お菓子の家の少女グレーテル
騎士リュウマがセジュールを寝かしつけて部屋を出ると、お菓子の家の居間にあたる場所で、小柄な少女が待ち構えていた。
すぐにわかった。この少女がグレーテルだ。ヘンゼルとよく似ている。二人ともまだ幼いといえる年齢だけに、顔の造形に性別の差があまり出ていない。ほぼ、瓜二つだ。
「勝手に入って悪かった。声はかけたんだが、不在のようだったので上がらせてもらった。魔物に追われていたのでね。隣でセジュールという騎士が寝ている。負傷しているから、休ませてやってほしい。私が邪魔なら、すぐに出ていくよ」
少女は顔を歪めた。怒った表情を作っているのに、ややぎこちない。笑いをこらえているかのようだ。
「そこまで言われたら、怒れないわ。それに、セジュールはよく知っているし。怪我をしているって、大丈夫なの?」
ヘンゼルはグレーテルに気をつけろと言ったが、リュウマには普通の少女に感じられた。いずれ、本性を見る時が来るのだろうか。
「手当はしたが、私も専門ではないのでね。セジュールの体力次第だ。君はグレーテルかい? 私はリュウマ」
「へえ……セジュールから名前は聞いているわ。セジュールがずいぶんとほめていたわよ」
「そうか?」
リュウマは手を差し出したが、グレーテルはリュウマの手をとらなかった。
「でも、私はセジュールがほめた人間は信用しないことにしているのよ」
「そうか。セジュールとヘンゼルが魔物に囚われた時、君もそばに居たのかい?」
印象は普通でも、性格は曲がっているらしい。リュウマはまともに相手をせず、情報を引き出すことに専念しようと決めた。話しかけながら、荷物から小型の鍋と保存食をとりだす。保存食は小麦を練ったものから、乾燥肉、乾燥野菜、乾燥果物まで色々あり、時間があるときは火を起こして混ぜ合わせ、煮込むとシチューになる。リュウマは面倒なので乾し肉だけで済ませることも珍しくないが、弱ったセジュールの体には野菜を多めにしたほうがいいだろう。
「ええ。いたわよ。教えてほしいの?」
「そうだな」
小鍋を火にかける。水筒はあるが、中身は水ではなかった。酒だ。水は保存できないため、長期の移動には酒を入れて持ち歩くことにしていた。
直火にかければ、アルコールは蒸発して、むしろ旨味が残る。リュウマは小鍋に酒を入れた。
「ただでっていうわけには、いかないわね。それに、どうして料理なんてしているの? お腹が空いたなら、お菓子を食べればいいじゃない。あなたが見ているもの、すべてがそうよ。遠慮しているの?」
「君の兄さんを助けた挙句、魔物に巣穴に落とされた。セジュールが回復したら、魔物を退治する。情報の対価として、それでは不足かい?」
リュウマは背を向けたままだった。酒の中に、先に乾し肉を入れる。常温の状態から徐々に熱することで、乾し肉からも旨味がでるのだ。
グレーテルはしばらく黙っていたが、沈黙に耐えきれなくなったかのように話し出した。
「いいえ。本当にあの魔物を退治してくれるなら、何でも教えてあげるわよ。でも、ヘンゼルを助けたことには礼なんて言わないわ。むしろ、いなくなってくれた方がすっきりするんだから」
「ヘンゼルのことは、助けたりして悪かった。だが、お菓子の家を食べないのは、遠慮しているからじゃないんだ。グレーテル、君は、この家を毎日食べているのかい?」
「そうよ。でも大丈夫、いくら食べてもすぐに元通りになるから」
「だから、そんなに顔色が悪いのか」
リュウマは体を返した。酒が煮立つまで、このままにしておくつもりだった。
「何よ。栄養が偏っているっていうの? そんな話、ヘンゼルにもオランジュにも、散々聞かされているわ」
オランジュというのが誰かはリュウマは知らなかった。グレーテルの友達だろう。
「それだけならいいがな。ヘンゼルとは、いつ以来会っていないんだ?」
「……今朝よ。別に、セジュールもヘンゼルも、魔物を退治にいったわけじゃないのよ。森の様子を見回っていただけ。リーゼロッテに、魔物の監視を命じられたとかなんとか、よく覚えていないけど、騎士は面倒ね。
それが、たまたま魔物の縄張りに入ったのか、魔物の機嫌が悪かったのか知らないけど、ヘンゼルが魔物の罠にかかったのよ。セジュールはヘンゼルを助けようとしたけど、罠に獲物がかかったのを知った魔物が近づいてきて、魔物に見つかる前に、セジュールは私を遠くに逃がすことを優先したの。私は逃げられたけど、それから、セジュールには会っていないわ。あなたが助けたのね。しばらくしても誰も戻ってこないから、心配して……いえ、心配なんかしていないけど、少しは気になったから、森に様子を見に出たのよ。戻ってきたら隣の部屋に人が居るみたいだから、ここで待っていたの」
