森の姫リーゼロッテ
魔物を退治した日は、さすがにリュウマも動く気にはなれず、一日をお菓子の家で過ごした。
翌日、狼のファニーをヘンゼルとグレーテルに託し、グレーテルにできる限り普通の食事を摂らせるようヘンゼルに言い置いて、騎士リュウマは騎士セジュールとともにお菓子の家を後にした。
リュウマの手首には縄がかかっており、その先をセジュールがつかんだままだった。
森の中を、セジュールが先導して歩く。セジュールはルチコル村のリーゼロッテ姫(赤ずきん)に仕えており、周囲の森の地形は熟知していた。
背後にお菓子の家が見えなくなってしばらく歩くと、木々の間から上がる家事の煙が見えた。人々が生活する集落がある。ルチコル村が近いのだ。
セジュールが足を止めた。
「もう、あの子たちに見られる心配はない。しっかりと縛り直そう」
「そうだな」
リュウマは両手をそろえて、セジュールに差し出した。セジュールがリュウマの手首に縄をまく。何度も巻き、最後に強く引いて絞める前に、尋ねた。
「どうして抵抗しない? 騎士リュウマ、理不尽なのはわかっているだろう」
「ああ。わかっている。リーゼロッテ姫からの命令を無視すれば、セジュールが困ることもわかっているよ」
「僕は、リュウマに逃げられてもリーゼロッテに叱られるだけだ。リュウマ、このまま連れていけば、どんな目にあわされるかわからないんだぞ。リーゼロッテがまだ若いからって、甘く見ないほうがいい」
リュウマはセジュールの視線を受け止めた。騎士として、納得がゆかずに忠告してくれているのだろうか。セジュールがどこまで知っているのかはわからなかった。だが、リーゼロッテ姫は、リュウマの目的がアンネローゼ姫(白雪姫)の殺害であることは、少なくとも疑っていると考えるべきだろう。あるいは、そのために魔物をすぐに討伐させずに、放置していたのかもしれない。アリス姫が情報を漏らすようなことをするはずがないが、アリス姫の側近であるドリットや帽子づくり職人のライツまでもが知っていた。どこから情報が漏れるかわからないのだ。だが、逃げるわけにはいかなかった。
「魔物を退治した騎士を、理由もなく拘束するはずがない。私は罪を犯してはいない。私を拘束する理由を、聞かなくてはならないだろう」
本当は、逃げればリュウマがアンネローゼ姫の殺害を企てていることが明らかになる。警戒されれば、それだけアンネローゼ姫に近づくのは難しくなるはずだ。それだけは避けたかったのだ。
「……そうか。騎士リュウマ、幸運を祈る」
言いながら、セジュールはリュウマの拘束を仕上げた。
ルチコル村に着いたのは昼前だった。村人が食事の支度や動物に世話をしており、木で組まれた素朴な家が立ち並ぶ。河辺では婦人たちが世間話をしながら洗濯に興じている。村の中心には井戸があり、人々があつまる集会場も兼ねていた。決して大きな村ではないが、人々の活気と温かさの感じられる気持ちのいい村だった。
両手首を縛られたまま、リュウマはセジュールに連れられて、村の中を歩いた。騎士であるセジュールに敬意を払い、村人たちが軽く会釈をしてから、縛られたリュウマに疑念に満ちた視線を投げかけ。足早に去っていった。
気持ちのいい村だからこそ、罪人には寛容ではいられないのだろう。
村の中心部に近づくと、村人に囲まれて元気のいい女の子がはしゃいでいた。赤いフードつきのマントを背に垂らし、大きな駕籠を腕にかけている。村人から色々と物をもらっているのか、駕籠の中は果物やパンであふれていた。すぐ隣で、まるで赤いフードの女の子を少しだけ縮めたような少女が、恥ずかしそうにしていた。赤いフードの女の子は村人と実に楽しそうに話している。隣の少女が恥ずかしそうなのは、並んでいる女の子のように活発に話せないことを恥じているのだろうと、リュウマは勝手に想像した。
セジュールは村の中心部に、つまり赤いフードの女の子がいる場所に進んだ。連れられているリュウマも同様である。
二人の女の子の背後に立つと、村人たちがセジュールに視線を向けた。背後に誰かいることに、さすがに元気よくはしゃいでいた女の子も気がついた。セジュールは騎士の礼をした。
「リーゼロッテ様、ただいま戻りました」
