2.音と光
“バタタタタ…”
「つきしお」の上空を、教官を乗せたヘリが飛び立っていった。
もうすぐだ。横須賀は目の前、単独で操艦する時がやってきてしまった。単独航海の技量があるとはいえ、いざ人に見せるとなると緊張がとまらない。
「潜行用意!」
「アイサー!潜行用ー意!」
梓の一言で、「つきしお」は海に潜る。
「メイン、バラストタンクのベント解放!」
「ダウントリム5度!」
“バシュウウウ…”
波間へと姿を消してゆく「つきしお」…
艦内の奥からモーターの音が聞こえてくる。ここは「つきしお」のCIC。
「ポイントまで、あと10分です。」
「進路と速度に注意して。」
「アイサー。」
操縦士に指示を与える三咲。
「こちらCIC。優希さん、起きていますか?」
『起きてる。』
理紗が機関室へと電話を入れる。大会前だけに、昼寝屋の優希も起きているようだ。
「深度100を維持。改めて速度を8ノットに合わせて下さい。」
「アイサー。」
どうも敬語になってしまう梓。三等海尉だから、上官はいないはずなのに…
ところが、海上はとんでもないことになっていた。
「おいっ!なんだあの雲はっ!」
「わかりません!竜巻のようですが!」
たしかに、今日の横須賀は朝から小雨だった。空はどんよりと曇ってはいたが…、
「全艦艇に連絡!竜巻らしき漏斗状の雲が接近中!ただちに退避せよと!」
「ハッ!」
“ヒュウウウウ…”
どんどん風が強くなっていく。空は暗くなり、雨もパラツキはじめた。
“ド、ゴオオオン!”
落雷、それも何本もの稲妻が走っているのが見える。誰が見ても、ただごとには見えなかった。
「報告します!行動中の全水上艦艇に退避命令を送信し、返信を確認しました!」
「よし!我々もただちに退避!」
「しかし、潜行中の潜水艦との連絡途絶!退避命令を受け取ったのは、3隻中2隻までかと!」
「なにい!?受け取っていない艦は!?」
「…「つきしお」です!」
「つきしお」艦内―
『ソナーより艦長へ。海上はひどく荒れているみたいですね。』
水測員、三滝 さやか三士 からの電話だ。
「わかりました。他艦との接触がないように、必要であればスキャンソナーを打ってください。」
『ソナー、了解です。』
退避命令など全く伝わっておらず、潜行を続ける「つきしお」。
「そろそろかな…。三咲さん。」
「アイサー。面舵10度、機関12ノットに増速!」
「面舵10度!」
「機関、12ノットに増ー速!」
電動機の音が高くなり、艦が増速していく。
「あーいよいよか。緊張する~。」
「三咲さん、トイレ行っとく?」
「ああんもう!理紗はなんで平気なのー!?」
だが、海中を進んでいく「つきしお」に異変が生じていた。
“シュウウウウ…”
「つきしお」の周囲は、予想だにしない展開へとなっていた。まるで炭酸水の中にいるかのように気泡が艦を包み込む。
“カラン…カラン…カラン…”
ガラス同士が触れ合うかのような、高い、独特の音がこだまする。そして暗い海中に突如現れた、明るい光。
“ゴオオオ…”
気づいていないかのように…、いや、本当に気づいていないのだ。光の中へと入っていく「つきしお」。まるで導かれているかのように…。
大きな「つきしお」の船体が、すっぽりと光に覆われた。その瞬間…
“スウッ”
光は、いや「つきしお」の姿も消えていた。始めから、そこになかったかのように…。
「10分経過。」
「ソナー、ピンガー打って下さい。位置確認と共に、行動を開始します。」
『アイサー。ピンガー打ちます。』
“コオーン…”
「つきしお」から、ピンガーが広がっていく。…が、
『音波の跳ね返りなし!「いかづち」を探知できません!』
「えっ…。」
ミスった…、やってしまった。
「うそでしょ…。こんなところで位置間違えたら、シャレにならないよ…。」
嘆く梓。
「どうする?一旦浮上する?」
「潜望鏡深度まで、上がってみたらどうでしょう。完全浮上するよりはいいんじゃあ…。」
三咲の浮上発言に、潜望鏡深度までという助言を入れる理紗。
「そうだね…。一旦潜望鏡深度まで浮上します!メインタンクブロー!」
「アイサー!メインタンクブロー!」
“バシュウウウ…”
「アップトリム、プラス5度!機関5ノットに減速!」
「アップトリム5!」
「機関5ノットに減速!よーし!」
深度計が指す値を変えていく。90…80…70…
「深度50!」
潜望鏡を上げようとした、その時、
『ソナーに感っ!すぐ後方ですっ!』
「うそっ!?」
思わず三咲からでた声。
「なんで?いつの間に!?」
「浮上中止!トリムを戻してください!」
浮上を止め、衝突を避ける。「つきしお」は浮上を停止した。
「トリム水平に戻りました。現在深度は45メートルです。」
「三滝さん、水上艦の音紋から艦名を割り出してください。」
『了解です。』
電話を一旦切り、三咲と理紗をチャートテーブルに呼ぶ。
「私たちは、ここからこっちへと8ノットで移動してきました。」
「えっと、ここで12ノットに増速したんだよね…。」
「真上にいる艦が何かわかりませんが、そんなにズレることはありえないはずですが…。」
が、残念ながら自信はない。何を間違ったのか、誰にも見当すらつかなかった。
『音紋解析が終わりました。…残念ですが、該当する音紋が見つかりませんでした。』
「音紋なし?そんな特殊な艦いたっけ?」
「私が知る限りでは、全て海自の艦ですからありえないと思いますが…。」
三咲と理紗の頭は、疑問符でいっぱいだ。
「三滝さん、もう一度解析をお願いします。それでも該当しなければ、こちらから確かめます。」
『わかりました。もう一度解析しなおします。』
梓自身、表に出すことはないが混乱していた。とにかく、真上にいる艦がなんなのか確かめなければ…。
“ガガッ…”
「?」
振り返った視線の先には、水中電話。
「水上艦からの電話でしょうか?」
「出てみる。心配してかけてくれたのかもしれない。」
笑顔を見せつつ、受話器をとった。
「はい。こちら、「つきしお」艦長の里道三尉です。」
『…、………。……………………。…………、………。』
「え…?」
最初は、電話が故障しているのかと思った。
「あの、こちら海上自衛隊の練習潜水艦「つきしお」です。貴艦の艦名を教えてください。」
『………。……、……。』
違う、相手は日本語を喋ってない。
『艦長、不明です。該当艦はやはり存在しません。』
ソナーからの報告。いよいよ、上にいる水上艦は何なのか…。
「了解しました。…浮上開始!潜望鏡深度まで浮上!」
「肉眼で確認するのが一番ですね。」
理紗の笑顔に、少しホッとする梓。
「メインタンク・ブロー!」




