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使者ファニーと森の少年ヘンゼル

 騎士リュウマがお菓子の家から出ると、大きな動物が苦しそうにうずくまっていた。森において人間が素手では敵わない相手のひとつであり、イヌ科の頂点に君臨する狼だった。うずくまっていたのは、前足で鼻を抑えているからだ。イヌ科は、視力より嗅覚に頼って周囲の状況を把握するほど、鼻の機能が発達している。お菓子の家に漂う臭いが、よほど我慢ならないのだろう。

「臭いが苦手なら近寄らなければいいと思うが、そうもいかないのか」

 さすがにリュウマはお菓子の家の臭いにはなれていた。近づかなければいけない理由を、リュウマは理解した。狼の首に、羊皮紙の巻物が結わえ付けられていたのだ。リュウマが近寄ろうとすると、狼は四本の足ですっくと立った。人間に隙は見せないといったところだろうか。

 森の中に入ろうとしていたリュウマだが、お菓子の家の扉を再び開けた。覗くと、グレーテルが飛び上がった。小鍋の中を覗き込んでいたところだった。

「な、なに?」

「いや、グレーテルの知り合いかと思ってね」

 扉を大きく開けると、狼がきどった足取りで中に入ろうとする。

「ああ、ファニーじゃない。リーゼロッテのペットよ。何よ!」

 ペットと呼ばれたのが気に障ったのか、狼のファニーがグレーテルに牙をむいた。グレーテルも歯を出して応戦するが、人間の前歯では狼の牙には敵わない。

「知り合いならよかった。首に何か持っているようだ。この家に来たのなら、グレーテルかセジュールあてだろう。それから、用が終わったら外に出してやってくれ。ここの臭いが嫌いらしい」

「あんた……お菓子の家の臭いが嫌いなの?」

 グレーテルが尋ねると、狼が少し甘えたように喉を鳴らした。すでに家の中に入っており、後ろ足を折りたたんで尻をパイ生地の床につけている。背中をむけたまま、首を曲げて背後のリュウマを見た。一度大きく尻尾を振って見せる。リュウマに対する感謝の気持ちだろう。リュウマは笑って答え、扉をしめた。


 お菓子の家の周りの森は、豊かな恵みにあふれていた。シチューの味に変化を与える香草も、食感で楽しませてくれるキノコも、すぐに見つかった。森の恵みを少し分けてもらい、荷物入れにいれた時、声がかけられた。

「この森のものを勝手にとっちゃいけないんだよ」

「この森の管理人かい?」

「いいや、僕じゃない。お菓子の家の魔女が戻ったら、怒られるよ。だから、村の人もこのあたりじゃ山菜を摘んだりしない」

「だから、こんなに豊富に生えているのか。魔女が戻ったら謝るよ。怪我人がいる。仕方なかったんだ」

 立ち上がり、振り返ると、見知った少年が青白い顔で立っていた。森の少年ヘンゼルである。

「仕方ないで済めば苦労はないよ。魔女はどこかに行ったきり、もう何か月も見ていないんだ。魔女がいたら、あんな魔物が住み着くことなんてなかったのに」

「ヘンゼル、無事だったか」

「僕のこと、怒っているんだろ?」

「ああ。だが、セジュールを助けるためだろう? 答えなくてもいい。そうでなくても、結果的にセジュールを助けられたんだ。怒ってはいないよ。聞きたいことは一つだ」

 リュウマは剣を抜いた。ヘンゼルが身構える。逃げるだろうか。逃げても構わない。剣の切っ先を少年に向けた。

「魔物を退治する。協力するつもりはあるか?」

「できるの?」

「セジュールと、君たちの協力があればな」

 ヘンゼルは大きくうなずいた。リュウマが剣を収める。少年が近づいてきた。リュウマは少年の肩を抱いた。

「明日には、セジュールも回復するだろう。今日は休もう。お菓子の家ではゆっくり休める気がしないが、グレーテルは村に戻ることを承知するかな」

「無理だと思う。グレーテルは、もうずっと村に戻っていないんだ」

「……そうか」

 話をすればただの性格が曲がった少女だが、グレーテルは侵されている。ヘンゼルも影響を受けているのだろう。リュウマはお菓子の家に戻ることにした。魔物を退治することができても、ヘンゼルとグレーテルは救えないかもしれない。

 疑惑の念を抱いたまま、リュウマは魔物退治を決意していた。


 お菓子の家の手前で、狼のファニーが待っていた。リュウマの顔を見ると、嬉しそうに尾を振り、ヘンゼルを見下した。社会生活を本能で構築し、上下関係を非常に重視するのが狼である。ファニーはリュウマを自分より上だと格付けし、ヘンゼルを下だと認識したのだ。

