坑道の魔物と戦姫ラプンツェル
騎士リュウマは坑道の奥で待った。ドワーフの娘フィーネが言ったとおり、壁か床に耳を当てると、魔物の動きを知ることができた。
魔物は大きく息を吸い込み、その動作によって体内でマグマを作っているようだ。純粋に化学反応で理解できることではないだろう。魔物としての特性なのだ。マグマの中で生みだされたという特殊な環境が、特殊な能力を与えたのかもしれない。
マグマにも耐えうる皮膚を持っているのではない。出現したときは真っ赤だったということは、体そのものがマグマだったのだろう。先ほど見た時は黒い岩石そのものだった。体はマグマであり、冷えて固まれば、岩石に変わるのだ。つまり、火トカゲはマグマの中ではその存在だけを保っており、実態を持たない存在なのかもしれない。外に出た時にマグマで体を構成し、冷えると岩石になる。
火トカゲ自体は、体内までが岩石だ。剣では倒せない。かといって、ハンマーで削るのも時間がかかる。
リュウマは考え続けていた。その間に、何度か岩石が赤く変色し、魔物が顔を出した。剣で殴れば剣が曲がってしまいそうなので、足で蹴りつけた。火トカゲの頭部はリュウマの半身ほどもあったが、マグマを吐き出すタイミングさえ見極めれば、脅威となる相手ではなかった。ただし、一度でもマグマを浴びれば、触れた部分の肉体は永久に失われることを覚悟しなければならない。十分な準備もなしに、退治に臨める相手ではない。
魔物の頭部を蹴飛ばして坑道の奥に押し込めること三度目にして、ラプンツェル姫の甲高い、だが力強い声が響いた。
「リュウマ、無事か!」
「ラプンツェル様こそ、大丈夫ですか?」
「私が大丈夫かとは、どういう意味だ?」
ラプンツェル姫は、緊張を絵に描いたような表情をしていた。口をきつく結び、目が血走っていた。後ろに引き連れた鉱夫たちの掲げた明かりで見る限り、顔色も蒼白だった。魔物退治の予定が早まったので、動揺しているのかもしれない。
「いえ。このような汚いところに来て、髪が汚れませんか?」
ラプンツェル姫の顔が崩れた。緊迫していたのが一点、笑いだした。
「私の髪の心配とは、ずいぶん余裕だな」
「重要な問題です」
リュウマが視線を転じると、ラプンツェル姫の胸元までしかない小さな娘が、長い髪をかかげていた。ラプンツェル姫はまじめな顔に戻って言った。緊張が解き放たれたのだろう、いつもの豊かな表情をたたえる顔に戻っていた。
「それより、魔物が坑道から出てくることはないと聞いていたが、ずいぶん早かったな。まだ準備はできていないんだ。どう戦う?」
「できれば、鎧があればいいですが……」
「だそうだ。準備しろ」
ラプンツェル姫はリュウマを見たまま命じたため、リュウマが命じられたものと勘違いしたが、命じられたのは背後に付き従った鉱夫たちだった。担いできたピラカミオン製の鎧をラプンツェル姫の前に運ぶ。
「もう、できていたのですか?」
「いや、まだだ。大きさは、もともとリュウマの体格に相応しいものがあったから、寸法の直しも少なくてすんだが、もう少し意匠に凝りたいと鍛冶屋が言いだしてな。なかなか渡そうとしなかったから、無理やり持ってきた」
「なるほど。しかし、ラプンツェル様とフィーネの分も……」
「ぬかりはない」
次々と鎧が置かれる。リュウマの背後で、熱と風が動いた。
「どう戦うかといわれますと、まあ、こうですね」
リュウマが振り向くと、穴の一つから魔物が顔を出していた。魔物はリュウマが一人でいる間に、三度出没した。リュウマは三度撃退した。しかし、剣しか持たないリュウマに、穴をふさぐことはできなかった。三つの穴が、開いたままだったのだ。
巨大な爬虫類の形をした岩石の顔に、鉱夫たちが悲鳴を上げる。魔物が口を開けた。すでに、体内にマグマがある。リュウマは魔物の顎を蹴り上げた。魔物が上向き、口が閉じる。
魔物の頭部が赤く変わった。魔物が吐こうとしていたマグマが、口の中で広がり、頭部を融解させた。赤く変わった頭部に、リュウマの剣が撃ち込まれる。融解した頭部は剣によって形を変えるが、魔物にダメージがあるとは思えない。頭の形が変わっては都合が悪いのか、魔物はすぐに引っ込んだ。
