騎士カイエンと騎士リュウマ
騎士リュウマは、抵抗なく縛られていたことが功を奏し、逃走の危険はないものとして手足の拘束は免れた。
リーゼロッテ姫(赤ずきん)は約束通りにラプンツェル姫への紹介状をしたため、自らは騎士セジュールを連れて城塞都市シュネーケンへ旅立った。
セジュールとはゆっくりと話す時間もなかったが、いずれ再会することもあるだろう。それが戦場ではないことを祈りつつ、リュウマはセジュールがまたがった馬を見送った。
残されたのは、騎士リュウマと騎士カイエン、リーゼロッテ姫の妹オランジュである。
「戦争のこと、本当なのか?」
リーゼロッテ姫の邸宅で、旅に必要な品物を見つくろって荷造りをしながら、リュウマはカイエンに尋ねた。リーゼロッテ姫はあわただしく出ていったため、残った者たちへの指示もなかった。リュウマは旅を続けることになり、カイエンは使者としての役目を終え、オランジュはリュウマの荷づくりを手伝っていた。屋敷の持ち主の一族が手伝っている以上、必要なものは持って行っていいのだろう。
オランジュは縛られていたリュウマを怖がっていたが、縛られていなければ怖くないらしい。明るく、少しとげがある少女だった。リーゼロッテ姫の影に隠れていたが、本来のオランジュの姿なのだろうとリュウマは思った。
「俺は初耳だ。ただ、アンネローゼ姫(白雪姫)の言葉を伝えただけだからな。それに、リーゼロッテ姫が情報を掴んだばかりなら、アンネローゼ姫がそれよりも早く知っているということもないだろう。それより、戦争の準備を始めているのはシンデレラ姫なんだから、リュウマこそ何かしらないのか?」
カイエンは、ただ食べ物だけを荷物入れに積めていた。他のものは必要ないのだろうか。いかにも、カイエンらしいが。
「いや。何も聞いたことはない。カイエンがアンネローゼ姫に仕えているとは思わなかった。てっきり、ラプンツェル姫に仕えているものと思っていた。噂でしか知らないが、好みが似ていそうだ」
「そうでもない。ラプンツェル姫は確かにいさましいが、長い髪を自慢にしている可愛らしい面もある。俺と似ているといわれると、さぞかしご立腹なさるだろう」
一通り荷物を確認し、リュウマはオランジュに礼を述べた。
「もう、行っちゃうの?」
「ええ。いつまでも、ここにはいられません。ルチコル村の人には、私がいない方が安心でしょうから」
リュウマは、ルチコル村に縛られた姿で現れた。すべての村人が、オランジュのようにはいかないだろう。シンデレラ姫が戦争の準備をしているという噂が、いつ村人に知られるかわからないのだ。リュウマは一刻も早く立ち去るべきだと考えていた。
「そう。残念ね」
オランジュは寂しそうだった。リュウマはオランジュに対し、騎士の礼をとった。
「ヘンゼルにグレーテル、ファニーがすぐに戻ってまいります」
「本当に? グレーテルも?」
「必ず」
オランジュの顔が嬉しそうに輝く。リュウマは深く礼をし、世界を治める姫の妹のもとを退出した。
屋敷を出ると、一足先に外に出ていた騎士カイエンが待っていた。
「カイエン、アンネローゼ姫は、リーゼロッテ姫に何を伝言したんだ?」
「戦場で敵同士になるかもしれないのに、俺に聞くのか?」
「悪い。言いたくなければいい」
村人の姿はない。騎士二人は、まるで無人であるかのようなルチコル村を通過した。戦争の噂を知らなくても、よくないことが起こりそうだと感じているのかもしれない。
「いや、冗談だ。リュウマに隠すことじゃないな。アンネローゼ姫は、自分を殺そうとする騎士を捕まえても、殺さずにつれて来いと命じられた。リーゼロッテ様の配下が怪しい騎士を捕えたらしいと、リーゼロッテ様自身が鳥の足に手紙をつけて知らせてよこしたからな。どう間違ってもそいつを殺さないように、念を押すために俺は派遣された。それが、セジュールとリュウマとは思わなかったが。いわば、リュウマの命を救いに来たというところか」
「私は別に、殺されかけていたわけじゃない。それより……連れていく? アンネローゼ姫のところにか?」
「そうだろうな。ほかにどこがある?」
「いや……何のために?」
「俺が知るか。アンネローゼ姫はお優しいが、厳しい面もある。ひょっとして、自分で痛めつけたいのかもしれない。リュウマ……本当にお前が、アンネローゼ姫を殺そうとしている奴か?」
「いや」