「ファニー、お前も手伝ってくれるのか?」

 リュウマの問いに、ファニーは柔らかく喉を鳴らした。ヘンゼルとともにお菓子の家に入る。

 板チョコの扉を開けると、グレーテルがぼんやりとチョコレートの椅子に腰かけていた。うつろな目をして、天井を見つめていた。

「セジュールは目が覚めたかい?」

 少し語気を強めてリュウマが問うと、グレーテルが振り向いた。

「目が覚めているわ」

「わかった。ヘンゼル、あの鍋を暖炉で温めて、この草とキノコを入れてくれ」

 後ろに従ったヘンゼルに香草とキノコを渡す。グレーテルが反応した。

「ヘンゼル、何の用? 誰の許可を得て家に入ったの!」

 いきり立ったグレーテルに、リュウマは頭を下げた。

「グレーテル、頼む。ヘンゼルも魔物退治に協力させる。それが済むまでは、仲間だ。それから、セジュールの容態が落ち着くまで、大きな声は出さないでくれ」

 立ち上がったグレーテルはリュウマを見た。ヘンゼルと交互にリュウマを見つめ、再び椅子に尻を落とした。

「……そう。仕方ないわね」

 リュウマがヘンゼルを見ると、ヘンゼル少年は小さく首を振る。これが、普段のグレーテルの姿なのだろう。ヘンゼルを罵倒したのも、リュウマが入った時にぼんやり天井を見つめていたのも、普段の姿なのだ。

 小鍋のシチューをヘンゼル任せ、リュウマは奥の扉に進んだ。取っ手を掴み、変化に気が付いた。

 初めてお菓子の家に入ったとき、扉の取っ手はアメ細工だった。いまリュウマがつかんだ取っ手は、パンケーキでできていた。

「グレーテル、この取っ手、食べたか?」

「ううん」

「そうか。変なことを聞いて悪かった」

 お菓子の家を一口も食べていないリュウマにも、影響が出ている。リュウマは扉を開けた。


 セジュールはベッドの上で羊皮紙を眺めていた。狼のファニーが運んできた手紙だろう。ファニーがリーゼロッテ姫(赤ずきん)の直近に仕える動物であれば、羊皮紙を送った者はリーゼロッテ姫に違いない。

「調子はどうだ?」

「寝て起きたら、腕と足はだいぶ動くようになっていた。少し、体が熱いね」

 セジュールは持っていた羊皮紙を丸めた。綿あめでできたベッドの反対側に落す。リュウマが拾えない位置だった。

「体が熱いか。辛いか?」

「たいしたことはないよ」

 リュウマはベッドのそばに椅子を引き寄せ、自ら座った。椅子はクッキーでできていた。セジュールの手当をしていた時は、チョコレートだったと記憶している。

 美しい顔が紅潮している。汗をかいている。リュウマが額に触れると、確かに熱がある。頬に、首筋に触れる。

「あまりべたべた触るな。遠慮しろ。あまり触るようなら、責任をとらせるぞ」

「冗談は後にしろ」

 リュウマはセジュールの背中に手を回した。患部に触れる。セジュールの顔が歪んだ。痛むのだろう。

「僕は死ぬのか?」

「体内の毒に、体が必死に戦っているんだ。だから、熱が出ている。体が戦っているのに、弱音を吐くのは騎士として恥ずかしいと思え」

「厳しいな」

「騎士の弱音は聞きたくない」

「騎士である前に……やめておくか。そんなことが通用する奴じゃなかったな」

 セジュールの背中から手を引き抜く。セジュールの言葉は独り言となった。リュウマが反応しなかった。リュウマはセジュールの体調を確認し、汗をぬぐった。

「風邪をひく前に着替えた方がいい。一人でできないなら、手伝うが」

「いや。一人でできる」

「そうか……」

「変なところで優しいな。誤解するからやめろ」

 リュウマは苦笑しながら立ち上がった。思いだしたのだ。一人では着替えられないから、手伝えと言ったある姫のことだった。リュウマに断るという選択肢はなかった。もちろん、その姫が特別なのだろう。立ちながら、セジュールの髪を撫でた。

「シチューがある。食べたらまた寝るといい。明日までに回復してくれると、私も助かる」

「食欲はないな」

 体調がよくないのは、見ただけでもわかる。

「残念だな。私が作ったんだが」

「そうか……少しなら、いただこう」

「そう言ってもらえると嬉しいな。味の保証はしないぞ」

 リュウマは立ち上がった。少しでも、セジュールの嬉しそうな顔が見られただけでも、救われたような気がした。

 シチューをとりに行こうとして立ち上がる。セジュールが言った。

「リーゼロッテ姫から、魔物討伐の命が下った。リュウマ、協力してくれるか?」

「もとより、そのつもりだ」

 リュウマは笑って見せた。セジュールは安心したように笑い返し、瞳を閉ざした。

 いままで見過ごしていた魔物に、討伐の命が下った。

 ――何があった?

 結論は出ない。出るはずもない。リュウマは部屋を出て、ヘンゼルとグレーテルに正式な魔物討伐を告げた。


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