋に入ってくること自体がおかしいのだ。
「店への嫌がらせをしたいのか? それとも、私に用があるのか?」
カップに本当に紅茶を注ぎながら、男は再度爆笑した。噴き出した唾液が、リュウマがつついていた料理にかかる。酒が入っていなければ、激怒していたところだ。
「いや、失礼。あなたの明晰な推測に恐れいってしまいました。なるほど、料理も頼みもせず、自分のポットからお茶を注いでいて、あなたに用がないというのは通じませんね。私はライツと申します。しがない帽子づくり職人です」
聞いたことがあった。敵対する立場ではないはずだ。だが、いまはあまり会いたい立場の人間ではなかった。
「帽子づくり職人というのは、身分を隠すためには実に都合のいい肩書だな。アリス姫の側近に同じ名の人間がいることは聞いている」
リュウマは酒を置いた。まじめに話をした方がいいだろう。だが、ライツと名乗った男は大きく、強くかぶりを振った。
「いやいやいやいや。私はあくまでも帽子づくり職人です。道行く人々の一人一人に、ピッタリ似合った素敵な帽子を作って差し上げたい。しかしながら、私の帽子が評判になるにつれて、悲しいことに帽子の値段がどんどん上がってしまいました。私も慈善事業をしているわけではないのです。みんなに帽子を作ってあげたい。でも、それは私には叶わないことなのです。そんな時、アリス姫が私に言いました。『お前の帽子はすべて私が買い上げよう。帽子に相応しい人間には、私が帽子を与えるとする。だから、お前は安心して帽子を作り続けるといい。だが、その代わりに、少しだけ私のために働いてもいいだろう?』私の悩みをすべて取り除いていただけるご提案に、私は歓喜して、私の被っていた帽子をアリス姫に差し上げました。少し、大きかったですけどね」
言いながら、怒りだしたのかとも思ったが、アリス姫の話になるとにこやかに、最後には幸せそうに語っていた。感情の起伏が激しい男のようだ。
リュウマはライツの話が終わるまで、辛抱強く待っていた。
「アリス姫の『少しだけ』のために来たのか? それとも、アリス姫がお買い上げ下さった帽子をシンデラレ姫の騎士に譲るつもりにでもなったのか? 頭の寸法なら、勝手に測ってくれてかまわない」
「あなたは実に愉快な方だ。後者であればよかったと、本当に思いますよ」
つまり、アリスの命令でリュウマに会いに来たのだ。『愉快な方』と言われたことについては不本意だったが、話が進まないので無視することにした。
ライツは性格や外見からは想像できないほど、アリス姫に重用されているはずだ。ただの伝令とは思えない。
「したくない仕事なら、拒否することはできないのか?」
「実に残念です」
「その仕事の内容は、いつ聞かせてもらえるんだ?」
「ああ、そうでしたね。アリス姫はおっしゃいました。『あの男が迷っているようなら、決断できるようにしてあげなさい。迷わないことを決めたのなら、始末をつけなさい』私にはわかりません。あなた、解りますか?」
解っていないはずはない。ライツはとぼけているだけだ。紅茶を優雅にすすりながら、小首をかしげて見せている。
アリス姫は、リュウマがアンネローゼ姫|(白雪姫)の暗殺に快く同意するとは考えていないのだ。リュウマが実行するか迷っているなら、実行するように仕向けることがライツの仕事であり、断るつもりなら、リュウマを殺せと言っているのだ。
「私はシンデレラ姫にお仕えしている。アリス姫のお考えは、私には計り知れない。ライツこそずっと近くに居るのだから、よくわかっているんだろう?」
「それが、そうでもないのです。いやいや、ずっと近くにいるというのは正解ですよ。時計を片手に飛び跳ねているミミの長いのとか、大きな猫よりも、ずっといっしょにいる時間は長いんいです。それでも、アリス姫のお考えは、実に珍妙だ。あなたの方がわかっているのではないですか? 私はどうすればいいんですかね。まあもちろん、あなたを殺すべきか、殺すべきしゃないか、ということですがね」