くるりと振り向いた女の子は、飛び跳ねた髪と大きな目をした、とてもかわいらしい顔立ちをしていた。リーゼロッテ姫だ。フード付きの赤いマントは、トレードマークの赤ずきんなのだろう。
「ああ、セジュール、よく戻ったね。しばらくいなかったから、心配していたんだよ。なんども言うけど、あんまりかしこまったことはやめてよね。セジュールが『リーゼロッテ様』なんて言うから、ほら、みんな笑っているじゃない」
確かに村人は笑っていたが、皆優しい表情でほほ笑んでいた。ただ、隣のより小さな女の子だけは、吹き出すのを堪えていた。
「僕にとっては、リーゼロッテ様はあくまでもお仕えする主君ですので」
騎士としてごく当たり前の事実を述べたセジュールの言葉に、我慢できずに隣の少女が噴き出した。
「こらっ! オランジュ! そんなに笑わないの! そっちの騎士さんは……はじめまして?」
リーゼロッテ姫は少し首をかしげながら尋ねた。リュウマの手首が見えないはずはない。セジュールに命じたことも、忘れるはずがない。村人の前では、あくまでも可愛らしい女の子でいたいのだろう。
縛られたまま、騎士を名乗るつもりもなかった。リュウマは、ただ小さく会釈した。
「そう。なら、セジュール、任せるわ」
「承知しました」
騎士セジュールが立ち上がる。
「オランジュも行きなさい」
オランジュと呼ばれたより小さな女の子は、こくりとうなずいた。セジュールが一礼してリーゼロッテ姫に背を向ける。リュウマに促した。
リュウマはセジュールに従い、村人の刺すような視線を受けながら、移動を開始した。
リュウマが連れられたのは、村のほぼ中央にあるリーゼロッテ姫(赤ずきん)の邸宅だった。村の中では一際立派だが、決して華美ではない。村人に配慮し、周囲の森との調和に配慮したのだろう。木造の建物だった。
セジュールは当然のようにリーゼロッテ姫の邸宅にリュウマを引きつれ、庭を横切り邸宅の裏側に回った。
階段が地下に向かい、その先に黒い扉が見えた。
「拷問室か?」
「そうならないことを祈るよ」
「冗談には聞こえないぞ」
「本気だ。オランジュ様、これ以上は結構です」
小さな女の子は、リーゼロッテ姫の妹だという。縛られたリュウマに近寄ろうとはしないが、セジュールのことは気にいっているらしく、リュウマからもっとも遠い位置で、セジュールの服をつまんでいた。
オランジュは離れ、立ち止まり、少し迷ってから、セジュールに尋ねた。
「でも、お姉ちゃんが、一緒にって……」
「ここからさきの部屋に、オランジュ様が入ることはリーゼロッテ様も望んでいないはずです。オランジュ様は、リーゼロッテ様が戻られた時に、セジュールがどの部屋に罪人を連れ込んだのかご報告ください」
「でも……でも……」
まだもじもじとしているオランジュの手を、セジュールは膝をついて持ち上げた。
「もしリーゼロッテ様の指示と違ったら、すべてはこのセジュールの責任です」
騎士セジュールは、持ち上げたオランジュの手に口づけした。
慌てたようにオランジュが手を引く。セジュールは優しく笑いかけた。オランジュが、顔を真っ赤にして遠ざかる。
セジュールが立ち上がった。リュウマを振り向く。
「調子が戻ったようだな」
なんでも器用に立ち回る。それが、リュウマがセジュールに抱いていた印象だ。体調はだいぶ回復してきたのだろう。
「君は、どうしても逃げるつもりはないのかい?」
オランジュの相手をしていた間、セジュールはずっとつかんでいた縄の先を手放していた。リュウマはそれを知り、なお動かなかった。
「セジュール、そこまで私を逃がしたいなら、リーゼロッテ姫からの指示を教えてくれないか?」
「詳しくは、僕も知らされていない。ただ、シンデレラ姫に協力的な姫に仕える騎士がルチコル村の近くを通過しようとしたら、魔物退治に協力させるように。森の魔物を退治できるほどの騎士であれば、拘束して連れてくるように。というのが指示だった」
「そうか……助かる」
リーゼロッテ姫は、おそらくリュウマを探している。だが、そのことを本人も自覚していないのだ。まだ、誤魔化せるかもしれない。セジュールは、リュウマに重要な情報を与えたとは思っていないだろう。再びリュウマの綱を握ると、地上からくだる、つまり地下室に続く階段を下り、真っ黒い扉をあけた。