強がりで、臆病なただの女の子という以外に、グレーテルに対しては印象を持たなかった。リュウマとセジュールがいた部屋に入ってこなかったのも、知らない人間が居るかもしれないと恐れたのだろう。リュウマが部屋から出てむくれて見せたのも、騎士が少女に暴力を振るうはずがないと考えたに違いない。それよりも、リュウマの興味を引いた名前が出てきた。
「セジュールはリーゼロッテ姫(赤ずきん)に仕える騎士なのか?」
「そうよ。でも、リーゼロッテは姫なんて柄じゃないわ。私たちの友達みたいなものよ」
リュウマは知っていた。非常に庶民と親しく交わり、まるで村娘のような風貌で誰とでも親しくなる。その表の顔こそが、リーゼロッテ姫の最大の武器なのだ。リーゼロッテ姫のことで口論するつもりはなかったため、リュウマは話をすすめた。
「この森は、リーゼロッテ姫の治めるルチコル村なのか?」
「そうよ。村ならすぐそこ。私は目をつぶっても行けるわ。でも、あなたは案内してあげない。だって、お菓子の家の悪口をいいそうだもの。いい? このお菓子の家は、ルチコル村の大事な観光資源なのよ。これから、お菓子の家にいっぱい人が集まって、夜になってルチコル村に泊まるの。宿はお客さんでいっぱいになって、そのうち住む人がどんどん増えて、街になるわ」
「それは、リーゼロッテ姫の考えかい?」
「私の考えよ。もちろん、リーゼロッテにも言ったことがあるけど、反対するはずがないじゃない。村に人をいっぱい集めて、悪いはずがないもの」
村人の中には、賛同しない者も多いだろう。静かに暮らしたくて、ルチコル村を選んだ村人もいるはずだ。だから、グレーテルはまだ一人でお菓子の家に住んでいるのだ。
リーゼロッテ姫は、昔からアンネローゼ姫(白雪姫)と懇意で知られている。つまり、シンデレラ姫とは意見が対立している側にいる。シンデレラ姫に参謀としてアリス姫がついているように、アンネローゼ姫にはリーゼロッテ姫がついていると考えられる。リーゼロッテ姫が知略に長けているという噂は聞かないが、何より広範囲な情報収集能力を持つことで知られている。情報の伝達手段が手紙と伝聞しかない状況で、不思議なほど多くの情報を得ることができるのがリーゼロッテ姫だ。一説には、身分を隠して村人の混ざり、噂話を分析しているとか、動物を使役して聞き耳を立てているとも言われるが、本人以外には確かなことは解らないだろう。
「でも、人を呼ぶためのお菓子の家の周りに、強力な魔物がいては迷惑だろう」
「もちろん。だから、本当に退治してくれるなら、お菓子の家を食べて良いわよ」
魔物を退治してほしいというのは本当なのだろう。だが、グレーテルは報酬を用意できないのだ。リュウマが言いたかったことは別のことだった。
「なんで、セジュールは魔物がいるとわかっていて監視しかしなかったんだ? リーゼロッテ姫が、自分が治める領内に魔物がいると知らないはずがない。どうしてセジュールに魔物の討伐を命じないんだ? 一人では手に追えなければ、協力してくれる騎士を集めてでも退治するべきだろう。ルチコル村から近いなら、当然そうするべきだと思うが」
「……知らないわ。リーゼロッテに直接聞けばいいじゃない。それとも、騎士ってのは、命令されないと魔物退治はできないの?」
「グレーテルは、素直でいい子だな」
リュウマは笑った。リーゼロッテ姫が魔物討伐を命じないのには理由があるはずだ。グレーテルには関係がない。だから、ルチコル村の住民として、本気で話している。リュウマが言った途端、グレーテルは真っ赤になった。怒ったように見えたが、リュウマはすぐに背を向けた。グレーテルと話をしている間に、小鍋が騒ぎ出したのである。
酒と乾し肉だけを入れた小さな鍋に、乾燥した野菜と練って干した小麦粉を溶かす。最後に塩で味を調えた。味見はしていないが、明らかに一味足りなそうだ。
「グレーテル」
暖炉から小鍋を降ろすと、グレーテルはふくれた顔をしたまま、お菓子の椅子に腰かけていた。
「なによ。あんまり私のこと見下さないでよ。後悔させるから」
「私は誉めたつもりだったが。魔物については、グレーテルの言う通りだよ。村人が困っているんだ。命令があろうとなかろうと、退治しない理由はない。私は、少し外に出る。セジュールが目覚める前に、香草とキノコを探してきたい」
「ふん。好きにすればいいじゃない。ところで、一つ聞いていい?」
お菓子のテーブルの上に、熱い小鍋を置いた。やはりただのお菓子ではない。チョコレートでできているはずなのに、熱で溶けもしない。
「なんだい?」
「騎士リュウマの将来の夢は、いいお嫁さんなの?」
「グレーテルがもらってくれるかい?」
「考えておくわ」
はじめてグレーテルが笑う。ようやく見せた少女らしい屈託のない笑顔に見守られ、リュウマはお菓子の家を出た。