リュウマはライツという男を勘違いしていた。
あのアリス姫に重用されているのだから、ただの帽子づくり職人であるはずがなく、見た目とは違って優秀な人物なのだろうと思っていた。それに加えて、どうやらアリス姫のためなら人殺しも辞さないらしい。
酒を置き、あえて笑顔を作り、リュウマは椅子に深く腰掛けた。腰に下げたままの剣に手を添え、言葉を選んだ。
「アリス姫が正しいことは理解しているよ。ただ、簡単に割り切れることじゃない」
「では……私はどうすればいいと思います?」
優雅にティーカップを傾けるライツの目は、落ち着き、ぎらついていた。
殺したがっている。リュウマは理解した。
「シンデレラ姫から直接命令されれば、私にも二言はないが、それではシンデレラ姫に迷惑がかかる。だからこその、アリス姫の計らいなのだろう」
「そこまで解っていれば、私が出てくるまでもなかったですね。やれやれ、無駄足でしたか」
「だが、それは結果そうなるというだけであって、シンデレラ姫のお気持ちとは違うはずだ」
カップを傾けたまま、ライツの動きが止まった。口元が微妙に緩む。
――喜んでいるな。
リュウマは剣の鞘を腰から外し、自らの手に収めた。
「なるほど。では、あなたの次の目的地は、どこですか?」
「少なくとも、アンネローゼ姫|(白雪姫)の元ではない」
「結構です」
ティーカップがライツの指から落ちた瞬間、リュウマに向かって鋭利な刃物が差し出された。リュウマは手にしていた剣を引き寄せ、剣の鞘でライツの持つ暗殺用の短剣を受ける。
短剣を引き戻す隙を与えず、空いた手でライツの手首を押さえつけ、剣の鞘を握っていた手を柄に持ち替え、短剣が刺さった部分を支点に剣を抜き放つ。
抜身の剣をライツの首筋に押し当てた時、ライツの手から滑り落ちたティーカップがテーブルに落ちた。
「私を殺せば、あなたに居場所はなくなりますよ」
剣を喉に当てられてなお、ライツは笑みを崩さなかった。リュウマには殺せないと思っているのだろう。その通りだった。
「私は、シンデレラ姫以外の命令は受けない」
「それが、シンデレラ姫を破滅させることになってもですか?」
リュウマはライツの体をテーブルに叩きつけた。剣を収め、ライツの乗ったテーブルごと蹴りあげ、ひっくり返す。店内の客が罵声を上げ、店主が怒鳴っていた。
「アリス姫に伝えろ。あんたの指図は受けない」
リュウマは言いながら、ライツと、ライツに乗ったテーブルを踏みつけた。ライツが無様な声を発する。圧迫されたことにより、声が漏れただけだろう。まだ動いていたが、これ以上相手にする意味もない。
酒場から出ようとした時、酒場の客のほぼ全員が、武器を手にしていることに気づいた。
神聖都市ルヴェールで、アリス姫を慕うものがこれだけいる、ということはないだろう。初めから、リュウマが立ち寄る店を計算していたのだ。ライツにそこまでの知恵が回るとは思えない。アリス姫の差し金だ。
「いいだろう。相手になる」
リュウマが抜身の剣を構えると、店の者たちは動揺した。予期していなかったのだ。鍛えられた騎士ではない。ただ、武器を持たされた町人たちだ。リュウマが見知った顔も多かった。リュウマが街に戻った時、喜んで迎えてくれた顔もあった。この人数に、リュウマが抵抗を諦めるとでも思ったのだろう。
騎士というものを、わかっていないのだ。
「殺せ」
テーブルの下から苦しそうに命令したライツの顔を踏みつけ、昏倒させると、リュウマ武装市民に向き直った。ほとんどの者が戸惑っている。
リュウマは大きく踏み出し、先頭にいた男の武器を跳ね上げた。
「店主! 店の修理代は、アリス姫に請求しろ」
「わ……わかっています……」
「ならばいい」
リュウマが騎士としての名乗りを上げ、一対多数となる乱戦が始まった。




