番外 海軍の霹靂事件 前編
長くなりましたのでとりあえずこの部分を投稿します
帝国海軍内における大艦巨砲主義と航空主兵論の対立は昭和17年、海軍大臣であった山本五十六に組閣の大命の話が持ち上がった事により一気にヒートアップしていた。
山本の就任により自らの発言力の強化を目論む航空主兵論者とそれを阻止せんとする大艦巨砲主義者
この構図が成り立ち、横須賀や佐世保などの街では夜になると両者の若手士官による乱闘事件は後を絶たず、度重なる憲兵隊からの報告に事態の沈静化に務めていた海軍省は業を煮やし、軍令部次長堀悌吉中将は同期の桜である山本五十六と対策を練り「水掛け論を続けるのは海軍の秩序の崩壊に繋がりかねない」と軍令部、連合艦隊双方の意見として海軍省に提出、打開策として「どちらが正しいか白黒つける」為、昭和18年1月に有力な水上打撃部隊と空母機動部隊との演習を行った。
陣容は宇垣纏中将を指揮官とした第1戦隊大和、武蔵、信濃を中核とした水上打撃部隊
山口多聞中将率いる第2航空戦隊飛龍、蒼龍、第5航空戦隊翔鶴、瑞鶴を中核とした機動部隊
山口艦隊は東海地方の工業地帯への空襲と遠州灘に陣取る宇垣艦隊を捕捉しこれを撃滅する事を目的とし、対する宇垣艦隊は侵攻してきた山口艦隊を可及的速やかに捕捉し攻撃、山口艦隊の攻撃を阻止することを目的とした。
演習開始後、双方の艦隊はほぼ同時に相手を捉えたが、この時、宇垣艦隊は工業地帯へ向かう攻撃隊に対する迎撃の最中であり、山口艦隊は索敵機の発艦作業中に対潜警戒中の浜風からの潜水艦発見の報により艦隊攻撃を断念し対潜戦闘を行った為、お互いに手の出せない状況であった。
この後、宇垣は艦隊を航空隊が飛来した方角に進ませ、牽制として哨戒、監視として配備していた潜水艦隊に攻撃を命じ、山口は5航戦に攻撃隊収容と2航戦に対艦攻撃で待機中の部隊に発艦をせよと命令を下した。
両指揮官の指示は宇垣の方が早かった、山口艦隊に捕捉されなかった伊19、伊168はそれぞれ攻撃可能な空母に狙いを定め魚雷を放った、お互いがお互いの獲物を把握していなかったのが皮肉にも功を奏し19、168が狙ったのは共に攻撃隊発艦を始めた蒼龍であった、19の艦長は威力を高めるため散布角を狭めて攻撃し168は命中率を優先し放射線状に魚雷を放った。
その魚雷はまず19が放った魚雷が蒼龍の艦首部を3本が通過し残りの2本が蒼龍の左舷にいた磯風の中央部を通過し、蒼龍大破、磯風撃沈の判定を受け、第17駆逐隊が19のおおよその位置に急行し、残りが対潜警戒に移るが、168は魚雷発射後、急速潜航で身を隠し自身が放った魚雷の戦果を知る事を諦めその身を深海に委ねた。
蒼龍は艦首部浸水の想定のため速力が出せず散布角を大きく取っていた魚雷から逃げる事はかなわず艦尾に1発、艦橋下部に1発を受け、撃沈。蒼龍の放つ事ができたのは戦闘機4機だけであった。
山口司令は残った飛龍攻撃隊の発艦を急がせ、5航戦に攻撃隊収容の中断、収容した攻撃隊のうち戦闘可能な機体で攻撃隊を編成せよと命じ護衛の駆逐隊には対潜警戒を厳にせよと命令、収容待ちの攻撃隊には飛龍の発艦が完了次第、飛龍に降りるように命じた。
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