名馬シビリーとエルフのローラント
騎士リュウマと騎士カイエンの回りを、均整のとれた白く美しい馬がゆっくりと歩く。まるで、品定めをされているかのようだ。背には鞍を乗せ、ハミを噛んでいるため乗馬用に調教された馬に違いないが、まるで自分の意志で人間たちを見定めようとしているかのようだった。
「ラプンツェルの相棒と言ったな。このまま、じっとしていればいいのか?」
「さあな。馬の考えることはわからない」
シビリーと呼ばれた白馬が、カイエンの言葉を侮辱とでも受け取ったかのように、強くいなないた。
「やるか?」
背中に縛り付けた巨大な斧の紐を解き、カイエンが斧を手にする。相手が動物でも、侮辱されたと感じれば戦うのがカイエンだ。カイエンの斧であれば、大概の動物は一撃で殺せる。相手が野生の動物であれば、斧はもっとも殺傷力が高い武器である。
白馬シビリーは苛立ちながら地面を掻き、鋭い目でカイエンを睨んだ。通常の馬より、目が前方を向いている。草食動物とは思えない位置に目があった。ただ頭がいいだけの馬とは限らない。
「カイエン、止めろ」
「どうした、リュウマ。ラプンツェル姫の領地では、弱者は生き残れないぞ」
カイエンの言うことが本当かどうかはわからない。力で治める政治を敷いているとは聞いたことはないが、リュウマは鉱山都市ピラカミオンに来たこと自体、始めてである。
「そうだとしても、ラプンツェル姫の相棒を殺すと、この場で一番困るのは私だ」
「まあ……そうなるな」
カイエンは斧の構えを解いたが、シビリーは相変わらず鋭い目を向けている。
「私はリーゼロッテ姫から紹介されて、ラプンツェル姫に会いに来た。敵対するつもりはない」
リュウマは、懐からリーゼロッテ姫がしたためた羊皮紙をとりだした。シビリーは鼻先を近づけた。臭いから、リーゼロッテ姫の痕跡を探っているのだろうか。
しばらくシビリーはリュウマとカイエンを交互に見てから、リュウマに近づいた。長い首をリュウマの目の前に差し出す。まるで、撫でろと言わんばかりである。リュウマが手を伸ばし、美しいたてがみと素晴らしい毛並みを掻くと、シビリーはしばらくじっとしていた。
シビリーがゆったりと目を閉ざす。リュウマは力を込めて毛を掻いたが、馬にとっては心地よいマッサージだったようだ。シビリーはいつまでもそのままでいたいようだったが、さすがに疲れたリュウマはシビリーの首を叩いた。『もう終わり』の合図である。シビリーは合図の意味を理解し、方向転換してリュウマの横に並んだ。
「乗せてくれるそうだ」
カイエンが言う。カイエンの声を聴いただけで素早く振り向き、シビリーは歯を剥いて威嚇した。
「そうか。ピラカミオンまで遠い。助かるよ」
「気をつけろ。振り落とすつもりかもしれないぞ」
「私も騎士の端くれだ。鞍と手綱のある馬に乗って、落とされる方が悪いのさ」
あぶみに足を乗せ、立ったままのシビリーにまたがる。リュウマの尻が鞍に落ちた衝撃で、シビリーが低くいなないた。手綱を手に取る。
「おい、俺は?」
尋ねたカイエンを、シビリーは後ろ足で立ち上がり威嚇した。カイエンが避けると、さらに後ろ足を向けて狙いを定めた。後ろ足での蹴りは、馬に取って最大の武器である。鋼鉄の鎧に足跡を残すほどの破壊力を持つ。ほぼ半裸のカイエンでは、いくら鍛えていても筋肉では防げない。ただし、シビリーは目の位置が通常の馬より正面にあるため、背後に狙いをつけるのは難しい。背後を見るために苦労しているシビリーの首を叩き、リュウマが落ち着かせた。
「シビリー、落ち着け。カイエン悪いな。先に行くぞ」
「おい、リュウマ。俺の任務はどうなる」
「向うで合流しよう。リーゼロッテ姫には、上手く言っておいてくれ」
リュウマが手綱を引くと、シビリーはいななきながら再び後ろ足で立ち上がった。前足が地面に落ちる。衝撃に下から突き上げられたが、リュウマは落ちなかった。