昼間だったので扉の隙間から忍び入る陽光だけで部屋の様子はわかったが、快適な場所とはいえなかった。明かりは天井から下がる小さなランプだけで、夜はいかにも寂しげな部屋になるだろう。
調度は中央にある机と椅子だけで、壁には様々な形状をした道具が飾られている。騎士であるリュウマは、その使い方を知っていた。人間の肉体を、痛覚を生かしながら破壊するための道具だ。ただし、使用された形跡はない。リーゼロッテ姫が拷問を好むわけではなく、ただの脅しなのだろう。
リュウマを椅子に座らせ、セジュールは足を縛った。
「周到だな」
「リュウマに暴れられては、僕だけでは抑えられないよ」
「そうしなくても済めばいいが」
セジュールは肩をすくめて、入ったのとは反対側の扉から出ていった。邸宅の内部から出入りできるのだろう。だが、罪人として拘束したリュウマを屋敷内に通すわけにはいかないため、外から入れたのだ。
リュウマはしばらく待ち、窮屈な姿勢のまま、次第に眠りに誘われたところで、正面の扉が開いた。
赤い頭巾つきのマントをまとった、小さな姿が細身の騎士を従えていた。
村人に愛される、屈託ない笑顔は消えていた。まじめな表情で部屋に入ると、リュウマと向かい合う位置に腰かけた。セジュールは扉を閉めると、壁際に直立していた。
「魔物を退治したことについては、ありがとう。君が仕えているのは誰?」
「私の犯した罪が明らかにならなければ、申せません」
リーゼロッテ姫は引きつった笑みを浮かべた。怒っているのがわかる。だが、簡単に感情を表すほど、単純ではないだろう。仮にも、世界を治める七人の姫の一人である。
「隠しても無駄だよ。私には、世界中に友達がいる」
事実なのだろう。リュウマも聞いたことがあった。リーゼロッテ姫は動物と意思を通わせることができ、つまり世界中に目と耳を持っていると。諜報活動は専売特許なのだ。あくまでも噂でしかないが、現に狼のファニーを使者としているのを、リュウマは目の当たりにしている。
「では、質問する理由もないでしょう。私はそれほど友だちが多くありません。拘束された理由をお聞かせください」
「つまり、心当たりがないというの?」
「ございません」
リーゼロッテ姫は、まっすぐにリュウマを見つめていた。リュウマも視線をそらさなかった。
「アンネローゼ(白雪姫)お姉さまを、殺そうとしている騎士がいる」
――やはり。
セジュールの顔が蒼白に変わった。動揺している。セジュールがアンネローゼ姫を殺そうとしていたのではない。騎士にとって、世界を治める七人の姫は絶対的な存在だ。その騎士の一人が、アンネローゼ姫を殺そうとしているという情報に、動揺しているのだ。
リュウマは表情を変えず、まっすぐにリーゼロッテ姫を見つめ返した。
「確かなのですか?」
「間違いないでしょうね。アンネローゼお姉さまが、魔法の鏡から聞いたのだから」
「私が、疑わしいと?」
「あなたが、シンデレラのところから来たことはわかっているの。ルチコル村を抜けて、どこにいくの?」
シンデレラ姫に仕える騎士が、魔物討伐でもなくどこに行くのか。これは、シンデレラ姫の元を辞するとき、問われると想定していた質問だった。リュウマは頭の中で、何度も繰り返してきた返答を口にした。
「自分探し、とでもいいますか。世界を見て回りたくなったのです。人として私が成長することで、お仕えするシンデレラ姫のお役に立てると思いまして」
「騎士であるあなたが、自分探し?」
「はい」
リーゼロッテ姫は、信じられないという思いを顔に出した。リュウマは、どれだけ責められようと、本当の目的を告げるつもりはなかった。仮に、この部屋で二度と動けない体になろうとも、本当の目的を言うつもりはなかった。
リュウマはただ、リーゼロッテ姫の反応を待った。リーゼロッテ姫は、言葉もなく小さく首を傾げた。
「騎士セジュール、あなたはどう思う? この人、嘘を言っているのかな?」
「僕にはわかりません。ですが、リュウマがこのルチコル村でしたことは、僕とヘンゼルを助け、村の近くに巣食う魔物を退治しただけです。リュウマを罰すれば、リーゼロッテ様の名に傷が付くかもしれません」
