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お菓子の家

 セジュールを背負った騎士リュウマは、方角と特徴を告げられただけで、行くべき場所をはっきりと理解した。

 木々に囲まれた深い森でありながら、目印ははっきりとしていた。見ることはできなかった。だが、漂ってくる甘い香りは、独特のものだった。

 森の中に、お菓子で作られた家がある。その場所なら、魔物は近づいてこない。セジュールに告げられたときは、信じられなかった。お菓子の家があるということも信じられなかったが、魔物が近づいてこないということも理解しがたかった。あるいは、甘い香りが嫌いな魔物もいるかもしれない。だが、魔物以外のものが色々と近づいてくるのではないだろうか。

 半信半疑ながらも、セジュールのことを信用していたリュウマは、森の中を駆け抜けた。森を分け、草を踏み、木々をかいくぐり、ひらけた場所に出た。

 ――本当にお菓子の家だ。

 目の前に出現した光景に、リュウマは言葉が出なかった。


 柱はチョコレート、壁はミルフィーユ、窓はアメ細工、扉は板チョコ、床はアップルパイ、屋根は生クリーム、煙突はバームクーヘン……。すべてお菓子で構成された家が、ごく普通の民家の大きさで存在している。このサイズで、壁が崩れないはずがない。屋根を支えられるはずがない。中に入れるはずがない。

「どうした? リュウマ、中に入ろう。奴が追ってくるかもしれない」

「ここでも、十分臭いは強烈だぞ」

 甘くかぐわしい芳香であろうとも、生粋のスイーツ好きではないリュウマには、いささか耐えがたいものに感じられた。

「僕たちに腹を立てているなら、臭いだけでは追い払えないかもしれない。中の方が安全だ」

「……中に入れるのか?」

「もちろん。僕は入ったことがあるよ」

 なぜか、セジュールは嬉しそうだ。よほど甘いものが好きなのだろう。お菓子の家の中に危険が待っているとは思わないが、中に入るのは遠慮したかった。だが、何より身動きがとれないセジュールを置き去りにはできなかった。それに、臭いにも慣れてきた。人間の五感で、もっとも敏感なのが鼻だが、順応も早いといわれている。リュウマはお菓子の家をあらためて眺めた。

 信じがたい存在だった。見ているだけで腹が膨れてくるような感覚に襲われながら、リュウマは板チョコの扉を開けた。


 お菓子の家の扉を開けると、見事に普通の民家でありながら、すべてがお菓子でできていることがわかった。チョコレート菓子のテーブルに、マシュマロの椅子には目を疑った。中でも、もっとも不思議なのが暖炉だった。暖炉自体はフルーツ味のグミを組み合わせて作られていたが、中では本物の火が燃えていた。いまのところ、お菓子の家の中で唯一お菓子ではないのが暖炉の火だった。

「勝手に入ってもいいのか?」

「魔物に追われているからね。怒りはしないよ。声はかけた方がいい。本来の持ち主は、ずっと戻っていないらしいけど、代わりにグレーテルっていう女の子が管理している」

 グレーテルという名に聞き覚えがあった。リュウマを魔物の巣に落した少年、ヘンゼルの妹だっただろうか。グレーテルはセジュールと一緒ではないかと言っていたが、上手く逃げたのだろう。確か、ヘンゼルはグレーテルには気をつけるように言っていたが、魔物の巣に落とされたリュウマとしては、少年の言葉を真に受ける気分にはなれなかった。

「グレーテル、入ります」

 大きな声で呼びかけても、返事はなかった。セジュールは左手奥の扉に入るよう勧めた。

「そこは、迷った旅人が泊まる寝室になっている。休ませてもらおう」

「ああ。私たちも迷っているからな」

「迷っているかい?」

「魔物の退治の仕方にな」

 セジュールはリュウマの背中で笑った。リュウマはお菓子の家に踏み込み、踏みつけたアップルパイのしっかりとした弾力に驚いた。床の模様は場所によって変わり、アップルパイだけでなく、糖蜜のタルトが敷き詰められている場所もあれば、マシュマロで覆われている場所もある。

「驚かなくてもいいよ。この家を作ったのは、とても力の強い魔女だ。本当にお菓子で家ができているだけなら、いつまでも立っているはずがない。意外にしっかりしているから、普通の家と思っていても大丈夫」