カイエンの口笛が聞こえた。カイエンは騎士だが、おらそく馬には乗れないだろう。体が大きすぎるのだ。少なくとも、シビリーには乗ることができない。
あぶみでシビリーの横腹に刺激を与える。
白馬は一陣の風のように走り出した。
騎士カイエンを置き去りにして、リュウマは森から平原にいたり、平原を駆け抜けて、赤い肌を顕した山のふもとに築かれた鉱山の街にたどり着いていた。人間の足であれば一週間はかかる道のりを、シビリーはほぼ一昼夜で駆け抜けた。
鉱山の街は活気であふれて見えた。街の中に魔物の気配を感じることもなく、鉱山が産業として街を支えている、豊かな街であることを想像させた。
人ごみに入るとリュウマはシビリーを降りた。本当に賢い馬だった。シビリーが走りだしてからは、リュウマはただ手綱を握っているだけだった。リュウマが手綱で意志を伝えずとも、行くべき場所がわかっているかのようだった。
リュウマに並んで歩くシビリーに、街の人々は道を空ける。それがシビリーに対する、人々の評価なのだろう。まるで姫のために大いなる成果を上げた騎士が通るかのようだった。鉱山都市ピラカミオンの土地勘が全くないリュウマは、シビリーが行くのに任せた。ラプンツェル姫の相棒と呼ばれているぐらいなので、まっすぐにラプンツェル姫のもとに向かうものと想像していたが、シビリーは少なくともリュウマが予期していない場所に立ち寄った。
ラプンツェル姫は、高い塔を好んで居城にしていることで知られている。シビリーが街に入ってまずまっすぐに向かったのが、街の酒場である。ラプンツェル姫の素行が評判通りなら、かつては酒場に入り浸っていたかもしれない。しかし、ピラカミオンを束ねる立場になって、昼間から酒場で飲んでいるとは思えなかった。
酒場の裏手に馬小屋があるものの、シビリーは当然のように酒場の入口から入った。昼間であり、たむろしている人々は人相があまりよくない者が多かった。鉱山都市であり、働いている者はほぼ全員が肉体労働者という街である。いずれも、恵まれた体格をしていた。リュウマは人々を一べつし、この街での乱闘は避けた方がいいだろうと感じていた。
「やあ、シビリー、久しぶりだね。悪いが、牧草ならメニュー表にないよ」
店員ではなく、客席から細い男が立ち上がった。言いぶりからすると、シビリーをよく知っている者だろう。まるで、シビリーが人間であるかのように話しかけている。普通なら頭の中を疑うところだが、シビリーが人間の言葉を理解できることを、リュウマでさえ疑わなかったため、不自然とは思わなかった。
シビリーが苛立つようにいなないた。
「ああ。腹が減ったんじゃないのかい? まあ、そう言わずに一杯付き合いたまえよ。僕の相手が勤まる者がいなくてね。退屈していたところさ」
自らが輝きを放っている、と思いこんでいるかのような優雅な足取りで、細身の男が近づいてくる。金色の髪を長く垂らし、顔の横に耳が高く天を指していた。
エルフ族だ。
生涯を森で過ごす、非常に珍しい種族である。神聖都市ルヴェールにはいないはずだ。リュウマは、見るのも初めてだった。
「済まないが、シビリーは私の案内をしてくれたのだ。シビリーを使いに出してくれたのは、あなたか?」
リュウマがシビリーの前に出て尋ねた。それというのも、シビリーがエルフの男に対して苛立っており、エルフの男は全く気づいていないように感じられたからだ。
「ふむ……まあ、そうともいえるね。このローラントの命ずるまま、シビリーはどこまでも走るというわけさ」
片手にグラスを持ち、ローラントと名乗ったエルフは華麗に髪をかき上げた。まるで家畜のように言われたシビリーが、怒ってローラントの頭部に歯を立てたが、エルフの頭部は意外と硬いらしかった。