「私の名前なんてどうでもいいよ。でも……罪を犯していないなら、騎士を傷つけるとシンデレラが黙っていないかもしれない……そうだ、君、世界を見たいって言ったよね」
「……はい」
自分の発言との辻褄を合わせるため、肯定するしかなかった。リーゼロッテ姫は、とてもいいことを思いついたように手を鳴らした。なぜか、リュウマには不吉な音に聞こえた。
「なら、ラプンツェルに紹介状を書いてあげるよ。それを持って、ラプンツェルのいるピラカミオンに行くといい。アンネローゼお姉さまのところに行かないなら、お姉さまを殺すことなんてできないしね。セジュールを護衛につけるよ。その方が心強いでしょ」
「ええ……ありがとうございます」
どうやら、助かったようだ。一切の表情を変えることなく、リュウマは礼を言った。ほぼ、同時である。
扉がけたたましく空いた。
小さな女の子がいた。
「オランジュ様、この部屋に来られることは、禁じられているはずです」
リーゼロッテ姫の妹だという、可愛らしい少女が肩で息をしていた。急な知らせに違いない。
「セジュール、いいよ。オランジュ、どうしたの?」
「お姉ちゃん、大変。アンネローゼ様から使者が来ているの」
「……それが、慌てること?」
リーゼロッテ姫は明らかに不振がって首を傾げた。オランジュは強く首を振る。
「違うの。鳥たちが騒いでいるの。ルヴェールとノンノピルツで、戦争の準備をしているの」
部屋の中の温度が下がった。そう感じるほど、静寂が支配した。リーゼロッテ姫が立ち上がり、リュウマを振り向く。リュウマは表情を変えなかった。すぐにセジュールに視線を向ける。セジュールは小さく首を振った。何も情報を掴んでいないということだろう。
神聖都市ルヴェールはシンデレラ姫が治め、魔法都市ノンノピルツはアリス姫が治めている。ルチコル村は、両都市に挟まれる位置に立地し、戦争になればもっとも被害を受ける可能性が高い。
「確かなの?」
「わからない。私は、お姉ちゃんほどちゃんと声を聴けないもん。でも、鳥たちがそう言って騒いでいるの」
「誰か、ほかに知らせた?」
「ううん……誰にも言っていない」
オランジュは戸口に立っていたセジュールをかわしてリーゼロッテに飛びついた。不安でたまらないのだ。
「そう。偉いよ。このことは、村のみんなには言っちゃ駄目だよ」
「……うん」
「オランジュ、すぐに行くから、アンネローゼお姉さまの使者にお茶を淹れておいて」
オランジュはこっくりとうなずき、部屋を出た。セジュールが扉を閉め、リーゼロッテ姫は立ったままリュウマに尋ねた。
「シンデレラは、アンネローゼお姉さまと戦争するつもり? 君、何か知っているの?」
「私は何も知らない。シンデレラ姫から、アンネローゼ姫の名前も聞いたことがない。シンデレラ姫は平和を望んでいる。何かを企んでいるとすれば、おそらくアリス姫だろう」
「……アリス」
リーゼロッテ姫は、アリス姫の名前を口にしただけで唇を噛んだ。リュウマもあえてアリス姫の名前を出したのだ。アリス姫が関わっているなら、情報をそのまま信じることがいかに危険か、リーゼロッテ姫は知っているのだ。リーゼロッテ姫が本当に動物から情報を得ているとは、リュウマはたった今知ったところだが、鳥たちから論理だった正確な情報が得られるはずがない。これで、リーゼロッテ姫は軽はずみな行動ができなくなったと、リュウマは考えた。
「セジュール、私はシュネーケンに行く。一緒に来て」
城塞都市シュネーケンは、アンネローゼ姫(白雪姫)が治める都市である。リーゼロッテ姫だけでは判断できず、アンネローゼ姫に相談に行くのだろう。
「しかし、リュウマはどうします?」
「誰かをつけるよ。もし、本当にシンデレラが戦争の準備をしているなら、少しぐらい監禁したままでも当然のことだもの」
「大丈夫です」
外から響く大きな声とともに、閉ざされていた扉が開いた。まるで戸口を塞ぐように立っていた男がいた。それだけ大きいのだ。オランジュが、男の足元で、あまりにも小さく見えた。
「失礼。懐かしい顔が揃っていると聞いて、我慢できなくなりました。リュウマの付き添いなら、俺に任せてください」
あまりにも大きな体を隠す鎧が見つからず、ほぼ半裸の騎士は、かつて共に戦ったカイエンだった。