リュウマは、誰にも明かすつもりはなかった。共に戦った仲間として接してくれているカイエンも、リュウマが自分の主君を殺そうとしていることを知れば、容易に態度を変えるはずだ。もしリュウマがカイエンの立場なら、主君の命令に反してでも、相手を殺すだろう。
「それならよかった。もしそうなら、アンネローゼ姫のところに連れていかなくちゃならないからな。リーゼロッテ姫には、リュウマをラプンツェル姫のところに届けるよう言われている。どっちかの約束を破ることになる」
「そうだな……」
村をはずれ、街道に出る。鉱山都市ピラカミオンがあるのは北東だ。
リュウマは考えた。確かに、アンネローゼ姫が刺客を殺さずにつれてくるよう命じたなら、名乗りを上げてしまう方が速いということもある。だが、アンネローゼ姫がそれほどうかつだとは思えない。正体を明かしてしまえば、実行不可能になると考えた方がいい。いまはまだ、従うべき時だ。それより、リュウマはカイエンの言葉で気になることがあった。
「アンネローゼ姫は魔法の鏡を持っていて、知るはずのないことまでご存知だという噂だが?」
「ああ。俺も聞いたことがある。それがどうかしたか?」
「なら、魔法の鏡でリーゼロッテ姫よりも早く情報を掴むこともできるんじゃないのか? アンネローゼ姫を殺そうとしている騎士がいるというのも、アンネローゼ姫自身が魔法の鏡から聞いたと、リーゼロッテ姫は言っていた」
「そう便利なものでもないらしいぞ。どういう条件か俺は知らないが、魔法の鏡が答えるのは、世界の命運にかかわることだけらしい。例えば、世界で一番美しい姫は誰か、とかな」
「世界で一番美しい姫が誰かで、世界の命運にかかわるのか?」
「もちろん。リュウマはそうは思わないのか?」
カイエンは本気で言っているらしい。冗談を言う男だが、今はまじめなようだ。
「そうか……まあ、騎士の士気にはかかわるかもな」
「そういうことだ。で、リュウマはどう思う? 誰が一番だと思う?」
カイエンは体が大きく、並んで歩いても少し見降ろされる感じになる。太い腕を頭の後ろで組み、のんびりと歩きながら、楽しむようにリュウマを見降ろしていた。
「私は、アンネローゼ姫とラプンツェル姫にはお会いしたことがない。ルクレティア姫(いばら姫)も同じだな。七人の中で誰が、とは決められないな」
「そう言うな。俺もアンネローゼ様と親しい二人以外にはあったことがないんだ。俺は、魔法の鏡と同意見だ」
「魔法の鏡は、何といっていた?」
「聞きたいか?」
カイエンはにたりと笑った。聞きたかった。しかし、怖いような気もした。
「教える気がないな?」
「いや。アンネローゼ姫(白雪姫)だ。この点だけは、魔法の鏡は絶対に譲らない」
「そうか……シンデレラ姫より美しい方がいるとは、信じられないが」
「本音が出たな」
リュウマはあわてて口をふさいだ。思ったことを口に出してしまったのだ。シンデレラ姫に仕える身としては、聞かれて困ることではない。だが、場所と状況が悪い。
「もちろん、アンネローゼ姫を否定するわけではないぞ。何しろ、お会いしたことはないのだ」
「誰にでも好みはある。リュウマの目が節穴だと言っているわけではないさ。だが、俺が使えている姫が世界で一番美しいと言われて、悪い気はしない」
「確かにそうだな。魔法の鏡はそこまで考えて答えるのか?」
「俺に魔法のことを聞かれてもわからないが、めったなことは答えてくれないそうだ。世界一の美女が誰かと聞いたのも、俺じゃない。アンネローゼ様のお継母、エルヴィーネ様だ。もっとも、その時はアンネローゼ様と魔法の鏡が答えるとは、思っていなかったようだけどな」
「そのエルヴィーネ様は、誰だと言ってほしかったんだ?」
「決まっている。まあ、女ごころというやつだ」
カイエンは笑った。リュウマにはよくわからなかったが、深く追求することでもない。
「カイエンも、何か聞いてみたことがあるか?」
期待して尋ねたわけではないが、意外にもカイエンは首肯した。
「うむ。実はアンネローゼ様を呼びに行って、たまたま不在だったことがあってな。試しに聞いてみた。ずっと考えていたことだ。つまり……目玉焼きに塩と砂糖のどちらがあうかだな」
「それは、好みの問題だな」
「そうかもしれないが、リュウマならどっちだ?」
「真剣に聞いているのなら答えるが、塩だ」
「やはりそうか」