「なるほどな」

 リュウマは遠慮なく奥に進み、扉を開けた。小さな部屋で、ベッドが置いてあるだけだったが、休憩するには十分だ。もちろん、ベッドを構成するすべての部品がお菓子である。布団は綿あめだった。背中のセジュールをベッドに下ろすと、美しい顔は自由に動かせるようになっていたが、手足にはほとんど力が入らないようだった。綿あめに沈むセジュールが、そのまま沈み込むのではないかと心配したが、ベッドの上にふわりと横になった。

「どうだ? 回復しそうか?」

 リュウマが尋ねると、セジュールは心細げに口を動かした。顔以外の筋肉が動かないため、まっすぐに天井を見つめたままだ。

「……うん。感覚が少し戻ってきていると思う」

「そうか。ところで、グレーテルと言うのは、私が途中で会ったヘンゼルの妹だと思うが、無事なのか?」

「だと思うよ。僕が魔物につかまった理由を少し説明した方がいいね」

「いまは無理をするな。後でいい。急いで手当をしないといけない」

「えっ?」

 セジュールは顔を曇らせた。リュウマにはその理由がわからなかった。

「魔物に背中を刺されて毒を受けたと言っていただろう。手足が動かなる以外にも、セジュール自身が気づかないだけで他の毒もあるかもしれない。薬草を一通り持ち歩くのは習慣だ。手当は私がやる。セジュールに余力があるなら、その間に魔物に襲われた状況を教えてくれ」

「いや……大丈夫だよ。そこまでの毒じゃない」

「魔物の力を侮らない方がいい。怪我の手当は騎士のたしなみだよ。心配するな」

 リュウマは荷物入れから治療用の道具をとり出し、セジュールの無駄にきらびやかな衣装を脱がそうとした。

 小さく悲鳴が上がった。セジュールからである。

 リュウマはセジュールを見た。セジュールは顔を動かせない。リュウマを見るセジュールの目は、まるでうるんでいるかのようだった。顔が赤い。動かすことができなくても、色は変えられるらしい。

 手を伸ばし、リュウマは腹部を覆う服に手をかけた。今度はすさまじい目つきで睨まれた。

「必要なことだ。わかるよな」

「ああ。わかっている」

 服をめくり、ボタンを外す。きつく腰に巻いた胴巻きを外し、下腹部を覆うズボンを緩める。セジュールは動くことができない。リュウマはしっかりと着こまれた衣服を少しずつ脱がしていく。

 再びセジュールを見ると、美しい顔を背けることもできず、唇をかんで目に涙を浮かべながら、真っ赤になって耐えていた。ようやく、腹部の肉が空気に触れる。滑らかな肌だった。なめらかで、柔らかい。筋肉がうっすらと見えるが、申し訳程度に乗った脂肪と皮膚は、指先に吸い付くようだった。

 セジュールの体を起こし、うつ伏せに寝かせる。今度はやや強引に背中を露出させる。

「ここか?」

 明らかに、皮膚の様子が異なる部位に指で触れた。滑らかに隆起した肌が不細工に盛り上がり、白い肌が紫色に変色している。ただの神経を犯す弱い毒にしては、盛り上がり方が異常だ。

 手のひらを当てると、化膿している最中であるかのように熱を持っていた。

「痛むか?」

「いいや……リュウマが触っているのはわかる」

「ならば、神経が死んでいない。良い兆候だ」

「酷いのか?」

「そうだな。私が知っている範囲でも、悪質な部類の毒だろう。動けなくなるのは初期の症状にすぎないと思っていい。いまは、刺された周辺に毒がたまっているが、そのうち全身に回って死ぬ。おそらく、一日はもたない」

「……冗談だろう?」

 セジュールの声が変わった。リュウマは本気だった。尋ねるセジュールも、それはわかっているはずだ。

「少し、痛くするぞ」

「……処置を知っているのか?」

「やってみるさ」

「……頼む」

 患部を空気にさらしたまま、リュウマは持ち合せの薬草を手で揉んだ。手ぬぐいに薬草を乗せて、綿あめの布団の上に置いておく。たとえどれだけ痛くしても、セジュールが暴れる心配はない。

リュウマはナイフに持ち替えた。鋭利な先端で、セジュールの背中、こぶとなって紫色に変色した肌に切り込みを入れた。セジュールがうめいた。痛むのだろう。切り裂かれた皮膚の間から、粘着質の赤い液体がこぼれた。セジュールの体内で戦い、死んだ細胞たちが血液と一緒にこぼれ出たのだ。体内にとどめておけば、毒と一緒に全身を巡るだろう。零れ落ちる体液は綿あめの布団に吸わせ、リュウマはあらかじめ用意していた薬草と手ぬぐいを患部に当てた。