ローラントが実際にシビリーに迎えを命じたのなら、ローラントにラプンツェル姫のもとへの案内を頼むべきだろう。リーゼロッテ姫(赤ずきん)から渡された紹介状に何と書かれているのかリュウマは見ていなかったが、ラプンツェル姫に渡す必要があるはずだ。しかし、どうもローラントの相手をまともしないほうがよいのではないかと、リュウマは思いはじめていた。
「シビリーはラプンツェル姫の相棒だと聞いたことがある。そのシビリーを自在に走らせるとは、ローラントはよほど信頼されているのだろうな」
リュウマは、まずローラントが何者なのか探りをいれることにした。ローラントのことを信じていなかったからである。言われたローラントは、実に得意げだった。
「もちろん。君は騎士のようだね。騎士という人種は粗雑な連中が多いが、君はなかなか見る目があるようだ。君の態度次第では、ラプンツェル嬢に紹介してあげよう。心配はいらない。なにしろ、このローラントはラプンツェル嬢の右腕なのだ」
言いながら、ローラントは頭を払った。シビリーがずっと噛みついていたのだ。金色の見事な髪に、シビリーのよだれが糸を引いた。
リュウマ自身はラプンツェル姫に会う理由もなく、会いたいとも思っていなかった。だが、ラプンツェル姫に会っていないとなると、リーゼロッテ姫と、道中で置いてきた騎士カイエンに疑われるかもしれない。リーゼロッテ姫の情報収集能力を侮ってはならない。
ラプンツェル姫への紹介なら、リュウマは紹介状を持っている。だが、あえてリュウマはローラントを利用することにした。紹介状はロウで封がされている。途中で読むわけにはいかず、好意的な内容とは限らない。ローラントが本当にラプンツェル姫の右腕とは思えなかったが、全く知らないということもないだろう。利用できるものは利用したほうがいいと思ったのだ。
「それはありがたい。でも、ラプンツェル姫の右腕であるローラントともあろう方が、昼間から酒を飲んでいるのはどういうことだ?」
極力、気分を害さないように尋ねてみた。ローラントのような男は持ち上げておくに限ることを、リュウマは経験上知っていた。
「ふむ……まあそれは、ここにいる連中の顔つきを見ればわかるというものだよ。ピラカミオンは鉱山都市だからね。坑道に魔物が出て、仕事ができないとなれば、酒を飲むぐらいしかない。まあ私が来たのは、ここの連中と違って人を探していたからだけどね。人探しとなれば、人が集まるところに行くものさ。酒場に来た以上、飲まないというのは不見識だろう?」
「また……魔物か……」
行く先々で魔物に出会う。酒場にたむろしていたのは、鉱山都市ピラカミオンの荒くれた連中ではなく、仕事ができないで持て余している本物の鉱夫だったのだ。人相が悪いため、リュウマにも見分けがつかなかった。
「まあ、最近では珍しいことではないよ。もちろん、このローラントが魔物退治にいけば、簡単に片が付くというものだがね。しかし、ああ、残念だ。魔物退治といえば、騎士の仕事と決まっているのだよ」
ローラントがリュウマの肩を叩いた。リュウマは、ローラントが言わんとしていることを察した。
「私に退治しろと?」
「すぐにとはいわない。ラプンツェル嬢は、このローラントに騎士を探して来いと言っただけでね。まあ、魔物を退治しろと命じなかったのは、まだまだラプンツェル嬢も見る目を養う必要があるということだよ。だから、よければ……紹介しよう。君さえ、その気ならね」
リュウマはシビリーを見た。ローラントに我慢ができないらしく、尻を向けていた。リュウマはローラントの胸をついた。
「まず、ラプンツェル姫に会ってから、だな」
「それで……」
ローラントの声は掻き消えた。名馬シビリーの後ろ脚での一撃は、華奢なエルフの体を天井まで跳ね上げた。