海軍の霹靂事件 後編
とりあえず番外編はこれで終わりです。
輪形陣の外郭を突破された事により宇垣は一番数が多い戦艦群から見て四時方向の編隊に的を絞った迎撃を命じた。
戦艦群は目標の編隊にあえて横腹を向け、可能な限り対空火器を向けた。
それを見た雷撃隊はその中で回頭が遅れていた武蔵に攻撃を絞る事に決めた。大和型の欠点である舵への反応の鈍さがアダとなり武蔵は28機の雷撃機に狙われてしまった。猪口艦長は航空隊の動きから自分らが狙われている事を察し、すぐさま減速を命じ副砲と高角砲で迎え撃った。この武蔵の動きを見た指揮官は小隊規模に部隊を散開させて武蔵に襲いかかったが武蔵砲術科は砲術長以下事前の打ち合わせで予め定めた受け持ちエリアに弾幕を集中させる方法を採り、不幸にもこの編隊は一番弾幕が濃厚になるエリアに突っ込んでしまい投下前に撃墜されたもの12機、投下後6機撃墜、2機回避運動中に魚雷脱落の為離脱の被害を出しつつもなんとか14本の魚雷を放つ事が出来たのである。
見張り員の報告を聞いた猪口艦長は面舵を取り続け回避しようとしたが艦首に2本、艦橋真下に右3本、左2本、機関部左2本、主砲弾薬庫左2本の命中判定を受け、さらに艦爆隊2個小隊が輪形陣を突破し、雷撃隊に気を取られすぎていた武蔵に爆弾替わりの砂袋を投弾し右舷機銃群2発命中し、中破判定を受け、20ノットまで速力低下、弾薬2割使用不能の被害を出したが攻撃が武蔵に集中した為に大和3本命中小破、信濃に至っては雷撃隊が投下コースに入った所で森下艦長の直感で投下寸前の所でクラッシュアスターンを行い、未来位置に放たれた魚雷を全弾回避するという神業をやってのけたのである。
攻撃隊はあまりの酷さに歯噛みしつつも戦果を司令部に報告し帰投したのであった。
「そうか」
山口多聞は攻撃隊からの事実上の攻撃失敗の報告を受けた時、この一言だけ言って飛龍艦橋から攻撃隊が帰ってくるだろう方角を見ていた。工業地帯空襲の攻撃隊は宇垣艦隊攻撃隊を放った後に収容作業を再開したが収容作業を始めた矢先に着艦ミスをした機体が格納庫収容前の機体に衝突しその処理の為収容作業は遅々として進まずようやく収容が終わった頃には日が沈む頃であった、宇垣艦隊に向けた攻撃隊も収容しとにかく撤収ポイントに向かう指示を出す所で電探員が艦隊に向かってきている部隊を発見し報告した。
宇垣艦隊の二水戦は空襲で被害を出しつつも速やかに部隊を再編し、戦隊司令の大森少将が先行して山口艦隊の足止めを行う事を進言し宇垣はそれを了承したため大森水雷戦隊はこうして山口艦隊の攻撃隊を追跡する形で山口艦隊にたどり着いたのである、電探で大森戦隊の存在を確認していた長良率いる警戒隊の面々は日頃のトンボ釣りから自分らの本来の使われ方がされる事に意気衝天になり山口から迎撃命令が下されるやいなや大森戦隊目掛け機関を壊さんばかりの勢いで突撃していった。
結果として日頃から襲撃訓練に明け暮れる華の二水戦とトンボ釣りと対空戦闘訓練が主体の護衛部隊では勝負になるか?の問は愚問である事は明白であり、彼らは善戦するも二水戦に蹴散らされる事となり二航戦、五航戦は共に高射砲で迎撃するも、それはもはや自棄糞の攻撃であり二水戦の巧みな操艦にただの1発の命中弾を与える事はできず、二水戦の雷撃を受ける事になり飛龍中破、速力25ノットまで低下、翔鶴撃沈、瑞鶴小破の結果となり、この後押取り刀で駆けつけた戦艦群を飛龍のレーダーが捉えた時は飛龍が殿として瑞鶴を逃す決断を下し、大和以下戦艦群に突っ込んだ後に演習終了となった。
結果として宇垣艦隊は戦艦群は武蔵除き戦闘可能な状態ではあったが四水戦は橋本司令以下司令部が旗艦ごと喪失判定を受け麾下の駆逐隊も壊滅、武蔵の被害を見れば航空機で航行中の戦艦を撃沈する事は不可能にあらずと発覚した。山口艦隊は攻撃前に蒼龍を失い、収容作業時の事故で後手に回った為に水上打撃部隊の接近を許す事となり有力な水上打撃部隊に抗うにはあまりにも貧弱な警戒隊を失い、こちらも機動部隊が守りに回ると極めて脆弱な存在である事を認識せざる得ない事となった。
この演習は後に海軍の霹靂事件と名付けられ航空主兵論と大艦巨砲主義の対立にピリオドを打つ出来事になったと記された。
この演習後、山口多聞は機動部隊護衛戦力の強化を訴え、大鳳型や琉球型等の装甲空母の量産を強く要請する事となった。宇垣纏は航空機に対する認識を改める事になったがこの演習の結果に不満を持った海軍の長老格によって予備役編入の話が持ち上がるも航空機の怖さを知る鉄砲屋である事を踏まえ、ほとぼりが覚めるまでの間、予てより創設が検討されていた新装備及び試作装備の試験運用を目的とした試験評価隊司令の職へ就任させる事で落とし所と相成った。