カイエンは本気なのだろうか。あるいは、本当に魔法の鏡に尋ねた内容は、言いたくないことなのかもしれない。無理に尋ねることでもない。
――しかし……。
「世界で誰が一番美しいかと言う質問も、好みの問題じゃないのか?」
「それもそうかもしれないな。だが、魔法の鏡ははっきりと断定したらしいぞ。アンネローゼ様が、世界で一番お美しい方だとな」
「では……そう答えるだけの理由があるということか」
リュウマは、自らがしようとしていることに、ますます疑念を抱かざるを得なかった。アンネローゼ姫が、神聖都市ルヴェールで言われているように、自己中心的でわがままで、眠りについた姉ルクレティアに嫉妬しているというだけなのかどうか、慎重に考えなければならない。アンネローゼ姫を殺すよう指示したのはアリス姫で、シンデレラ姫もルーツィア姫(人魚姫)も望んではいない。そのアリス姫さえ、あくまでも政治的な理由で排除するべきだという結論に達したに過ぎない。
アンネローゼ姫が世界で一番美しい。魔法の鏡がそう答えたならば、アンネローゼ姫はその美しさで、やるべき使命を帯びているということなのだろうか。リュウマは自らの考えに没頭しようとして、またもやカイエンに阻まれた。怒るわけにもいかない。
「姫様たちの中で、誰が一番美しいかということを話すには、お互いに情報が不足しているようだ。どうだ? 情報交換といかないか?」
カイエンらしい。リュウマは思った。間違いなく、リュウマより好人物である。リュウマは笑った。
「そうだな。こういう話は、女性の前ではできないからな」
「よくぞ言った。じゃあ、まずはシンデレラ姫からだ」
「私が仕えている主君だぞ。少しは遠慮しろ」
「言いたくないか?」
「ほめ言葉しか出ないからな。面白くないぞ」
「そんなに完璧な姫様がいるものか。シンデレラ姫は完璧な超人か?」
「そうでもない。とてもお美しいけどな。体中、傷だらけだ。稽古で受けたは傷よりも、料理の練習をして火傷したり、メイドの仕事を手伝おうとしてあちこちぶつかったあざだったり……黙って立っている時が、もっとも姫らしいと言われるほどだ」
カイエンは笑った後、首を傾げた。
「どうして、そんなに細かい傷やあざを知っているんだ?」
リュウマの脳裡に、シンデレラ姫の着替えを手伝った時に焼きつけた、白い肌が浮かび上がった。あまりにも、鮮明に焼きつけたために、細かな部分まで消せなくなったらしい。
「き、聞いたんだ。シンデレラ姫の姉君とも、親しいのでな」
「ほう」
カイエンの笑いは消えなかった。リュウマは反撃を試みた。
「では、次はカイエンの番だ。アンネローゼ姫はどうだ? 世界一の美女と言われても、欠点がないわけじゃないだろう」
「もちろん。欠点だらけだ。メイドたちにも騎士たちにも冷たいし、無茶なことは言うし、時々憎くなる」
「いいのか? そこまで言って。いいところがなさそうだが?」
「だが、そこがいいのだ」
リュウマには理解できなかった。
「では、次はリュウマだ。ルーツィア姫に会ったことはあるか?」
「ああ」
「人魚の姫だし、実際に水の中に住んでいるというな。やっぱり、水の中にいるだけあって、冷たい感じなのか?」
「それは逆だな。むしろ人情に篤い方だ。本人よりも、周りの人間を大事にするような、とてもお優しい方だよ。それと、声が美しい。海にセイレーンと呼ばれる妖精が、歌で船乗りを惑わすという噂があるが、無関係ではないのかもしれないな」
「……ほう」
カイエンは興味深そうに聞いていた。さすがに、二日間もルーツィア姫の話を聞き続けてしまったことは言わなかった。あまりにも、不覚だったのだ。リュウマが聞き直す。
「ラプンツェル姫はどうだ? まあ、これから会うのだと思うが」
「俺も、直接の面識はないな。遠くから見たことがあるぐらいだ……」
二人は、しばらく姫君たちの感想を言いあいながら街道を進んだ。リュウマにとって、騎士カイエンに対する思い出では、この短い旅の会話が、もっとも楽しいものとなった。
強力な魔物にはそうそう出くわすものでもなく、旅は順調だった。カイエンがアンネローゼ姫に仕えていると知った時は緊張したが、カイエンはリュウマの記憶に残っていたとおり、快活で気持ちのいい騎士だった。
鉱山都市ピラカミオンは遠い。二人が休憩をとっている時、カイエンは言った。
「なあ、リュウマ。一番最近の魔法の鏡が言ったことを教えてやる。俺が直接聞いたわけじゃないから、又聞きなんだが」