リュウマが穴の前に立つと、すでに魔物の姿はない。別の穴から出てくるつもりだろうか。
「御覧の通りです」
リュウマは振り向いた。ラプンツェル姫は、あっけにとられたように口を開けていた。鉱夫たちは、怯えてはるか後ろに下がっている。ただ、ドワーフのフィーネだけがラプンツェル姫の髪を掲げていた。
「あれが魔物か?」
「もちろん」
「岩のトカゲだな……火トカゲと聞いたが……」
「もちろんです。全身がマグマでできている。体内でマグマを作ることが可能な、恐るべき魔物です。ただし、マグマを作ることができるだけで、全身がマグマであり続けるわけじゃない。冷えると、岩石に変わるようです。全身が、内臓までが岩石です。もう、生物とはまったくかけ離れた存在です。剣も、ハンマーも通じない」
「そんな相手に、どう戦う」
「フィーネ、あれは持ってきたのかい?」
「うん」
ドワーフの娘は、ラプンツェル姫の髪を持ったまま背中を見せた。背嚢がはちきれんばかりに膨らんでいる。リュウマがいったとおり、ゴブリンみかんを詰め込んできたのだろう。
「捕まえて、内部から破壊します」
「どうやって? 内臓まで岩石だと言ったばかりじゃないか」
「ラプンツェル様」
リュウマは声を落とし、ラプンツェル姫に近づいて耳元に囁いた。
「どうした?」
「あの魔物は倒します。それも、すべてラプンツェル様の指示で」
「……わかった」
ラプンツェル姫は、自分で魔物を倒すことに拘っていた。どうやって倒していいのかわからない。そのような態度を、鉱夫の前でしてはならないのだ。リュウマに対してうなずき、ラプンツェル姫は鎧を身に着けるよう、高らかに命じた。
魔物が顔を出した。リュウマがフィーネの名をつぶやき、ラプンツェル姫がよく通る声で復唱した。フィーネは持ち前のハンマーで的確に魔物の頭部を捉え、押し戻した。見ていた鉱夫から歓声が上がる。
「奴はマグマを吐きます。鋼鉄の鎧でも防げませんが、生身で焼かれるよりはましです。鎧を着てから、捕まえます」
「捕まえる?」
ラプンツェル姫は声を裏返したが、リュウマが睨むと、さも当然という口ぶりに戻った。
「そうだな。捕まえて、殴り殺してやる」
リュウマの予定では殴り殺すのではなかったが、ラプンツェル姫が勇ましければいいのだ。魔物が飛び出さないか、三つの穴に目を向けながら、リュウマは素早く鎧を身に着けた。
「まだ準備ができていないというのは、鎧の意匠のことだけですか?」
「いや。火トカゲが相手なら、大量の水を用意しろとリュウマが言っただろう。その準備は今日するはずだった。それに、アンネローゼの姐御のカイエンという騎士もまだ来ていない」
「なら、問題はありません。すべては、タイミングです」
「うむ」
リュウマは小声で話し、ラプンツェル姫は力強かった。リュウマは鎧を身に着け、ラプンツェル姫は普段着だった。
「ラプンツェル様、鎧を」
「どうやって着る?」
「姫様たちの間で、そういうのが流行っているのですか?」
「なんのことだ?」
フィーネはすでに鎧を身に着けていた。リュウマはシンデレラ姫の着替えを手伝ったことを思いだしながら、ラプンツェル姫に鎧を身に着けさせることになった。少なくとも、今度は下着から代えるということはなかったため、リュウマの心臓は落ち着いていた。何より、鎧の脱着は毎日のことなので、ドレスよりもよほど詳しかった。もっとも苦労したのは、ラプンツェル姫の髪を鎧の中に収める作業だった。
魔物の顔が穴から飛び出る。
ラプンツェル姫とフィーネのハンマーが魔物を上向かせる。あらかじめ魔物の背後に控えていたリュウマが、魔物の頭部を背後から抱きしめる。魔物の頭部はリュウマの半身ほどもあり、リュウマが腕でしめつけても形状すら変わらない。リュウマは魔物を抱いたまま足に力をこめ、立ち上がった。
重い。腕の中で、岩石の塊がうねった。放すわけにはいかなかった。魔物の全身は、リュウマの身長の三倍はある。リュウマが立ち上がり、魔物の腹がさらされた。ラプンツェル姫とフィーネが続けざまにハンマーで撃つ。鉱夫たちが声援を送る。
魔物が息を吸い込んだ。魔物の胸が膨らみ、赤い光がこぼれた。
