6.始まりに予告ナシ 後編
玄関に向かった西野はそっと引き戸に触れてみた。鍵が掛かっていると思ったが引き戸はあっさりと開き、軋んだ音を上げそうになったので西野は思わず手を止めた。
「どうやらネジ鍵の使い方を知らなかったみたいだな」
西野は当初の予定より静かに入り込めることに安堵し手に持っていた石を地面に置いた。鍵が掛けられていた場合はコレでガラスを割って鍵を外す予定だった。少しだけ開いた引き戸に顔を近づけ土間の様子を伺った。
「藤木、竹下。見てみろ」
一通り見て後ろに控える二人に場所を譲り、二人は交代で中を確認した。
「どうやら、人が10人ぐらいはいっぺんに入っても支障はないようですね」
「うむ、地理的に見てもこの場所は村の集会場替わりだったのでしょう」
二人のそれぞれの感想を言った。
「とゆうことは、なにかしらの大部屋があるはずです、侵入後はまずそこを確認してそこに集合、そして一気に叩きます。侵入後の探索は各分隊に分かれて行います。阿部軍曹」
「はい」
ここまで言って西野は斥候に出していた軍曹を呼び出した。
「あなたは、我々と一緒に来てください、貴官の聞いた声が聞こえた大体の辺りを探索します。分隊は次席に指揮を執らせなさい」
「はっ」
そう言って阿部軍曹は自分の分隊の一人を呼び出し指示を飛ばした。
「さて、もう時間だな」
西野が時計を確認しベレッタの安全装置を確認した。
「では、始め」
西野は号令を掛けながら引き戸をゆっくりと開き人一人が入れるぐらいまで開いた所で体を滑り込ませた。
続いて藤木、竹下が入り、土間から伸びている廊下を警戒しながら部下たちを促した。兵たちは各隊の指揮官の指示のもとゆっくりと息を殺して奥に進んで行った。
「よし、行きますか。阿部軍曹、先導」
事前に指示を出していた訳ではないが古参の下士官らしく状況を踏まえ復唱はせず阿部は先頭に立って進み始めた。中は住人の慌ただしい避難の様子がわかるのようだった。住人が普段使っていただろう茶の間には卓袱台に食べかけの食事だったものがあり夏場なら異臭でここにはいられなかっただろうなと西野は
思った。他にも開けたままのタンスや、窓辺に置かれていただろう倒れたままのラジオがあった。他の部屋も似た様なものだが何割かがソ連兵が接収した時に家探ししてそのままにした物だなと西野は探索しつつ考えていた。どうやら家族以外の従業員も雇っていたらしく個人の家にしては大きく探索は時間が掛かった。
「大隊長殿、どうやらあの場所です」
先行して警戒していた阿部軍曹が西野達のところに引き返して奥の引き戸を指差した。
「あったか、よし竹下中隊長、全員に集合命令を、藤木と阿部は私とあの引き戸の周りを確認します確認後はあの部屋に隠れますので集合時は入口で後続部隊は合言葉を」
手頃な部屋を指差しながら指示を出し竹下は部下から伝令を出し、西野は引き戸の周りの様子を確認し他にこの部屋の出入り口はないと確認できた。暗くて分からないが建物は築年数が新しいようでここまで西野達も極力足音を立てないように来たがなんとか床は軋むことがなく静かにここまで来れたのであった。確認後、西野達が引き戸から距離をとり予定通り部屋に戻ってきた戻った直後に気配がしたので西野以下全員が武器を構えたが「富士」と聞こえ「桜」と答えながらほっと一息ついた。
部屋を出て目的の引き戸に向かい中を確認すると10畳ほどの部屋であり、ソ連側の兵士は何人かは寝ていたが4人が装備を整えてテーブルに座って談笑していた。西野は部下に目を向け引き戸に右手をかけて左手に銃を握り締めていた
(行くぞ)
目で合図して引き戸を一気に全開にした。ソ連兵はいきなり開いた扉に歩哨が戻ったと思っていた為に隙ができ入口から入ってきたのが日本兵と認識して銃を構えようとしたが叶わず軍刀の餌食になった。
一番近くにいた兵士を最初に飛び込んだ小隊長の一人が切り倒し、その後ろから追い越す形になった日本兵が撃たれ倒れ込みつつも後続は戦友を極力避け室内のソ連兵と交戦を始めた、銃声が聞こえたらしく奥の方でも何人かの足跡が銃声に紛れて聞こえてきた。
「おい、大丈夫か」
起きていた4人を片付け、飛び起きた残りの連中も片付いたぐらいで最初に撃たれた兵が衛生兵に壁のカゲに引きづられて行った。
「おい、衛生兵きたぞ、負しょ」
衛生兵に気づいたこの小隊長はここまで言った瞬間、頭から血が飛び散った。若手は何が起きたか理解するのが遅れ、古参兵は血の飛び散り方から大体の位置を把握しその位置にあった襖に弾を撃ち込んだ、撃ち終わり警戒しつつ兵が襖の一番端から襖を引くとそこには穴だらけになった政治将校が拳銃を握りしめて倒れていた。
「これで最後です」
襖の先にあった廊下から日本兵がやってきて言った。勝手口組の矢部少尉だった。
「この者は我々が捜索中に一室から何かを抱えて飛び出してきました。自分は部下と共に追跡しましたが途中で抱えていた物を落としましたので部下に回収を命じてここまで」
「わかった、他にはいないのだな」
「はい、現在、他の者に再度確認を命じました、それと通信機は政治将校がいた部屋にありました」
「よし、負傷者を除いて竹下隊は厩舎に向かえ、荷物の積み込みを、それと矢部少尉この家にあるラジオを持ってきて通信機が置かれていた部屋に、それを壊して部屋を手榴弾で破壊します。敵には味方が全滅前に破壊したように偽装する」
そうして独立混成大隊の面々は偽装工作と物資の積み込みを終え夜明け前にはこの場から消えたのであった。
3月29日 6:18 襟裳岬沖南10キロの海域
潜水艦伊170は釧路港のソ連艦隊監視任務に付いていた。
「だいぶ、空が明るくなってきたな」
艦橋の見張り所から空を見ていた艦長が言った。
「そろそろ、ですか?」
傍らにいた航海長は潜行するのか尋ねた。
「うむ、通信長、何か無電が入って来てないか?」
艦長は伝声管で通信長に問い合わせた。彼らは艦隊の監視任務とは別に敵勢力圏内の残存部隊との連絡中継役も兼ねていたのである。
「いえ、なにも……!待ってください、今、入ってきました、陸さんの様です、誰か、浜崎中尉を」
伝声管の向こうでのやり取りが艦長に伝わってきた、連絡中継役の艦には陸軍暗号解読のため陸軍の通信士が派遣されている為、呼びに行っているようだ。
「まだか?」
入電から些か時間が掛かっている為、艦長が苛立った口調で聞いた。
「完了」
通信長も艦長につられるようにやや怒鳴り気味に返答した。
「よし、見張り、艦内へ急速潜行!!」
艦長は艦内へ滑り降りた。
「深さ40」
「深さ40、ベント開け」
「機関長より、発令所。エンジン停止、電池切り替え完了」
そのまま伊170は哨戒監視活動を後続に引き継ぎ潜水母艦剣崎との邂逅地点へと向かった、引き継ぎ後に受信した電文を大湊警備府へ転送した。
『発 第5方面軍特別混成大隊 宛 第5方面軍司令部 我、敵物資集積所攻撃、作戦成功。敵重要文書とおぼしき物を入手並びに監禁されし民間人を救助せり、指示を乞う』