「どうした? 世界の命運にかかわることか?」
「そうなんだろうな。魔法の鏡は、アンネローゼ姫を殺そうとして、西から騎士がやってくると言ったそうだ」
「ああ。その話なら聞いた……リーゼロッテ姫も言っていたし、カイエンからも聞いたな。酷い話だと思うが、どうしてもう一度念を押したんだ?」
騎士である者が、自らが仕えている相手ではないとはいえ、姫を殺そうとしているなど、考えられることではない。本来は、そうなのだ。リュウマは聞きながら、休憩中に携帯食の乾し肉を口に運んだ。
「さっきも言ったが、アンネローゼ姫が世界一美しいと魔法の鏡が言った。その姫様を殺そうとしている騎士がいる。これは、どちらも世界の命運にかかわることなんだ」
「……そうなるな」
「俺は、この話を聞いた時……真っ先にリュウマのことを考えた」
「なるほど」
「否定しないのか?」
騎士カイエンは、常に背中に括り付けている巨大な斧をもてあそんでいた。座るのには長い柄が邪魔になるため、外していたのだ。リュウマを見る目は、鋭く、光って見えた。
「カイエンがそう思ったという事実は、否定しようもない。私がそうだとはいわないよ。だが、アンネローゼ姫は捕えて連れて来いと言ったんだろう。そちらの方が不思議だな。なぜだ?」
「……わからないな」
「魔法の鏡の言葉には、続きがあったのかもしれないな。自分の命を狙っているような騎士なら、見つけ次第殺せと命じても不思議はない。むしろそのほうが当然だろう。なのに、わざわざ連れてこいとはな」
「なあ、リュウマ。本当のことを言ってくれ。お前は、アンネローゼ姫を殺そうとしているのか?」
「なぜ、こだわる?」
「俺の心配がずっと少なくなるからだ」
またも、カイエンは解らないことを言った。リュウマがアンネローゼを殺そうしているのなら、心配が少なくなるとはどう考えても理屈がつかない。
「どこの誰かわからないやつを警戒しているより、ましだという理由か?」
「それもあるが……アンネローゼ様を殺そうしている騎士がリュウマなら、それが正しいことかどうか、十分に考えるはずだ。アンネローゼ様に会って、それでも殺さなけりゃならないと考えるとは、俺は思わない。だから、リュウマがその騎士なら、結果的にアンネローゼ様は殺されない」
「……光栄だな」
カイエンは、リュウマのことを高く評価している。戦いの能力ではなく、ヒトとしての評価だ。純粋のリュウマは感謝した。同時に、アンネローゼ姫を殺すことが、本人を前にしてできるだろうかとも思った。リュウマに迷わせるために発したことばだとすれば、カイエンという騎士も、リュウマが思っているほど単純ではないのかもしれない。カイエンが続けた。
「しかし、もっと安心できる方法もある。もし、リュウマがその騎士なら、腕一本をくれ。それなら、しばらくまともには動けないだろう。アンネローゼ様のところにお連れしても、俺も安心だ。お互いに損はないだろう」
カイエンは巨大な斧を見つめていた。リュウマは見解を改めた。カイエンは、リュウマが想像した以上に肝心な部分が抜け落ちている。
「『お互いに損はない』? 冗談じゃない。腕一本を、ただの推測で渡せるものか。それに、ラプンツェル姫のところに連れていくという、リーゼロッテ姫の指示はどうなる?」
「リュウマが、アンネローゼ姫を殺そうとしている騎士だというなら、リーゼロッテ姫の命令なんか関係ない。だろう?」
「それはそうかもしれないが、そもそも……私じゃない」
リュウマは嘘をついた。騎士としては、恥ずべきことだ。だが、この場でカイエンと戦うことは望まなかった。まともに戦えば、おそらくカイエンの方が強いのだ。必ずしも負けるとは限らないが、大きな武器を持った相手に拓けた地形で戦うのは得策ではない。
「……そうか。リュウマが嘘をつくとは思わない。そこまで言うなら、違うんだろう」
カイエンは斧を見降ろした。リュウマが立ち上がる。
前方に、白い姿が見え隠れしていた。木々の間から、美しい生物が顔を出した。
「迎えが来たようだ。リーゼロッテ姫が、鳥でも使者にしたのかもしれない」
カイエンが言った。リュウマには理解できなかった。
「迎え? 馬しかいないが」
「ああ。賢い馬だ。ラプンツェル姫の相棒、シビリーだよ」
鋭くいななき、白馬シビリーは二人に近づいてきた。