「リュウマ!」
危険を察知したラプンツェル姫が叫ぶ。魔物がマグマを吐いた。天井に向かって。
マグマに降り注がれては踏ん張り切れず、リュウマは手を放して地面に転がった。ラプンツェル姫もフィーネも避けている。リュウマの鎧に細かい穴が開いた。マグマをよけきれなかったのだ。魔物は穴に戻ろうとしたが、前足の形状をした部分が穴につかえた。
「リュウマ、奴はマグマを作るとき、胸が膨らむ。赤く光る!」
「承知しました。フィーネ!」
魔物のわずかの隙をつき、リュウマは再び距離を詰めた。剣で殴る。呼ばれたフィーネは、ゴブリンみかんを投げた。
ラプンツェル姫も迫り、ハンマーで殴る。魔物が怒りの咆哮を上げ、大きく息を吸い込んだ。
リュウマが空中でゴブリンみかんを掴みとる。
魔物の胸が膨らむ。赤い輝きを放った。
「いまだ!」
ラプンツェル姫がハンマーで殴り、魔物がその拍子に口を開ける。
リュウマは掴みとったゴブリンみかんを、空いた魔物の口に押し込んだ。
腕を引き抜き、魔物の頭部を踏みつける。
「下がって!」
自らも飛びのく。次の瞬間、魔物のなかで爆発が生じた。魔物の体が半ばからちぎれ、地面に転がった。
鉱夫の声が、どよめきから歓声に変わる。
ラプンツェル姫が魔物の頭部を踏む。もはや動かない岩石の塊は、ゆっくりと、溶けるように形を失い、ただローズリーフが残った。
ローズリーフを拾い上げ、ラプンツェル姫は高々と掲げた。ラプンツェル姫の雄姿は、しばらくの間ピラカミオンで語られ続けるだろう。
リュウマがラプンツェル姫に並ぶ。ラプンツェル姫は、リュウマに気づいて振り向いた。
「よくやった」
「光栄に存じます」
厳かにいったリュウマを無視するかのように、ラプンツェル姫はリュウマの頭に腕を絡め、鎧を着た鋼鉄の胸に抱いた。
「どうして魔物が爆発したんだ?」
「簡単なことです。水分の塊のゴブリンみかんが、数千度のマグマに熱せられて一瞬で水蒸気に変わりました。それが、爆発の原因です」
リュウマにとっては当たり前のことだったが、ラプンツェル姫の理解は得られなかった。ラプンツェル姫は確認するようにゆっくりと言った。
「……では、魔物の弱点はゴブリンみかんというわけか?」
「いえ。ゴブリンみかんを使ったのは、大量の水分を含んでいるからです。革袋に水を詰めても同じでしょうが、それですと準備に時間がかかります。魔物の体内にマグマがあるときだけ生じる現象です。魔物の全身が冷えていれば、なんの意味もないでしょう。だから、タイミングを計る必要がありました。魔物がマグマを作り、吐き出す瞬間を把握する必要がありました。私ひとりでは倒せなかったでしょう。ラプンツェル姫とフィーネの協力があったこと、幸運でした」
「……リュウマがシンデレラの騎士というのは、実に悔しいことだな」
「ラプンツェル様、みなが不思議そうに見ています。そろそろお放しください」
しかし、鉱夫たちはややにやけた顔で二人を見ていた。魔物を倒し、姫と騎士で喜び合っているようにでも見えているのだろうか。
リュウマにはいつまでもラプンツェル姫と抱き合っていられない理由があった。
「では、そろそろ次に行きましょう」
「次って?」
フィーネが尋ねる。ドワーフの娘フィーネも、鉱夫たちの喝さいの対象になっていた。嬉しくないはずがない。表情が緩んでいる。
「一匹の魔物が、三つも穴を空ける必要はない。どうして、私がゴブリンみかんをたくさん持ってくるように言ったと思う?」
「……ほかに、もう二匹いるのか?」
「いえ、奥にはさらにいるはずです」
リュウマの宣言と同時に、二つの穴から同時に魔物が顔を出した。ラプンツェル姫でさえ飛び退り、鉱夫たちが悲鳴を上げる。フィーネは素早くハンマーを構え、予測していたリュウマは一匹の首をつかまえた。
「今日は長い日になりそうだな」
フィーネの背嚢からこぼれでたゴブリンみかんを、ラプンツェル姫は拾い上げた。
「最後までお付き合い願います」
「もちろんだ」
ラプンツェル姫は笑い。リュウマも笑い返した。二匹目の魔物が爆発し、三匹目はフィーネが押し返した。
魔物退治は、翌朝まで続いた。