「セジュール、薬草を固定しておきたい。長い布はないか?」

「僕は動けないんだ。そんなものなくても大丈夫だろう」

「いや、手足のしびれはじきにとれる。問題はその後だ。毒が上手く抜ければいいが、それでも対象は体内に残る。毒が全身を巡る苦しみで、暴れまわる者もいる。薬草を固定させるのは必要なことだ」

「なら……僕のを使えよ。見えているのだろう?」

 リュウマは少し考えた。セジュールの言っている意味が理解できなかったからだ。しかし、重ねて聞くのはためらわれた。セジュールの顔を見なくても、真っ赤になっているのがわかった。体温が明らかに上がり、首筋までが真っ赤になっている。毒が原因とは思えなかった。

「ああ……すまない」

 リュウマが謝ったのは、セジュールの服をさらにめくり上げることになったためだった。セジュールの体には、長い布が巻かれていた。胸部を覆う、長い布だった。

 背中から解き、リュウマはセジュールの体に巻きつけられたサラシを脱がせ、腹部に薬草を固定した。服を元の状態に戻し、セジュールを上向きに戻す。

服に覆われたセジュールの体に、手当をする前は存在しなかったふくらみがあった。

「僕のこと……知っていたのか?」

 リュウマが椅子に腰かけると、セジュールが尋ねた。

「いや。だが、私たちは騎士だ。性別は関係ない。気にしたこともなかったよ。隠していたつもりなら、すまなかった。少し、無神経だったな」

「『気にしたこともなかった』……か……これからは、少しは気にするのか?」

「そうして欲しいのか?」

 リュウマは自分の手を見つめた。何に触れたのか思いだし、感触を確認するように開閉させた。

「おい。思いだすな」

 セジュールの肌に、胸に触れたことをとがめられた。

「無理を言うな。私も、自分の記憶は上手く消せない。気にしないで、しばらく寝ていろ。経過を見る必要がある。私の手当が適当だという保証もない。ひと眠りすれば、体は動かせるようになっているだろう」

 リュウマは立ち上がった。セジュールが、動かない体で首だけを伸ばした。

「どこにいる。ここに居てくれないのか?」

「情けない声をだすな。セジュールが起きるまでに、食べ物を用意しておく。弱っている体に、保存食は優しくはないからな」

「食べ物なら、たくさんあるだろう」

 セジュールの視線が、室内を見回す。何を言いたいのかはわかっていたが、リュウマは否定した。

「お菓子の家は、食べない方がいい」

「心配はいらないだろう。作った魔女の力が生きているのか、少しぐらい食べても自然と戻る。グレーテルだって食べているが、どこも壊れていないだろう」

「だから、食べないほうがいいんだ。魔物が近づかないのは、解らないこともない。甘い匂いが嫌いな奴もいるかもしれない。だが、森の中に糖分の塊があって、アリが近づかないなんてことがあるか? このお菓子の家は、見た目どおりだと考えないほうがいい。幸いにも、暖炉の火は本物だ。少しは食べられるものも作れるだろう」

「そうか……慎重だな。騎士としての、経験の差かな」

「ああ。不安なら、セジュールが眠るまではここにいるよ」

 リュウマは、セジュールの性別が外見とは違うからといって、扱いを変えるつもりはなかった。騎士である以上、主君のために働き、死ぬのみだと思っていたのだ。

「一つ、聞いてもいいか?」

「どうした?」

 椅子に腰かけたリュウマに、セジュールは手を握ってくれるよう頼んだ。リュウマがセジュールの手を握った直後に、尋ねられた。

「リュウマは、誰に仕えている?」

「シンデレラ姫だが、それがどうかしたか?」

「あの……聖騎士姫か?」

「もちろん」

「ああいう、勇ましい女性が好みか?」

「女性として、という意味なら、主君をそういう目で見たことはない。ただ……憧れないかと言われれば、そうでもない」

「なら、僕にも少しは目があるということか?」

「そういうことを言うと、相手によっては勘違いするぞ。くだらないことを言っていないで、休むことに専念しろ。約束だ。眠るまではここにいる」

「わかっている」

 セジュールがリュウマの手を握り返した。手に力が戻ってきたのだ。背中の毒が上手く抜ければいいのだが。

 リュウマはセジュールの手から力が抜け、呼吸が寝息に変わるのを待ち、立ち上がった。


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